親愛の証 ~二重異世界行ったり来たりの付与魔術師Extra~

けろ壱

第1話 親愛の証1

「えっ、そんな……。ミヅキ様、それは本気ですか……?」


「うん、こんなこと頼めるのはアイアノアだけなんだ」


「私だけ……。うぅ、でも、恥ずかしいです……」


「そこを何とか。頼むよ」


 こそこそと潜めた声で、二人の男女の話し声が聞こえる。


 そこはとある宿屋、「冒険者と山猫亭」の店内ホールだ。

 他に物音はせず、しんと静まり返っている。


 話しているのは人間の男と、エルフの女。


 伝説のダンジョン、パンドラの地下迷宮を踏破する使命を帯びている──。

 勇者ミヅキ。


 勇者の手助けをして、同じくダンジョンの深奥を目指している──。

 エルフ、アイアノア。


 従業員の獣人キッキと、もう一人の仲間であるエルトゥリンは、料理の配達に出掛けていて、厨房に居たはずの店主パメラの姿も今は見当たらない。


 そんな二人きりの状況でミヅキは両手をこすり合わせ、困惑のアイアノアにある頼み事をしている最中だった。


「俺、もしもエルフの女の子に会えたら是非一緒にしてみたいことがあって、その長年の夢をアイアノアに叶えてもらいたいんだ。……駄目かな?」


「いいえっ、駄目などではありません。それはとても恥ずかしいことですけれど、ミヅキ様たってのお望みとあれば……」


 顔を赤らめ、豊かな胸に手をやりながらアイアノアはミヅキの顔を見つめた。

 そんな頼み事を聞いてあげられるかどうかを戸惑い、上目遣いのおどおどした態度になっている。


「ですが、そのように長く切望されていた願いを私などを相手に叶えてしまってもよろしいのですか? 後悔などされませんか?」


「もっちろん、俺はアイアノアがいいんだ。後悔なんて絶対にしない」


 対して、ミヅキは曇りなき瞳をきらきらと輝かせて返事を返した。

 アイアノアは赤かった顔をさらにぼっと紅潮させる。

 長い耳の先まで真っ赤っかだ。


「まぁ、ミヅキ様ったら……! そうまで強く求められてしまっては、もう私にはお断りすることなどできません。──わかりましたっ、ミヅキ様のその宿願、この私めがしっかりと叶えて差し上げましょう! どうぞ御心のままにっ!」


「ほんとかっ! やった! 俺の長年の夢がとうとう叶うっ!」


「もう、ミヅキ様ったら。そのように子供みたいにおはしゃぎになられて……」


 心を決めたとばかりのアイアノアに、ひゃっほうと子供みたいに喜ぶミヅキ。

 押しに負けてしまった感のエルフの彼女は、しょうがないという顔で息をつく。


 と、ひとしきり喜びに小躍りしていたミヅキだったものの、ぴたりと動きを止めるとまた声を小さくして人目をはばかるように言い出した。


「あ、そうだ。俺が叶えたかった夢だったっていうのもあるんだけど……。いつかアイアノアが魔力切れを起こしたとき、そういうつもりはなかったんだけど俺の加護が気を利かせてね。アイアノアの身体のことでわかっちゃったことがあるんだ」


「えっ、私の身体のことですか……?」


「……うん、アイアノアってさ、凄く言いにくいことなんだけど……。その、結構、溜まっちゃってる、よね」


「──ミ、ミヅキ様ぁっ!」


 一瞬何を言われたのかわからなかったが、アイアノアはすぐに意味を理解して、これまでで最高に顔を真っ赤にして大声をあげる。


「嫌ですもうっ! そっ、そのような不埒ふらちなことを仰らないで下さいましぃっ! 恥ずかしいことを口にされるミヅキ様なんて嫌いですぅっ!」


「げほぉっ……!」


 片手は顔を覆い、もう片手は存外に強い力でミヅキをどすんと突き飛ばした。

 ミヅキはたまらず尻餅をついてしまう。


 よろよろと起き上がり、無邪気な笑顔を浮かべる。

 長年の夢が叶うのだから、このくらいへっちゃらである。


「ご、ごめんごめん……。でも俺に任せて。きっとアイアノアをすっきり気持ちよくさせてあげるからさっ」


「そんな、気持ちよく、だなんて……」


 羞恥の思いに視線を返せないアイアノア。

 そんな彼女を残して、ミヅキは二階への階段を軽やかに上がっていった。


「じゃあ、先に部屋に行ってるから、心の準備ができたら来てよ。待ってるね」


「は、はいっ……。わかりました……」


 自分の部屋に入ろうとするミヅキに思わずアイアノアは声を掛ける。


「あっ、あのっ、ミヅキ様っ!」


 二階から振り返るミヅキの顔に、何を言っていいのか迷ってしまう。

 恥じらいながら消え入りそうな声で言うのだった。


「……初めてですので、お、お優しくして下さいましねっ……」


「大丈夫、何も心配いらないよ! なすがままにしててくれればいいからさ!」


 うきうきと嬉しそうな様子で答えると、ミヅキは部屋の中へと消える。

 ばたんっ、とドアが閉まる音を最後に店内に再び静寂が戻った。


「はぁぁ……」


 閉じたミヅキの部屋をのドアを見つめて、アイアノアは艶っぽいため息をつく。

 勢いに任せて調子よく引き受けてしまったが、胸のドキドキが収まらない。


──とうとう、ミヅキ様からそのようなことを求められてしまったわ……。本当に私たちエルフに興味がおありだったのね……。あぁ、どうすればいいのかしら。


「いいえ、頑張るのよ私っ。これはミヅキ様に親愛の情を訴えられる絶好の機会よ。きっとご期待に添えられるように、精一杯努力しなくっちゃ駄目!」


 赤らんだはにかみ顔から、きりっとした真剣な表情に変わって、求められた要望に全力で応えようとエルフの彼女は奮起する。


 両手のこぶしを握り込んで、ぐっと全身に気合いを入れた。

 それに合わせて大きな胸がぶるんっと揺れる。


「ミヅキ様っ! 私のこと、どうぞよろしくお願い致しますねっ!」


 アイアノアのミヅキに対する気持ちは、今や大きく変化していた。

 それはもう信頼という確かな思いとして、彼女の心の中に芽生えていた。


 それは、いつかの夜のことである。

 種族間での口論が起こり、仲直りができた後のことだ。


 自室で安堵あんどの気持ちで眠りに就いていると、はたと目を開けたアイアノアは何事かに気付いてベッドから飛び起きる。


「あっ、でも待って! 人間と異種族の関係に理解があるってことは……」


 がばっと上半身を起こして、長耳をぱたぱた動かしながら隣のベッドで眠ろうとしている妹に興奮気味に声を掛けた。


「ねえ、エルトゥリンっ。ミヅキ様ったら、まさか私たちエルフもそういう対象としてお考えになることができるんじゃないかしらっ?」


「……そういう対象って?」


 うとうとしていたところを邪魔されて、不機嫌そうに寝返りをうってアイアノアのほうを向くのは妹のエルトゥリン。


 そんな妹の気などお構いなしに目を輝かせ、色めき立つ姉は先を続けた。


「さっきパメラさんとアシュレイさんの種族間を超えた結婚の話をしたじゃない? 異種族間の恋愛事情に理解があるということは、ミヅキ様はエルフの私たちのことも種族間の問題を抜きにして、同じ女性だって考えられるのかしら?」


「そうじゃなかったら、私に抱きついたり、キスしようとしたりしないでしょ」


「きっとそれだけじゃないわっ。単純にいやらしい目的だけじゃなくて、お互いの気持ちを通い合わせて──。こっ、恋人同士の関係になれたりなんかしちゃったりして……」


「はぁー……」


 盛り上がるアイアノアとは正反対に、エルトゥリンはいつぞやの朝のごたごたを思い出している。

 寝惚けたミヅキから受けた悪意の無い嫌がらせを根に持っていて、うっとうしそうにため息を吐いた。


 神託の勇者様とはいえど、ミヅキが男であることに変わりはない。

 ミヅキにも男特有のよこしまな一面があると警戒するエルトゥリンなのだが、アイアノアは意にも介さない。


「きゃー、もしもそうだったらどうしましょっ! 女性としての私を求められたらいったいどうしたらいいの~? ミヅキ様って種族だけじゃなくて、歳の差とかも気にしないのかしら~。私はエルフで、ミヅキ様は人間なのにぃー!」


 赤らんだ頬に両手を当てて感極まるアイアノア。

 そんな満面の笑顔とは対照的に、エルトゥリンはじと目の呆れ顔をしていた。


「姉様って、そういう話好きよね……」


「そりゃもうっ、気になるわ~。うふふふっ」


 恋に恋するエルフの乙女はもう止められない。


 そんなやり取りがあの夜にあったことを思い出しつつ、アイアノアは他の人間とは違うと感じたミヅキと真摯しんしに向き合おうと決めた。


 だから、唐突な「お願い」を拒むことなく、その思いを受け入れる覚悟をする。

 但し、そんな覚悟とは裏腹、自然と口許は緩んでしまっていた。


「……でも、ミヅキ様になら、いいかな……。なーんて、私ったらー!」


 両肩を抱いて身体をくねくね、もじもじさせて恥ずかしがるアイアノア。

 その後ろ姿を、いつの間にか戻ってきていた店主のパメラが不思議そうに見ていたのに気付くことはなく。


 これは、異種族間でのいさかい事があってからの幕間の物語──。

 ミヅキが地平の加護の検証を行い、かの伝説の魔物である雪男と遭遇するまでの間に起こった出来事だ。


 ミヅキからアイアノアへのとある望みが、人間とエルフという最も不仲な関係性に再び一石を投じることになるのである。



◇◆◇



 それからややあって。

 パンドラの地下迷宮近くの兵士詰め所への配達を終え、冒険者と山猫亭へと帰ってきたエルトゥリンとキッキ。


 料理や食べ物を積載した荷車を引くのはもっぱらエルトゥリンの仕事で、キッキは荷物と一緒に荷車に乗ったまま楽をしている。


 店員と客の立場が逆転している感心できない状況だが、当の怪力な彼女からすると獣人の少女一人くらいの重量が増えたところで何の影響も受けはしない。


「今日もありがと、エル姉さん。後の掃除はやっとくから、先に戻ってて」


「うん、お疲れ様。キッキ」


 裏の倉庫に荷車を片付け、路地裏から店の正面に回るとエルトゥリンは入り口のドアノブを回した。

 カランコロン、とドアベルを鳴らして店の中に足を踏み入れる。


 まさに、その瞬間だった。


「ふわあああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーんっ!!」


 突如、店内に女性の物凄い叫び声が響き渡った。

 それは切なさに感極まったみたいな嬌声きょうせいそのもの──。

 絶叫というのが正しい。


「なっ、なな……?! 何なのっ!? 今の声は……!?」


 激しく動揺するエルトゥリンが視線をやる先は二階の部屋だ。

 厨房カウンターの向こうにパメラがいて、彼女も何事かと声が聞こえてきた二階を見ていた。

 気のせいなどではなく、何よりも今の声が誰のものなのかは間違えようがない。


 店内にはミヅキとアイアノアの姿はなく、留守番をしていた二人が一緒に居るのは容易に想像できることだった。

 エルトゥリンは再び吹き抜けの二階を振り仰ぐ。


「今の声は姉様っ! ミ、ミヅキ、もしかして姉様に……!」


 二人が何をしているのかを考えて、エルトゥリンは顔を青くした。


 姉があんなに凄い声を発するのはどんな状況だろう。

 すぐさま、エルトゥリンにとっての最悪の想像が頭に浮かんだ。

 何故ならミヅキに対し、不誠実で後ろめたい負い目が彼女たちにはあったから。


 過剰な反意が災いして、国中のお尋ね者になってしまった身内。

 それを追っている密命のことをまだミヅキに話せていない。


 そして、ミヅキもそれを知りたがっていた様子だった。


──だからって、ミヅキっ、まさか、姉様にひどい拷問ごうもんをしてるんじゃ……!?


 真っ先に思い当たったのは拷問という物騒極まる仕打ちであった。

 大事な姉が秘密を無理やり喋らせるために苦痛を味わわされたり、辱めを受けていたりなど、エルトゥリンには到底許容できるものではない。


「姉様ぁッ……!」


 叫ぶが早いか、駆け出したエルトゥリンは階段を無視して高く跳躍する。


 直接、二階のミヅキの部屋の前に降り立ち、ドアノブを荒々しく引っ掴んだ。

 鍵が掛かっていたなら、力づくでドアを壊して中へ押し入るつもりだった。


──いくらミヅキでも姉様にあんなことやこんなことをするなんて許せない!


 憤るエルトゥリンだが、秘密を隠し続けている負い目は悲壮な叫びとなる。

 それは姉を庇い、自分の身を差し出しても構わないという覚悟であった。


「ミヅキっ! 姉様にそんなひどいことしないでっ! やるなら私にしてぇっ!」


 ばんッ!


 大きな音を立ててドアを開き、エルトゥリンは部屋の中へと躍り込む。


 ドアに鍵は掛かってはいなかった。

 部屋の中にはミヅキとアイアノアが居て、エルトゥリンの目に二人の姿が映る。


 そこで彼女が見た光景とは──。


「うわ、びっくりした……」


「あら、おかえりなさい。エルトゥリン」


 しかし、必死の思いで駆け付けたのと裏腹、二人から返ってきたのは普通な感じの緊張感の無い返事でしかなかった。

 ミヅキとアイアノアは二人して同じベッドの上にいた。


「えっ? えぇっ……!?」


 思っていた最悪の状況とまるで違う穏やかな雰囲気に、エルトゥリンは目を大きく見開いて動揺していた。


 二人ともちゃんと服は着ていて、その着衣に乱れなどあろうはずもない。

 何故アイアノアがさっきみたいな絶叫をあげることになったのかはその状況からは全く見当がつかなかった。


 唖然とするエルトゥリンは絞り出す声で言った。


「な、なに、してるの……?」


 ミヅキはベッドの枕元であぐらをかいて座っており、膝の上に布を敷いた枕を乗せている。


 アイアノアは仰向けに寝転び、少し傾き加減にした頭を枕に預けていた。

 丁度、ミヅキの手元に左側の長い耳を向けている格好だ。


 エルトゥリンの問いに、ミヅキはそっけなくも答えるのだった。


「なにって、──だよ」


 ミヅキの手には見慣れない道具が握られている。

 片側がへら状で、もう片側に白く丸い綿毛が付いた、木製の細い棒だ。


 耳かき、という言葉も同じく聞き慣れないものだ。

 エルトゥリンは今ここで何が起こっているのかなかなか理解できないでいる。


「み、みみかき……? 姉様を拷問してるんじゃなくて……?」


 拷問なんて思いもよらない単語にミヅキはぎょっと驚く。


 ただ、ぶるぶる震えて慌てているエルトゥリンを見て、何となくも何を考えていたのかを察するのであった。

 ミヅキは姉思いの妹の、とんだ早とちりに吹き出して苦笑い。


「はは、拷問だなんて人聞きが悪いな……。俺が何を二人から無理やり聞き出そうとしてるっていうんだ?」


 仰向けのアイアノアからは見えないよう、ミヅキは入り口の所で棒立ちになっているエルトゥリンに向け、口許に人差し指を立てる秘密のサインを送る。


 まだ言えない胸の内があるのは秘密のままで、今やっている「これ」はそのための行為ではないという合図であった。

 そんなことはつゆとも知らないアイアノアは無礼な妹に憤慨ふんがいする。


「エルトゥリンっ! 帰ってきて早々、なんて失礼なことを言うの!? ミヅキ様が私に拷問なんてする訳がないでしょうっ!」


 仰向けに寝たまま眉間に皺を寄せておかんむりなアイアノア。

 それを、まぁまぁとなだめているミヅキ。


「あ……。うぅ……」


 二人の様子を見て、エルトゥリンもようやく事態を理解し始めた。


 どうやら大切な姉が酷い目に遭わされているというのは大きな間違いで、実際に行われていたのは「耳かき」なる触れ合いのひとときであった。


 しかし、アイアノアのことを心配する一心で、文字通り飛んできたというのに逆に叱られてしまっては納得がいかない。


「……なによ。姉様が凄い声をあげるから飛んできたっていうのに……」


 エルトゥリンは俯き加減に小さい声で文句をこぼす。


 アイアノアはミヅキの手前、すぐに怒りを収めてうっとりした顔に戻っていた。

 妹の気苦労をやっぱり理解していないのん気な姉。

 そんな二人の関係は今日も健在である。


「ねぇ、エルトゥリン……。ミヅキ様ったら耳掃除がとぉってもお上手なのよ……。私、気持ちよすぎて変な声が出ちゃう。ふわぁん……」


 ほんのり赤らめた顔で吐息混じりに言うと、アイアノアは身をよじる。

 下半身はスカート姿なので脚には毛布を掛けて配慮しているものの、艶めかしい声をいちいちあげられてミヅキは困り顔で笑っていたところだ。


「……べ、別に変なことしてる訳じゃないからな。疑うってんならエルトゥリンはそこで見ててくれよ。そのほうが要らない誤解を生まなくて済むしな」


「わ、わかった。ミヅキが姉様に変なことをしないか見張ってる……」


 ミヅキが言うと、エルトゥリンは複雑そうな顔で後ろ手にドアを閉じる。

 そうして、部屋の備え付けの椅子に座り込むのだった。


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