ガニメデへの旅路

春藤あずさ

第1話 ガニメデ到着

2141年2月


「まさか俺たちがここに着くまで、6年もかかるとはな。」

「当初の予定だと、5年でしたものね。色々トラブルが起きちゃったから……」

「後を振り返ったって仕方ないさ。前を向いて生きよう。ほら、あそこにあるのは何だ?」

 最初から順に、パイロットのジョージ・エヴァンス、生物化学者の立花里香、医師のアルベルト・ホフマンである。


 紆余曲折ありながらも、どうにかガニメデに到着した一行のなかで、まず第一陣として、この3人が降り立った。着陸船で、穴も藻もない平地に降り立った3人は、宇宙服を着た状態で、ひとまず周囲の安全確認を行った。

 ガニメデは潮汐固定されており、自転周期と公転周期が同じで、同じ面を常に木星に向けている。月と地球の関係と同じである。謎の穴は、木星に向いていない面に集中していた為、周囲に穴のない着陸地点の頭上には、巨大な木星がある。重力は地球の6分の1程度で、月と同じぐらいである。

 地面は少し茶色く濁った氷の大地で、遠くを見ると、氷の尾根や、溝のようなものも見える。大気には薄い酸素があるが、人間が呼吸できるほどではないので、霞むことはなく、はるか先までハッキリと見えた。


 アルベルトが指差した方向を見ると、遠くに藻のようなものが生えていた。

「あれが……!ついに会えたのね、ガニメデの藻に!」

 里香は興奮した様子でそう言うと、ふわふわと飛び跳ねながら藻に向かった。

 それは、地球の藻とは似ても似つかないものだった。幼い頃から植物を観察し続け、ついには植物と会話できるようになってしまった里香にも、その植物の声は聞こえない。


「おーい、もうちょい用心深く行動してくれよ。何があるかわかんねぇんだからな。」

 ジョージはそう言いながら、周囲を確認しつつ里香を追って藻のもとに辿り着いた。

「何があっても、船に帰れば僕が治してあげるさ。ある程度は気楽にいこう。」

 でも身体欠損は治せないから勘弁な、と呟きながら、アルベルトもそちらに向かった。


「まずは採取よね……」

 里香は滅菌されたピンセットを使い、滅菌されたサンプルケースに、慎重にガニメデの藻を入れた。

 それは、地球の藻よりずいぶん黒く、少し茶色がかっていた。少なくとも、緑と形容できる色ではない。

「葉緑体はないのでしょうね。」

 里香はそう呟くと、ガニメデの氷の大地に、藻を潰さないよう這いつくばり、観察を始めた。


「おいおい、それは後でもできるだろ。まずは基地の材料を下ろそうぜ。」

 ジョージはそう言うと、宇宙船の方を見上げた。

 有人宇宙飛行船〈トムソン号〉は、どこかに着陸できるような構造をしていない。だから、着陸船だけで3人が先行して降りてきたのである。

「デヴィッドもあれだけごねてたしな。」

 通信士のデヴィッド・アンダーソンは、地球との通信を担当するため、第一陣には選ばれようがなかったが、何故かしきりにガニメデに降り立ちたがっていた。

『単純に興味があるのです。皆さんもそうではないのですか?』

「うおっ、用もないのに通信してくんなよ。」

 いきなり通信で会話に入ってきたデヴィッドは、1つ咳払いをすると、地球からの連絡事項を話しはじめた。

『着陸地点に問題がないなら、速やかに基地の建造を始めるように、とのことです。』

「確かにそれはそうだね。さっさとおわらせて、ゆっくりガニメデの様子を観察しようじゃないか。」

 アルベルトはそう言うと、着陸船より少しズレた位置……つまり、〈トムソン号〉の真下に向かった。

 里香も渋々立ち上がると、そちらに向かい、3人が〈トムソン号〉の真下に到着した時点で、衛星上基地の材料がゆっくり投下された。


 3人は、飛び上がってそれぞれの材料を掴んだ。

「どうしてこんな原始的な方法を選んじゃったのかしら。」

「仕方ないだろ。材料にまでいちいち軟着陸用の逆噴射装置をつけてたら、予算オーバーどころの騒ぎじゃない。」

「そうだねぇ、ちょっと疲れるけど、これぐらいならトレーニングだと思うことにしよう。な?」

 全ての材料を指定の位置に並べ終えると、次は組み立てだ。設計図は全員の頭の中に叩き込んでおり、月で建造の訓練もしてきたが、念の為、ヘルメットの左下に設計図がうっすらと表示されている。


「〈タロ〉が手伝ってくれたらいいのに。あの子とっても優しいのよ。私には日本語で話しかけてくれるし。」

「〈タロ〉は〈トムソン号〉内のメンテナンスしか、プログラムされてないからねぇ。地球に衛星基地のメンテナンスプログラムも頼むかい?」

「正直、研究とか探索しながら、基地のメンテナンスまでできるとは思えねぇな。アリかもしれん。」

『では、そのように地球に通信を入れます。もう少し早めに気付いてほしかったものですが。』

「すまんすまん、船が明後日の方向に飛んでったり、色々あったからな、それどころじゃなかった。」

『それもそうですね。お、早いですね。もう基地のメンテナンスプログラムは、完成しているそうです。今送られてきていますが、組み立ては人力ですね。』

「予想されてたか。組み立てもそりゃ人力しかないよな……テキパキやるか。」


 3人は数時間かけて、基地の建造を終わらせた。空気の漏れなどがないかのチェックの方が、時間がかかった。

 基地はプレハブ式で、四角い部屋を集めた形をしており、上から見ると長方形になっている。エアロックと扉のある部分だけ飛び出ている。

 〈トムソン号〉から空気や電気、通信の為の接続用ケーブルが伸びてくるのを待ちながら、3人は周囲を観察していた。


「藻と氷以外何もないわね……この辺りは謎の穴も無い地帯だし。」

「ちょっとまて、あっちから何か飛んできてないか?」

 ジョージが指差したほうを見るが、誰もその姿を捉えることができない。ヘルメットの望遠機能で拡大してみると、確かにこちらに向かってくる黒い点のようなものが見えた。

「虫……かな?藻があるなら虫もいるってことだろうか。」

 アルベルトがそう言った直後、謎の虫のようなものは3人の間をすり抜け、飛び去っていった。

「無人探査機の報告には虫なんてなかったが……アイツら、俺たちの船より遠いとこからしか観察してねぇからな。これを見つけろってのは無理があるか。」

「虫取り網が必要ね……船の貨物室か研究室にあったはずよ。」

『ケーブルはもう伸びきっています。基地と接続してください。』

「はいはい……仕事はちゃんとやりますよっと」


 〈トムソン号〉から伸びたケーブルを基地に接続すると、それを伝って、副パイロットのルイス・エヴァンスと〈タロ〉を抱えた通信士のデヴィッド・アンダーソンが降りてきた。

「ルイス、お前まで降りてきて大丈夫なのかよ。」

「エンジンは全部切ってきたし、地球から許可も出てるから大丈夫だよ、兄さん」

「ここが……ついにここまで……」


 ケーブルから基地内に酸素が送り込まれ、まもなく基地内なら宇宙服なしでも過ごせるようになる。それまで、5人は歩き回ることはなく、周囲を観察していた。

「おい……あれは何だ……?」

 ジョージが、虫のようなものが飛んできたのとは別の方向を指差した。

 全員がそちらを向き、ヘルメットの望遠機能で最大まで拡大すると……そこには、紺色の、名状しがたい、うねうねとした、触手の集合体のようなものがいた。頭や顔に当たるものは見当たらない。

「なに……あれ……?!」

「触手のように見えるねぇ。音は検出されてないよ。」

「なんかうねうね動いてるけど、何か意味があるのかな」

「お出迎えでしょうか。」


 触手の集合体は、触手を一本上に伸ばしたり、様々な方向にうねうねと動かしたりしている。

「確かガニメデで、微弱な電波を受信したとか言ってなかったかな?電波状況はどうなの?デヴィッド」

 ルイスがそう言うと、通信士のデヴィッドは宇宙服に内蔵されている電波受信機を確認した。

「確かに電波は受信していますが……これは解読できるのでしょうか?ランダムのように思えます。」

「そのまま地球に送って、謎解きが得意な連中に任せようぜ。こんなの俺たちにゃわからん。」

「そうしましょう。基地内の通信室なら、地球と通信ができます。」

「もう酸素の充填はおわったようだね。さ、俺たちの新たな家に入ろうか。」

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