第3話 『部員募集中!』
エルフィリアの発見から一週間が経った。
放課後の校舎を吹き抜ける柔らかな風、グラウンドから響く部活の掛け声。けれど、僕とひよりの頭の中は、毎日“あの世界”のことでいっぱいだった。
放課後になると自然に足が部室へ向かう。昨日より少しだけ慣れたエルフィリアの風景。ふたりで秘密を抱えているこの毎日が、現実なのか夢なのか分からなくなる瞬間もある。
「やっぱり、もう少し人数がいた方がいいよね」
ひよりが窓から差し込む光の中で、ぼそりとつぶやいた。
その声には、少しだけ心細さが混じっていた。
「そうだな。でも、この秘密を誰にでも話せるものじゃないし……」
僕は悩む。この世界のことを軽々しく話すのは、裏切りのような気がした。
「それなら、まずは普通の部員募集から始めてみない?」
ひよりが机の上で肘をつきながら、提案する。
「普通の?」
「うん。“冒険部”って名前だけで興味を持ってくれる人もいるかもしれないし」
その横顔が、なんだか少し拗ねているようにも見えた。
確かに、それは一つの手だ。普通の部活として仲間を集めて、信頼できる人だけにエルフィリアの秘密を打ち明ける。それが一番安全な気がする。
「よし、やってみよう」
僕は決意を固めた。
次の日、僕たちは手作りの部員募集ポスターを抱えて校内を回った。廊下には他の部活の勧誘の声や笑い声が響いていて、何だかちょっと心細くなる。
「冒険部、部員募集中だよ!」
ひよりが大きな声で呼びかける。その声は、まるで春の風みたいに明るく弾んでいた。
「冒険部って何をするんですか?」
柔らかい声とともに、僕とひよりの前に一人の女子生徒が現れた。
彼女は僕と同じクラスの岡崎ゆりな。艶のある滑らかな髪、整った顔立ちと落ち着いた雰囲気が印象的で、どこか気品があるタイプの美少女だ。クラスでも男子女子問わず人気が高い。
「あ、岡崎さん……」
僕は思わず緊張し、声が少し上ずる。
「三宅君、こんにちは。冒険部って、ちょっと珍しい名前ですね」
ゆりなはふんわりと微笑み、周囲の生徒も彼女をチラチラと見ている。
「あ、えっと……その……」
僕は言葉に詰まる。部の“本当の活動”をどう説明すればいいのか、頭が真っ白になる。
「まだ、具体的には決まってないんです」
ひよりが、すかさず間に入って助け船を出す。
「みんなで一緒に、活動内容を考えていこうと思ってるんですよ」
ひよりは、ちらりと僕の方を見て、口元を小さく尖らせた。
「まあ、それは面白そうですね」
ゆりなが興味深そうに頷く。その瞳には、知的な好奇心がきらりと光っていた。
「私、そういうクリエイティブな活動って結構好きなんです」
「本当に?」
僕は思わず驚く。
「はい。正直、普通の部活ってどこか物足りなくて。
特別な何か、わくわくする体験がしたいなって、ずっと思ってたんです」
ゆりなの目が輝く。ほんのり頬も赤らんでいる。
その時――
ひよりが、ごく自然に僕の肩にすっと近寄る。僕とゆりなの間に体を割り込ませるような立ち位置だ。
「そ、それなら、ぜひ一緒にやろうよ!」
明るい声の裏に、ほんの少しだけピリッとした空気を感じる。
ひよりの視線が一瞬、ゆりなを観察するみたいに鋭くなっているのに気づいて、僕は内心ちょっと笑いそうになる。
(あれ、もしかして――ひより、警戒してる?)
「よろしくお願いします」
ゆりなが微笑んで差し出した手を、ひよりが少し早めにパシッと握る。
それを見て、僕も思わずにやけてしまった。
放課後、三人で部室に集まった。
「これが部室なんですね」
ゆりなが興味深そうに室内を見渡す。
「ちょっと古いけど、雰囲気があって私は好きです」
「そう言ってもらえると、なんだか嬉しいな」
ひよりが素直に微笑む。その表情はどこか得意げでもある。
「それで、どんな活動を考えているんですか?」
ゆりなが率直に尋ねる。僕は内心ドキリとする。まだ異世界のことは秘密にしておきたい。
「まあ、その……地域探検とか?」
「地域探検?」
「うん、この辺の歴史ある場所を調べたり、隠れスポットを探したりするのも楽しいかなって」
ひよりがうまくフォローしてくれる。
「面白そうですね!」
ゆりなが本当に楽しそうに微笑む。
「私、実は歴史や文化にちょっと興味があるんです」
「そうなんだ?」
「はい。この地域の古い伝承や民話にも惹かれていて……」
ゆりなが話している間、ひよりはほんのり拗ねた顔で、僕とゆりなの間をチラチラと見ていた。
「それなら、きっと楽しい部活になるね」
ひよりが、元気を出すように少し大きな声で言う。
「はい!楽しみです」
ゆりなの笑顔は、春の陽差しのように柔らかかった。
この日の部活動は、三人で表向きの活動方針――地域探検や文化研究――について話し合いながら、実際にはエルフィリア探索の段取りを心の中で考えていた。
ゆりなにはまだ秘密だけど、彼女ならいつか本当のことも受け入れてくれそうな予感がする。
「じゃあ、今度の週末にみんなで街を歩いてみませんか?」
ゆりなが積極的に提案する。
「いいね!」
ひよりが即答し、僕も頷く。
三人の距離が、一気に近くなった気がした。
帰り道、僕とひよりは二人きりになった。
「ゆりなちゃん、思ったよりいい人だったね」
ひよりが少し拗ねた声で言う。
「ああ、気さくで明るい子だった」
「でも、まだ異世界のことは話さない方がいいよ。慎重にね?」
ひよりがじっと僕を見上げてくる。
「分かってる。ちゃんと様子を見るよ」
僕は笑って答える。
でも、心のどこかで「ひより、もしかして心配してくれてるんだな」と思い、ちょっと嬉しかった。
しかし、僕の予想より早く、その時はやってきた。
次の日の放課後、部室でエルフィリアに行く準備をしていると、いきなり扉が開いた。
「皆さん、お疲れ様です!」
元気いっぱいの声が響く。
ゆりなが自然な足取りで部室に入ってきた。
「あ、ゆりなちゃん!」
ひよりが驚いて振り返る。
「どうしたの?」
「今日も部活動があるんですよね?」
ゆりなは当たり前のように席に座る。
「あ、えっと……」
僕が口ごもると、ゆりながまっすぐな目でこちらを見た。
「もしかして、私には内緒の活動があるんですか?」
その一言に、空気が一気に張り詰める。
「そんなことはないけど……」
「でも、昨日から何となく感じてました。お二人の間に、何か秘密があるって」
ゆりなの声が少しだけ寂しそうに震える。
ひよりが僕の袖をちょんと引っ張る。その小さな手には「ねぇ、どうしよう?」という思いが込められている。
僕はひよりと一瞬だけ目を合わせた。
「私、仲間外れにされるのは嫌です」
ゆりなは静かに告げる。その表情は真剣そのものだった。
「もし信頼してもらえないなら、部活を辞めます」
「待って!」
ひよりが慌てて声を上げる。「信頼してないなんて、そんなこと絶対ないよ!」
「じゃあ、どうして秘密にするの?」
ゆりなの問いかけに、僕は胸がぎゅっと締め付けられる。
このままじゃ本当に大切な仲間を失ってしまうかもしれない――そんな焦りと責任がこみ上げる。
「分かった」
僕は覚悟を決めた。
「話そう。でも、絶対に秘密にしてもらえる?」
「もちろんです」
ゆりなが力強く頷く。
僕は深呼吸をし、エルフィリアの話を始めた。
最初、ゆりなは驚いた顔で僕たちを見ていたが、真剣な空気にやがて息を飲み、静かに頷いた。
「それで、その異世界に実際に行ったんですか?」
「ああ、毎日行ってる」
「信じられない……でも、嘘をついてるようには見えません」
ゆりなは少し震える声で言う。
「見せてあげる」
ひよりが小さな勇気を出して提案する。
「実際に見たら、きっと信じてもらえるよ」
「本当に?」
ゆりなの瞳が一層大きく輝く。
「危険はないの?」
「今のところは大丈夫だよ」
僕は言葉を選びながら答える。
三人で掃除道具入れの前に立つ。
「ここから?」
ゆりなが疑わしげな声を出す。
「信じられないかもしれないけど、この奥に入口があるんだ」
僕が扉を開くと、冷たい空気と眩い光があふれ出す。
「きゃっ!」
ゆりなが小さく声を上げて身を引く。ひよりは、そんなゆりなを見てちょっとだけ得意げな顔をした。
ゆっくりと三人で奥へ進み、光の廊下を抜けると、エルフィリアの壮大な景色が目の前に広がった。
「うわああああ!」
ゆりなが思わず息を呑む。
「本当に、本当に異世界だ……」
彼女の目が輝き、僕はその姿に少し胸が熱くなった。
「ね、すごいでしょ!」
ひよりが、ここぞとばかりにゆりなの手を引き、嬉しそうに微笑む。その横顔は、どこか誇らしげだった。
「それで、私たちはこの世界を探索してるの」
「探索?」
「うん、謎を解いたり、色んな発見をしたり――」
ひよりが得意げに説明する。
「それに、健太君には特別な目的があるんだ」
ひよりが僕の方をちらりと見る。
「特別な目的?」
ゆりなが真剣な表情で僕を見つめる。
僕は城井先輩のこと、失踪とこの世界の関係を話した。
ゆりなはじっと耳を傾け、しばらく黙ってから静かに言う。
「……私にも、何かお手伝いできることがあれば」
「本当に?」
「はい。こんな素敵な世界を見せてもらったんです。私も、冒険部の一員として頑張りたい」
ゆりなはまっすぐな瞳で答えてくれた。
僕は心の底から嬉しくなった。新しい仲間が、また一人増えたのだ。
「ありがとう、ゆりな」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
薄紫の空の下で、ゆりなの笑顔がひときわ美しく輝いていた。
こうして、冒険部に新しい仲間が加わった。三人での冒険が、今日から始まる。
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