第4話 『はじめての異世界市場』

 エルフィリアでの本格的な冒険が始まって一週間。僕たち三人は、毎日放課後になると、秘密の扉をくぐって異世界の市場へ通うのがすっかり習慣になっていた。


「今日は何を持って行こうか」

 僕が部室で筆箱を取り出すと、ひよりが僕のすぐ隣で身を乗り出す。その距離は以前よりも近く、ゆりながうっかり僕の反対側に座ろうとすると、さりげなくカバンを置いて“健太の隣”を死守するひよりの姿があった。


「昨日のボールペンの反応がすごかったから、今日は文房具をたくさん持って行こうよ!」

 ひよりの瞳は冒険の前の子供みたいに輝いている。

「そうですね」

 ゆりなも明るく応じる。「私も家で使わなくなったシャープペンシル、たくさん持ってきました」

 彼女は少し控えめにしながらも、今ではすっかりこの“非日常”に馴染んできている。


 一週間前の、初めての市場訪問――それは、予想以上の出来事だった。

 僕たちが興味本位で日本製のボールペンを現地の商人に見せたとき、その滑らかな書き心地と美しいインクの色に市場がざわめいた。


「これは魔法の筆記具か?」

「インクが途切れることなく書き続けるなんて!」

「この細い線の美しさは芸術品だ!」

 驚きと興奮の渦の中で、ひよりは得意げにボールペンを走らせ、ゆりなは説明役として商人たちの熱心な質問に丁寧に答えていた。僕はその二人の間で、何だか誇らしいような、ちょっと照れくさい気持ちだった。


「でも、お金を稼ぐのが目的じゃないからね」

 ひよりが念を押す。その声色には、ほんの少し独占欲が混じっている気がした。

「あくまで城井先輩の手がかりを探すための情報収集よ」

「分かってる」

 僕はしっかり頷く。

「でも、現地の人たちと親しくなれば、情報も得やすくなるだろうし」


 エルフィリアの市場は、毎日が新しい発見にあふれている。

 石畳の道は陽の光で淡くきらめき、異なる種族の商人たちが色とりどりの商品を並べて声を張り上げている。空には浮島から下りてきたカゴが揺れ、翼を持つ種族が空中で店を開く光景も珍しくない。


「いらっしゃいませ!」

 僕たちが馴染みの商人、ガルドの店の前に立つと、彼は狐のような耳と大きな尻尾を振りながら笑顔で迎えてくれた。

「おお、日本からの商人さんたち!今日は何を持ってきてくれたんだい?」

「今日は文房具を中心に持ってきました」

 ゆりながきっちりと答える。ひよりは健太の肩越しに「ね、楽しみだね」と小声で囁き、ゆりなの方をちらりと見てから、鉛筆削り器を実演してみせた。


「鉛筆を入れて回すと、きれいに削れるんです!」

 シャリシャリと削られた鉛筆の先を見て、群衆がざわめく。

「魔法を使わずに、こんなにきれいに削れるなんて!」

「この道具があれば、書字用の木筆の手入れが楽になる!」

 消しゴムの実演では、さらに大きな反響が起きた。


「書いた文字が消える!?」

「これぞ真の魔法道具だ!」

 僕は「魔法じゃありません。ただのゴムです」と説明しつつ、現地の人々が真剣に“ただの消しゴム”をまじまじと眺めている様子に思わず苦笑いする。

 ゆりなは値段交渉にも慣れた様子で、「まとめ買いならお得ですよ」と軽くウインクまでしてみせる。

 ひよりがその様子を見て、負けじと「次は私が説明するからね!」と割り込んでくるのが何だか可笑しかった。


「このボールペンを10本、いくらで売ってくれる?」

 ガルドが興奮気味に身を乗り出す。「これは革命的な筆記具だ、書字業界に大きな変化をもたらすだろう!」

「君たちは、本当にとんでもない宝物を持ってきてくれたね」

 結局、僕たちは持参した文房具をすべて売ることになり、対価として受け取ったのは光る金属のコイン「ルーン」。手の中でほのかに温かく、微かな魔力を感じた。


「これで僕たちも、正式にエルフィリアの商人の仲間入りだね!」

 ひよりが満面の笑顔で言う。「でも、商売が目的じゃないこと、絶対忘れちゃダメよ」と僕の袖をそっと引いて釘を刺した。

「そうそう、情報収集も大事ですから」

 ゆりなも真面目な顔で続ける。三人で顔を見合わせて、自然と笑い合う。


 商売の合間、僕たちは市場の人々に城井先輩について聞いて回った。

「黒髪の日本人の女性を知りませんか?」

「一年ほど前に、この世界に来たかもしれません」

 しかし、手がかりはなかなか得られない。エルフィリアは想像以上に広大で、この市場も「フローラ地方」の一角にすぎないとガルドが教えてくれた。


「でも、諦めちゃダメよ」

 ひよりが健太の肩を軽く叩いて励ます。

「きっと手がかりが見つかるから!」

 そんな時、市場の向こう側からざわめきが起きた。


「大変だ!盗賊が現れたぞ!」

「商品を奪われた!」

 事件の気配に僕たちは顔を見合わせ、すぐに現場に駆け出す。

 途中、ひよりが「危ない時は絶対無理しちゃだめだからね」と僕とゆりなを見つめて言う。

「うん、ひよりちゃんもね」とゆりなも優しく返す。


 現場には、商品を散らかし泣き崩れる老人の商人がいた。

「盗賊が……大切な薬草を奪っていったんじゃ……」

「それがないと、孫の病気が治せないのに……」

 ゆりなはすぐに老人の側へ駆け寄り、「大丈夫です。必ず取り返してみせます」と静かに励ます。ひよりも「盗賊はどっちに逃げたの?」と真剣な表情で尋ねる。

 老人は震える手で森の方を指差した。「紫の森の方へ……だが、あそこは危険だから追いかけるな……」

「大丈夫。私たちなら、きっとなんとかできるから!」

 ひよりが決然と宣言する。健太の手を握るその力強さに、ゆりなが思わず目を丸くする。


 紫の森は、市場から歩いて三十分ほどの距離。

 森に入ると、木々が淡い紫の光を放ち、葉を揺らす風にはほんのり甘い香りが混じっていた。

 「足跡があります!」

 ゆりながすぐに地面を見つけ、細い枝を指差す。「この方向です」

 僕たちは息をひそめて森を進み、小さな洞窟の入り口にたどり着いた。


「あそこだと思う」

 ひよりが囁く。

 洞窟の中からは、かすかに人の気配がする。


「誰か来るぞ」

 中から低い声が響く。

「出てきなさい!」

 ひよりが勇敢に呼びかける。「盗んだ薬草を返しなさい!」


 しばらくして現れたのは、黒いマントを纏った男だった。その表情は想像していた“悪党”というより、むしろ困惑しているようだった。


「君たちは何者だ?」

 男が身構える。

「冒険部の者です。あなたが盗んだ薬草を返してもらいに来ました」

 僕が一歩前に出て告げる。

「盗んだ?私は盗んでいない。正当に購入したものだ」

「嘘はやめてください!」

 ゆりながきっぱりと言う。

「本当に……違うの?」

 ひよりは疑いながらも、少しだけ男の目を見つめる。


「確かに私は薬草を手に入れた。でも、老人の商人から高値で買い取ったんだ」

 僕たちは顔を見合わせる。

「……もう一度、市場で確認しよう」

 僕が提案すると、男は少し悩んだあと「わかった」と同意してくれた。


 市場に戻ると、老人の商人の隣に、見知らぬ別の老人が立っていた。

「あの人です!」

 黒マントの男が指を差す。隣の老人は慌てて逃げようとしたが、市場の警備兵に取り押さえられた。


「やっぱり詐欺師だったか……」

 ガルドがため息をつく。

 事件の真相は、偽の商人が本物から薬草を盗み、それを他人に売りさばいていた、ということだった。黒マントの男性もまた被害者だったのだ。


「申し訳ありませんでした」

 男が僕たちに頭を下げる。

「いえいえ、こちらこそ誤解してすみませんでした!」

 ゆりなが手を振る。その笑顔を見て、ひよりがそっと健太の腕をつかんだ。


 老人の商人は薬草を取り戻し、涙ながらに感謝の言葉を口にした。

「ありがとう、若い冒険者たちよ。君たちのおかげで孫を救える」

 黒マントの男は近くの村の薬師で、彼もまた患者のために薬草を必要としていたのだ。


「君たちは本当に立派な冒険者だ。もし困ったことがあれば、いつでも私の村に来てくれ」

 薬師のまなざしに、僕たちは胸を張って頷いた。


 その夜、部室で今日の出来事を振り返る。

「今日は大変だったけど、いい経験になったね!」

 ひよりが椅子の背もたれにぐったりともたれながら微笑む。

「本当ですね。人助けができてよかったです」

 ゆりなも少し誇らしげに頷く。

 僕は城井先輩の写真をそっと見つめる。「きっと先輩も、こうやって誰かを助けていたんだろうな」と心の中で呟いた。


「明日も、もっとがんばろうね!」

 ひよりが元気よく宣言し、ゆりなも「はい!」と笑顔で応える。

 三人の笑い声が部室に響く。

 冒険部の活動は、まだ始まったばかりだ。


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