地獄にまつわる事柄(あるいはたとえ灰になっても)

上面

第一話

 人間には与えられた配役がある。例えば私はだ。

 都内の少し古いラブホテルの一室で相手を待つ。思えば私の人生とは待つことだった。内装は古くなってきているが、よく掃除されている。当たり前か。


「待たせたね」


 むせ返るような焦げた匂いが部屋に入ってくる。匂いに遅れてデリヘル嬢のように薄着の女が私の部屋に入ってきた。見た目は黒髪をミディアムボブに切り揃えた二十代のように見える。実年齢は四十代らしいが、そう言われなければ誰も気づかない。乳はあるかないかの大きさだ。

 身体に叩き込まれた感覚が自然と私をベッドから立ち上がらせる。敬礼する。


「盗聴器の類いはありません、紅世グゼ課長」


 紅世終グゼ・シュウ警視庁暗殺部暗殺第六課課長。私にとって彼女は上司だ。頭に『本来の』と付くが。


「ご苦労。じゃあ報告して」


 それから私は自分の今の職場の情報を伝える。

 私は今、一般的に反社会的勢力と呼ばれるものに所属している。そしてそれはスパイとしてである。私は潜入捜査官だ。戸籍も顔も名前も全て変えて、紅世グゼ課長と国家に忠誠を誓っている。


「結局クソアマや土御門兄弟ファッキンブラザーズの動きに繋がる情報ねえじゃん。もっとビッグになれよ」


 紅世グゼ課長から𠮟責を受けるが、これもいつものことである。最初から期待していない。私の役割は投げ入れられた釣り針だ。複数投げてどれかに引っかかれば良し。


「申し訳ありません」


 形式的とはいえ、謝罪の言葉を口にする。


「謝らなくていいよ。他のみんなも同じくらいの成果しか上げてないし」


 他。私と同じように紅世グゼ課長の命令を受け、組織に潜り込んだ者たち。彼(彼女)たちが一体何人いて、何処に潜り込んでいるのかその全ては紅世グゼ課長しか知らない。また公安も潜入捜査官を潜り込ませているらしい。


「あー、一応デリヘル嬢ので来ているわけだし、チンコしゃぶる?」


 何を言っているのだか。一応言ってみただけのようだが、言った段階で苦虫を嚙み潰したよう表情になっている。うっかりその気になられたら不味いと思っているようだ。最初から言うな。


「セクハラで訴えますよ」


 畏敬の対象であり、我々の指導者リーダーである紅世グゼ課長にそんなことをさせるわけにもいかない。そもそも性器を女の口内に入れて喜ぶような趣味もない。


「ふざけたこと言ってごめんね。僕も正直足の遅い男の人には魅力を感じないし……」


 紅世グゼ課長からそこはかとなく馬鹿にされた。だが紅世グゼ課長よりも足の速い成人男性は世の中にほとんどいない。私も足の速さに自信はない。

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