第3話 詰襟の王子様。

 海野先輩にお礼を言って、教室に戻り、売り上げを実行委員に渡した。

 先輩は、なんだか屋台の片付けも手伝うつもりでいてくれたみたいだった。ほんとうに親切で思いやりのある方だ。

 でも、さすがそれはよくない。僕は、図々しい人間にはなりたくない。

 だから、急いで戻って、僕一人で完璧な後片付けをしよう。そのつもりでいたのだけれど。


「すご……! これ、屋台の売り上げランキング上位、いけるかも! すごいよ!」「うわ、ほんとうだ……」そんな感じで、褒められた。


 よかった、じゃあすぐに屋台の片付けに……と思ったら。


「さすがにこれだけの売り上げを出してもらったら、ねえ?」「なあ?」

 いいからここで休んでいて、と言われ、クラスメートたちに片付けを任せた結果、僕はクラスに一人だけとなった。


 これは、ええと。自主的なぼっちになるのかな。悪くは……ないね。


 心配していたことは、あった。けど、大丈夫だった。

 僕がぼっちになること、じゃなくて、海野先輩が焼きそば屋台を手伝って下さった! という事実がおかしく伝わること。それだけが心配だった。


 実際、その噂はうちのクラスにも届いていたみたいだけど、「どこかの屋台を手伝いながら、詰襟喫茶の宣伝をされてたみたい。さすがは海野先輩! クラス思い!」「学ランの先輩、見たかった!」「昨日、喫茶で接客してもらえたの!」「いいなあ!」みたいな雰囲気だったから、ひと安心。


 噂の屋台がまさか、の地味な後輩の焼きそば屋台だった! が伝わっていたりしたら、先輩の輝かしさは薄れ……たりはしないけど、薄曇りの理由にはなるかも知れないから。

 まあ、先輩なら、薄曇りでも花曇りに変えそうだけど。


 とにかく、よかったよかった。

 それじゃあ、心配ごともなくなったし。


 このあとは、フォークダンスを窓から静かに眺めるのもいいかも。


 自販機で、なにか買ってこようかな。

 手持ちのミネラルウォーターと、塩飴と、ラムネはまだあるから、あったかい飲みものとかかな。なんて、考えていたら。


 不意に。

 そう、ほんとうに、突然。


 海野先輩が、現れたんだ。


「山島君、ここにいたんだね!」

 開けっ放しだった教室の扉をつかむ、先輩。

 その姿も、かっこよくて、驚いた。


「うみ……あさひ先輩! どうされたんですか!」


 驚いたけど、僕は、そのおかげで、焼きそばを買ってくれた生徒が、先輩に聞いていたことを思い出していた。


「先輩、生徒会長と副会長とサッカー部のキャプテンと野球部のエースからフォークダンスを申し込まれて全部断ったんですよね、どうしてですか?」


 それはさすがに、どうしてなの? と、僕でさえ思う話で。


 代替わり済で先輩と同じく二年生の生徒会長副会長は先輩に次いで学年2、3位。うちの高校で順位一桁だったら、有名国立も有名私立も留学も、選べる立場だ。

 サッカー部のキャプテンと野球部のエースは学年10番台、つまりは文武両道。文武両道の使い方、おかしいかも。僕が一人で考えてるだけだからいいかな。

 あと、全員が割とイケメンらしい。

 らしい、だけであんまりちゃんとは見たことはないけど。


 どちらにしても……すごすぎる。世界が違う。


 僕はそこまで考えてから、いけない、焼きそばを焼かなきゃ、と、麺を焼く手元に集中したから、忘れていたけど。


 そう言えば。


 あのとき、先輩は、なんて答えていたんだっけ。


 あれ? 

 ちょっと待って。

 もしかしたら、先輩にとってはあの人たちよりも大切な人がいたのかも。

 それよりも大事ななにか……忘れものとか? なのかな。たいへんだ!


「忘れもの、そんなに大事なものですか? フォークダンスも踊れないくらいに! でしたら、すぐに屋台に戻りましょう!」


 慌てた僕に、海野先輩は微笑む。


 お化粧とか、メイクとかを、してるのかな。   

 していなくても、していても、こんなに素敵な笑顔、見たことがないよ。


「忘れものじゃなくて、探しもの、ね。見つかったよ! お願いします、山島君。私と、後夜祭でフォークダンスを踊ってください」


 ……え。


 きれいで、美しくて。

 じっと見ていたら、息ができなくなるような気がしたくらいに、きれいな礼。


 すう、はあ。……よかった、僕、息、できてる。


 そんな礼の姿勢のまま、海野先輩が、僕に向かって手を伸ばしてくれている。


 ここは、ほこりとか、ワックスがはげかけた床とかがある、普通の教室。


 それなのに。


 そこには、王子様みたいな人が、いて。


 今さらなのだけれど、先輩は学ラン……じゃない、詰襟のままだった。それで、ええと、なんだっけ。フォークダンス?


「……フォーク、ダンス」


 僕と? いや、まさか。あり得ない。


 冗談。先輩が、そんなことを言うはずはない……と思う。

 でも、万が一、なにかのイベントとか、罰ゲームとかで、焼きそば屋台の冴えない下級生、つまりは僕、と踊らないといけない状況だったとしたら? 

 それなら、後夜祭でなくて教室ここでも、大丈夫だよね?


「な、なにかのイベントですか? まさか、本当にまさかですけど、罰ゲームとか? でしたら、僕と踊ったことにして、パートナーの方のところに戻ってください! 怪しい書類とかじゃなければ、躍りました、の署名とかでも、僕、しますから!」


「よく分からないんだけど、山島君には誰か特定のお相手はいない、ってことでいいのかな。そして、そうだったら、私と踊ってもらえるのかしら?」


 少しだけ、先輩の長いまつげが揺れる。


 ああ、この人は、どうしてこんなにきれいなんだろう。


 だからこそ、僕は、ちゃんと言わなきゃ。


「パートナーは、いません、存在しません!ですが、先輩が躍るのは僕とじゃないでしょう? そりゃ、僕なんかが先輩と躍れたりしたら、夢みたいですけど!」


 そうだよ、あの焼きそば屋台から、今までが全部、夢みたいだったんだから。


 僕はもう、夢はじゅうぶん、みさせてもらいました。


 かさり、と、僕のブレザーのポケットの中から音がする。

 先輩から頂いた、文化祭の商品引き換え券だ。

 ポケットに触れたら、小銭の感触もある。


 そう。これでじゅうぶんすぎる。


 むしろ、僕には、引き換え券と、小銭の重さでも、多すぎかも知れなくて。


 ……なのに。


 先輩は、僕をじっ、と見ているんだ。


「よかった、じゃあ、行きましょう!」


 行く? どこへですか?


 そうたずねるよりも早く、差し出された美しい指が、優しく僕の手を取った。


 うう、王子様みたいな、じゃない。


 生徒会長たちとは比べものにならないくらいのイケメンが、王子様がここにいるよ……!


 「は、はい……」


 お断りなんて、できるわけがない。

 もう、どうにでもなれ。


 夢がまた増えた、くらいに思えばいいや。


 それくらいの気持ちで、先輩と一緒に歩き出したら。



 思い出したんだ。


 ……あのときの、先輩が。


「誘われるよりも、誘いたいんだよね」


 そう、答えていたことを。



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