プロローグ
「連隊長、合図が上がりました」
連隊司令部付きの年老いた
連隊長の一歩目のブーツは泥の中に深々と
北軍騎兵の馬足を鈍らせるため戦場となる陣地を低地のここに選んだつもりだが、相手は軍馬である、効果はないかもしれない。
早朝の爽快さはあるが、朝の冷気が頬をさし、冷たい。
「大佐、おはようございます。天候は急速に回復しつつあります」
副官のジェファーソン大尉が連隊長に声をかけた。
連隊長は答えず。望遠鏡を正面に向けた。
あたり一面はまだ霧が立ち込めている。
昨晩の雨と急速に気温が上昇しているせいだ。
地面の泥の湿気からゆらゆらと立ち上がっているようで不気味だ。
「大佐、兵どものライフルの不発はどうにか防げるかと」
「うん」
大佐はようやく返事をしたが、視線は正面から離さなかった。
前方はるか遠くで北軍騎兵の集合ラッパが小さく聞こえる。
そして、北軍騎兵の後ろに霧ではなく灰色の煙がモクモクと上がっているのが見える。
明け方に南軍ゲリラが北軍騎兵第462大隊を襲撃したのだ。
「作戦通りゲリラの襲撃は成功したようです」
作戦参謀のシュースター大尉が声をかけたが、連隊長は答えなかった。
連隊長は露骨に顔を
連隊長は自軍のゲリラを全く信用していなかった。
連中は誇り高き軍服を着た南部の軍人ではない。
ただの荒くれ者たちだ。
通る場所を侵し、凌辱し、持てるだけ奪い、そして風のように去る。今は戦争をしているのでただその対象が北軍になっているというだけだ。
彼らは状況や報酬次第では簡単に裏切るだろう。
戦場ではなにが起こるかわからない。
夜明け前に背後より襲われた北軍騎兵第462大隊の幕僚たちも今頃大慌てだろう。
「兵には着剣も命じています。兵の配置は万全です」
シュースター大尉が声をかけたがまたもや連隊長は無言。
敵の集合ラッパが突撃ラッパに変わった。
「来るぞ」
連隊長が言った。
「戦列は指示通り二列横隊のまま騎兵を迎撃。最初の斉射だけは自分が指示を出す」
「了解」
中央、右翼、左翼の三隊の担へ銃のまま伝令兵が泥を跳ね上げ駆けていく。
騎兵隊の突撃ラッパがどんどん大きくなる。
本当は三列横隊で迎え撃ちたかったがそれでは鷲の翼のように広げた両翼が短くなる恐れがあった。
機動力のある敵騎兵隊に側面から背後に回り込まれるのだけは避けたかった。
連隊長はこの期に及んでもまだう少し迷っていた。
全速力で突撃してくる騎馬に射程内で前装式のエンフィールド銃で騎兵を三射できるか?。
正面はゲリラがつけた炎の煙に薄い霧が立ち込め、まだ騎兵の本体は見えない。
その時、左翼で爆薬が弾けるようなものすごいライフルの発射音が聞こえた。
『まだ指示は出しておらんぞ』
連隊長は威厳を示すため声には出さなかったが心の奥底で毒づいた。
左翼は、連隊の兵ではなく急遽編成されたアラバマ州の新兵の大隊が配置されていた。
「腰抜けのアラバマの奴らめ」
南軍はこの戦争最初から最後まで各州のどうしの連携に問題を抱え続ける。
「副官っ!」
「はい」
ジェファーソン大尉が答えた。
「厳命!。左翼まで言って、アラバマのスティムソン中佐から指揮権を剥奪。貴官が指揮を取り左翼の中央よりの右支点を中心とし旋回、敵騎馬隊の背後に展開。そのまま敵騎馬隊を包囲せよ。我が隊中央、右翼とアラバマの部隊で敵騎馬隊を包囲殲滅する。但し、我が隊、中央、右翼の味方の射線に入るほど深い追いはするな」
「了解」
ジェファーソン大尉が大声で答え、サーベルを抱え左翼に向かって走りかけたときに左翼でまたもや火薬の破裂する大爆音。アラバマの第二射である。
しかも、まずいことに風向きにより左翼の発射したライフルの爆煙が中央に流れ余計に戦場の視界は悪くなった。
この時代の火薬は大砲も含め視界を
「距離300ヤード!」
参謀が叫ぶ。
射程距離に入った。ギリギリだ。
「200ヤード」
突撃ラッパの勇ましい音が間近で聞こえる。参謀が不安げな目で連隊長を見る。
歴戦の
しかし連隊長は微動だにしない。
「100ヤード」
人の突貫時の恐怖からくる叫び声と馬蹄の音がどんどん迫ってくる。
霧と爆煙の中からサーベルとカービン銃を前方にかざした騎兵隊が現れた。馬までは目をむき、歯をむき、南軍に襲いかかる。
北軍騎兵第462大隊は予想どおり楔形の紡錘の隊形で突撃をかけてくる。
「膝つき、第一列、斉射!」
「一列目、斉射!」
「斉射!」
連隊長が今までないほどの大声で叫ぶ。中央、右翼の兵が斉射する。
ボボボーボーン
大音量の爆音が戦場をこだまする。
馬の倒れる音。人の叫び声。まさに阿鼻叫喚である。
「立ち位置、二列目、斉射!」
「斉射!」
「斉射!」
「斉射!」
先頭の騎兵がバタバタと倒れるが、後続がどれくらいいるのか一切不明。
何がどうなっているのか全くわからない。騎兵の突撃だけは止めたのか?。
いたるところで鉄と鉄のぶつかる音がしだした。騎兵のサーベルと歩兵の銃剣がぶつかっているのだ。
「馬を決して止めるなぁ、そのまま蹂躙しろ!」
敵のほうから東部なまりの声がする。
「敵の騎兵を引きずり降ろせ!」
近くで母音を伸ばす南部なまりの声もする。
「隣の肩と肩をつけろ。隊列を崩すなぁ」
「死ねぇええ」
「助けてくれぇ」
一人の騎兵が騎乗のまま連隊長の前に現れた。馬は撃たれているのか目と歯をむき猛り狂っている。
連隊長は単発式の短銃でその騎兵を撃ったが、当たらなかった。
不発だったかもしれない。
連隊長の眼の前で馬が立ち上がった。
その騎兵はカービン銃ではなく、サーベルを持っていた。
連隊長は自身もサーベルを抜こうと右手で腰の剣の柄を探るが間に合わない。
敵の騎兵のサーベルが振り下ろされた寸前。
近くで拳銃の銃声がした。
紺色の制服を着た北軍の騎兵は胸に柘榴のような大きな穴を開けもんどり打ってその場で落馬した。
連隊長が銃声がした方向をみると、そこには長いコートを着た南軍ゲリラが悪魔のような笑みを浮かべ馬に乗っていた。
「偉い隊長さんよ、戦のやり方は上手いみたいだが。このアメリカじゃあ、もうちょっとうまく拳銃が使えなきゃあ生きていけないぜ」
そういうとゲリラは鼻で小さく笑いその場を立ち去った。
連隊長は憎憎しいほどの顔をしかめゲリラの消えた方角を見続けた。
小さなスパニッシュ・モスが寄り添うように立っている。
遠くで騎兵隊の撤退ラッパが聞こえる。
それと同時に母音を異様に伸ばす南部なまりの歓声も同時に。
同じ南部人とはいえ悪党に命を助けられた。
そちらの思いのほうがこの連隊長には、大きかった。
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