第91話 1月1日

 ラウラの指令の元、ディルとペトラシュの階梯上昇のために魔石が集められている。周りの森はおおかた狩りつくしたと言っても、二人は主力の中で一番低い31階梯なので日帰りの範囲で採れる魔石がまだ残っている。

 他の主力は一度に数名だけ、隊を組んで泊りがけの狩りに出ていた。守るものがあるために最後の戦いまでは大人数でトゥイースを離れることはしない。


 単精霊適正の者が二人で複合精霊魔法を使う実験も少し試みられた。

 『魂の器』を通じてマナの同調適性が決まるというガイウスの仮説のもと、双子でなくとも同じ【賢者】保有者であるガイウスと、水浸しにされたフロルが肩を組み。そろぞれ『雷光イカヅチ』の呪文の片方を唱える。

 特に何も起こらなかった。フロルは心を閉ざした顔をしていた。


 情緒的な事はともかくとして、仮に成功したら一発でマナ不足になり寝込んでしまうのでやめてあげてほしいと、トーマは思った。




 1月1日。朝。

 12の月が巡り、年が変わって461年が始まった。予定通りなら今日クローヴィスは遠征に出発する。ラウラ率いる土橋村戦士団が出発するのはワタリガラスによる最終確認の連絡が来てからだ。


「トーマちゃん、すっごいのが出たわよ」


 トーマの寝ている部屋にガイウスが入ってきて、いきなり言った。緑色の髪の分け目の部分は≪書庫≫に書き込まれた容姿の通り栗色になっている。どうやら何らかの方法で染めていたらしい。


「北東の方の森に一泊の距離で潜っていた隊が、足跡を見つけて逃げ帰って来たらしいの。形からしてヤシャネコのじゃないかって。ワタシもそう思う」


 ヤシャネコは東方にだけ生息すると言われる50階梯相当格の魔物だ。それ以上だという説もある。というのは森の本当の奥地にしか生息しないらしいので、狩られた記録があまり無いのだ。魔石摂取者の階梯と取得成長素の関係を確認できた事例が10件有るか無いかだ。


「それがどうしたんだ。まさか狩ろうっていうのか?」

「時間が無いって言いたいんでしょうけど、もしかしたら村の男たちがこの辺りを狩りまくったせいで何か影響して出てきたのかもしれないわよ? 処理しておかないとトゥイースに家族を残して行けない、ってことになるかもね」



 一泊の距離ならつまり二日で帰って来れる。ワタリガラスが飛んでくるのに二日かかるので、何もかも順調にいけばちょうど帰ってこられることになる。

 体力回復の仕上げとしてちょうどいいのかもしれなかった。



 先端が上に反り返っている雪板。その中心部には足をのせる台がついていて、台と板本体の間には隙間が空いている。

 分厚いヘラジカの背中の皮を靴の上から巻き付けてある。その足を台に乗せ、皮紐を隙間を通して何重にも巻き付ける。これで雪板と足が固定される。


 右手の残った動く指での作業にももう慣れた。左足が終わったので右足に移る。

 ずっと借りっぱなしで使っている背負い袋の中には2日分の携帯食と、トーマが全身くるまることができる大きな毛皮が入っている。ガイウスの荷物も同じようなものだ。

 トーマの懐には鉱油が入った金属容器が2つ。そして長い杖を一本持っている。いざとなれば火魔法の媒介にもするが、この杖は雪板で移動するのに使うものだ。




「トーマちゃんのその恰好、イカすわね。東方風のえんじの上下に、同系色に染めたモコモコの毛皮かぁ」


 トーマのカザマキヒョウの外套の下半分は自分の血でみがついていた。洗濯屋に出してもちゃんと落ちずに薄茶色に残っている。

 ガイウスの服装は初めてトゥイースに来た時と同じだった。

 細身の黒革のズボンに、全体に刺繍された桃色の綿服。外套は毛織物だが薄手だ。刺繍ではなく深紅の基本色に黄色い花の意匠が織り込まれている。


「いくらなんでも寒すぎないかその恰好」

「トーマちゃん。お洒落は我慢なのよ」

「でかい荷物背負ってお洒落もないだろ」


 雪板で歩きながらもう3刻ほど進んでいる。走るのと違って41階梯の『器持ち』のトーマと言えども速度が出ない。常人つねびとが土の上を駆け足するのと変わらないだろう。


 グロロウからアクラ川源流域までが半月もかかると聞いて、いったい何千キーメルテ離れているのかと思ったが、雪板での移動ということなら距離自体はそこまでではないのだろう。


「あんたは雪板要らないんじゃないのか? 雪の上でも飛ぶみたいに移動してたじゃないか」

「だっていつヤシャネコに出くわすかわからないのに、マナ使えないじゃない?」

「それもそうか」




 あたりは一面真っ白だ。

 雪が降る前、晩秋の景色は今よりもずっと暗かった気がする。

 12月の末日である昨日が冬至だったわけで、太陽光自体は一番弱くなっている時期なのだが、雪の反射光で周囲の景色は目が痛いほどに明るい。


 下り坂は雪板を滑らせてそれなりに早く進める。だが上り坂になっている場所では逆に滑って進めなくなる。その時に使うのが長い杖で、左右交互に雪に突き刺して腕の力で進むのだ。


 方向を見失わないように、はるか彼方に見える山脈の右端の峰を目指して6刻間進んできた。

 気温が低すぎるのか、少し南の地域では常緑樹のはずの木が葉を落としている。この地の魔境の森では冬に葉をつけているのは針葉樹だけのようだ。下草や低木は雪の下に隠れてかなり見通しはいいのだが、魔物も獣も見つからない。

 降り始めた雪はまだ小降りであり、東の方には雲間に青空も残っていた。




「あるわね。やっぱり肥満ヤマネコの変異体なんかじゃないわ」


 小さな沢を3つ越えて、目撃情報があったのと同じ場所。

 ガイウスが足跡を発見した。


「矢場いだろ……」

「おっきいわねぇ」


 ところどころ氷の張っている沢の上流に向かう足跡。足跡と言うより雪の中に1メルテも沈み込んだ穴だ。普通の肥満ヤマネコの雌ならこの穴にすっぽり入ってしまう。


 穴の底に型取られた指と肉球の跡。足の裏全体の大きさはトーマが朝顔を洗う洗面器くらいはある。間違いなくネコに近い魔物の中で最大の種類だ。


「言っておくけど、見つかったらヤるのはワタシよ。ヤシャネコの魔石はトーマちゃんにはまだ早いし、鉱油を使った魔法もまだ未完成なんでしょ?」

「一人でやるっていうのか?」


 46階梯のガイウスにとってもヤシャネコは十分格上の魔物だ。トーマなら10近い格の差があれば3人隊だったとしても基本は逃げる。


「『七賢』ならヤれて当然よ。トーマちゃんもクローヴィスを殺して早くワタシの所まで上がっていらっしゃい」



 足跡を追うこと2刻間。ヤシャネコは沢で水を飲んだ後東に進み続けているようだ。小降りの雪が足跡を少しずつ不鮮明にしていくわけだが、今目の前にある足跡もやはり少し前に残されたものだろう。追跡しているのだが、近づけている気があまりしなかった。

 ガイウスは足跡から目を離して少し遠くの杉の巨木を見つめている。


「どうした? 追わないのか?」

「あの杉の木で野営しましょうよ、あと1刻もしたら夜になっちゃうわ」

「一晩たったら雪で足跡は消えるかもしれないぞ」

「こんな深い足跡が埋まるほどの大雪降るかしら? でも、そうなったらもう諦めるわ。東って森の奥地じゃない? 帰っていってるなら問題無しでしょ」


 別にトーマは戦いたいわけではないので、本人の言うことを聞くことにした。



 高さが40メルテはありそうな巨木。剣のようにまっすぐ空に向かって伸びている。雪板を外したガイウスは荷物から大きな毛皮と獣毛の綱を取り出し、外套に風を纏わりつかせながら坂を駆け上るように斜めになって垂直の杉の幹を登ってゆく。


 途中の横枝の上に片足で立って、もう片方の足でそれを蹴り折る。根元の太さが人の腿くらいありそうな枝が次々にトーマの周りに落ちてくる。


 巨樹の半ほどまで枝を折り払い続けた。

 20メルテほどの高さに残った枝に、綱と毛皮を使って寝床を作っている。虫の繭のように枝にぶら下がって寝るのだ。

 自分の分を完成させるとガイウスは飛び降りてきた。風を纏い、落とした枝の上にゆっくり着地した。


「これでもしネコちゃんが戻ってきても簡単には登れないわよ。トーマちゃんの毛皮もよこしなさい。寝床作ってあげるから。それとも寒いから一緒に寝たい?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る