釣り人と魚
いちむら
釣り人と魚
あるとき。釣り人は川で一匹の魚を釣った。
その魚は食べてしまうのが惜しく思うほど、とても美しく。また賢い魚でもあった。
なので釣り人は魚を生きたまま家に連れ帰ることにした。
「お前は何を食べているんだ?」
釣り人の問いに魚は答えた。
「私は岩場に生えた苔を食べていました」
釣り人は魚のために苔を取ってきた。
「これを食べろ」
しかし、魚は苔を食べない。
「私は緑の苔しか食べられないのです」
水の中の苔は鮮やかな緑色をしていたのに。
釣り人が取ってきた苔は空気に触れて茶色く色褪せていた。
釣り人は家の庭まで川の水をひき、岩場を作り、そこで苔を育てた。
そして、朝と夕に魚を岩場に放って苔を食べさせた。
日が暮れる前に魚は家の中に戻される。
狼や熊に魚が襲われたら嫌だと釣り人が思ったからだ。
ある大雨の日。
増水した川に魚を放つのは危険だと考えた釣り人は、バケツに川の水と石と苔を入れて魚に与えた。
その苔は普段よりも濁った緑色をしていましたが、食べられなくはなかったので、魚は我慢して食べた。
他に食べるものがなかったからだ。
「明日からもこうやって家の中で食事にしよう。そのほうがずっと安全だから」
「あなたの作った川は危険なことなどありませんよ。私はツヤツヤと輝く苔を食べなければ病気になってしまうかもしれない」
釣り人は魚が病気になるのは可哀想なので、翌日からはまた食事の時間になると、魚を庭の特別な川に放ってやった。
太陽の光が反射する水面の下を魚は泳ぐ。
それを釣り人はよく思わなかった。
「お前も俺と同じ釣り人になればいいのだ」
「無理です。私は魚です」
「いいや。無理なものか。お前はこんなにも賢いのだ。釣り人にだってなれるだろう」
魚は水面近くで尾びれを振ってみせた。
「私は水の中でしか生きられない魚です」
「アザラシは泳ぎもするが、陸にもあがる。ならばお前も陸にあがれるはずだ」
「私はアザラシにはなれませんよ」
「ならば何になれるのだ」
魚はしばし考えた。
そしてこう答えた。
「サンショウウオになら。なれるかもしれません」
「それは駄目だ。あんな黒くて粘ついたものになってはいけない」
釣り人はサンショウウオになることを認めなかった。
「ならば、カエルはどうでしょう? 極彩色の姿で陸にあがってみせますよ」
「あんな喧しい濁声はお前に似合わない」
魚は途方に暮れてしまった。
サンショウウオになることもカエルになることも。
それすら、とても苦労なことなのに。
釣り人はそれ以上を求めるのだ。
魚は考えることに疲れてしまった。
「それならば私を食べてくださいな。そうすれば私はあなたの一部となって。釣り人になれましょう」
「俺が悪かった。お前を食べるなどできないよ。そのままの姿でいてくれ」
しかし、魚は小さなイモリに姿を変えるとするりと川から這い出た。
そして、一度も後ろを振り向かず。
家の裏にある森へと姿を消した。
釣り人はひとり、庭の川辺に残された。
釣り人と魚 いちむら @ichimura
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