第5話 製剤広報部

「高野様でございますね、お待ちしておりました。こちらへどうぞ」


 リースリル製薬本社を訪れた僕を出迎えてくれたのは、すらっとした体型で同い年くらいの女性職員さんだった。どうやら電話でのアポは適切に伝わっていたようで、とりあえずひと安心。彼女に案内されるままに僕はオフィスの中を歩いていき、その独特な空気を全身に感じる。さすがは大手製薬会社だけあって、広大な土地に大きな建物だ。それでいてここは本社で、ここ以外にもいくつもの支社を持ってるっていうんだから、どれほど規模の大きい会社なのかと想像しただけでもくらくらとしてくる。


 数ある部屋の中から僕が案内されたのは、『製剤広報部』であった。ここは広報部というだけあり、この会社の情報やニュースをいろいろな形で発信していくのが主な仕事だ。

 そして同時に、薬や健康食品の開発のヒントとなりそうな情報を募集しているのもまたこの部署だ。今回僕がこの部署につながれたのも、そういう理由からだろう。


「担当の者が参りますので、こちらでお待ちください」

「ありがとうございます」


 僕が案内されたのは綺麗に清掃された、応接室のような場所だった。当然そこには僕以外の姿はなく、大きな横長の机にポツンと僕だけが存在する状態になる。


「…お待ちくださいって言われたけど、どれくらい待つんだろ…?」


 …特に暇つぶしになるようなものを持ってきていないため、僕は完全に時間を持て余す。なーーんにもやることのない僕は、頭の中に今後の未来を思い描くことにした。

 …持ってきた実験結果がきっかけになり、さやかの耳を治す薬が開発されたなら、まずどこに行って何をしようか。何をしたら喜んでくれるだろう?いやそもそも、このことっていつ伝えよう?どう伝えたら一番いいだろう??

 ひとたび考え始めると、自分でも止められないくらいに次々と疑問が沸き上がってくる。…今頃彼女は何をしているだろうか?けがなんかしていないだろうか?もしかしたら彼女は

「こんにちは、あなたが高野様ですね」


 一人で勝手に盛り上がっていたさなか、いつの間にか担当の人が姿を現した。


「私、今回の件を担当させていただきます、製剤広報部の木田きだと申します」


 目の前に現れたのは、およそ40歳代に見える中年男性だった。腰の低い態度で僕に対し名刺を渡しながら、彼はそう言葉を口にした。


「高野です、こちらこそよろしくお願いします!」


 この人との関係が、遠くない未来にさやかに音の世界をプレゼントすることができることとなる。僕はそう思っただけで感情が少し高ぶり、言葉も上ずってしまう。その場に勢いよく立ち上がって挨拶を返した僕の事を、木田さんはやや笑いながら見つめ、こう言葉を返してきた。


「まぁ、そう緊張されないでくださいな。あぁ、どうぞおかけください。…いやいやそれにしてもお話を聞いた時は驚きましたよ~。今まで個人で新薬の実験データを持ち込んでくる人なんて、一人もいませんでしたからねぇ」

「い、いえいえ…それほどでも…」

「いやいや、ほんとにすごいと思いますけどね~」


 木田さんからかけられた言葉に、なんだかこっぱずかしさを感じてしまった僕は、それをごまかすかのように手元に持っていた資料をさっそく木田さんに向け差し出した。


「さ、さっそくなのですが、こちらが実験データのすべてになります…!」

「拝見します」


 僕の差し出した資料を、木田さんは両手で丁寧に受け取った。彼は慣れた手つきで封を開けていき、そのまま僕が書き上げた資料の内容に目を通していく。


「…」

「…」


 …まるで、学校の先生に答案を採点してもらっているかのような緊張感を感じる。何度も何度も見直しをしてきたから、書き間違いや不備はないと確かな自信を持っている。肝心の内容だってそうだ。…それでも、最初になんと反応をされるのか、内心ではどきどきを止められなかった…。

 一瞬とも無限とも思える時間が経過した後、木田さんは最初の言葉を発した。


「…個人でここまで研究をされたとは、実に素晴らしい…。実験手法も、実験の設計も、データ解析にあっても、いち研究施設にさえ引けを取らないことでしょう」

「そ、それなら!」

「ただ…」


 良い反応を得られた。木田さんに言われた言葉を聞いて、僕は思わずとっさに反応してしまう。しかし、木田さんはそんな僕の反応を手で制すと、どこか不敵な笑みを浮かべながら言葉を続けた。


「ただ、今時難聴を治す薬っていうのはねぇ~…。ちょっとはやらないよねぇ~…」

「は、はやらない…?そ、それはどういう……」

「まぁ、なんて言うかなぁ~…」


 …いまひとつ的を得ない僕に、木田さんは少し砕いた言い方で言葉を続ける。


「う~ん…。我々はお客様に薬を売って、その利益で生きていく仕事ですからねぇ~。どれだけ画期的なアイディアにあふれる薬であっても、売り上げが見込めなければ開発は進められないのですよねぇ~」

「う、売り上げでしたら問題ないかと思います。新薬の研究には莫大なお金がかかり、それがネックになることが多いとされていますが、すでに基礎的な研究は終えております。動物実験はまだ行っていませんが、人工細胞との反応結果によってある程度は代用ができるかと思われます。それらを加味すれば、決して収益の見込めない薬であるとは言いきれないと思えないのですが…」

「あぁぁ、申し訳ない申し訳ない(笑)なにか勘違いをさせてしまったようですね(笑)」


 …へらへらと半笑いをしながら、木田さんは僕の言葉を途中で遮る。


「まぁ売り上げと言いますか、大人の事情って言うんですかねぇこういうのは。薬というのは薬効や安全性だけでなく、権利関係のほうも複雑でしてね?やれ特許だのなんだのと争いが絶えないのです。…薬に関する特許関係や権利関係の問題がはじめからなければその限りではないのですが、そんなことなかなかありませんしねぇ~…」


 …なるほど、そういうことか。僕は向こうの言いたいことをようやく理解した。要するに向こうは、この薬に関するすべての権利を自分たちに渡せと言っているのだ。この薬が世に出た後の利益はもちろんの事、この薬は自分たちの会社が開発に成功したのだという名声についても渡せと言っているのだ。

 …嫌味たらしく回りくどい言い方が少し不快だけれど、それに関する僕の答えは最初から決まっていた。


「いいですよ。僕はこの薬に関するすべての権利を、みなさまにお譲りいたしましょう。お金も名誉も、すべて差し上げます」

「そのお言葉、間違いはございませんね?♪」

「構いません。ただし……」


 ただし。僕は一番言いたいことを心を込めて言葉にし、伝えた。


「ただし、約束してください。この薬の開発に、真摯に、真剣に、誠実に取り組むという事を」

「はい。お約束いたしましょう♪」


 確かに木田さんは約束してくれた。…しかしその時彼が僕に見せた表情は、裏で何か違う事を考えているとしか思えないものだった…。

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