3-3: 少しだけ強引な、彼の手



「ってことで、四時くらいに展望台に集合っ」


「ん」


「じゃあ、フウマくん行こう」


「おー」


 背を向けるふたりに「気を付けてねー」と声を掛ければ、二人同時に「お母さんみたい」だの「オレのオカンか!」だのと返事が飛んできた。案外似たもの同士――似たもの夫婦なのかもしれない、などと思ってみる。


「……ふう」


 なぜかため息が漏れてきた。何かに安心しているのだろうか。でも、安心する要素なんて、特に何も無いような気がするのに。


「それじゃあ、アタシたちも行こっか」


「おっけー。……セナはどこ行きたい?」


「んーとねえ……」


 そう言われてどこかを思い浮かべようとするけれど、霞がかかってしまったようにアイディアが見つからない。昨日の夜とか今朝とか、それなりに行きたいところのネタ出しはひとりで妄想を膨らませるみたいにしていたはずなのに。普段ならアタマの中にそこそこのサイズがあるはずだった考えるためのスペースが、今はものすごく狭くなっているような感覚があった。何が入っているのかよくわからなくなった大きな段ボール箱が無造作に置かれたクローゼットみたいだ。


 もしかしたら――と思い当たる節はある。それは今、アタシの隣で微笑みながら悩むアタシを見ているアストに、あまり小さくはないウソを吐いていることだった。


 ナミたちふたりと別れるために、あのふたりには『アタシがアストと行きたい場所があるから別行動を取りたがっている』という設定で動いてもらっていること。そして、アストに対しては、『ナミとフウマをふたりだけにさせてあげる』という言い方で誤魔化していること。


 これだとまるっきりアストの気持ちをないがしろにしてしまっている。口には出さないし今も微笑んでくれているけれど、その微笑みの下ではきっと哀しい寂しい思いをさせてしまっている。


「……ごめんね」


「ん? 別に、全然謝るところじゃないでしょ」


 思わずアタシの口をついて出てきた言葉を、アストは何でもないように笑い飛ばした。これじゃあどっちが傷心しているのかわからない。


 わかってる。きっとアストは、アタシが行きたい場所を選ぶのに時間がかかってしまっていることに対して謝っている、と思っているのだろう。


 ――違う、本当は違うんだよアスト。アタシは今、アストを騙しているんだよ。


 そうやって言い切れればどれだけ楽なんだろうか。


「じゃあ、とりあえずゆっくり歩いていこっか」


「……そうだね、時間ももったいないし」


 アタシをエスコートするみたいに歩き始めたアストのことを、今は見上げることができなかった。




     ○




 アストのフォローのおかげか、だんだんといつもの自分を取り戻せてきたような気がすしてきた。


 最初のうちはただ何となく地下街を歩いているだけだったものの、アタシがふらふらとどこかのお店に入ろうとすればアストもついてきてくれて。昨夜の内に考えていた行く予定だった場所のことも不意に思い出したりなんかして、その都度アストに付き添いをしてもらって。その内アストも行きたい場所があると言ってくれたので、そこにいっしょに行って――。そんなことをしているうちにあっという間に一時間も経てば、居心地のよい過ごし方のようなモノが身体に染みついてくるようだった。


「読むの楽しみだなぁ」


 駅から少し離れたところにある大型書店から出るなり、アストはご満悦の様子だった。さっきの映画館から出たときもそうだったけど、どうも彼は、本とか映画とかそういう作品に触れるととくに『楽しい』という感情をあっさりと表に出すらしかった。


 ちなみにアストが買ったモノは、マンガコーナーをぶらつきながらアタシがオススメしたモノを数冊。電子版の無料サンプルもいっしょに見せてあげたら『さすがセナ! ……でも懐事情的にココまでかなぁ』なんて言いながらシリーズをちょっとだけまとめ買いしたくらいだ。薦めた本を気に入ってくれたのはもちろん嬉しいのだけど、自分と感性が近いことにも嬉しくなってしまった。


「何か調子に乗っていろいろ薦めちゃってゴメンね」


「いやいや。むしろこれからもいろいろ薦めてもらいたいくらいだよ」


「そういうことを言ってると後で痛い目に遭うかもよ? ……主にアストの財布が」


「……んー、それもまた本望かなぁ」


 どこまで本気なのか、とちょっとこちらが心配になるくらいにテンション高めのアスト。いつもの落ち着いた雰囲気もちょっとだけ残っているけど、でもその程度。今のアストは年相応の、少年らしい楽しそうな笑顔だった。


「じゃあ、次はどこに行こうか?」


「えーっとねえ……」


 アタシがほんのり記憶の片隅に思い描いているショップを言うと、ちょいちょい悩みながらもアストがスマホで検索をしてくれる。細かい場所までは覚えていなかったりするのでとても助かる。今もまたフロアリストみたいなものを探してくれているようで――。


「……あ」


 すいすいと液晶画面の上に指を滑らせているアストの横顔の、その少し奥の方。見飽きるほどに見慣れたふたりの姿が視界に飛び込んできた。


 明らかに、心臓の動きが速くなったのがわかった。


 その原因はハッキリとはわからない。最初に目に入ってきたフウマの笑顔か。それとも、それ以上に楽しそうな、アタシにも見せてくれたことがあったかどうかわからないくらいの笑顔で、フウマの腕に抱きついていたナミなのか。


 完全にできあがったムードに浸っているようなふたりはアタシたちがすぐ傍にいることに全く気が付く様子もなく、そのまま次の目的地へと向かっていった。


 すごく、楽しそうで――。


 ――すごく、お似合いだった。


 心の何処かで、まだ何かに期待していたのかもしれない。


 だからこそ今、アタシの胸はこんなにも苦しいんだ――。


「……セナ?」


「……」


 ぼやけていたはずの答えは、実際はハッキリと見えていて。


 それをアタシが、わざとピントを外すように見ようとしていただけのことだったのかもしれない。


「セナ?」


「……え?」


 呼ばれていたらしい。アストがアタシの顔を少し下から覗き込んでくる。


「どしたの?」


「な、何でもない」


「……そっか」


 意外にも言葉は素っ気ない感じで、アストがまたスマホをいじり始めた。誰かにメッセージを送っているようだけれど――ほんの少しだけ見えてしまった画面の端っこが、そのアプリの色合いだった――、その宛先が誰かはよくわからない。


「じゃあ、行こっか」


 不意に差し出される手を、握る。


 アストに手を引かれるままに、歩いて行く。


 さっきナミとフウマが来た方向に向かって、まるであのふたりに背を向けるように、歩いて行く。


 こっちの方にあるのかななんて薄ぼんやりと考えている内に、辿り着いたのは地下鉄駅の切符売り場だった。


「ちょっと待ってて」


 そう言ってアタシの手を放したアストは券売機へと向かう。思わずその手を追いかけそうになって、アタシは小さく何度か横に首を振った。


 戻ってきたアストの手には切符が二枚。その内の一枚をアタシに寄越すとまた手を繋いでくる。まるで離れていた時間を取り戻そうとするくらいに、握ってきた手は力強かった。




     ○




 無言のままアストに連れられてきたのは、星宮市のやや北寄りにある国立大学。その敷地の丁度真ん中辺りにある博物館だった。


 正直に言ってしまえば、自分の目の前に建物が現れるまでの間の風景は、ほとんど見えていない。記憶からするすると滑り落ちていったような感じがしていた。


 もちろんそれは、アタシの右手をしっかりと握っているアストの手の感触もだった。地下鉄のホームに降りる直前で一旦離されただろうか。いや、もうまともになんて覚えちゃいない。


「アスト……?」


「ん?」


「……なんで?」


「んー……」


 悩みながらも、アストの頬が小さく持ち上がっていくのが見えた。苦笑いとはまたちょっと違う色を含んだような笑い方だった。


「どれに対しての『何で』なのかはよくわかんないけど、とりあえず入ろ」


「ここ?」


「そう。学生証はある?」


「うん、いちお」


 なぜか昨日の夜にアストから『学生証は念のため持ってくるように』というメッセージが全員に飛んできていたので、よくわからないままに持ってきてはいるけれど。


「おっけー。じゃあちょっとそれ貸して。あとは任せて」


 え? と尋ねるより早くアストは博物館の受付へと向かっていく。帆布のトートバッグから財布を取り出して、受付のお姉さんに『ピースサイン』を作る。その光景をただ見ていただけだったアタシも、慌てて小走りになって彼の後を追った。


「はい」


「え、ちょっと待って」


 間違いじゃなかった。やっぱりあれは『ピースサイン』ではなくて、『ふたり』。アストはアタシの分の入館料まで払ってしまっていた。


「まーいいからいいから。ボクの趣味に付き合わせるんだからこれくらいさせてってば。今日は有料の展示だからだけどそれでも、こういうところの学生料金って安いからさ」


 財布を出そうとするアタシの手を優しく抑えるアスト。たしかに普段の観覧ならば無料だし、今やっている展示も小銭で見られる程度の金額ではあった。それでも何も言わずに財布を開けさせてしまったことへの申し訳ない気持ちでいっぱいなアタシに、アストは妙に楽しそうな顔で言ってきた。そのまま学生証といっしょにパンフレットを渡してくる。


「ほらね、『こういうこと』だから」


 ちょっとだけ自信たっぷりな顔を見せつつ、アストはまたアタシの手を取った。




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