一夜姫と101の夢
明桜ちけ
一夜姫と101の夢
「残念ながら、もって今夜か明日……」
「そんなっ……あの子はまだ、十六歳なんですよ!? なぜこんな……」
「旦那様。どうか、落ち着いて下さい……」
お医者様とお父様の声が、扉の向こうから聞こえてくる。
ベッドの上でなんとか重い瞼を開け、天井を仰ぐ。しかし、すぐに暗闇に閉ざされてしまう。
全身が氷のように冷たくて、息が苦しい。
「お嬢様……ナダエル様は、類稀な魔法の才能をお持ちです。ですが、それゆえに秘めたる魔力が膨大で、お体が耐え切れないのです」
「何か……何か方法はないのですか!?」
「……我々には、どうすることも……」
本当に、もう最期なのかもしれない。
私はナダエル・エディーロとして、何の役目も果たせずに死にゆくのか。
ただ家族を苦しめ、悲しませただけの存在なの――
「姉さん、大丈夫?」
右手が、温かさに包まれる。
手から優しい魔力が広がり、少しだけ苦痛が和らぐ。
一つ下の弟、アリビオが癒しの魔法をかけてくれているのね。
「ありがとう、アリビオ……少し、ラクに……なりまし、た……」
「そう、良かった……」
安堵の表情に、苦悩を潜ませた顔のアリビオ。
彼の魔法を用いても、私の容態は僅かに回復するだけ。
手を尽くしてもらっても、すぐに危険な状態に戻ってしまう。
「アリ、ビオ……手帳……取って、くれ……る?」
「え? あぁ、コレのこと?」
サイドテーブルの上に置かれた手帳を手に取り、アリビオは私の左手に置いてくれた。
私はその手帳を持ったまま、左手を胸に当てる。
胸の上の重みを、愛おしく思いながら。
「懐かしいな。一緒に百個の叶えたい夢を書いた手帳だね、それ」
「えぇ……」
「僕は十個ぐらいで、何も思いつかなくなっちゃったっけ。姉さんは百個の夢、全部書いてたよね」
まだ今より容態が良かったころに、アリビオと一緒に百個の夢を書いたのだ。
夢といっても、大層なことではない。
南国の果物を食べてみたいとか、青空のような花畑を見たいとか。
いつか元気になったら叶えたい、そんな他愛のない夢が大半である。
今となっては、一つの夢も叶いそうにないけれど――
「アリビオ……」
「なぁに? 姉さん」
「あなたは……夢を、叶えて……ね……」
「――っ!!」
体が、重い。
お話したいことが、まだたくさんあったのに。
もう瞼が、開いてくれないわ……。
■■■
「――ぇさん。姉さん、起きて」
「ん……んん……」
声が聞こえて、パチリと目が開く。
信じられないほど、体が軽い。
思わずベッドから、身を起こす。
自力で起きたのは、何か月ぶりだろう?
もしかして私――
「とうとう死んじゃったの……?」
「しっかりして、姉さん。まだ生きてるよ」
「まだ?」
ベッドの横では、アリビオが椅子に座っていた。
部屋はすっかり暗くなっていて、どうやら夜になってしまったよう。
彼はずっと、そばにいてくれたのだろうか。
「まだって、どういうこと?」
「姉さん、胸元を見て」
「えっ?」
アリビオに促されて胸元を見ると、ぼんやりと薄緑色に光っている。
これは――
「ミスティ・アーク……」
魔力を形にした、神秘の秘宝。
今、私の体を動かしているのがこの秘宝――だとしたら……
「ダメよ! アリビオ、これはあなたの大切な力なんだから!!」
ミスティ・アークにして他者に力を与えるということは、同時に元の持ち主が力を失うということ。
癒しの力だって、類稀な才能なのだ。
それを、ただ死にゆくだけの私に与えるだなんて!!
「僕の夢はね、姉さん。騎士として身を立てることなんだ。だからこの力は、姉さんのために使いたい」
「アリビオ……」
立ち上がって、手を差し出すアリビオ。
その手を掴むと、優しくベッドの外へと促される。
久しぶりに……本当に久しぶりに、私は立ち上がることが出来た。
「きっと僕の不完全なアークじゃ、一夜しか時間をあげられない。どうかそれまでに、一つでも夢を叶えて」
「……わかったわ」
風の魔法を使って、私は宙に浮かび上がる。
こんなに自由に体を……魔力を扱えるなんて。
かつて感じたことのない全能感に、自信がみなぎっていく。
今なら、どんな夢でも叶えられそう。
「私、ドラゴンを倒してくるっ!!」
「……えっ?」
私は窓を開け、そのまま空へと飛び出した。
せっかく与えられた貴重な時間だもの、急がなきゃ。
「姉さん!? そんな夢――」
「ありがとう、アリビオ!! 必ず朝までに戻るわ!!」
弟に見送られ、私は満天の星空へと飛翔した。
■■■
屋敷を飛び出し、私は西方のフェフェルの谷へ向かって飛んでいく。
彼の地では古代種の竜――エルダードラゴンが数年にわたり、猛威を振るっているとか。
とにかく、そう……すごいドラゴンなのです!
そんなドラゴンを倒せたなら――
「私の夢が、叶ってしまうかも……!!」
想像もしなかった現状に、思わず笑みがこぼれる。
しばらく飛んでいくと、夜だというのにランプのように明るい場所が見えてきた。
あれがフェフェルの谷――暴れまわるエルダードラゴンのブレスで、いつも燃えているんだとか。
「いよいよ、夢とのご対面ね」
フェフェルの谷――光の中央には、金色のドラゴンが悠々と歩いていた。
とても大きくて、三階建ての教会より背が高いかもしれない。
空中から眺めていると、ドラゴンがこちらに気づき凝視する。
「グルルル……」
呻きながら、凄みを増すドラゴン。
こういうときは……名乗りを上げるものかしら?
「私はエディーロ家、当主の娘! ナダエル・エディーロです! あなたを……倒しに来ました!!」
「グルルル……ガアアアッ!!」
挨拶が終わるやいなや、ドラゴンは火のブレスを吹き上げた。
すごい……これが実践というものなのですね!
アリビオのおかげで、こんな貴重な体験ができて……感謝しかありません!
「絶対に倒して……おみやげにしなくては!」
「グルガアアアアアアッ!!」
ドラゴンから絶え間なく吹き上がるブレスを避けながら、魔力を両手に集中させていく。
屋敷では使えなかった魔法……ここでなら、思いっきり使える!!
集めに集めた魔力は、やがて空を覆うほどになった。
「いきますよっ! エーテル・プレス!!」
「グガアアアァァァァァァァァッ――」
魔力の塊を、ドラゴンの頭上から叩き落す。
抵抗するようにブレスを放つも、全ては魔力の力に押し潰されていく。
ブレスの炎も、谷の岩肌も、ドラゴンも――全てが地面へ、平伏す。
フェフェルの谷の灯は消え失せ、瑠璃色の静寂が広がる。
「あら……? ドラゴンさんは……?」
地上に降り立つも、巨大なドラゴンの姿は跡形もなく消えてしまっている。
そんな……もしかして、私の魔力で吹き飛んでしまったというの!?
「なんてこと! アリビオへのおみやげに、ドラゴンの角や爪を持っていこうと思ったのに……」
「ぅっ……ぅぅ……」
地上を散策していると、人の声が聞こえてきた。
あたりを見回すと、大柄な男性が岩に倒れかかっているではありませんか。
もしかして、私の魔法に巻き込まれて――
「大変!! 今お助けしますわ!!」
男性に駆け寄り、岩から引きずり下ろす。
彼の服はそこかしこが焼け落ち、ボロボロになっていた。
これは――やっぱり、原因は私ですわね!!
「ぅぅ……おまえ、は……」
「私はナダエル。今、癒しの魔法をかけますわ!」
仰向けに男性を寝かせると、僅かに意識を取り戻したよう。
胸のミスティ・アークに手をあて、私は癒しの魔法を発動した。
アークで授かった力を、自分でも使えるようになっていて助かりましたわ!
傷だらけだった男性の体が、みるみる回復していきます。
「もう傷は治りましたわ。起き上がれるかしら?」
「……ああ」
そう言うと男性は身を起こし、手や首を動かして体の確認を始めた。
確認が終わると、不思議そうにこちらを見つめる。
「……ナダエルと言ったか。お前はここで、何をしている」
「ドラゴン討伐ですわ」
「……なぜだ?」
不機嫌そうに、男性は訪ねてきた。
もしかしてこの方も、ドラゴンの討伐にいらしたのかしら?
それで私の魔法に巻き込まれ――お怒りになっているだわ。至極、当然です。
ここは誠意をもって、正直に答えなくては。
「私の、夢のためですわ」
「夢……だと?」
「ええ。生物の頂点たるドラゴンを倒すと、どんな願いも叶う奇跡が起きるとか」
「――ふん。そんなものは無い。人間のくだらぬ妄想だ」
「はい、どうやらそのようです。やはり、ただの御伽噺だったみたいですね」
「むっ……」
どんな願いも叶うなんて、私も思ってはいない。
そうであったらと、期待していただけ。
本当の目的は、ドラゴンを倒したという事実。
「せめてドラゴンの角や爪でも拾えればと、思ったのですが……」
「そんなもの、何に使う?」
「弟へのおみやげです。彼が騎士になったときに、助けになるはずですから」
世間では、
騎士になったあとも、きっと出世の役に立つはず。
「くだらんな。姉の力で成り上がって、何になるというのか」
「いえ、私は弟の力あってこそ、ドラゴンを倒すことが出来たのです」
胸元のミスティ・アークに、私は手を添える。
男性は呆れたような視線を向けた。彼はこのアークが、不完全な物だと見抜いているのかもしれない。
それでも――
「余命僅かな私に生きる時間をくれたのです。自分は力を失うというのに。だから
「……そうか」
納得したのかしないのか、男性は目を閉じ大きなため息をつく。
少しの沈黙の後、彼は話題を変えて話始めた。
「ところでナダエル。もし……もしも本当にドラゴンがどんな願いも叶えることが出来たなら、お前は何を望む?」
それはとても意外な話だった。
彼が私のことに、そこまでの興味があるとは思えなかったから。
でも自分のことに興味を持ってもらえたことが新鮮で、なんだかとても……嬉しい!!
「まぁ……どうしましょう。なんせ、私の夢は百もありますので」
「ひゃく……」
服に忍ばせていた手帳を取り出す。
いざ本当に叶うなら、という話になるとなかなか考えがまとまらない。
ただの、たとえ話だというのに。
「そうですね……家族のためになるものを優先した方がいいかしら……」
「なんだそれは?」
「私の夢を書き出した手帳ですわ」
「どれ、見せてみよ」
「あっ」
背の高い男性に、あっという間に手帳を取り上げられてしまった。
神妙な面持ちで、彼はジッと手帳を読み込んでいる。
見られてどうというものではありませんが、なんだか恥ずかしいですね。
「……おい、なんだこれは? 食いたいものと見たい景色の事ばかりではないか」
「そ、それだって私にとっては大切な夢なんですっ!」
手帳を読み終わった男性は、少し不機嫌な様子だった。
そんなに私の夢は、おかしなものなのだろうか?
「もっとこう、ないのか? 権力者の伴侶になりたいとか……」
「それは……」
伴侶――結婚のこと。
誰かと未来の約束をするなんて、私には――。
「病弱な私では、仕事も子作りもできません……誰かと結婚するなんて、そんな迷惑、かけられませんわ……何より、私の命はもう……」
「ふむ……」
重い話をしてしまったからか、会話が途切れてしまった。
もう、お話は終わりなのだろうか?
気が付けば、ぼんやりあたりが明るくなってきている。
そろそろ朝になるのね。家に帰らないと――
「ならばこれで良いか?」
パチンっと、男性が指を鳴らす。
すると、私の胸元に金色の光が集まってきた。
「そんな……どうなっているの……?」
金色の光はアリビオのアークを覆うように、小さくなっていく。
そして半球の状態で、固まった。
もしかしてこれも、ミスティ・アーク……? こんな一瞬で作れるなんて……。
「これでもう、命の心配はあるまい。なんせ、我の力を分けてやったのだ」
「……あなたは、一体……」
ただただ驚いて、何が起きているのかわからない。
そんな私の様子を見てか、彼は上機嫌に言った。
「我はヴィントシュティレ! 小娘の御伽噺に付き合うのも、オツかと思っての。その百の夢、叶えてやろうぞ」
そう言うと男性は、光に包まれるように――巨大な金色のドラゴンへと姿を変えた。
暁の空と重なった姿は、とても眩しくて――
「おい、お前! なんで泣いておる!?」
「……っぁ」
何度読み返しても、決して叶うはずのない。
ただ強く、生き延びるための希望だった。
そんな夢を、本当に――
「ふふ……なん、で……ですか……ね」
「ふん。本当に喜ぶのは、これからだぞ。ほら、早く背に乗れ」
「え……」
ぼんやりしてしまっている私に、ドラゴンの姿の彼は顔を寄せた。
「娘をしばらく預かるのだ。お前の家族に、挨拶せねばな」
「――はい!!」
ドラゴンの背に乗り、青空へ舞い上がる。
強い光は、私の屋敷へと一直線に飛んで行った。
■■■
「ヴィン様、何から何までありがとうございます」
屋敷に帰ると、アリビオと両親が外で私を待っていてくれた。
ドラゴンに乗っていたので、少し――かなり混乱を招いた、かな。
そしてアークの力で生きられること、ヴィン様と夢を叶えに行くことを伝える。
家族は驚きはしたけど、優しく見送ってくれた。
「爪や鱗までいただいて……」
「かまわぬ。気にするな」
ヴィン様は自身の爪と鱗を、アリビオに授けてくださったの。
私が弟の出世を望んでいたから――ドラゴンの爪は強力な武器の素材で、鱗は防魔の力がある。
どちらも人の世では、至宝に類する品々。
その力をもって、実家は繁栄していくことだろう。
「さぁ、まずはどの夢を叶えるのだ? 氷の海を見に行くか? それとも精霊花の蜜を食しに行くのか?」
無邪気に話すヴィン様に、思わず笑みがこぼれる。
「ヴィン様。私、もう一つ叶えたい夢が増えてしまいましたわ」
「なんだ? どんな夢でもかなえてやろう」
「私、ヴィン様の妻になります!」
病で死ぬはずだった私が、百と一つの夢を叶えにいく。
かけがえのない方と共に。
●●●あとがき●●●
ナダエル「本当によろしいのですか?」
ヴィン「かまわん。爪も鱗も、すぐに再生する」
ナダエル「では失礼して……エーテルスラッシュ!!」
ヴィン「ふむ……そんなもので良いのか?」
ナダエル「ええ、十分です。ふふ……アリビオ、きっとビックリするわね」
ヴィン「嬉しそうだな。そんなに弟が大事か?」
ナダエル「もちろんです! ずっと私を支えてくれた、とても心優しい弟なのです」
ヴィン「ほう……それでいて貴重な魔力を他者に与えるような、胆力もある。我も会うのが楽しみだ」
ナダエル「きっと、仲良くなれますわ!」
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