3-10

「どうやら、風向きが変わってきたみたいじゃないか」

 ジーンとの密会から二日後。誰より早く嗅ぎつけ、真っ先にコンタクトしてきたのは、意外にもプロジェクトからは半ば身を引いていた村松氏だった。

「わざわざ『ナーサティア』の開発者が会いに来たって?」

「え? なんの話です?」

「今更、ぼく相手にまでとぼけなくてもいいだろ」

 深夜、事務所へと押しかけてきた村松氏はすでに軽く出来上がっていた。どうやら、誰かと一杯ひっかけてからの流れで訪ねてきたようだ。

「この段階で向こうの開発主任と会ったんじゃ、痛くもない腹を探られかねないのは確かだがね。君がそういうタイプじゃないのは承知してる」

「まぁ、普通はそう考えますよね」

 俺は息を一つつくと、しかたなしに頷いた。

 これ以上、とぼけ通すのは無理か。

 メンバーに話すのは、邦香への報告を済ませてからにしたかったが、仕方がない。

「でも、彼はそういう勘ぐりを全く気にしないタイプでしたよ」

「要するに天才だろ。君とキャラの被る」

「俺なんか比較になりません。相手は『ナーサティア』の基本コードを全て独力で書いたって男ですから」

「君だって一人で『ラクシャス』を作ったじゃないか。ほらみろ、類友だろ」

「これまで俺が何年かけてプログラミングしてきたと思っているんです。学生時代からですよ。なのにジーンはおそらく、一年かそこらで仕上げてます」

「しかし、根は一緒だ。だから作るものが被る」

 村松氏はそう断言すると、ドン、と手にしていたコンビニ袋を事務所のテーブルに置いた。中から幾つかの銘柄のビールを取りだす。

「しかし君以上に、無防備で無邪気なタイプなのも確かだな。実は彼のSNSをチェックしていて、君との密会に気づいたんだ。まぁ、何も知らなければ相手が君だとは判らない表現にはなっていたが」

 密会の情報元は、なんとジーンのSNSらしい。

「で、どうだ。評判の天才との会談から、何か得る物があったかい?」

「色々と参考になりましたよ。何より、向こうは惜しげもなく手の内を晒してくれました」

「ほう。具体的には?」

「『ナーサティア』は『ラクシャス』とは内部構造が決定的に違います。彼のアプリは完全に自己学習型の、本物の人工知能ですよ。つまり設計思想はほぼ真逆です」

「そうか。ならいよいよ好都合じゃないか」

 自分から訊ねておきながら、具体的な違いの内容には興味がないらしい。

 村松氏は嬉しそうに両手を広げた。

「これでようやく、『ラクシャス』の時代が来たな。今からが本当の勝負どころだぞ。弾みがつくよう、皆で機を見て一気呵成に」

「どういう意味です? そもそも」

 俺は差しだされたビール缶を受けとると、遠慮なくプルトップを引いた。

「村松さん。以前、あくまで自分はオブザーバーだとか仰ってませんでしたか?」

「そんな事言ったかな? ……まぁ、ここまで来て、細かいことは気にするな」

「俺は別にいいですけど。皆にはきちんと説明しないと、アレですよ」

 俺は勢いよく吹き出したビールを慌てて唇で受けとめると、先を促す。

「それで勝負所だ、というのは?」

「これまで『ラクシャス』チームの皆は意識していなかった、もしくは意図的に軽視していたようだが、世の中の物事には須く流れ、というものがある」

 村松氏は自分も一本選ぶとと、美味そうに飲み始める。

「特に、政治の世界ではこれが何より重要だ。どれほど正しくて素晴らしい理想的な内容でも、しかるべき相応しいタイミングで提案されなければ絶対に受け入れられない」

「ジーンの来日が、そのきっかけになる、と?」

「彼の作った『ナーサティア』が、さ」

 そう断言すると、村松氏は力説した。

「少子化による人口減少と超高齢化。これによって村政が行き詰まったタイミングでの『ラクシャス』登場は、実にタイミングが良かった。だから、村長と村議会の廃止などという大技もさしたる抵抗なく受け入れられた。しかし、そこから先は違った」

 村松氏は懐かしそうに、ふり返る。

「しばらくの間、君らはてっきり、全てを承知のうえでぼくの前に現れたのだとばかり誤解していた。最適のタイミングを狙っていたのだとね。しかし、君らの歳を併せて考えれば、それは明らかに過大評価だと判る。学生が夢中になってプログラムを開発して、たまたま運良く時流を捉えていたにすぎない。でなければ村政導入の余勢を駆って、性急に全国版の展開を、などとは考えまい」

 だからオブザーバーとして距離をとり、更にはひとまず一線から身を引いたのさ、と村松氏は笑った。

「あの時、皆が本当に思案すべきは、今プロジェクトを進めるべきか、それとも待つべきか、だった。強攻策か懐柔策か、という方法論の問題ではない」

「そこまで判っていたなら、あの場で指摘してくださいよ。メンバーの中では唯一、現役の政治家なんですから」

「会議の流れが読めずに、政治家など名乗れん。あの頃、今は身を潜めて機会を待つべきだ、などとぼくがしたり顔で忠告したとして、誰がそれを受け入れた?」

 村松氏の言い分はもっともだった。当時、村政版の成功に気をよくして、プロジェクトのメンバーは多少の差はあれ、皆いけいけだった。

「それに既存勢力の抵抗を突破するには、少なからず勢いが必要なのも確かだ。『ナーサティア』の出現を待たずに、勢いだけで事が進むならそれでも良いとは思っていたさ。その場合には、ぼくの経験など必要がない。むしろ邪魔になる」

 しかし、残念ながらぼくの予想どおりになってしまったがな、と村松氏は顔をしかめた。

「機が熟せず、世の流れがない中で、これ以上の無理は『ラクシャス』にとって致命傷になりかねん。ダメな時は何をしてもダメなのがこの世界だ。ここ最近は、どうやって君たちを止めたら良いか、そればかり思案していた。なのにまさかこのタイミングで、『ナーサティア』などというビッグウェーブがやって来るとはな」

「つまり村松さんは『ナーサティア』が現れた今こそが『ラクシャス』普及の好機だと」

「ここで無理なら永遠に無理だろう。この国は、横並び意識が未だに幅をきかせている。自分たちが世界に先駆けて政治をアプリに任せる、なんて冒険はまっぴらごめんだが、他の国が取り入れる、となれば遅れまいと態度を一変させるさ」

「なら『ナーサティア』を選ぶ可能性もありますよね?」

「無論だ。だから勝負所だといってる。少しでもリスクを避けるため他国と同じアプリを、という横並び派と、すでに『ラクシャス』があるのだから、という国産派では、おそらく互角の勝負になる。幸い、たとえ人口数百名の村ばかりだとはいえ、『ラクシャス』はすでに複数の村を現実に統治している。その実績を前面に出して訴えるのが一番だろうな」

 村松氏の言い分は、とてもシンプルで力強かった。

「ここで『ナーサティア』に後れをとるのは論外だが、かといってごり押しもダメだ。政府や現役の役人の中にも必ず国産派はいるはずだ。我々を支持する官僚を探しだして、連携を目指す必要があるだろう」

「高級官僚には心当たりがありますよ。というか、『ナーサティア』が現れるなり、すぐ向こうから連絡を取ってきました」

「なるほど。そのあたりはさすがだな。ぼくが気を利かすまでもないか」

 感心したように村松氏は頷くと、勢いよく残った缶ビールを飲みほした。

「名前は?」

「内務省、行政課情報支援室の桂木とか」

「判った。その男の背後についてはぼくの方で調べておく。本当に『ラクシャス』導入を望んでいるのか、他に何か思惑が無いとも限らないからな。しかし、基本的には協力体制を築く方向で対応すべきだと思うが」

「ええ。邦香ともその辺りの認識は一致しています。今はどのような相手とも可能な限り手を組み、勢力拡大を目指すべきだと」

「いい判断だ。頼もしいね」

 嬉しそうに村松氏は立ちあがると、俺の肩を一度叩く。

「それじゃ、今日からはぼくも本格的に動く。君の下につくと思ってもらっていい。存分に使ってくれ」

「承知しました。心強いです。皆にはうまく言っておきます」

「ああ、頼むよ」

 村松氏はそう言い残すと、軽く右手を挙げながら去っていった。

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