革命アイドル
早狩武志
プロローグ
「そういえば、卒業後の進路を決めたよ」
卒業式の当日。年季の入った古い講堂の狭い舞台袖で、
白くて細い指が、無造作に肘にからみつく。ごく気安い態度だった。周囲からは、単なる雑談を交わしているだけに見えただろう。
「熟考の末、アイドルになることにした」
「アイドル?」
おいおい、なんだそりゃ。
邪険に振りはらおうとした俺だが、まったく予想外の単語に、つい問いかえしてしまう。
「大学卒業後の進路に芸能事務所を、ってか?」
「まさか。それでは薹が立ちすぎるだろう。つまり、進学はしない」
肩で切りそろえられた、艶やかな黒髪。描く必要などないくっきりとした眉。桃色の唇。長い睫と、強い意志を湛えた丸い瞳。そして均整のとれた文句のつけようのない九頭身のプロポーション。
邦香の外見は確かに素晴らしい。それは二年間、生徒会長として圧倒的得票数で信任され続けてきた一助にもなっている。だが、
「せっかく現役で国立に受かっておきながら? この先、おまえがなにをしようと勝手だが、そもそもそれは進路といえるのか?」
「確かにあまり一般的ではないがね。世間にも認められた職業だよ、一応」
邦香は小首をかしげて愛らしく笑った。堂に入ったその姿は、すでに芸能人じみている。
「これまでだって、さんざん揶揄されていただろう。そのわたしが本物のアイドルを目指したとして、なにか問題が?」
そりゃ、気づいてるよな。
容姿端麗でありながら誰にでも気さくで、常に笑顔。生徒会長として多数派から支持される一方で、反感を抱く一部勢力からは陰日向に激しい誹謗中傷を受けてもいた。彼らが好んだ陰口の一つが『一高の地下ドル』である。
もっとも、おおむね順調だった二年間の生徒会運営において、邦香への支持がアイドル的だったのは否定しようのない事実だ。握手など身体接触にもさほど抵抗感を示してこなかった。無自覚であったはずがない。
だから、その進路選択を意外と感じるべきではないのかもしれないが、
ここまで来てどうしてそっちなんだよ、という若干の落胆を、俺は覚えずには居られなかった。
「属性がアイドルな生徒会長と、本職アイドルはまた違うんじゃないのか。あの手の仕事は外面さえよければ売れるとは限らないぞ。しかもまだデビュー前なら、進路希望、でしかないレベルだろ」
「そういう意味か。どうだろう。なんなら今夜、早速駅前のロータリーで歌って踊れば、インディーズなアイドルを自称しても……でも、成功を掴むのは確かに容易ではないだろうね。たんなる遺伝子の幸運でしかないが、見た目には多少の自信がある。しかし業界では、わたしの容姿など必要条件を満たすレベルにすぎないだろう」
実際には、必要最低限よりもう少し上だろう。でなければ、体育祭での動画がアップされただけであれほどの騒動が起こるわけがない。
「無論、困難の多い選択であるとは理解しているつもりだ。しかし、他に有効な手段が見あたらないのだから仕方がない」
「有効な手段? なんの?」
「もちろん、より相応しい舞台を用意するには、に決まっているじゃないか」
当然の真理を告げるかのように、邦香は言い放った。
「三年間、君が心血注いで組んでくれた『あれ』を、これでお役ご免にするつもりはないよ」
「……正気か? 『革命生徒会』なんぞと呼ばれただけじゃまだ不満か?」
不意打ちの一言に、心拍数が跳ね上がる。それを隠して俺は問いかえした。
邦香のいう『あれ』が何を指しているのかは明白だった。
「勿論不満だとも。そして、あのプログラムを本格的に動作させるには、必ず一定数の支持者が必要になる。それを得るには、アイドルとして名を売るのが一番の近道だ」
邦香は再び笑った。今度は先程の無邪気な笑顔とは違う、ごく限られた相手にしか向けない、腹黒い笑みだった。
「もっとも、すぐには無理だろうが……だから、待っていてくれないか?」
邦香は真顔で、俺を見つめた。知りあって二年以上になる今でも、俺は邦香に真正面から視線をあわせられると、微かな息苦しさを覚える。
「すまないが、いつまでに、と期限は約束できない。だがわたしは必ず、あれを本格運用可能な新たな場を用意する」
周囲を圧倒する、その美貌に。
「わたしと『あれ』を開発したことで、君がその、学内の一部反動勢力から脅迫を受けたり物理的な危害を加えられていたのを、つい最近知った。自分があのような目にあっているのだから、そのくらい予想してしかるべき手を打つべきだったのに、孤立無援なまま単独で対処させてしまって本当に申し訳なく思っている。次は、そんな事態は招かないと約束する。だから、図々しい頼みだとは承知だか、どうか次も」
まったく、こいつは……
「別に、たいした目には遭ってない。なにしろ、こっちは貞操の心配をする必要はないからな。厄介ごとに巻き込まれたら、ただぶん殴ればそれで済む。降りかかる火の粉は力ずくで払う主義なんだ」
邦香の謝罪に、俺はなんでもなかった、と軽く流した。
多少周囲から疎まれたところで、元々、親しいクラスメイトなど居なかった。ネット上での罵詈雑言を気に病むほど殊勝な性格もしていない。
加えて、邦香は誤解しているが、俺が因縁をつけられた理由の半数以上は『あれ』が原因ではなく、主に邦香との距離感が理由だった。たとえば、こうして当然のように俺の腕を掴んでいる邦香の態度がだ。
「待つもなにも、こっちは春からしがない工業大学の一学生だ。おまえがそのつもりなら、暇な時間にでも思考ルーチンをブラッシュアップしておくよ」
すがるようなその表情を直視できず、わずかに視線を逸らしながら俺が返答すると、邦香は遠慮無く踏みこんでくる。
「ロジックの改良だけでなく、学習用データの読み込みも引き続き頼む。無論、これから先は行政レベルでだ。サンプル数がキモなんだろう、あのソフトは」
不安げだった表情が一変して、頬を紅潮させながら意気込んで懇願されたら、俺は頷くしかなかった。
「ありがとう。君には本当に感謝している」
邦香は嬉しそう微笑むと……態度が一変し、なぜか突然、挙動不審になった。
プライベートでは常に情感の発露が淡泊な邦香にしては、ひどく珍しい。
「だからといって、その感謝を示すために、というわけではなく、かといって君の優しさにつけ込むつもりもないのだが、ええと……今後アイドルとして効率よく成功するには、わたしにもそれなりに清濁併せのまねばらなぬ局面が訪れるだろうし」
はぁ? 一体なんだ?
「会長、櫻井会長! どこにいらっしゃるかと思えば……そろそろお時間です」
俺が、記憶にないその豹変ぶりに戸惑っていると、遠くから後輩の声が聞こえた。
邦香を崇拝するあまり、すでに自らが生徒会長を引き継いでいながら、一向に会長との呼称を改めない八神由希乃は、俺に気づくなり般若の形相で睨みつけてくる。
大人びた邦香とはまた異なる、小動物的な愛らしさに満ちた容姿がまったく台無しだった。
「この後に及んでまだ未練がましく会長にまとわりついてるわけ。ちょっとプログラムが書けるからって身の程知らずな。根暗囲碁部の会計風情が」
「その悪態も、もう聞けなくなると思うと少しだけ寂しいな。今更、何を言われても構いやしないが、囲碁部をディスるのだけはやめてくれ」
俺が窘めても、八神はフン、と息巻くだけでとりあおうとしない。
とはいっても、その態度ほど俺と八神との関係は悪くなかった。これは彼女なりの俺への卒業祝いかもしれない。
「由希乃。
邦香は時計を見ると、いま行く、と八神に向かって応えつつ、俺の耳元に顔を寄せた。
「ならこの話の続きは……謝恩会の後、いつもの場所で待ってる。今日だけは必ず一人で来てくれ」
そして、すれ違いざまに囁くなり、どうにかいつもと変わらぬ態度を取り戻して、足音高く去っていく。
なんだったんだ、いまのは。
冷静沈着がモットーの邦香にしては、珍しい。しかも放課後、二人きりで会おうだって?
まさか今更、旧役員のお礼参りでも警戒しているのだろうか。
そんな邦香の豹変の理由は、その夜すぐに明らかになる。
だが、彼女の真意を俺が知るのは、もっとずっと後になってからの事だった。
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