魔法がとけても

スイーツ阿修羅

魔法がとけても


 僕には使命がある。

 一世一代の大仕事だ。

 タイムリミットは本日正午。

 つむじが丘の公園の丘の上まで、カバンの中のを届けなければいけないのだ。


 僕は満員電車のなか、身体の前でカバンを大事に抱えた。


 あと20駅、あと50分。

 大丈夫だ、ギリギリだが間に合う。

 腕時計を確認して、僕はほっと息をついた。


 ……?


 違和感に気づいたのは、そのすぐ後だった。

 何故だ? 一向に電車が出発しない。

 ざわめき始める車内。

 直後、アナウンスの声が響いた。


「お客さまにお知らせいたします。先ほど西つむじが丘駅にて、前を走っていた電車とお客様が衝突……


──人身事故だった。


「……運転再開時刻など詳しい情報が入り次第、車内アナウンスにて……


 僕は電車を飛び出した。


 改札を飛び出し、階段を駆け上がり、地上へと飛び出した。

 約束の丘めがけて、一目散に走り出した。


 鉛色の曇天の下、僕は走った。

 すぐに息が切れ、汗が噴き出した。

 間に合うだろうか?

 いや、必ず間に合わせるんだ。

 君の夢を、叶えるために……


 どしゃぶりの雨がきた。

 全身ずぶ濡れになりながら、僕は走った。

 長い階段を駆け上がり、何度も転びそうになりながら……


 今、何時だろうか?

 土砂降りの雨のなか、君は、まだそこにいるのだろうか?


 約束の、丘の上の木の下で、


 僕は、最後の階段を駆け上がった。


 てっぺんの木の下に、ずぶ濡れの君がいた。


「……佐藤さんっ!」


 泥まみれで駆け上がった。

 12時の鐘がなる前に、魔法が解けてしまう前に、

 僕は君を、シンデレラにするんだ。


「……わっ、びっくりしたぁ……」


 佐藤さんは全身びしょ濡れで、目をパチクリとして僕を見た。


「……さ、佐藤さんっ!」


 僕はカバンの中から、真っ白な箱を取り出した。

 そしてその中から、

 佐藤さんにふさわしい、透き通るようなガラスの靴を取り出した。


「……この靴を、履いてみてほしいんだっ!」


 それは、佐藤さんの足型に合わせた、特注のガラスの靴。

 シンデレラが大好きな佐藤さんに捧げる、ロマンチックなプロポーズのための……

 ガラスの靴、だった、はずなのに……


「……あ、ぁあ、あぁああぁっ……」


 箱を開けた瞬間、頭の中が真っ白になった。

 目の前の光景に目を疑い、呼吸が止まりそうだった。


 綺麗な四角い白い箱、そのなかにあるはずのガラスの靴は……

 ひび割れて、粉々になり、跡形もなく壊れてしまっていた。


「……そ、そんなっ……!?」


 この日のために、用意したシュチュエーション……

 佐藤さんを、お姫様にするための、大切なガラスの靴が……


「ひぐっ………えぐっ……うぅっ……」


 みっともなくて、惨めで、泣き出してしまった。

 




「ぷっ、くっ、あははははっ!」


 直後、

 佐藤さんは、腹を抱えて笑い出した。


「12時に待ち合わせって言われて、なにかと思えば、そういうことだったのね。

 ……魔法……解けちゃったね……」


 佐藤さんは慈しむように、箱の中でバラバラになったガラスの靴を眺めながら、

 うずくまる僕の背中を、優しい手で撫でてくれた。 


「ほれ、元気だしなよ」


 そして、僕の頬っぺたに、冷たい金属を当ててきた。


「……?」


「コーヒー。一緒に飲もうよ? 冷えちゃったけど」


 そう言って佐藤さんは、僕にコーヒーを差し出してきた。

 コーヒ缶のラベルには無糖の2文字、僕は顔をしかめた。


「……僕が苦いのが苦手なの、知ってるよね……?」


「私が甘いの苦手なのも知ってるよね?」


「それぞれ別にすれば良かったのに」


「いやだよ。お揃いがいいの」


 佐藤さんはそう言って口を尖らせた。

 そして、僕をお揃いのコーヒー缶の栓を開け、口元に触れさせてコクコクと喉を鳴らした。

 僕も同じように、コーヒーに口をつけた。


「……苦い……」


「苦いのが良いんじゃん。お子ちゃまだなぁ……」


 佐藤さんは、そう言って、


 ちゅっ


 音もなく、すばやく僕の唇を奪い取った。


「……うむっ……?」


 そっと触れるような、足りなくてもどかしいフレンチキス。

 佐藤さんの不意打ちに、僕の顔面はのぼせあがった。


 すぐに唇は離れて、佐藤さんは蠱惑的な笑みを浮かべた。


「……どう? 甘くなった?」


(熱くなったよ……特に顔の周りが……)


 びしゃびしゃの雨のなか、身体の芯が熱くて仕方なかった。


 さぁ、言うんだ、今。

 魔法は解けて、ガラスの靴は壊れたけれど、そんなものは関係ない。

 公園の丘の上、どしゃぶりの雨のなか、僕たちはずぶ濡れで酷い有り様だけど……

 君の心はいつだって、シンデレラのように透き通っているから。


「佐藤さん……今日は大事な話があってきました」


「うん……」


 僕の言葉に、佐藤さんは姿勢を正して正座になった。

 言うんだ。今日。

 僕は君を、シンデレラにする。


「……僕と結婚してください……」


 勇気とともにしぼり出した。一世一代のプロポーズ。

 震える手を、君の方へと差し出した。

 僕の心は不安でいっぱいになりながらも、清々しくてスッキリしていた。


「……はい。喜んで」


 佐藤さんは泣きそうな笑顔で、震える僕の手を、両手で握りかえしてくれた。

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