之江帰燕

水無瀬浮寝

一 落魄博士帰郷決定事

 先月は弥生。日本古典を専門とする私は三年半を経て博士課程を修了した。本来は研究職に就きたいと思ったが、さすがに楽観過ぎた。現在日本の博士号の新年度取得者の就職率は60%ぐらいだし、まして近年明らかに男女共同参加のスローガンの下に女性が優先的に採用されているので、我のような外国人男性文学博士は、教員免許も取得できず、塾でさえ働けず、完全に日本の教育システムに門前払いにされたようだ。一般就職の方も、新卒一括採用といった意味不明な仕来りの存在により、全くもって絶望的だった。その上、上京してまで面接を受けに行ったが、祈りメールすらもらえない中国系の留学生塾に遭い、落魄れの無職博士になった私は、強風が吹く池袋西口公園に茫然と佇み、野良犬のように新宿の路頭に彷徨い、職安の玄関口で徘徊していた。

 修了式は大雨の中。空は私の心と同じく灰色だった。それでも、晴れ姿の卒業生と同伴の親が大勢来場した。タイ人の彼女が同伴に来なければ、どんな惨めな姿になったのであろうか。博士号取得者は学長から学位記を直接に授与される儀式があるため、一番先頭に指定席が設けられた。隣席や同専攻の修了生と寒暄を叙したところ、みな就職ができなかった。博士号を貰うのはもちろん嬉しいだが、無職の現実を思い浮かべると、ニンテンドースイッチのゲームカードを舐めたように苦味が湧き出した。最悪な結末だった。

 辿るに辿って、不幸中の幸いに、大学所在の地方都市の中小飲食企業に就職が決定した。プライドは勿論捨てたようなもので、大事なのは食い繋ぐことだ。また、将来的に彼女のパタヤでの喫茶店創業に助力したいとも思っている。まして、同じ都市に住んでいると、週末だけでも一緒に過ごせる。まあ、彼女との未来のためだと自分を納得させた。

 それで、引っ越しの準備を始めた。新居は地方都市の中央駅付近にした。入居審査期間は一週間ほどある。不動産屋と契約し、帰りの電車で窓の外の桜曇りを眺めると、ふっと思い付けた。

 「そうだね。ちょっと帰るかな。」

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