第十六話 二つの愛の形
僕は寝ている。
夢を見ていた。
そこは広大な漏斗型の盆地だった。陰鬱な空気が漂い、空は岩盤に覆われて薄暗い。鼻をつく硫黄の匂い。
そこは地獄で、僕が羽を動かすと、きな臭い匂い、耳障りな悲鳴、遠い雷鳴、が風にのってやって来た。
僕の羽は夜のように漆黒。
円環状の塹壕の縁に立った異形の悪魔さんたちが、空を行く僕に手をふった。
そこは荒涼とした世界だった。木々は小さく地面にへばりつくように黒く、川はよどんで黒く濁っている。
岩だけがごろごろと並んでいた。
糞便が満ちた溝があった。公園の公衆便所のような嫌な匂いが僕の飛ぶ上空にまで漂っていた。
汚物で顔も姿も解らないぐらいになった人間が、溝の中をよろよろと歩いていた。彼らの歩みが遅くなると、無表情の悪魔が長い銛で、ガシガシと亡者をつついた。
亡者の中に小さい人がいた。
彼は胸を張っていた。汚物にまといつかれ、顔も肌も見えないぐらいなのに、彼は王者のように胸を張り歩く。
小五郎さんだ、と解った。
その誇り高い姿は、猫背の亡者たちの中で激しく目立っていた。
土手に立つ悪魔達は銛で彼をつつき、大きな傷を与えるが、確かな足取りは揺るぎもしない。
どんなにつつかれても、彼は頭を下げず、胸をはり、血を流しながら歩く。
大人のレビアタンが土手を歩いてくる。
それは綺麗で繊細で、貴婦人のように優雅に彼女は歩いてくる。
亡者の小五郎さんは土手の上のレビアタンに気付き、頭をさげる。
二人は、ふっ、と微笑みあう。
柔らかい空気が通い合う。
二人は声をかわさない、ただ見つめ合う。
それだけで、たぶん、お互いの気持ちが全部わかってしまうのだろう。
レビアタンが軽く手を上げる。
小五郎さんも手をあげる。
ふと、レビアタンが悲しそうな顔になり、うすくまったと思ったら、僕の知る小さなレビィに姿を変え、涙を流した。
小五郎さんは心配しないで、というように微笑む。
レビィはかがみ込み、泣く。
彼女はセーラー服のポケットからお菓子の箱を出して、小五郎さんに投げる。
それは、コアラのマーチで、地獄にはない目がさめるような緑色をしている。
小五郎さんはコアラのマーチを受けとり、優勝カップのように額におしいだき、深く礼をする。
レビアタンは背を丸め、地面に伏せて泣く。
彼の持つコアラのマーチの緑色の印刷が、汚物に汚染され、じわじわと穢れていくのを、僕は悲しい思いで見ていた。
不意に大風が吹き、僕は宙に飛ばされる。
羽ばたいても羽ばたいても、そこに居ることは出来ずに恐ろしい速度で上へ吹き飛ばされていく。
下をみると、王者のように歩き出した小五郎さんと、伏して泣くレビィが見えた。
ゴウゴウと音を立てて、風が僕を巻き上げた。
岩肌の天井が見えてきて、大きな門が見えた。
そこから僕は吹き上げられて、木の葉のように虚空へと舞い飛んだ。
何もない、真っ暗な空間に、長い橋だけが架かっていた。
いきなり風が止まり、ぱたぱたと羽ばたくと、近くに大きな山が見えた。
ブリューゲルのバベルの塔みたいな、岩山だった。
「よしだー、何してるんだ、こんなところで?」
ふと視線を上げると、巻頭衣を来たガルガリンが、鈍色の羽をぱたぱたさせて飛んでいた。
「うわ、硫黄くさっ! 地獄見物してたね、よしだは」
「い、いやその」
うわ、烏なのに僕は喋れた!
「ちょっとまて」
いきなりガルガリンは僕の羽を掴むと、乱暴にばたばたと振り回した。
「穢れはらえよなあ、煉獄の山の近くなんだから」
僕の体から、黄色い埃みたいな物が出て、宙に落ちていった。
なんか、体の温度を一緒に祓ったみたで、僕は凄く寒くなってきた。
「うわ、だけど可愛いなあ、よしだ。なんでこんな所へ?」
「いや、知らない、寝たはずなんだけど」
ガルガリンは震えている僕を見て、胸の中に抱きしめてくれた。
うわ、暖かい。
「神格が上がったからかな? 普通は来れないんだけど。あと姿も偽物くさい、なんか烏が出てくるお話が好きなんじゃない?」
烏が出てくる?
「あれか? 京都で作られたアニメの」
「覚えある?」
「翼人の記憶を主人公が烏になって届けるってアニメがあったなあ」
「それだね、本物の形は、そのうち出てくるんでしょ。仏像みたいなやつだよ、きっと」
「うーん」
それはやだなあ。帝釈天みたいなマッチョ系になるのかなあ。
「ああ、それよりも、なんか変な光景見たよ。今の地獄じゃないような」
まだ、小五郎さんは死んでないよね。
「どんなの?」
「レビィが、堕落させた人と地獄で面会してるような」
「ああ、それはたぶん預言だわ」
「預言? 未来の光景?」
「そう、これから起こるかもしれない時空の光景。そっか、小五郎と三郎の所へ行くのか、やさしいな、レビィは」
「知ってるのか?」
「うん、愛し合ってて、素敵だったよ」
ガルガリンはそう言うと、僕を抱きしめて頬ずりした。
てれくさいからやめれー。
「時々、レビィの情熱が羨ましくなるんだ」
「なんで? ガルガの方が、正しいし、栄光に包まれてるし、永遠じゃんよ。あっちは一瞬だよ」
「わかってないなあ、ボクとの関係は永遠だけど、永遠に高みを目指すんだよ」
「うん、いいじゃん、愛し合ったまま永遠だよ」
「ボクも天使だから、不完全なんだよ。で、人もまた不完全でしょ。完全なのは神様だけだよね」
「うん、いいじゃん、永遠の幸せだ」
「永遠にずっと高みを目指してのぼりつづけるってのは、永遠に終わらない努力なわけで、結末がないのよ」
「あ、あれ?」
「ある程度までいくと愛の量とかそう増えなくなって、ちょっと増える為に一万年~ とかね」
「ひょ、ひょっとして単調?」
「すごく単調、いつまでたっても同じ。もうね、百年もすれば話題とかないし、延々上り続けるだけ」
「そ、それは……」
「だから、一瞬で爆発的にもえあがる恋って、ちょっと憧れる」
「堕天でもしろ」
「うふふ。このまえ堕天もいいよねって同僚と噂してたら、ラファエル隊長にこづかれた」
「ちょっと教えてくれ」
「うん」
「なんか、地獄で見た光景なんだけど、小五郎さんはすごい堂々として、揺るぎない愛だったんだが、あれでも罪なの?」
「うん、悪魔と愛し合うのは罪だよ」
「でも堂々としてて、罰を受けてる感じはなかったなあ」
「そういうもんだよ。地獄にはホモのエライ人とか居るし、そう言う人は悔いとか無いんで結構堂々としてるよ」
「地獄の底でも、心さえ確かなら、別に天国と変わらないのか……」
「心の置き所って面白いよね」
パアッと水平線の向こうで眩しい光が差した。
「おっと夜明けだ、もう、帰れー。あとで一緒に登校しようぜ」
「ど、どこに帰れば?」
「帰りたい所に飛べば帰れるっしょ」
ガルガリンが手を開いて、空中に僕を放った。
僕は朝の光の方に目がけて飛んだ。
ドン。と衝撃があって、床が見えた。
ベットから落ちたらしい。
……へんな夢をみたな。
朝ご飯を食べて、さあ登校……。
僕は家を出て、大回りして、学校の裏の三百階段から登校する事にした。
丘を一回りするので、かなり遠いけど、孤高の登校を守るためなのでしかたがない。
「ありゃ、吉田、なんでこっちから?」
「いろいろな理由で」
途中で会った斎藤と、エロイ話で盛り上がりながら一緒に登校した。
教室に入って机に鞄を置いて、ふう平和平和と平和を満喫していると、どたどたどたと廊下で足音がして、
「よしだーっ!!」
「吉田くんっ!!」
と、馬鹿二人が元気に登校してきた。
くそ、気がつくの早いよ。
「おはようー」
「明け方一緒に登校しようって約束しただろっ!」
「な、なんの話だ?」
夢で約束したとか言わないだろうな。
「明け方!! そ、そんなあ、ガーン」
「アストラル界で、よしだがぱたぱた飛んでてさあ」
「えー、吉田くんすっごいよう」
「というか、おまえら何でこんなに早く……」
「ミニスカポリスの格好をした変な人が教えてくれたんだ」
「ぼそぼそっと、吉田少年は別の道で登校してしまったぞ、とか言ってた」
魔女さんめー。
というか、ミニスカポリス……。見たかった……。
「おはよう、みなの衆」
石川が入ってきたらクラスがシンと黙り込んだ。
「石川くん、つるっぱげ」
「僧侶かっ! ホトケの道に入ったのかっ!」
石川が頭をつるりんと丸めていた。
「こういうのは形から入らないとな。文平和尚、おはようございます」
石川は合掌して僕を拝んだ。
「か、改心しすぎだ」
「それだけじゃねえぜ、俺は昨日徹夜して、仏法を勉強した! 法然も、親鸞も、蓮如もすげえっ!! 漢だぜ、やつらはっ! 織田信長にたてつくとは、漢の中の漢立ちだっ。俺は感動したぜ、文平和尚」
「和尚はやめろー」
石川は誇らしげに、『仏教コミックス親鸞の生涯 』を僕に差し出した。
「俺もあの人たちみたいに、南無阿弥陀仏を唱えて一向一揆をするぜ!!」
せんでええ、せんでええ。
石川はくるりとクラスメイトの方へ向いた。
「今日、ここに宣言する、俺はレビィ派を抜け、吉田が率いる阿弥陀派に入るっ!!」
登校してきたクラスメイトが、うおおおとどよめいた。
「アミダ派?」
「えー、仏の派閥~?」
「そうだ、仏の派閥だ、南無阿弥陀仏を唱えれば極楽往生間違いなしだ! いいか、お前ら、天使が居る」
とそう言って、石川はガルガリンを指した。
「そして、悪魔もいる」
レビアタンを指した。
「ということはだ、仏も実在するんだ。よく考えてみろ、天使と一緒に天国いくのは戒律がきつくて大変だ、悪魔は現世で色々楽しませてくれそうだが、死後は地獄行きだ。だが、阿弥陀様はその慈悲で、南無阿弥陀仏を唱えた奴を漏れなく西方浄土へ連れていってくれるんだ! すばらしいディスカウント! すばらしい御利益だ! さあ、今すぐ南無阿弥陀仏を唱え仏に帰依しろっ!」
石川、お前、意外にアジテーション上手いな。
ガルガリンがわははと笑い出した。
「石川、惜しいねっ! だが、これは番を張る競争なんだよ、君がレビィ派を抜けたから、数の均衡が崩れた。このクラスの番長は、ボク、ガルガ……」
「ちょっとまった~」
胡桃が立ち上がった。
「私、阿弥陀派、というか、うち禅宗なんで、仏派にはいりまーす」
「な、なんでっ! 胡桃、行っちゃうの?」
「ごめんねえ、ガルガ、私、西洋の神様あんまり好きじゃないの」
「神様を裏切るのっ!! 結城さんっ!! あなたはユダになると言うのっ!!」
讃岐広美が凄い勢いで怒鳴った。
「広美ちゃん、ごめんねえ」
「ほおー。これで、19人対19人対3人だ~」
胡桃がすたすたと僕の席の方に歩いてきた。
「ああ、解ってるぜ、芳城、俺にはお前の気持ちが良くわかる。お前は吉田が好きなんだな」
石川のアホな言葉に、ビキッと、音がするような感じに、胡桃の表情が凍り付いた。
うわー、鉄仮面モードだ。
「見てれば解るって、ずっと芳城は……、ぐあああっ!! ちょ、ちょ、痛っ!! ギブギブ」
胡桃は無表情に石川の顔にアイアンクローをかましていた。
「うぎゃあっ! いたいいたい、女の力じゃねえっ!! うそうそ、ギブギブ」
「今度ふざけた事いったら、殺すからね……」
「ご、ごめんなさい……」
石川は頭を下げた。
胡桃は仮面のように無表情だった。
「しかし、なんでまた、ガルガを番長にするんじゃなかったのか?」
胡桃が僕の耳に顔を寄せた。
「広美がヤバイのよ。ガルガ派がクラスを牛耳ったら、文平と馬鹿石川は凄いイジメにあうところだったわよ」
「マジ?」
「昨日の夜、裏で連絡が走ってたの、ヨブに鉄槌を食らわそうって」
「うへえ」
讃岐広美の方を見たら、こちらを蛇のような目で睨んでいた。
「仏派は、誰が番長になるの? 吉田くん?」
レビアタンが嬉しそうに聞いてきた。
「え、僕やだよ、石川がやれよ」
「何を言ってるんだ、文平和尚。お前が法然なら、俺は親鸞。お前が親鸞なら、俺は蓮如。どこまでも俺はお前に師事し、ついていくぜ!」
「じゃあ、胡桃が」
「残念ね、禅宗は小乗仏教なんで、他人様の救済なんて眼中ないのよ」
「いや、僕も眼中ないけど」
「いいからっ。仏派の番長候補は吉田文平です」
うおお、ヨブー! と歓声が上がった。
「じゃあ、よしだの演説を聴かせてよ、クラスをどうしたいかって」
「んー、普通」
「立って、ちゃんと演説しなさい」
僕はしぶしぶ立った。
「えー、ご紹介にあずかりました、吉田文平です……」
えー、何言えばいいんだ。
「えー、僕の目指すクラスは、そのー、普通です」
普通か。
そうだなあ……。
僕はレビアタンを見た。
そしてガルガリンを見た。
「僕は普通が良いと思います。天界から来た天使の子も、魔界から来た悪魔の子も、楽しかったり、嬉しかったり、悲しかったり、迷ったり、そんな普通の女子中学生として、生活して、一緒に考えたり、遊んだり、勉強したりして行くクラスが良いと思います。
クラスには色々な人がいて、色々な考え方があると思うんです。でも、そういう違いを簡単に排除したり、むりやり変えたりせずに、緩やかに、普通にとけ込めて、楽しい一年がすごせるクラスが、僕の理想です」
クラスはシンとなった。
はいはい、きれい事で白けましたね。
……と思ったら、みんな立ち上がって万雷の拍手をくれた。
な、なんだ、おまえら、騙されやすすぎだっ!
「すげえぜ、さすが文平和尚だ!」
石川が拍手をしながら、笑った。
「なかなかじゃない」
胡桃が笑った。
そうかい?
天使と悪魔の輪舞 ~学校に天使と悪魔が転校してきてなんだか張り合っているんだけど、僕を挟んで勝負をされると困るんですけど~ 川獺右端 @kawauso
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