第十二話 天使が誘惑してくるんですけど

 トイレからダッシュして、僕は孤高の男としての誇りをゲットした。

 いや、単に屋上に駆け上がっただけだけどさ。

 屋上にはベンチがあって、各学年のカップルなんかがいちゃついていた。

 僕はお気に入りの一畳ぐらいのコンクリートの出っ張りの上に陣取って、空を見上げ、ゆく雲を目で追う。

 友だちとわあわあしゃべるのも好きなんだけど、ときどき息がつまるような感じがして、たまにここで空をみる。

 金網に囲われた青い空は、僕たちを捉えた生け簀にも見える。


 下を見れば、信者をぞろぞろと引き連れたガルガリンが渡り廊下を図書室に向けて歩いていく姿がみえ、校庭にみんなと駆け出していくレビアタンが見えた。

 キャラ的には逆な感じなんだが、派閥に集まってきた生徒たちの集まりの色が、天使と悪魔の行動を決めているようだ。

 そう、どんなに力が強く、可愛く、性格が良くても、沢山あつまった人の圧力には敵わない。

 人の集団というものは時に、天使よりも正しく、悪魔よりも猛悪になることもある。

 その力に抗うのは、馬鹿としか言うほかはあるまい。

 ぼんやりと雲を見ながら、僕はそんな事を考えている。


 日が当たって温かいというか、ちょっと暑い。

 ふと、目を開けて、隣の校舎を見ると、窓の向こうにガルガリンの金髪頭が見えた。

 図書室だなあそこは。

 窓の向こうのガルガリンはむっとした顔でなんか言うと、いきなりセーラーの上着を脱ぎだした。

 なにやってんだ、あいつは。

 セーラー服を脱ぐと、下は真っ白なスリップで、ブラジャーも見えた。

 信者の女の子が口に手を当てて驚愕していた。

 僕も遠くから口に手を当てて驚愕した。

 ガルガリンは窓を乱暴に開けると、そこから飛び降りた。


「うわあっ!」


 と思わず声がでて、金網に手を付いてしまった。

 落ちながらガルガリンはこちらをみて、ニヤっと笑った。

 背中から鈍色の大きな羽が生えていた。

 ばさりと羽ばたくと、上半身スリップ姿のはしたない格好の天使が、僕の方に向かって上昇してきた。

 鈍い銀色の大きな翼は光を反射してキラキラ輝き、幻想的で凄く綺麗で、僕のような不信心者も、うはあと溜息をついてしまうほどの光景だった。


「みつけたぞ、よしだ、かんねんしてボクと遊ぶんだ」


 ガルガリンは屋上の金網の天辺に乗り、仁王立ちをして、そう宣言した。

 うへえ。

 屋上のカップルやら、ひなたぼっこ同好会の人々が、いきなり現れた、とんでもない格好の天使を見て恐れおののいた。


「て、天使よ」

「うわあ、綺麗~」

「お、降りてこい、馬鹿者」


 僕は声をかけ、手を差し出した。

 ガルガリンはフェンスから跳びあがり、はたはたと羽ばたき、ふんわり降りてきて、僕の手を優雅に取った。

 至近距離で見るガルガリンのスリップ姿は、もーなんといますか、その、肌の色が白くて鎖骨鎖骨、羽、という感じで頬が熱くなった。おっぱいはブラジャーが可哀想なぐらい無いな。ほとんど脹らんでいない。


「なんて格好なんだ」

「羽は実体なんで、上を脱がないとだめなんだ」


 そういってガルガリンはくるりと回った。

 肩胛骨の上辺りから、鈍色の羽が生えていて、光を反射してきらめき、風が僕の頬を撫でた。

 背中がすべすべで綺麗だなあ。


「は、恥ずかしくは無いのかよ」

「大丈夫だ、ボクはおっぱいが無いから性的なアピールがない! したがって、別に上半身裸でもなんら問題はないんだよ!」


 無いわけあるかー。


「よ、世の中には、その、ふくらんでないおっぱいを愛好する男性も、多々あってだな。そのような格好はとうぜん問題大ありなのだよ」


 屋上に居た、何割かの男子生徒が、拳を握りしめ、その通りだと言うかのように、赤面しながらうんうんと固く頷いていた。


「それは、変態だ。変態は天使に関係ないからボクはしらない。レビィにでもくれてやるよ」

「いいから……」

「うん?」

「服きろよっ! おまえっ!!」


 ああ、と笑って、ガルガリンは、羽をたたみ、もそもそと上着をつけた。


「これでいい?」


 ふう、なんか大汗をかいたよ。


「よしだって、おっぱい無い方が好きな、変態?」


 なんだか、凄く嬉しそうに赤面してガルガリンが聞いてきやがるのであった。


「牛のような巨大な乳房が大好き」

「だめだなあ、セックスアピールのある女体が好きだと天国にはいけないぞ、悔い改めるんだ」

「ほっといてくれ」


 ガルガリンは当然のように、よいしょっと言って、僕の隣りに座り込んだ。


「信者さんたちを放っておいて良いのか?」

「いいんだよ、放課後、教会でお喋りするから。それに身のある話しないしさ」

「しないの?」

「そー、自分がどんなに神様が好きかとか、天使様に会えて光栄で死んでしまいそうとか、神聖なる乙女のお話は清浄だけどワンパターンでつまんないよ」

「天使なんだから我慢しろよ」

「よしだとの会話の方が意外性があって面白いよ。ボクはよしだが好きだな」


 そう言うとガルガリンはにっこりと邪気が無い感じに微笑んだ。

 こいつめーーーー。

 僕は胸の奥がモキモキして、なんだか、色んな意味で困った。


「なんで、天使の癖に女性なんだ? 天使は無性じゃないのか?」

「いや、便利そうだから今回は女性だよ。どっちにでもなれるんだよ。日本各地を旅行してた頃は男性型だったよ」

「便利そう?」

「うん、思春期の少年よりも、思春期の少女の方が綺麗だし、みんなに愛されやすいかなって」


 さばさばと白状する奴だなあ。というか、そう言うことを気にしてないのか。


「ほいほい化けれるの?」

「ええい、狸や狐ではあるまいし、化けてるのではないよ。受肉といって、物質的変化だから、一週間ぐらい掛けて変身するんだよ」

「変な生き物だ」

「天使は生き物じゃないよ。ふわー、ここ良いねえ、あったかい」


 そういうと、ガルガリンはコンクリートの出っ張りの上に寝ころんで伸び上がって、目を閉じた。

 金髪が夏風を受けてふわふわと揺れていた。

 ほんとにもう、中世の天才絵師の油絵にでてきそうなぐらい綺麗だよなあ、こいつ。

 ガルガリンは薄く目を開いて、探るように手を動かして僕の手を取って、握った。

 細くて冷たい手だった。

 邪険にふりはらおうと思ったのだけど、なんか、それもなんだなあと思い返し、握り返したり。


「よしだの手あったかい」

「ガルガの手はちいさいな」


 なんだか、困った。ヤバイ。というか、へんな雰囲気にのまれている。

 手を振り払えなかったのが敗因のようで、なんだか、凄く、胸の奥でロマンチックが停まらないといいますかですね。この、初めての異性の肉体接触といいますか、その、どきまぎするような感じで、いやその、お困り様であるんです。

 ガルガリンの指がさわさわと僕の手を愛撫する感じで、ちえ、このアマ、薄く開いた目が笑ってやがると言いますか。僕は手を取られて途方にくれて、その、空を見上げたりしまして。


「思春期の女の子の体は面白いなあ。好きな人と手をつなぐだけで、こんなにもボクは幸福で一杯だよ……」


 小声で笑いを含んだ感じに言われて、幸福感ですか、そんなものはさっきから異様にむくむくと湧きだしておりまして、つうか、レビアタンでも割り込んでこの甘酸っぱくていたたまれない雰囲気をとっとと壊してくれないかというような、反作用な気持ちも湧いて来たりする今日この頃だったりしちゃったり。


「よっと」


 と言って、ガルガリンは起きあがり、僕の方へしなだれかかって、肩に小さいあごを乗せたりしてですね。その腕にしなやかな体の感触が伝わっていまして。


「て、天使がそんな、よ、よいのか?」

「いいんだ。仲良しなのは神のご意志だ。悪いことじゃないよ……」


 などと、耳に吐息のような小声をささやかれたりして。いやいや、ちょっと困りましたねえ。どうですか奥さん、という感じで、赤々とした灼熱な塊が胸の奥からどっきんどっきんとどんどん最接近してきて。というか、体をすりつけるなっ!


「いいよね、心地よい感じ」

「に、肉欲は罪ではないのか」

「肉欲は罪だけど、愛はおしみなく、だよ……」


 と、そこへ予鈴がなった。


「あ、予鈴だ予鈴だ、さあ、教室にもどらなければ」


 僕はコンクリートの出っ張りから、ぴょんと勢いをつけて飛び降りた。


「んんー、なんだよ、いくじなし」

「だまれ、エロ天使」

「エロじゃないよ、愛だよ愛っ!」


 僕は逃げるように、屋上から立ち去った。


「むー、体からガルガちゃんの匂いがする。なんかエロスあふれる事した~」


 鼻が効くな、悪魔なのに。


「し、してません」

「身を寄せ合って慰めあったんだ」

「この、泥棒猫っ!」


 なんでレビアタンは泥棒猫と言うときに、ちょっと嬉しそうなのだろうか。

 泥棒猫と言うのが楽しいだけか?


「中学生は性行為しちゃいけないんだよ、法律違反だよ」

「あれ、そうなの? 結婚まで純潔を守るのか、すばらしい法律だなあ」

「得意技の半分が禁止されたみたいだよう、困ってるの」


 レビアタンは、そんな攻撃を僕に仕掛けようとしていたのかよ。


「ふふーん、昼休みの間に大分点数稼いだよ、もう、よしだはボクにメロメロなのさ」

「そんなでもありません」

「くやし~~。きーー」


 ハンカチを噛むな、どこのドラマ女優だ、おまえは。

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