第九話 阿弥陀仏と僕

 夜、である。

 僕はベットの中である。

 今日一日とてつもないことが津波のように押し寄せてきたので、なかなか寝付けない。

 さっきまで靖子の部屋からピコピコと大戦略のBGMが微かに流れていたのだが、それももう消えた。

 どこか遠くの方で、トロットロ、トロットロと電車が走る音が聞こえる。

 僕がベットで横になってるのに、あの電車は横浜を超え、小田原を超え、大阪に向かって走っていくのだな。

 なんとなく不思議な感じ。

 開けた窓から、風が入ってきて心地良い。

 蚊取り線香の匂いが、もうすぐ夏なんだと、季節の移り変わりを僕に知らせてくれる。

 体が重くなるような感じがして、僕は眠りについた。


 ……。


 あたりは真っ白な世界だった。

 ドーム状の洞窟? 天井は見えないぐらい高い。

 声を出してみる。

 わんわんわんと反響する。

 うわ、とてもうるさい。

 気がつくと、なんだかとても大きい存在が、僕の横にいて、見下ろしていた。


『吉田文平よ』


 深い響く声は、わんわんと反響していた。

 うわ、阿弥陀様だ。と僕は即座に理解し、床に正座して、頭を下げた。


『直答をさしゆるす。面をあげよ』

「ははーっ!」


 頭を上げると、阿弥陀様が立って、僕を見下ろしていた。

 ものすごく大きい、神々しい。

 辺りにはお香の香りとお花の匂いがただよい、乳白色の霧がふわふわと舞っていた。

 微かに笛の音、鐘の音、琴の音のような物。僅かな音が絡み合って音楽を作り上げていた。


『人間の世界は、須弥山を囲む三千大世界の小さな一つである』


 あ、あれ? 神様が天界、人界、魔界を作ったんじゃないの?


『誰が作ったのでもない、それは自然になされ、調和している』


 あ、考え読まれてる。


『我は汝、汝は我でもあるから、なんの不思議も無い』

「そ、そうですか、深いですね」

『吉田文平には、まだ少し難しいかもしれぬな』


 阿弥陀様はやわらかくお笑いになられた。


『人間界の行く手に暗雲が立ちこめている、もうすぐ大嵐が来るであろう』

「あの、天使と悪魔ですか?」

『かの者たちの降臨も、また兆し』


 あいつらが大嵐じゃないのか?


『大乱による次元の崩壊を食い止めるため、我は吉田文平に力を授けよう』

「力、ですかっ!」

『さよう、人が仏になる階層の途中で身につける六つの力がある。それを特別に吉田文平にさずけよう』

「六つの力!」

『六つと言っても、この時代になると、五つの力の効力はない』


 な、なんか損した気分だな。


『神足通や天眼通などは、人の科学で置き換えられている。遠くに行きたいなら飛行場で切符を買うがよい。遠くを見たいなら望遠鏡やネットカメラを使うが良い』

「はあ、そうですか」


 いや、透視能力とかは、無料で使い放題だから良いのではないかなあ。

 阿弥陀様は、ふわりやさしくお笑いになられた。


『仏になる時に付録で付く能力なれば、元よりさほど大した能力ではない。だが、一つ、漏尽通ろじんつうだけは今でも効果が減ることなく、科学でも置き換えが出来ない能力である』


 阿弥陀様が大きな手を僕にかざした。

 手の平から、青く光る凡字のような物が回転しながら僕の方へ下りてきた。

 僕は両手でそれを受け止めた。

 すごい、青い、綺麗な、光だった。

 光の粉が僕の手の平からあふれて辺りに飛び散った。


「これはどういう能力なのですか?」

『煩悩の汚れが無くなった事を確認する能力である』

「……はい?」

『どう使うかは、おのずと解ろう。では私は西方浄土へ戻るとしよう』

「ははぁっ!!」


 僕は床に土下座をした。

 なんだか解らないけど、ありがたくて凄い物を貰った気がした。

 これで、レビアタンとガルガリンに勝てる気が、どんどんしてきた。


『勝てはせぬ』


 阿弥陀様が雲に乗って遠ざかりながら、笑いをふくんだお声で言った。

 辺りが光に包まれた。

 真っ白で眩しい光。

 ああ、なんだか、凄く眩しい。

 あみださま~~。


 小鳥の声がしていた。

 初夏の朝日がカーテンの隙間から、僕の顔の左側に当たって、ちょっと熱い。

 手を見た。

 特に何もない。

 夢だったのか。


 なんだか、すごい神々しいが、馬鹿っぽい夢だった。

 昨日、天使と悪魔が大暴れしたから、あんな夢を見たのかもしれないな。


 僕は着替えをして、階段を降りた。

 台所では、お母さんと靖子が忙しそうに立ち働いていた。


「あ、お兄ちゃん、卵とソーセージは幾つ?」

「卵を一つ、ソーセージ二本」

「わかりました、フライパンに卵を一つ、ソーセージを二つスタックします」

「許可する」


 オーブントースターがチンと言ったので、中できつね色になったパンを出した。

 お父さんの前の皿の上にパンを置くと、新聞の影からお父さんが「ありがとう」と言った。


「文ちゃん、パンを入れてね」

「わかった」


 ビニール袋の中からパンを二枚出して、オーブントースターに入れた。

 お母さんはガスコンロの下のオーブンから、焼けたパンを四枚出してきた。


「靖ちゃん、文ちゃん先にたべなさい」

「はーい」

「わかった」


 きつね色に焼けたパンにバターを塗って、もそもそと食べていると、卵焼きとソーセージが出来て、お母さんが僕の前に運んでくれた。

 トースト、目玉焼き、ソーセージ、ポタージュスープ、昨日の残りのサラダ、が、吉田家の今日の朝食であった。

 ポタージュはお母さんの手作りで、こくがあって美味しい。


「ごちそうさま」


 僕は立ち上がり、二階に行って鞄を取って来た。

 もう、良い時間だな。


「文ちゃん、あまり悪魔ちゃんと仲良くしないのよ」

「大丈夫、天使とも仲良くしないから」

「気をつけてね」

「心配しすぎ」


 行ってきます、と言って、僕は家を出た。

 今日は快晴で気分のいい朝だ。


 右翼さんのお屋敷近くに来ると、黒い高級車が門を出てくるのが見えた。

 僕はさっと物陰に隠れた。

 しめしめ、レビアタンは車で通学か、朝っぱらからまとわりつかれると面倒だからなあ。

 車が行ってしまったのを確認して、僕は歩き出した。

 あー、一人っていいなあ。ガルガリンも先に行ってないかなあ。


 教会の近くまで来ると、門の前でガルガリンがきょろきょろしながら待ち構えて居るのが見えた。


 道を変えよう。


 ちょっと大回りになるが、裏門から入る道ならば、教会の前を通り過ぎなくてすむ。

 僕が振り返ると、ダダダと足音がした。

 うわ、馬鹿天使に見つかった。

 と、思った瞬間、肩に衝撃が走った。


「よしだーーっ!!」


 ガルガリンが飛び蹴りを僕に食らわせていた。


「貴様っ!! 中学二年生のお小遣いは一ヶ月五千円なんだぞっ!! シスターになんて事を勧めるんだお前はっ!!」


 涙目になったガルガリンが、路上にひっくり返った僕に馬乗りになってぽかぽか叩いていた。


「こんなはした金で、中学生は毎月どうやって生活してるんだっ!」

「日本の中学生のお小遣いはそんな物だ、僕は四千円だ」

「あんまりだ、クレジットカードも取り上げられたんだぞ」


 どうやら、ガルガリンは、シスターにお金を中学生らしく制限されたようだ。


「現世の汚泥の中でのたうち回るのもいとわないのではないのか」

「汚れるのは良いけど、貧乏はいやだ、これでは一日160円しか使えないじゃないか」

「僕の上から下りろ、浪費天使め」


 ガルガリンはふくれっ面をして僕の上から下りた。


「こんな貧相な財政では、飲みにもいけないよっ!」

「日本では未成年者の飲酒は法律で禁じられている」


「あれぇぇ……?」


 ガルガリンが僕の方をじっと見ていた。


「なんだよ」


 目を見開いて、僕を注視している。

 なんだなんだ?


「……な、なんで、よしだは一晩で神格が上がってるんだ?」


 ガルガリンが引きつりながら言った。


「神格ってなに?」

「神様の番付みたいなもの。レビアタンを十としたら、ボクは七、昨日のよしだは一」

「レビアタンの方がお前より上?」

「あったりまえだよ、ボクは上位の下だけど、レビィは上から七位以内だもん」

「あの女は、そんなに偉い悪魔だったのか」


 ぜんぜんそうは見えない。


「まあ、悪魔の階級だから、天使の上位下と同格とボクは思ってるけど、内包する魔力はやっぱりレビィの方が大きいね」

「そうなのか」

「でさ、今日のよしだは神格が、三ぐらいに上がってる。どうしたの?」

 ……。


 あみださま?

 なんか、不思議な力?

 僕はじっと手を見つめたのであった。


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