第46話 ●

 


 上長の執務室へと向かっていると、向かいから見覚えのある男が歩いてきた。

 少し神経質そうな、線が細い印象の男。


「……あ!」


 どこで見た顔だったか思い出した俺は、思わず声を上げてしまった。


 男は一度俺のほうへ視線をよこすが、すぐにまっすぐ前を向く。

 相手は俺を覚えていないのか、俺には興味がなさそうだった。

 立ち止まった俺に対して、気に留めた様子もなく通り過ぎていく。


「なあ、ちょっと待ってくれ」

「……何か?」


 眉根を寄せて振り返られ、俺が気軽に話しかけていい相手ではないことにようやく気づいた。


(こいつ、貴族なのか……)


「失礼しました。非礼をお許しください……」

「それで、なんですか?」

「少し前に城の裏の森でお会いしませんでしたか?」

「ええ。会いましたね」

「……あなたは卸売業者なんですよね?」

「本業ではありませんが、定期的に。ちょうど昨日も出来上がった薬を引き取りに行きました。ついでに陛下宛ての手紙を託されましたので、お届けに上がった次第です」

「は?あんたに手紙を?」

「ええ。何やら急ぎの伝達があるとかで。ちょうど私が行った日だったので、託されました」


(今日俺が行く予定なのに昨日こいつに託すって。それほどの急ぎだったのか?正式な伝令係は俺なのに。この男は、ルーナにとってそんなに信用に足る男なのか……?)


 男と目が合えば、フッと笑われた。

 心の奥底から湧き上がってくる嫉妬心が顔に出ていたらしい。


「心配ご無用。あのお方と私は、あなたが気にされているような関係ではありませんよ。私はあの方の末裔ですから」

「末裔?」


 俺が聞き返せば、相手はハタと不思議そうな顔になる。


「あの方が悠久の時を過ごされていることは、伝令係ならご存知では?」

「それは、知ってます」

「あのお方は、コートリング公爵家の出です。ですから、末裔と申しました」

「公爵家……。ル――あ、いや。彼女もあなたも、今を生きているし、あなたのほうが彼女より年上に見えるので。末裔と言われると、なんとも不思議で」

「そう言われましても、事実ですから。正確に言えば、私はあの方の弟の末裔ですが」

「そうですか」


 ルーナが大昔から生きているということが、不思議に思えてきた。

 俺には想像もつかないほどの年月を一人で過ごしてきたのか。

 それなら、心を通わせた相手に先立たれる悲しみや残される寂しさが嫌で、自分の気持ちに素直にならない理由も理解できる気がした。


(ルーナは貴族だったのか。……貴族出身の魔女っているんだな。三百年前の貴族っていったら、多分政略結婚だろうし結婚の年齢も早い――もしかして、ルーナは既に結婚してる?夫に先立たれたのか?いや、ますますわからない)


 ルーナの末裔だという男は、俺が黙ると踵を返す。


「あ、待ってください」

「まだ何か?」

「……彼女、過去に好いた男がいたようなんですが、知ってますか?結婚していたのか……とか。あと、呪いをかけられたから死ねないと聞いたけど、それって?何か知ってることがあれば教えてほしい」

「あの方の心の中には昔から変わらず、お一方しかいないはずです。ずっとただ一人を想い続け、苦しんでおられる。今も」

「え……今も…………?」

「私は、他にもあなたが知らないような情報も知っています。代々我が家に伝わっている話がありますし、代々の当主がこれまであの方をサポートし続けてきましたので」

「それ、聞かせ――」

「ですが、あなたに話す義理はない。失礼しますよ。これでも忙しいので」


(俺のことを好いてくれていると思ったのは勘違いだったのか?)


 俺は暫く廊下に立ち尽くしていた。

 ぐるぐると考えても答えは出ず。本人にはっきり聞こうと思った。

 ちょうど今日は伝令係の定期訪問の日だ。

 上官から伝令を受け取って、さっさと会いに行こう。そう思ったのに――――





「は?今、なんて…………?」

「だから、リベリオには伝令係の任から降りてもらうことになった」

「なぜですか!?」

「直ぐに貸与品を返却しろ」


 上官は俺の質問には答えず、こちらに手を出してくる。

 伝令係に貸与されるペンダント型の方位磁石を今すぐ返却しろというのだろう。


 ルーナの館には何度も行っているが、城の裏の森は方向感覚が狂いやすい。

 正直この方位磁石がないと館にたどり着ける自信がない。これを返せば、二度と会えない可能性がある。


 上官が差し出した手を上下させ催促してくる。

 渋々ポケットから方位磁石を取り出した。

 だが、渡したくなくて握り込むと、鎖同士がこすれた音がする。


「早く渡せ」

「理由を教えてください。じゃないと、俺……」

「…………」

「俺はまだ任期を終えていません。当面の任期は一年間だと以前仰っていたじゃないですか。理由もわからないのに、任期の途中で辞めるなんて。そんな無責任なことはできません!」


 上官は「はぁ……」と息を吐いて、催促していた手を下ろした。


「陛下の元に、かのお方から伝令係の変更を求める書簡が届いたのだ」

「え?伝令係は俺です。どうやって彼女からの手紙が?」

「伝令係の他にもう一方、かのお方の元に出入りしている者がいる」


 俺は絶句した。

 ついさっき話したばかりの、ルーナの末裔だという貴族との会話が思い出される。

 ルーナから頼まれたというのが、まさか俺の解任要求とは……。


 多少強引に自分の考えを押しつけようとしたから、もう会いたくないと思われてしまったのだろう。


「……せめてもう一度!チャンスをください!このままでは俺っ――」

「残念だが、陛下が判断された決定事項だ。かの方からの書簡には、お前は悪くないと書かれていたそうで、処罰はなしだ。温情に感謝するんだな」


 手に力が入らなく、ペンダントの鎖がだらりと垂れた。

 上官に鎖を引っ張られ、俺の手から方位磁石が離れていった。


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