第39話 ●


 雲が月を隠した薄暗い夜道を帰る。

 今日は軍部の訓練所にある小屋で火事が発生した。

 上官の付き添いで街の巡回から夕方に戻ると、火事の後始末に駆り出された。

 おかげでいつもなら寝る時間に帰宅している。

 きっと長女――俺の三つ下の妹が代わりに夕飯を作って食べさせ、弟妹たちを寝かしつけているだろう。


(腹減った……。でも、あいつ料理下手なんだよな……)


 家に帰ってもご飯が美味しくないと思うと、足が重くなる。

 ご飯があるだけ感謝すべきなのはわかっているが、できればうまいものが食べたい……。


「……ただいま。あー、疲れた」

「おかえり。遅かったね、お兄ちゃん――って、何!?汚い!真っ黒!」

「これは煤汚れ。軍部で火事がおきて、その後片付けを手伝わされたりしたんだ」

「あ!それで、もしかして今日……。ふぅん?なぁんだ!お兄ちゃんも案外隅に置けないね!」


 妹が急にニヤニヤしだした。


「なんだよ?」

「今日、可愛い人が慌てた様子でうちを訪ねてきたらしいの。『火事が』とか『無事なの?』って焦ってたって、チビたちが言ってた。お兄ちゃんのことを心配してうちまで来てくれたんだね!彼女?やっぱりあのネックレスはプレゼントとして見ていたんじゃないの?」

「はあ?間違えたんじゃねぇの?」

「え?彼女じゃないの?」

「いないし……。どんな女だったか言ってたか?」

「髪の長い綺麗な人だって」

「んー?」

「あー、でも人違いかも。チビたちが月の女神様みたいな人だったって言ってたもん。そんな人、お兄ちゃんの彼女なわけないよね!」

「おいっ」


 まさかルーナか?と思ったが、彼女に家は教えたことがない。

 一人であまり街に出ないようにしているルーナが、ここまで来るとも思えない。

 下の弟妹が対応したらしいが、二人はまだ小さいし、きっと何かの間違いだ。



 ◇



 ピチチと小鳥の声がする清々しい朝だというのに、森の中は相変わらず薄暗い。

 森を抜け、いつもの澄んだ空気が漂う空間に足を踏み入れる。

 途端、ルーナが庭先で手を握りしめたままこちらを見て立っているのが見えた。

 いつものように手を挙げると、ルーナがこちらに向かって走り出す。


「おう。今日も大歓迎って感じだな!」


 近くまで来たルーナに、いつものように「わはは」と笑いながら言えば、くしゃりと表情を歪めた。


「無事だったのね。良かった……」

「ん?あぁ。もしかして、昨日家に来たのはルーナか?」


 ルーナは激しく目を泳がせた。


(この反応はアタリだな)


「家、どうやって知ったんだ?」

「……道行く人に聞いた。家に行ったけど、帰ってない、わからないと弟さんや妹さんに言われて。心配したわ……」

「そっか。心配かけたな。でも俺は大丈夫だ。後片付けを手伝わされただけ。でも、負傷者が案外多くて、こうして予定外に早朝から伝令に遣わされたってわけだ」


 俯き加減になっているルーナの頭をぐりぐり撫でると、「無事でよかった」との呟きが聞こえてくる。

 ぽんぽんと慰めるように軽く叩けば、顔を上げた。

 だが、上目遣いになったルーナの瞳は少し潤んでいて、どきっとした。


(この感じ……。家まで来たっていうのもそうだし……俺のことが好き、だよな?)


 なんとなく二人の間にそわそわとした空気が流れた。


「あ、そうだ!伝令!火事で火傷した人がたくさんいるんでしょ!?見せて」

「あ、ああ。これ」


 ルーナはすぐに目を通して顔を曇らせる。

「こんなに……」と呟いた顔からは、先ほどまでの浮つきは一切なくなった。


「依頼の量には足りないけど、少し作っておいたの。今から帰っても暗くなる前にお城に着くから今日はこのまますぐに薬を持って帰ってもらえる?」

「それはもちろん構わないが。そういえば、なんで火事のこと知ってたんだ?」

「聞いたから」

「誰に?――あ。もしかして、あの男か……」


 ダイニングテーブルの上には、たくさんの薬が並べられていた。


「こんなに作ったのか?昨日の今日で」

「うん。念のため多めに作ったつもりだったけど、これでも足りなかったみたい」

「あー。火元の隣にあった小屋にも延焼して、消火活動中に崩れて柱や壁の下敷きになったやつが結構いたんだよ。全員助け出されたが」

「そっか。だから火傷の軟膏や傷薬がこんなに必要なんだ。でもどうしてそんな火事に……」

「訓練所の端にある小屋で貴族の坊ちゃんたちがサボってパイプをふかしていたらしい。そこに上官が近くを通ったもんだから、慌てて去っていったんだが、火種を落としていたんだな。資料保管庫で、あっという間に燃えたんだ。隣の小屋も折れた木剣や破れた旗なんかを一時保管している小屋で」

「そういうことだったの。それじゃあまだ足りないけど、ないよりはいいと思うから。これ、早く届けてあげて。何か入れる袋は……」


 袋を探しに行くルーナの後ろ姿を見送る。

 今日ここへ来たときの反応はなんだったのかと思うほど、すっかりいつも通りだった。



 袋がないと言いながら戻ってきたルーナの手には、シーツが。


「これ、客間のシーツなんだけど……これに包んだら、この量でも持って行けるよね?」

「大丈夫だ」


 ずっしりと重い荷物を背負ってから振り返る。


「薬は上の人に言ったらわかると思うから、よろしくね」

「任せろ。それじゃあ、また来週。定期伝令で来るからな」

「うん。気をつけて」


 いつもは玄関先まで出て見送ってくれるが、夜通し薬を作っていたらしく眠そうにダイニングテーブルに座ったまま手を振られた。

 だけど、ずっしりと重い荷物を背負っている俺の足取りは軽かった。


(ルーナが頑張って作ったんだから、早く持って行ってやらないとな)




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