第35話
世話係の代わりに朝食を持って部屋に入ってきたエルヴィンは、罪悪感を抱えて苦しんでいるような顔をしていた。
私の顔を見て、一層顔を歪めた。
きっと私は今、酷い顔をしている。
国王に決められた婚約だったけど、私はエルヴィンと結婚するのだと信じて疑わなかった。
目覚めてもまだ夢の中にいるような感覚で。二十年という月日に自分以外の全てが変わってしまった戸惑いはあったけど、変わらずエルヴィンとの未来を見ていた。
知らぬに絶たれていたエルヴィンとの未来があると信じていた。
朝方まで涙が止まらなかった。
だけど、朝日が昇ってきたら、少しだけ冷静になれた。
(第二王子から国王になったのだから。仕方がないこと……。――――二十年経っているというのに、あの子たちまだ幼かった。エルヴィンは目覚めると信じて待っていてくれたのかしら…………)
再び涙が溢れ出す。
エルヴィンが来るまで、私はずっと考え事をしていた。
「……ディアーナ、すまな――――」
「ねぇっ、エルヴィン。離宮はどうなっているの?」
私は詳細を彼の口から聞くのが嫌で、遮った。
努めて明るい声を出して。
世話係から昨日の私の様子は聞いているはず。
今日は必ず話があると思っていた。
だから先に、私が考えたことを伝えたい。
私が結婚とは関係ない話題を出したことに、戸惑った様子のエルヴィン。
逡巡して一度口を開きかけたけど、察したのか引き結ぶ。
少しだけ表情を和らげてから離宮の状況を教えてくれた。
私がいた離宮は今もある。
市井での聖女信仰はほぼ廃れたけど、魔物がいなくなったわけではない。
討伐隊もいるし、浄化のために聖女は離宮にいるそうだ。
ただ、不思議なことに一時期大量に出没していた魔物は、あれ以前と比べて減った。
魔物が減るのと同時に、以前よりも聖女の力を持っている女児が減っている――とエルヴィンが話す。
聖女と大層な名称が付けられているけれど、聖女とは人々の信仰心を集めて白魔法を使うための力へと変換する能力を持っている人のことをいう。
聖女への信仰は、すなわち魔物への恐怖心から助けを求めるもの。
そして、魔物の力の源は人々の恐怖心が生み出しているとされている。
人々が聖女の力を信じなくなったということは、魔物へ対抗する術を見つけ始めているのだろう。
そうして魔物が減ったことで、さらに自然と魔物への恐怖心が薄れていく――その結果、新たに生まれる魔物や聖女の力を持った娘が減ったのだろう。
私は、聖女として習ったことを思い出しながら、今後の身の振り方を考えていた。
「魔物がゼロになったわけではないのでしょ?」
「ああ。辺境や山間部では今でもたまに人里近くに現れると報告がある」
「……私、離宮に戻りたい」
「ディアーナ……」
エルヴィンはまた苦しそうな表情になってしまった。
だけど、あの子供たちの私へ向ける目を見てしまったら、ここにはいられない。
世話係が言うように、エルヴィンが愛しているのは私だけなら、なおさら……。
あの子たちの存在を知ってしまったのに、エルヴィンの側にいてはいけない。
知らぬ間に過ぎていた二十年という歳月。
王族というエルヴィンの立場。
致し方ないことだったと頭でわかっていても、心はやっぱり痛い。
愛されていると思えば思うほど、何故?どうして起きるまで待っていてくれなかったの?と苦しくなる。
このままここにいたら、私はいつかエルヴィンに言ってはいけない言葉をぶつけてしまう。
だけど、苦しいのは私だけじゃない。
エルヴィンはきっと私以上に罪悪感で苦しむ。いや、現に苦しんでいる。
せめて、私が目覚めなければ……。
数日後、私は離宮へと戻ることになった。
エルヴィンは見送ってくれる最後まで「私の側にいてほしい」と言ってくれた。
切なく苦しそうな表情をしながら。
「一人にしてすまない……」
「エルヴィン。一人じゃないわ。ソルがいるもの」
「だが……。せめて立場や時代が違えば……」
絞り出された声にエルヴィンの後悔が伝わってくる。
「ねぇ、笑って。私、エルヴィンが楽しそうに笑っているのが好きだったの。くだらないことで笑いあったじゃない」
「…………」
「……面白いこともないのに笑えないか…………。それじゃあね。身体には気をつけて。無理はしないで……元気で」
馬車が動き出すと、「ディアーナ!」と呼ばれた。
振り返ってみると、エルヴィンは昔と同じように綺麗に口角の上がった笑顔を浮かべていた。
しっかりとその顔を目に焼き付けたいのに、涙で見えなくなった。
◇
――――十数年、私は離宮を起点に粛々と祈祷や薬作りをし、その合間に浄化の旅を続けていた。
本当に私は年を取らないし、怪我をしても直ぐ治る体になったことをこの間に実感していた。
ある日、離宮に戻るとエルヴィンが儚くなったと報せを受けた。
急いで王城に戻ると、棺の中のエルヴィンは皺が刻まれていたが安らかな顔をしていた。
最後に彼の頬を撫でた私の手は、未だ大人になりきれていない少女のような手のまま。
とても同じ時代に生まれ、同じ時を生きたとは思えない手。
『愛する者と共に歳を重ねられない苦しみを知るがいい』
不老不死になった私は、黒き魔女の言葉を痛感した。
だけど、私は本当の苦しみにまだ気づいていなかった。
エルヴィンの魂を持って生まれてくる男性との出会いと別れを繰り返すことになる。
初めて生まれ変わったエルヴィンの魂と新たに出逢えたときは喜んだ。
長い人生、あんなに嬉しかったことはないと断言できるくらいに嬉しかった。
エルヴィンは『立場や時代が違えば』と後悔していたから、生まれ変わって会いに来てくれたのだと思った。
だけど、生まれ変わったエルヴィンはいつも私のことを覚えていない。
その寂しさたるや……。
それでも魂が惹かれるのか、彼の魂と出会うたび何度も恋をした。
そして、彼は何度も私を置いて逝ってしまう。
出会うたびに忘れられていることには少し慣れたけど、置いていかれる悲しさや寂しさには慣れることができない。
それが辛すぎて、いつしかエルヴィンの魂ともう出会いたくないと思うようになっていた。
それなのに、出会ってしまったらもう終わり――――
◇
目元に痛みが走って目が覚めた。
目を開けると、目の前にソルがいる。
ソルが私の目元を舐めていたから、痛かったようだ。
「泣いてたぞ」
「…………そっか」
いまさら昔の夢を見て泣くなんて。
(きっとあの香水瓶のせいね)
私が二十年間眠っている間に、離宮にあった私物が全てなくなっていた。
実家である公爵家に引き取られていたのだろう。
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