第26話
予定より一日遅れでエルヴィンが離宮に到着した。
嫌な胸騒ぎがしていた私にとって、この一日の遅れは気が気でない時間だった。
「エルヴィン!!」
「うわっ!?」
何かあったのでは?と気を揉んで長く感じる一日を過ごした私は、エルヴィンが馬車から降りた瞬間に飛びついた。
少年から逞しい青年へと変貌を遂げ始めているエルヴィンは、飛びついた私を難なく受け止める。
「ディアーナ!?今日は随分と熱烈だなぁ。嬉しいけど。それともこっちを待っていた?」
エルヴィンは胸ポケットから銀製の香水ボトルを取り出した。
目を奪われそうな美しい細工のボトルだったけど、やきもきしていた私に、お土産を喜ぶ余裕がこのときにはなかった。
「エルヴィンが無事に着いてほっとしているのよ」
「そうか。そんなに僕と会えたことが嬉しかったんだ?」
エルヴィンに指で目尻を拭われて、涙がこぼれそうになっていたことに気づいた。
無事に到着したことに安心し過ぎた。
「昨日到着予定と連絡があったのに着かなかったし、昨夜連絡したのに応答がなかったから。何かあったのかと思って……」
「あぁ、心配させてしまったね。ただの行程の遅れだったんだけど、通信装置が急に壊れてしまって。修理したいから道具を借りたいんだ」
理由を聞いてほっとした瞬間、私に総毛立つような寒気が走った。
何者かに見られているような気がして周囲を見渡す。
幾人か、こちらを見ていたエルヴィンの従者や警備の騎士と目が合ったけど、どれも私が感じた視線ではない。
「ディアーナ?どうかした?」
「…………ううん。早く入りましょう」
このとき、空高く鳥が飛んでいたことに気が付かなかった――――
◇
翌日、彼は例の黒き魔女の下へ向かった。
最小限の護衛だけ伴につけて。
どうしても嫌な予感がぬぐえず、私もついて行くと言ったけど、「これは僕が初めて任された大役なんだ。しっかりやるから大丈夫」と言われてしまい、引き下がるしかなかった。
「聖女様、討伐完了しました。浄化をお願いいたします」
「あ、はい」
エルヴィンが黒き魔女に会いに行っている間、私は私で聖女としての仕事をしていた。
気が気じゃなくてそわそわしていたけれど、今は自分の仕事に集中しなければ。
魔物を討伐した後、その場を浄化しなければまた魔物が湧きやすくなってしまう。
浄化の念を唱えながら、聖女が振ったときにだけ音を奏でる特殊な鐘を鳴らしながら歩く。
私が歩いた所からみるみるうちに澱んだ空気が消え、瘴気を孕んでいた草木も蘇る。
浄化の仕事を終えて馬車へ戻るとき、背後から蹄の音が近づいてきた。
振り返ると、エルヴィンが護衛とともに離宮へ帰る途中だった。
「エルヴィン!」
思わぬ所で会えたことと、無事に戻ってきたことが嬉しくて私は弾んだ声を出した。
彼は手を挙げ応えてくれる。
ただ、いつもなら「ディアーナ!」と同じ熱量で返してくれる彼にしては、控えめな反応。
「大丈夫だった?」
「ディアーナも帰るところ?」
「うん。ちょうど終わったわ」
「じゃあ、乗って。一緒に帰ろう」
馬上から手を差し出してくれた。
直ぐに踏み台が用意されたので、そのまま台に乗って彼の手を掴む。
力強く馬上へ引き上げられた。
一瞬ですっぽりと彼の腕の中に収まる。
長い年月婚約者をしていて、何度も抱き合ったことがある。再会や別れの挨拶として軽く抱き締め合う程度だったけど。
けれど、私の知っている感覚とは少し変わっていた。
前回会ったときに比べるとエルヴィンは身長が伸びたし、腕や胸板も逞しく大人の男性へと変わりつつあるのだと感じてしまう。
一瞬考えただけなのに、意識して顔があげられなくなってしまった。
(……エルヴィンから貰った香水をつけておいて良かった)
しばらく照れから気持ちがいっぱいになっていた私は、離宮に着くまでエルヴィンや伴の顔が強ばっていたことに気づいていなかった。
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