深き森の奥に住む魔女の願いと伝令係の憂鬱

サヤマカヤ

第1話

 

 この国の王城のすぐ裏にあるにも関わらず、森に近づく人間はあまりいない。

 その森は、昼でも不気味に暗く感じるほど鬱蒼と木々が茂っている。

 特に夜になると森には魔物が出ると言われていることもあるが、その森の奥深くには魔女の住処があると言い伝えられているからだ――――



 人が恐れて近づかない森の奥深く。

 そこで草や落ち葉を踏む音がしたら、それは大抵野生動物だ。

 が、今は少し荒い足音がしている。


 耳を澄ませば、その足音がどんどん近づいてくる。

 魔女の住処まで来る面子は決まっている。

 伝令係か馴染みの配達員――のような者のどちらか。

 だけど、この足音はそのどちらでもない。


(久方ぶりに度胸試しの若者かしら?でも足音は一人……。あ、そういえば――)


 前の伝令係は前回で任期を終えたのだった。伝令係から「次から別の者が来ることになります」と、言われたことを思い出した。

 思い出したからといって、わざわざ出迎えることはしない。


 この国の昔の王との契約で、私はこの森に住んでいる。

 王が代替わりしても、現在に至るまで国王からちょっとした仕事を依頼されていて、そのために遣わされているのが伝令係。


 新任とはいえ客ではないのだから、わざわざ出迎える必要もないだろう――と、作業を続ける。

 薬草畑で雑草を抜きつつ必要な材料を摘んでいると、足音が真後ろまで迫ってきた。


近年の騎士とは、礼儀正しい者が多かった。敷地内に入るときには一言声を掛けてくるような者ばかりだったが、時代が変わったのか。それとも、礼儀がなっていない者が騎士になったのか。

いや、今は軍人と言うのだった――やはり時代が変わったのだろう。


(一言もなく敷地内に入り込むとは……)

 と、思った瞬間、頬に冷たいものが当たる。

 質感からしてナイフだろう。


「お前は誰だ」


 相手も仕事とはいえ、勝手に人の家の敷地内に入って来て、誰何するとは……。

 呆れてものも言えない。


 さて、いきなりこんなことをする新任はどんな顔か見てやろう――と、顔を上げて振り返れば、思いの外切れ味の良かったナイフで頬に一筋の赤い線が入った。


「おまっ!?ナイフを突きつけられていきなり動くやつがあるか!?若い女が顔に傷を作るなんて、何考えてるんだ!」


 どうして私のほうが怒られるのか。

 本当に呆れてしまう。


 視線の先には予想通り、伝令係の制服を着た長身の男がしかめっ面をして立っていた。年齢は二十歳くらいに見える。


(……ほくろがあるわ)


 短髪で男らしい精悍な顔立ちだけど、目元にあるほくろが顔に甘さを足していた。


 前任の伝令係は小柄だったので、背の高い青年が仁王立ちしているだけで威圧感がある。

 だからといって、彼を恐ろしいとは思わない。


 いきなりナイフを突きつけるような物騒な輩を無視し、家へと歩みを進めれば、彼は喚きながらも付いてくる。


「おい!?聞いてるのか?お前は誰だと聞いてるんだ!それに、その、頬の傷!どうするんだ!?おいって!!」


 いい加減うるさいと思い、くるりと彼のほうを向けば、鼻が彼の胸をかすめる。

 なるほど声が大きいと思うはずだ。

 そんなに近くで大声を出さなくても聞こえているというのに。


 一歩下がってから、彼としっかり視線を合わせる。


「この程度の傷くらい、もう治っているから大丈夫」

「急に振り向く、なっ……!?」


 また大きな声を出した軍人だったけど、私の顔を見て驚愕に目を見開く。

 次の瞬間には一歩後ろに飛び退き、ナイフを向けてきた。

 何もしていないのに、二度もナイフを向けられることに胸が痛む。


「き、傷が消えている!?」

「はぁ……。ナイフを向けても無駄だとわからない?とりあえず、入って。あなたが新しい伝令係なのでしょう?」

「どういうことだ?魔女をどこにやった!?」

「どこにって。目の前にいるでしょ?私がそうだけど」

「見え透いた嘘をつくな!魔女だぞ!?この森の魔女はもう最低でも五十年はここに住んでいると聞いた。お前のような若い娘ではないことは確かだ!!」

「……ちゃんと説明されないまま来たのね。でも、なんとなくわかる気がする」

「どういう意味だ!?」


 馬鹿にされたことは理解したらしい軍人が、眉間に皺を寄せ、声を低くする。


「王から重要な役目を授けるとか言われて、ちゃんと説明を求めなかったんじゃない?それとも、舞い上がってちゃんと聞いていなかったとか?」


 図星だったようで軍人は気まずそうに目を逸らしたが、「お前に関係ないだろ!」と、また声を大きくした。


「今回はずいぶんと短気みたいね……」


 先ほどの発言からも、いきなりナイフを突きつけたのは、私を不審者だと思ったからだというのはわかる。

 それが良いかどうかはさておき、彼は正義感が強く、真っ直ぐな正直者だということはこの短時間で理解した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る