45 最初の一歩のその時。(ルクト視点)
――――反動。反動か。
確かにそうかもしれない。
黒の長い髪は、本当に葡萄の瑞々しさみたいな潤いがあって、艶を放つ。
それでいて、サラサラとして、一切絡むことなく、すんなりと流れていくみたいに差し込んだ指が通っていく。
両手がそんな髪の触感を味わっている間、リガッティーは嬉しげに口元を緩ませていた。
拒んだりはしない。ましてや、嫌がったりもしない。
オレに触れられるのは、嬉しいように、細めて見つめてくれるアメジスト色の瞳には、熱がこもっているように見えた。
両手の指先を頬に当てる形で、そんなリガッティーを見つめ返した。
駆け寄ってきたリガッティーは、深い紫のドレスをふわりと揺らしていたのだ。
オレの好きな色のドレスを着ると言ってくれていたけれど、まさか、リガッティーの髪色だとは。
確かに、初めて会ってから、オレはこの色に夢中だから、好きな色で間違いない。
そんなこと言ったっけ? なんて思ってしまうけれど、きっと事実だから、無意識に言ったのかもしれない。
前の方は深い紫のスカートを開く形で、下に明るい紫のスカートがあるデザインで、あちらこちらと白いフリルをはみ出させている。
正真正銘のご令嬢の姿。ドレスを着たリガッティーを初めて見るけれど、それがオレのために、好きな色を選んでくれたことが、最高に嬉しかった。
しかも、オレもリガッティー色のジャケットを着ているという偶然が重なったのだ。
リガッティーはもうとっくにドレスを決めていたけれど、オレのジャケットは昨日たまたま目について、買った物。
今日こうしてリガッティーのアリバイを証言するために、せめて新品な服を着ておこうと思って、昨日の買い物で探していたら、夏で本格的に暑くなるまでは着たいと思うほどのジャケットと出会ったわけだ。
互いに今日の服を知らなかったのに、お揃い状態になってしまった。
大会議室に乗り込んで、リガッティーのドレスを見た瞬間、びっくりしたものだ。
改めて見ると、やっぱり、キレーで似合っている。
とても大人びていて凛として美しい、気高いご令嬢。
それなのに、駆け寄ってきた時の綻んだ笑みは、とても可愛かった。
喜びのあまり、だろうか。
七年の婚約は白紙になって、自由の身になった。
そんな解放感は、冒険とはまた違う格別さのはず。
そのまま、感極まって、オレに飛びついてもいいのに。いや、飛びついてほしかった。
駆け寄るリガッティーを、受け止めたかったから。
いや、オレから抱き締めるべきか?
もう、抱き締めてもいいよな?
思いっきり、細すぎて折れてしまいそうに見える身体を、ギュッとしてもいいはず。
でも、妙に躊躇する。
今まで、散々我慢してきたのに。
衝動的に、触れてしまわないように、抱き締めてしまわないようにしてきた。
実際、リガッティーがきっぱりと契約上の婚約という結びを断ち切るのを、今か今かとこの庭園で待ちかねていたのだ。
リガッティーに触れる。抱き締められる。
その瞬間を待っていた。
庭園に満ちた花の香りとは違う。もっと仄かで、甘い、花に近い香り。
リガッティーから、香るそれを、力いっぱいに抱き締めれば、また鼻に届くだろう。
そんな瞬間を思い描いて、ドキドキと胸を高鳴らせながら、待っていた。
それだというのに。
何を躊躇っているのやら。
いや、正直、まだ王城。王子の婚約者ではなくなった事実が知られていないから、衝動のままに抱き締めてしまうのは、まだだめだった。
だが、そうでなくても、躊躇っただろう。
まだ。まだだ。
順序を立てて、触れていく。
……順序? 少しずつ触れ合って、慣れてから、もっと密着も可能?
段階を経る……。その段階って、なんだ? ……誰かに聞いておけばよかった。
どう進むか。
オレだけじゃなくて、リガッティーの方も、どう踏み出すか。迷っている様子。
今まで障害になっていた境界線がなくなったけれど、それを超えるための一歩。
どんな風で、どんな時に、踏み出すのだろうか。
「名誉、貴族ですか?」
リガッティーが、大罪を押し付けようとして見事にその大罪を返された悪女、今日の敗北者の悪行を重ねた悪行令嬢に、女同士の二人で話したいとかで、闇魔法による【影映し】で意識を持っていって話している最中。
意識が留守で、顔を俯かせて目を閉じたまま動かない無防備なリガッティーを挟んで、オレはリガッティーの義弟ネテイトくんに冒険者について話した。
「そうです。Sランク冒険者は、望めば名誉貴族になれるのですよ。それほどの実績を持つ者が、Sランク冒険者となれるのです」
ギルドマスターのヴァンデスさんも、目の前の位置に立ちながら、そう教えてやる。
義姉のリガッティーが、この春休みが始まってから冒険者活動をしていたという衝撃的な事実だけでも動転していたのに、さらにはオレとも何かあるただならぬ雰囲気。
浮気した婚約者との結び付きを断ち切った直後。
リガッティーは不思議そうに家族仲は普通だと言っていたが、血の繋がりがないのにここまで心配してくれるのは、かなり家族思いで仲がいいと思う。
……ところで、リガッティーが敬語なしで喋るところ、初めて見た気がする。姉として、弟に話しかける口調。……いいな。
オレと話している時も力を抜いた気楽な話し方をするけれど、年上ってこともあって、敬っての話し方。それが嫌だと思ったことはない。
だから、変えてほしいと頼むつもりはないのだけど…………その口調で一回、オレと話してほしいかも。断られそうだけど、お試しに。
深い事情が絡み合っているし、まだ三人で伏せておこうという話だから、リガッティーは話すことを先送りにした。
でも最低限のヒントを教えるべきだと、常識的に知ることが出来る情報として、こうしてヒントを与えることにしたのだ。
「オレはあと、リガッティーの新人指導期間を担当すれば、ランクアップの条件が満たされるんだ。それで晴れてSランク冒険者になるし、望めば名誉貴族になれる」
「貴族の身分になれる算段はある……ですか……。で、では、本気で…………っ! テオ殿下!」
緊張で強張りながら、ネテイトくんが尋ねかけたところで、第二王子のテオ殿下がやってきた。
聞いてはいなかったけれど、テオ殿下はかなりリガッティーを姉として慕っていたそうだ。
実の兄のせいで、本当の意味で姉となるはずだった。
本当の意味で家族になれるはずだった。
そんな存在を、他でもない実の兄という家族が、裏切ったのだ。
なんとも思わないわけはない。
まだ15歳になっていないのに、王子として、謝るために頭を下げることはもちろん、人前で泣けないとのこと。
リガッティーも気持ちはよく理解しているけれど、それでも静かに告げていた。
慈愛のような笑みってヤツかな。
宥めるリガッティーは、ネテイトくんとは違う口調ながらも、姉としての優しい言葉をかけては微笑んでいた。
そのあと、悲しみで沈んだ様子で謝罪に来たテオ殿下は、明るくなってオレ達の冒険者関連の話を、目を輝かせて聞きたがった。
王族にはまだオレの功績はうっかりでも話すなよ、とヴァンデスさんに釘を強めにさされて今日は来た。なんなら、三回は釘をさされた。
今まで、オレの冒険者活動を尋ねられても黙っておく、なんてことをした記憶がなかったため、正直戸惑う。
……オレ、実はかなりのお喋り?
苦とまでは言わないけれど、なかなか難しいと感じながら、討伐した下級ドラゴンの話をヴァンデスさんと一緒に、テオ殿下達に聞かせた。
隣のリガッティーにも、まだ話していなかったから、オレの方を終始見つめてくれながら聞いてくれていた。
リガッティーが、あの悪女が光魔法で悪足掻きをするんじゃないかって、そんな心配をするから、オレ達は王城大図書室で調べ物をした。
オレだってその危険があるなら、リガッティーを守るために備えておきたい。
聖女についても調べ始めたリガッティーは、ついでのように、オレの『ポーション』が受け付けない体質の答えまで見付けるつもりらしかった。
んー。関連がないとは切り捨てられないから、ついでにわかればラッキー程度だな。
だけど、二時間近く読み漁っても、いい収穫はなし。こんなに本がぎっしりあるっていうのに……。
マジで内容が丸被りの本が三冊見付かった時は、げんなりした。調べるには、無駄に被った本が多すぎる。あと、何故か自伝まであった。光魔法の使い手としての自伝だけど、やっぱり治癒系ばっかりの自慢。
探しているのは、リガッティーが闇魔法を消されただけじゃなくて、痛みを与えられるような光魔法だ。さらには、光属性の魔力が満ちているとかいう神殿の地で感じる体調不良の原因とか。結び付くかもしれない。
オレが光魔法の治癒が込められた『ポーション』が受け付けられない体質なのは、魔族の血のせいか、闇属性持ちのせいか。
魔族との争いを止めた一人の二代目聖女についての本を読んでても、答えはない。
そういえば、二代目聖女ってどうやって聖女になったんだ?
そんな疑問を持った。
リガッティー達が王室特別図書室から出てくれば、先代王弟殿下であり、ミッシェルナル王都学園の学園長がやってきた。
新治癒薬を作った日以来だ。
学園長は、ギルドマスターと顔見知りなのか、軽く掌を見せての挨拶をかわしたが、オレのことは一瞥するだけの素通りをして、目の前まで来たリガッティーに笑いかけた。
甘えてる……んだよな。
姉様呼び、大叔父様呼び。
王族なのに、そんな呼び方が許されるリガッティーは、本当に大物令嬢だ。事実、王家に嫁ぐ予定だったんだし、家族扱いは当然だろう。
でも……なぁ……。
モヤッとした。
ネテイトくんは、まぁ、よしとしよう。本当に
でも、七年くらいの付き合いらしいテオ殿下や学園長との和やかなやり取り。
見てて微笑ましいことは微笑ましい。
だけれど、本当はもう他人だ。身内に嫁ぐ予定という前提がなくなった。
それでも家族という絆がある。リガッティーを大切にするのは当然だ。可愛いもん。
リガッティーもまた優しく笑って、それから大事そうに見つめる。
……羨ましい。
オレだって、この一週間だけで、リガッティーにはたくさんの優しさをもらった。
大事にだってされているさ。その自負も自覚もある。
けど。
圧倒的に、時間の差が違う。その分、オレの方が劣っているだろう。
比べなくていいことだとは思うけれど……。
学園長なんだよな!
オレを無視状態。
そのくせに、妙にオレを気にしているのか、それともまた牽制なのか、意識はチラチラとこちらに向けられていることを感じた。
聖女に関して、調べ物の助言をする学園長。
またオレは、リガッティーには相応しくないって、釣り合わないって、遠回しに見せ付けてるのか?
だからなんで、オレは学園長に阻まれなくちゃいけないんだ!?
そりゃ可愛がっている身内だろうけど!
リガッティーもリガッティーで、学園長が来てからオレの方を一度も見ることなく、話に夢中だし……!
気を引きたかったオレは、衝動的にリガッティーを後ろから抱き締めようとした。
いや、待てよ?
……いきなり、すぎる、よな?
初めて頭を撫でた時でさえ、戸惑っていたから、これだって戸惑われるはず。きっと恥ずかしさで、耳まで真っ赤にするだろう。
思い留まったけれど、もうリガッティーの肩の上には顔を持っていく近さになっていた。
こうしているだけでも、リガッティーから香る甘い花のような匂いが届く。
そっと顎を、リガッティーの肩に置いてみれば、リガッティーが硬直していることを知る。
気を引きたかった作戦は、十分すぎるほど成功。
横目で僅かに見えた横顔は、色白の頬が真っ赤だった。
身内の三人は、そんな反応をするリガッティーを、初めてだと目を見開いてまで驚愕した様子を見せた。
やっぱり、恋愛感情を初めて抱いた相手のオレの前で、見せてくれる姿なのか。
優越感が湧く。
こんな可愛い反応をするのは、オレだけだ。
オレだけが知っていればいいとか、他には見せたくないとか、独占欲だって抱いている。
だけど、こうして見せ付けてやるのもいい。特に、学園長だ。
優越感とともに、牽制として、見せ付ける。
学園長が認めようとしなくても、リガッティーの気持ちがあるってこと。
それにしても、本当にいい匂いだ。
リガッティーの甘い花のような香り。
やっぱり、髪に使ったシャンプーとか、肌に塗ったローションとか、それの残り香みたいな匂いなのだろうか。
髪から香っているような気がする……。
うっとりとしてしまう。
リガッティーに、これまでで一番、近付いている。
そのまま、腕を回していいだろうか。
そっと添えてみた両腕で包んだ腰は、想像よりも細い。
このまま――――ギュッて、抱き締めたいな。
欲が衝動とともに突き上がってきたのに、リガッティーが腕の中から逃げてしまった。
耳まで真っ赤にしたリガッティーは、裏返した声で、オレの名前を噛んだ。
よりにもよって学園長の背に隠れたリガッティーは、今の距離の詰め方は、いきなりすぎるからやめてほしい、と訴えた。
いや、でも……これでも、そっとゆっくりと動いて、腕を軽く腰に置いただけなんだけど。
いきなりギュッとするよりは、だいぶ、いいだろうに。
……まぁ。ギュッとしようとはしたんだけどさ。今。
リガッティーの間に立っている配置になったから、オレはその学園長と対峙することになった。
二人して笑みを崩さないけれど、決して友好的な雰囲気は出していない。そんな態度でもない。
リガッティーがオロッとした様子で、オレと学園長を交互に見やる。
どうやら、学園長がレインケ教授の魔物研究室で牽制していたことは気付いていなかったらしい。
今も娘をよその男から守る父親の如く、立ちはだかっている姿勢だと思うんだけど。
ヴァンデスさんも、顔色悪く冷や汗をかいているくらいだ。険悪ムードだって、丸わかり。
「リガッティー嬢? 冒険者活動をしているとは聞いたけど……例の素材は、自ら採ったものだったんだろう? どうして言ってくれなかったのやら。新薬を全て任せておいて、それは秘密なんて。いけない子だね」
テオ殿下が情報を仕入れたように、リガッティーが冒険者活動をして、王族殺害未遂の容疑を晴らしたことは知っていて来たらしい。
もう王族にしっかり知られてしまったリガッティーは、観念したように肩を竦めた。
「それは、申し訳ございません。ですが、両親にもまだ話していなかったので、やはり両親が先だと思ったのです。騙すような形になってしまい、申し訳ございません……」
しょぼんとしたリガッティーに、学園長はやれやれと首を振る。
「リガッティー嬢が、家族にすら伏せるなんて…………
そういうやり方で来たか。
またオレがリガッティーにとって悪影響ってこと?
悪影響を与えるからこそ、リガッティーには相応しくないって流れにする気?
ムッとしたくなるが、笑みは保っておく。余裕を見せないと。
すると、学園長の前に、スッとリガッティーが割って入った。
「違いますわ、大叔父様。私の判断です。冒険者になろうと思い立って、春休み初日に登録したら、新人指導担当として、そこで初めてルクトさんと知り合ったのですわ。例の新薬で話した通りの縁があったと発覚して、研究の再開をしてもらおうと学園へ一緒に行きました。そこで打ち合わせもしませんでしたが、ルクトさんはレインケ教授や大叔父様に冒険者活動を伏せてくれたのです。私も誤魔化しましたけれど、私の判断ですわ。ルクトさんは、悪影響などではないです」
右手を上げて、まるで宣誓をするように、きっぱりと言ったリガッティー。
「どうして皆さんは、ルクトさんに誘われて冒険者になったと思うのでしょうか? しかも、悪い道に引き込んだかのような言い草で」
首を捻るリガッティーは、オレやヴァンデスさんに怪訝な目を向ける。
いや、それを言ったのは、メアリーさん達だから、なんとも……。
「
「完璧な淑女の鑑のリガッティーお嬢様が……唐突に冒険者になると思い立つのは、
「ごめんなさい、リガッティー姉様。私もです」
遠い目気味にネテイトくんが教えれば、冒険者活動を昼食の時に知らされて絶句してしばらく放心していたネテイトくんの従者のスゥヨンさんが付け足して、テオ殿下が苦笑で白状した。
わかるけども……。
オレの誘いにも乗るとは考えにくくない?
「悪影響を与えていない、か。悪とは言えなくても、とんでもなく刺激的な影響は受けてはいるよね?」
「刺激的な影響?」
「冒険者登録をした翌日には、トロールを倒したということなのだろう? トロールなんて……『火岩の森』が一番近くに生息しているはずだけど、新人冒険者が行くとはとても思えないね」
「えっと……それは、そうですけども。リガッティー嬢の実力上、と言いますか……」
リガッティーに困った風に笑いかけたあと、オレを素通りして、ヴァンデスさんに視線が向けられた。
またオレを無視状態? それで挑発!?
「確かにリガッティー嬢は、自己防衛を学んでいた。自己防衛が、軽く新米騎士の団体を倒してしまうというレベルに達してはいるけれども……」
え。新米騎士の団体を倒したことがあるってこと? 自己防衛の域じゃないよね? わかっているから、ちょっと目が背けたよ、学園長。
「だからと言って、冒険者として成長させるつもりなのかい? ルクト君」
「なんですか? 冒険者として、リガッティーが成長してはいけないのでしょうか?」
「わかるだろうに。リガッティー嬢には、冒険者という実績など必要ない」
オレへと鋭い質問が来た。立ち向かうが、小バカにする口調。カチン。
リガッティーには、オレの新人指導30日を達成するというランクアップの条件を満たしてもらうために付き合ってもらわなければいけない事情がある。
不穏さに戸惑っていたテオ殿下がそれを言うべきかとオレに視線を送って来たから、オレが先に学園長に言い返す。
リガッティーにも、オレに任せてほしいと、肩に手を置いて、口を挟まないように、と伝えた。
「実績の問題ではないです、学園長。リガッティーが冒険者になろうと思い立ったのは、冒険で気晴らしをするためです。今後、リガッティーは将来が白紙になってしまって悩むことにもなりますから、休憩がてらに冒険を選んだんですよ。それも冒険者として、です。オレだって、一人の冒険者としても、冒険を楽しんできましたので、リガッティーのためにも、気晴らしを、そして自由を楽しんでほしいのですよ」
「自由だって?」
毅然と言葉を返すオレの目の前で、学園長が眉を上げて、ピクリと反応する。不快感を覚えたみたいな空気を感じた。
「三日前でしたね。冒険者としての自由を、この三人で話しました。リガッティーは、冒険者の自由を尊重してくれました。身分上、自由への渇望でもあるのかと思ってしまいましたが……リガッティーは不自由だったとは思っていません。今までだって、十分自由だったと、言いました」
左隣で、自由について語るリガッティーを、鮮明に思い出せる。
「高い身分の鳥かごの中にいても、自由に飛び回れて不満なんて持ってなかった、と。でも、今回、鳥かごの外に出た彼女は、もっと広々とした自由を味わって楽しんでいるのです。どこまでも優雅に飛んでいく鳥です。その速さで、力の限り、翼を広げているんです」
大きな鳥かごから飛び出して、気持ちよく飛んでいく鳥の自分を想像しているであろうリガッティーの横顔。
目を閉じていて、解放感を味わって顔を綻ばせていた。
引き寄せられるがままに、顔を寄せて――――そのまま、口付けをしたかった。
口付けなんてしたことないのに。惹かれるがままに、重ねてしまいたかった。
素敵な考えを言葉にする唇に、触れたかった。
全てが愛おしいから、唇を重ねたかった。
これが、好きな人に抱く気持ちなんだって。初めて知った。
愛おしい人への愛情表現。それが、口付け。
「彼女自身が、そう語りました。こんな素敵な考えで、どこまでも果てしない自由を味わえる冒険者活動を、これからだって、オレはリガッティーを連れ出していくつもりです」
宣戦布告だ。
あなたに認められなくても、オレはリガッティーの手を放さない。
「彼女が持ちうるものを制限なしに出してもらうためにも、どこへだって連れて行きます。それがオレが冒険者の先輩として、リガッティーに出来ることなんで、妥協なんてしません、ん!?」
「ちょっと失礼します!」
じとりと互いに学園長と見合っていたのに、いきなり口を塞がれた。リガッティーの左手だ。
そのまま、オレの左手首を掴んで、引き離した。
本棚の端まで、オレを連れて行くと。
「どうしたのですか!? なんでそんな険悪な態度なんですか!?」
小声で問い詰めてくるリガッティー。
むぅ。リガッティーのせいで、牽制されてるって、気付いてないな、これ。
不貞腐れて、唇を尖らせながら、背中にある本棚に少しだけ凭れた。
「だって…………不満で」
釣り合ってないからと牽制されるとは、言えない。
「不満? ルクトさんが指導する冒険者活動に、苦言を呈されたからですか?」
いや、別にそんなのは、今に始まったことじゃないじゃん。
自分の首の後ろをさすって、言葉を選ぶ。
「その……だって…………家族感が、羨ましくて……」
「……はい? 家族感、とは?」
こてん、と首を傾げるリガッティー。
「親しい家族の絆に、妬いたの」
「や、妬いた……?」
意外と目を丸めるリガッティーは、また頬を赤らめた。
なんで意外そうな反応をするかな?
隣国の王太子がリガッティーを狙っていることに、メラメラと嫉妬で敵意を強めてたんだけど。すぐ隣で。
ぜってぇーリガッティーを渡さないし、オレだって誘われても隣国だけには行かねぇー。
あと、話を聞いている限り、恋敵ではなさそうだけど、学園長と一緒に阻みそうな”猛信者”って人も警戒してる。
その二人も含めて、オレはリガッティーとの時間が圧倒的に少ない。
「嫉妬した。……リガッティーの中で、オレの時間は、あの家族と比べて、圧倒的に少ないから……当たり前だけど。その分の絆の強さに……嫉妬、した…………」
カッコ悪いな。
恥ずかしくて、顔が熱くなった。
まともに向き合っていられなくて、顔を背けたのは、よりにもよって、学園長達の方だ。
クソ。カッコ悪い。
悔しいからと言って、そっぽを向くのは、敗北感がありそうなので、視線を外して、口元の顔半分を覆い隠すことに留める。
すると、胸の真ん中辺りのジャケットに重さを感じた。
リガッティーの右手が、ジャケットの内側ごと握り締めている。
「この先は…………一緒じゃないですか……」
ちょっと弱々しい声でも、オレには届いた。
恥ずかしそうに、リガッティーも俯かせた顔を、横に背けている。そして、耳まで顔を赤くしていた。
「ルクトさんが……冒険に連れて行ってくれるんでしょう? ……これからも、ずっと…………」
バクバクと、心臓が胸の中で暴れている。
――――
そう望んでくれるリガッティーの言葉で、激しく高鳴っている心音が、バレてしまう。
「……ルクトさん。心臓、速い」
「……うん……リガッティーのせい」
リガッティーのジャケットを握り締めている手が、胸に当たっているから、伝わってしまった。
オレは、その手に触れる。剥がしはしない。そのまま、包むように触れるだけ。
……熱いな。
触れているだけなのに、火傷しそう。
「あまり、速くしないでください…………その、いきなりは、ご勘弁を……」
リガッティーは顔を俯かせたまま、そう言った。
手を口元に添える上品な仕草のまま、恥じらっている。
さっき後ろから腕を回して、それから抱き締めようとしたことか。
少し潤んだアメジスト色の瞳に灯った熱を見ていると、また抱き締めたい衝動にかられるんだけど……。
グッと奥歯を噛み締めて、気持ち的に堪えておく。
距離の詰め方を、いきなりにしない、と。
「うん。我慢、頑張る……まだ」
まだ。
オレ達はまだ、我慢をする。
禁じられているからじゃないけれど、足早に、速く進まないように。
まだ。我慢を。頑張る。
「――――リガッティー……少しだけ、待ってほしい」
ギュッと軽くリガッティーの手を握れば、リガッティーの横目がオレを映した。
「
お互いに、最初の一歩を踏み出すことに、躊躇している。
けれど、踏み出したい。その我慢は、きっと長くは持たない。
それに、もう。
オレは”
「……はい」
コクリ、と頷いたリガッティーが、オレの手の中で、ギュッと力を込めたのがわかった。
リガッティーも、オレを放さないつもりでいる気がして、嬉しい。
――――嗚呼、早く”その時”が来てほしい。
君への想いを伝えて、受け取ってもらう、その瞬間。
口にした想いを合図に、最初の一歩を、一緒に踏み出す。
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