第4回・孤独と群れ

 ザキは毎日一回、昼過ぎにシューニャの様子を見に行く。

 瞑想の邪魔をしないように洞窟の入り口から中を覗いて、異常がなければ帰るだけだ。

 しかし、その日は異常があった。

 洞窟の中にシューニャの姿はなく、気を失った身重の妹と、斬殺されたラーマの死体が転がっていたのだ。

「ム……なんとしたことか」

 ザキは強く後悔した。

 何が起きたのかは、状況を見ればおおよそ分かる。

 ラーマの気性を考えれば八つ当たりや復讐に出るのは当然といえる。

 妹と出くわしたのは偶然であり、こうなってしまったのも偶然の果てであろうが──

 ザキの才覚ならば予測できたはずだ。

 否、敢えて楽観視していたのだ。

 未然に事態を防ぎたいなら、ラーマを早々に始末しておくのが最善だった。

 なんならシューニャが最初に落ちてきた時に、ラーマを殺してしまえば良かった。

 だが、それは出来なかった。

 暗愚の太守の威を借りるチンピラ同然のラーマにすら情けをかけてしまった、ザキの甘さが間接的にこの結果をもたらしたのだ。

「これもまた……運命というものか」

 ザキは重く沈んだ表情で、妹を介抱した。

「あぁ……兄(あに)さま!」

 普段は気丈でザキを嫌う妹も、この時ばかりは恐怖の表情で兄にもたれかかった。

 妹が説明した状況は、ザキの予想した通りだった。

 自ら無に還ろうとしたシューニャは、剣という執着に存在を縛られてしまったのだ。

「こうなってはもう……誰もあの者を止められぬ……」

 後悔と悲しみがザキの心を覆った。

 そして個人の意思では抗えない流れが起こり始めたことを……すぐに思い知ることになった。

 夕刻──妹を家に送ってから寺に戻ると、伝令の者が来ていた。

 ザキが日頃から軍事教練を施している、商人組合の伝令だった。

「ザキ先生! 街でえらい騒ぎが起きてます!」

「不明瞭な……報告はするな」

 常日頃からそう教えている。

 一人前に軍隊を名乗りたいなら、不明瞭な報告は厳禁であると。

 しかし、騒ぎの内容についてはザキも察していた。

「シューニャが原因だな……」

「あっ……はい! あのシューニャという御仁がふらりと現れて、太守の雇ってるチンピラと揉めて……」

「何人……斬られた」

 ザキは目を細めて、顔を覆った。

 太守が民と議会を恫喝するために雇った半端な腕のヤクザ者どもでは、シューニャに敵うはずがない。ラーマのように力量の差すら理解できずに挑みかかり、屍を晒すだけだ。

 伝令は一瞬、呆気に取られてから慌てて報告を続けた。

「あの、ええと……数えられるだけで20人はやられたと……」

「多勢相手にか」

「最初はタイマンで試合をふっかけられたみたいですが、5人ほど斬られたあたりでぐるりと取り囲まれたそうで……」

 伝令は言葉に詰まった。

「あの、その……なんと言いますか……凄くボヤけた報告になってしまうのですが……」

「どうなったのだ」

「次の瞬間には一人が斬られて、また次の瞬間には一人斬られて、瞬きをする内にシューニャさんを囲んでた連中が一人ずつ順番に死んでいったそうです。何が起きたのか全く分からなかった、と……」

 正気を疑うような報告だった。

 一般的に、一対多の戦闘は包囲された時点で極めて不利となる。

 シューニャほどの剣者ならば、走り回って包囲されることを未然に防ぎ、乱戦に持ち込んで各個撃破するといった戦術は知っているはずだ。

 だが報告を鵜呑みにすれば、まるで魔術を使ったように包囲した連中が順に斬殺されたという。

 普通なら疑うところであるが──

「シューニャは……この世とは別の理を持っている。故に、我らの理は通用せぬのだ」

「はあ……?」

「して、シューニャはどうなった」

「そのまま太守の屋敷に向かっていったと……」

 報告を聞き終えて、ザキは地面に向かって「はぁ~~……」と深い溜息を吐いた。

 シューニャと自分の運命を悟ったのだ。

 俯いて、顔を上げるまで、ほんの五秒ほどの間があった。

 五秒間──それがザキが全てを諦め、全てを受け入れるのに要した時間だった。

「ああ……やりたくないのぉ……」

 口の中で誰にも聞こえぬように告白して……ザキは決心した。

「立つ時が来たのじゃ。この機に太守を討つ」

「えっ、い……今ですか?」

「戦を起こす時期が来たのじゃ。この日のために練磨してきたのだろうが。各部隊の長に伝えよ。『南西の季節風が吹く』とな」

 ザキの声は凛と張り詰め、既に隠者のそれではなかった。

 将として、男は煩悩の満ちる俗世に還る決意をした。

 日が落ちる。

 夜が訪れる。

 ザキと彼の部隊は、慌ただしく行動を始めた。

 彼らは常日頃から暗愚の太守を倒し、藩都を制圧する計画を立てていた。

 ザキは街の中央にある商人宅を指揮所とし、各方面に走らせた斥候からの情報を集め、指揮を出した。

「太守の屋敷はどうなっておる?」

「シューニャという男が正面から門を破り──」

「ならば捨て置け。じき太守はくたばる。我が主力は南の兵舎に『季節風を吹かせる』」

 ザキは確信していた。

 シューニャの剣技と異界の理の前には、どんな武芸者も数も無意味であると。

 あれはそういう存在なのだと、おおよその察しはついていた。

 制御の効かぬ嵐を戦術の一部に組み込むのである。

 戦力で劣るザキ達には、情報と兵を展開するスピードこそが肝要。

「季節風を吹かせる」とは、夏の嵐のように早く、騒々しい軍事行動を指す暗号だった。

 藩都の南に位置する軍の兵舎を、ザキの部隊は松明を掲げて取り囲んだ。

 商人の協力で祭事に使う篝火を改造し、一人で五人分の松明を持てるようにした。

 そして軍旗は十倍の数を用意し、声を大きく拡声する筒を持たされて、部隊が一斉に鬨の声を上げた。

「ウオオオオオオオ!」

 夜間では正確な数も計れず、兵舎の見張りは自分達が大軍に囲まれたと錯覚した。

 ザキの部隊の実数は200人程度だったが、それを十倍以上の数に見せかける幻術を用いたのである。

 藩軍の士気が低い、ということもザキは知り尽くしていた。

 給料は100年前から変わらず、まともな糧食も配給されず、彼らも太守への不満と不信が溜まっていた。

 そこに外からの連絡を断ち、孤立させることで藩軍の不安を煽る。

 市街では火を焚き、炎上しているように見せかける。

 心理戦で血を見ずに勝てるのなら、それに越したことはない。

 更に夜が更け、兵舎の中から打って出てくる気配がないのを見計らって、降伏を勧める使者を送った。

「我らは暗愚の太守を討ち、正常な議会を取り戻すのが目的であるから、諸君らが抵抗しなければ危害を加える気はない。事態収束までの武装解除と、この場での拘留を受け入れて貰えるなら、身の安全は保障する」

 かなり穏便な要求だったので、兵舎の指揮官は容易くこれを受け入れた。

 彼としても太守に思う所があったのだろう。

 夜が明ける頃には、勝敗は決していた。

「ザキ先生! 太守の屋敷が……」

 斥候からの報告は困惑気味だった。

 どうなったかは予想がつく。

「うむ。陥落したか。我らの勝ちと見て良いだろうな」

 ザキは将として、静かに勝利を宣言した。

 指揮所の幹部たちから歓声が上がったが──

 ザキは無表情のまま感情を硬直させていた。

 議会の掌握は幹部たちに任せ、ザキは副官及び少数の護衛らと共に太守の屋敷に視察に向かった。

「まあ……こうなるであろうな」

 ザキは諦めたように呟いた。

 太守の屋敷の中は、死体の山だった。

 食客として飼われていたチンピラ紛いの武芸者たちが斃れ、相当な手練れと思しき者も驚愕の表情のまま絶命していた。

 奥の部屋では、豚のように太った太守が死んでいた。

 護身用の短剣を握ったまま、頸動脈を突かれて、豪奢な絨毯の上で死んでいた。

「ザキ先生、これは一体……」

 護衛に連れてきた副官が困惑していた。

 この惨状、どう見ても人の技ではない。

「我らが触れて良い存在ではなかったのだ。しかし触れてしまった。起こしてしまった。もう止められんだろう」

 ザキは息を吐いて、屋敷を見渡した。

 シューニャはもう、ここにはいない。

「時は動き始めた。もう止められん。各部隊に伝えよ。シューニャという男には絶対に近づくな。そして斥候に彼の者を追わせ、監視させよ」

「監視……ですか?」

「いかにも。あれは人ではない。自然現象だ。魔物が山野を歩むように、夏に嵐が南から吹くように。行動に何かの法則性があると見た。それを……見極めねばなるまい」

 ザキは、シューニャという歩く災厄を戦略に利用する算段をつけていた。

「驕れる魔法使いは、自らが使役する魔神に食われる──というのが昔話の定番じゃ。だがこれは天候を読むようなものじゃて」

「天地もまた人に御せるものではありますまい」

「だが潮の満ち引きの周期は分かる。天地の理を知るのもまた兵法なり」

 それから、ザキは副官を介して斥候と伝令を放った。

 ガンダルヴァ国は複数の藩国を統一した国家であり、各藩には中央政府と地方議会から承認を得た知事が置かれる。

 知事を太守と呼ぶのも、藩国だった頃の名残だ。

 統一国家となって300余年が経過しても尚、各藩に恭順の意識は希薄だった。ガンダルヴァ人の数千年に渡る民族性とでもいうべきか。

 各藩国はそれなりの自治が認められており、軍の指揮権も太守が持つ。

 つまり極論、中央から派兵の要請があっても太守が突っぱねることも可能なのだ。

 尤も、そうなると反乱とみなされ別の藩から攻撃される危険性も孕んでいる。

 なので、ザキは先手を打って工作を仕込んだ。

 ザキは各藩の商人組合と強いパイプを持っている。

 組合に弟子たちを軍事顧問として送り込み、訓練を施し、自衛用という方便で武装化していた。

 彼らは藩と藩との交通の要所である駅家の運営に関わり、馬という最速の交通手段と情報伝達を抑えていた。

 この強力な商人ネットワークで情報戦を制するのだ。

 各藩の太守に

「此度の騒乱は、かの高名なザキ先生の率いる藩軍が悪政極まる太守を成敗し、議会を正したものである」

「中央への叛意はない。また、他藩への攻撃の意思はないと確約するものである」

「だが我々への敵対行為に関しては、その限りではない」

 と、虚実織り交ぜ、脚色を加えて伝えた。

 ザキは、この日のために名声を高めていた。

 腐敗した中央政府軍の職を自ら辞して、困窮する地方の人々と共に生きることを選んだ傑物──という些か脚色された、しかし民衆の好みそうな宣伝を商人たちを使って方々に広めていたのだ。

 各藩には、中央に不満を持つ太守もいれば、ザキに心酔する太守もいる。

 また太守とは別に、商人組合が議会を掌握している藩もある。

 そういった藩は味方にならずとも中立でいてくれれば良い。

 中央は表向きザキたちの反乱を黙認するだろうが、いずれ時期を見て軍を差し向けてくる。

 こんな国盗り紛いの行為を認めてしまっては、国家としての統制が乱れ、ゆくゆくは自分たち中央政府も打倒されるということくらい、平和ボケした世襲議員どもでも分かる。

 だから先手を打って──

「こちらから打って出るのだ」

 ザキは、速攻をかけて中央を落とすつもりだった。

 その戦略の内に、シューニャという人の形の災厄が組み込まれていた。


 数日後──シューニャの行動の法則性は、おおむね判明した。

 彼は武器を持つ者──正確には、戦意を持つ者を追う習性があった。

 事実、太守の屋敷で斬殺されていたのは全て武器を持つ男ばかりだった。

 シューニャは屋敷から逃走した武芸者を追って行った。

 ザキ達の部隊が無事だったのは、単純に相対的に距離が離れており、尚且つ既に戦闘が終了していたからに過ぎない。

 斥候に追わせたところ、シューニャは逃げた武芸者たちを斬殺後も徘徊を続けているという。

「ザキ先生、これは一体……?」

 副官は報告に首を傾げていた。

 彼は弟子の中では最も優秀なのでザキの手元に置いているのだが、まだまだ読みが浅い。

「渡り鳥は大地の磁気を読んで迷わず飛ぶという。それと同じで、シューニャも目に見えぬ気を読んでおるのだ」

「つまり、どこか遠くの敵意に向かっていると?」

「左様。これを利用する」

 ザキは指揮所の卓上に、ガンダルヴァの地図を広げた。

「シューニャが進む先には、ナグープル藩がある。ここは我が国の首都に至る要衝となっておる。太守は中央議員の親戚筋なので、この藩を説き伏せるのは……ま、無理じゃな」

「一戦は避けられないとして、ナグープル藩軍と我が方との彼我戦力差は大きすぎます。我々が正規軍を再編成したとして数は五千といったところ。対する敵方は少なく見積もって三万」

「だから頭を使うのが兵法じゃよ」

 ザキは筆を取って、朱色の染料に漬けた。

「シューニャに関しては各藩に『我が領内に落ちてきた魔性の者。人知の及ぶ者ではないので決して手を出すなかれ』と通達してある。だがナグープル藩内の商人組合に命じて、それとなく噂を流す。『あれはザキが兵器として放った魔物だ』と」

 ザキは淡々と物騒な内容を口にしながら、地図上に筆で赤い線を引いた。

「ナグープル藩の連中は殺気立つ。そこにシューニャが真っ直ぐ突っ込む。彼の者に対しては何万人ぶつけようと無意味じゃ」

「まさかナグープル全軍を彼に始末してもらうのですか?」

「な、ワケないじゃろう。シューニャは一人ずつ斬っていくから、マトモな軍隊なら異変に気付けば退却する。だが無視するワケにはいかない。対処のしようのない魔物を警戒し、大軍を割いて防御線を敷くことになる」

 ザキは空いてある手に別の筆を取って墨を付けると、防御線を意味する黒線を引いた。

「この防御線に一万を割くとする。それでもナグープルはまだまだ優勢。だから──」

 何を思ったか、ザキは赤い筆で四方八方から線を引いて見せた。

「『ザキの送り込んだ魔物は一匹ではない』という偽情報を流す。敵戦力を分散させまくって、我らは最も手薄な部分をブチ抜く」

「そんな簡単に……」

「いくワケないだろう。難しいから、わしらは頭と足を使って成功させなきゃならんのだ」

 ザキは筆を振るって、読みの浅い副官に次の行動を指示した。

 ナグープルに続く街道に設置された駅家を黒い丸で囲んだ。

 これらを抑えよ、という意図を副官は理解した。

 藩と藩とを行き来する伝令は必ず駅家で馬を休める。

 そこを抑えるのは情報伝達を制するのと同意であった。

 現地の駅家の管理を委託されている商人組合の手引きで、ナグープル藩軍の伝令を拘束、あるいは殺害して入れ替わり、また連絡の内容もこちらに都合良く書き換えた。

 ガンダルヴァ首都には

「ザキの軍は寡兵であり、士気も低く、反乱の制圧は順調。心配は無用」

 と平和ボケした議員たちを安堵させる文を送った。

 ナグープルの太守には、中央議会の名義で

「じき援軍を送るので到着を待て」

 と手紙を偽造して送った。

 これを待機命令と解釈して、ナグープル太守は大将でありながら居城から動こうとしなかった。

 ナグープル藩軍の各指揮官には

「ザキの軍が魔物を複数投入しているのを確認した。未知の攻撃方法を使う。最低でも一万の兵で対処せよ」

 と命令文を回した。

 実戦馴れした指揮官なら命令文に疑問を抱いたろうが、ガンダルヴァ国の藩軍は長い平和の中で官僚化し、上からの命令通りに働いて給料を貰うだけの仕事に馴れきっていた。

 結果、ナグープル藩軍は愚直に命令に従って東西南北に戦力を分散し──二日後の早暁、最も厚い防御線と、最も薄い防御線に同時に攻撃を受けることになった。

 最も薄い箇所にはザキの軍が。

 そして、最も厚い箇所にはシューニャが一人。

 ザキはシューニャという嵐の到達と共に、軍を動かしたのだった。


 ナグープル藩はガンダルヴァ国の平原地帯にある。

 大地に立ってぐるりと周囲を見渡せば、どこまでも大地が続いている。

 夜と朝の狭間、早暁の世界は蒼く冷たい。

 初夏の朝は肌寒く、見張りの兜には露がしたたる。

 見張りの兵が、黄金に輝く東の空と、真っ暗な大地との境界に……一人の影を発見した。

「なんだ……アレは?」

 遠眼鏡を覗いて、見張りの兵は異様さに息を呑んだ。

 薄汚れた僧衣の男が、タジマ刀を手に歩いている。

 虚ろな表情で、シューニャが荒涼とした大地の上を歩いてくる。

 狂人のごとき装いだが、足取りは地を滑るように早く、背筋は真っ直ぐで乱れることがない。

 早暁の静寂に、魔性襲来を知らせる法螺貝の音が響いた。

「矢を放てぇい!」

 すぐさま、弓兵隊による足弓の攻撃が始まった。

 足弓とは足で抑えつけて強く弦を引き、高速で矢を発射する正規軍の兵器である。

 殺傷力は高く、直撃すれば鎧も容易に貫通する。

 弓兵隊は横並びに一斉発射。

 目標は徒歩で真っ直ぐ向かってくるだけの一人。外すわけがなかった──

 が、矢は一つとして当たらなかった。

「どうした! しっかり狙え!」

「狙っております!」

「なら、なぜ当たらんのだ!」

 指揮官の怒号と矢の空裂音が飛び交う。

 矢の装填を終えた兵と交代して次々と足弓を発射するが、シューニャには一発として当たらない。

 その間に、シューニャは悠然と弓兵陣地に迫っていた。

「騎馬隊! あの魔性を踏み潰せ!」

 指揮官は焦りの表情で突撃を指示した。

「ラァァァァァァァァ!」

 雄叫びと共に槍を構えた騎兵らが突進した。

 大地を揺らす戦馬の蹄。朝靄を貫く槍の穂先。

 それらがシューニャ一人を飲み込んで──

 音もなく、一頭の馬の首が宙を舞った。

 続いて、騎乗していた兵士が足を切断されて地に転がった。

「ああ! あああああああ!」

 何が起きたかも分からず、兵士は地面をのたうち回っていた。

 彼は足からの大量出血で、じきに死ぬ。

 更に一頭、馬が足を切断されて転倒した。乗っていた騎兵は鎧の隙間から首を突かれて死んでいた。

 シューニャは何の感情も表さず、自然な動きで刀を振るい、己と対峙した騎兵を一人ずつ斬殺していた。

 異界の理により生じた、時の止まった一対一の戦斗空間は他者に認識できない。

 一秒ごとに死合が決し、騎兵は一人、また一人と斬殺され、地面に人と戦馬の死体が散乱した。

「うあああああああ! なんだ! なんだこれぇぇぇぇぇぇ!」

 部隊の半数が壊滅した3分後に、騎兵たちは漸く異常に気付いた。

 戦場の熱狂の中にあっても、一方的に殺されていく友軍の死体を見れば目は醒める。

 既に騎兵隊の隊長は亡く、騎兵たちは蜘蛛の子を散らすように潰走した。

「ええい! 魔物め!」

 業を煮やした指揮官は、ついに大刀を手に前に出た。

「あれに大軍をぶつけても意味がない! 古来より、魔物とは剛の者が打ち倒すものじゃ!」

「ああ、お待ちください!」

「ええい、うるさい腰抜けども!」

 部下の制止を跳ね除け、指揮官はシューニャと対峙した。

 この指揮官は、己が肉体と武芸に自信を持っていた。

 他の兵より一回りも大きな体躯に分厚い鎧をまとい、愛刀は身の丈ほどもあるタジマ刀だった。

「逆賊ザキの放ったバケモノが! 我がマハー・ダンピーラの露と果てるがいい!」

 ダンピーラとは、幅広のタジマ刀のことをいう。

 マハーとは、ガンダルヴァ語で大きいモノ、偉大なモノを指す。

 その名の通り、マハー・ダンピーラは巨大な刀だった。

 指揮官の膂力を以てすれば、象の首すら一撃で切断するであろう。

 いつの間にか──シューニャは異界の理に指揮官を飲み込んでいた。

 二人の武芸者以外の、世界の全てが静止する。

 指揮官は、ダンピーラを担ぐように構えた。

 この構えから放たれる一撃は刀勢凄まじく、たとえ受けても刀身ごと相手を両断する。

 しかし──

「切り結ぶ……刃の下こそ地獄なれ……」

 シューニャは虚ろな表情、呆けたような目で、ぬるぬると迫ってきた。

 構えすらない。どこからでも切ってくれと言わんばかりの、自殺志願のごとき隙だらけの姿!

「バカが! すぐに冥土に送ってくれるわ!」

 指揮官は勝利を確信した。

 殺気と共に踏み込み、ダンピーラを振り下ろそうとして

 背筋に冷たいものが走った。

 シューニャの目はどこを見ているかも定かではない。

 手にも足にも体にも、次に動く起こりも見えない。

 すなわち、次の行動が全く読めないのだ。

 正中線から外れた刀にしても、まるで体の中心を狙ってくれと言わんばかりの隙──敢えて作られた罠の誘いのように見えた。

「ま、まずい──!」

 指揮官は斬撃の瞬間、己の誤りに気付いた。

 シューニャは底知れぬ魔性であり、剣境において到底及ぶ相手ではないのだと。

 その逡巡がダンピーラを打ち降ろす速度に僅かな鈍りを与えた。

 もはや、全ての後悔は遅すぎた。

「踏み込みゆけば……後は極楽」

 シューニャが譫言のように謡い、指揮官の横を通り過ぎていた。

 ダンピーラの切っ先を僅かな体移動で避け、大柄な指揮官の腕を潜り抜ける形で、鎧の隙間である脇の下を切り裂いていた。

 ぬるり、するり、と垂れる涎を拭き取るような一撃だった。

「うおおお……」

 指揮官は脇の下から大量出血し、地を転がった。

 動脈と神経を切断され、もはや命脈は尽きていた。

「うう……と、トドメをくれぇい……」

 指揮官は己の命運を悟って懇願するも、シューニャには聞こえていなかった。

「幾度、刃の下を潜り抜けても……極楽は見えん。見えんのだ……」

 次の極楽、涅槃を求めて、シューニャはナグープル藩軍の防御陣へと進んでいった。


 日が昇り切る頃には、戦の勝敗は定まっていた。

 ザキの軍勢は最も薄い防御陣を切り裂き、そのままナグープル藩都に突入。

 市内に浸透させていた内通者の手引きで、易々と太守の城を制圧した。

「我らの勝ちですな、太守殿」

 ザキは兵と共にナグープル太守を取り囲んだ。

「ひ、卑劣なり! ザキ!」

 ナグープル太守は負け惜しみとばかりにザキを詰った。

「これが戦というものです。あなたがたは戦を知らな過ぎた。敗軍の将が責を負うのも、また戦です」

 ザキは淡々とした口調で、静かにタジマ刀の鯉口を切った。

「せめて、最期は潔く。勇者にはヴァイタラニを渡る船が用意されますゆえ」

「分かっておるわ! そこまで恥知らずではないッ!」

 武人としての最後の矜持を示し、ナグープル太守は床に坐してザキに背を向けた。

 ヴァイタラニとは冥界に流れる川のこと。

 罪人でも善き行いがある者ならば、安全に渡る船が用意されるという。

「さあ、斬れ!」

「良き旅を、太守殿」

 ザキは抜刀──抜き、即斬の動きで一撃で太守の首を切断した。

 鮮やかな斬撃だった。出血もほとんどなかった。

 自軍の大将の剣境を目の当たりにして、兵たちは息を呑んだ。

 ザキは天井を見上げて、掠れるような息を吐いた。

「だから……やりたくないのだ。戦など……」

 業の深みに己を捉える現世を厭う。

 窓の外からは、自軍の勝利の歓声が聞こえてきた。

 将としての表情が一瞬崩れ、全てが煩わしく思えた。

「わしは戦に執らわれ、お前は剣に執らわれ……行き着く果ては同じかも知れんな」

 ザキは戦場のどこかを彷徨うシューニャに向けて、哀しげに呟いた。

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