第10話 彗

 翌日、SNSのメッセージにましろちゃんから改めて挨拶と、制服のオーダーを受けた。


 できるだけ低予算で同じ型を7つ。

 提案した通りあちらが指定した市販のブラウスを購入してリメイクし、自社の生地でフレアスカートを作り上げた。

 おまけで一つ、小さな星が2つゆれるイヤリングを作った。ましろちゃんにプレゼントしたい。


 公休日にましろちゃんの働く『水色のスカート』に持って行くことになった。

 大きなレジャーシート素材のバッグに、綺麗に畳んだ水色のスカートを重ねていきながら、きょうは自分もその色に似たスカートを履こうと決めた。



 手芸店で働けることになったのは叔母のお陰。

 小さな頃から女の子といることが多く、中学生になるとスキンケアに気を使ったり、週に一度は髪のトリートメントをするなど自身が美しくありたいということを求めた。

 学生服は男子用だったが、一緒にいてくれる友達はどちらかわからない内面をもつ自分を受け入れて仲良くしてくれる子が多かった。

 が、目の奥にちらつく戸惑いや拒否がないわけではない。

 それでいい。全員に、完璧に理解して受け入れてもらおうなんて思っていない。

 『この人、生理的に無理』は自分にもあるし、性的マイノリティを理解して受け入れろ、みたいなものには傲慢だと思ったし、懐疑的だった。


 母は『彗は彗でいればいい』と基礎化粧品や女の子が着るお洋服を買ってくれていたが、外に出るときにスカートを履いたことはなかった。

 それが自分の中で、他者や俗世に対して“混乱させない”というエチケットだと思っていた。

 女の子としての可愛くいたいという思いを我慢できる自分に対して、性自認が一致しないということなのか、ただ綺麗でいたい女装が好きな男の子なのか、わからなかった。


 女友達も好きだし、男友達も好き。

 恋というものにもまだ落ちたことがなかった中学2年生の夏休み、女友達と二人で映画を観にいくことになった。

 たくさん練習したお化粧を薄く施すと、その日はなんだかスカートをはきたい気持ちになった。

 が、自分に課していたルールを破る気にまではなれず、折衷案として柔らかい素材の、スカートにも見えるような黒の女性用ワイドパンツにした。


 大きな商業施設でポップコーンを買って二人が大好きな新作アニメ映画をみた後、本屋や服屋を見回った。

 アイスのお勧めフレーバーを熱弁し合い、好きな男性アイドルの写真集を「ほらすっごくかっこいいでしょ!」と勧められ、眼鏡を試着しあっては全然似合わないとずっと笑って、楽しくて仕方なかった。


 その瞬間までは。


 不意に「あ、あっちのお店みたい!」と友達の手を引くように取った瞬間。

 思いっきり振り払われた。

 意識せずとも手を繋ぐかたちになってしまった申し訳なさと、全身を包んだ悲しさで固まってしまった。

 彼女も自分自身のその反応に驚いていた様子だったが、数秒の間で見つけた理由を小さく口にした。


「ちょっと。外でその格好のときはやめて。」


スクリーンに映し出された魔法の炎

ハートのチョコが混ぜられたストロベリーのアイス

こちらに向けられた男性アイドルの笑顔の後ろに広がる蒼空

色とりどりだった今までの世界がモノクロになる


 ワタシが悪かった。ボクが悪かった。

 どちらかわからない。

 わからなくて、悲しくて

 拒絶されて、居れなくて

「ごめん」と呟いてその場から走って逃げた。


 まだ陽が落ちきっていない帰り道は暑くて、顔の汗が色付きの日焼け止めを流す。履いたパンツが脚に張り付き、走りにくいだろ、と嗤ってくる。


 家に着くといつもと違う様子の自分に驚く母を急いで通り過ぎ、自室の戸をバタンと閉めた。

 肩まで伸ばしてしばっていた髪を解き、ぐしゃぐしゃと掻き回す。はいていたワイドパンツを脱ぎ捨て、お化粧がぐちゃぐちゃに崩れるくらい泣いた。


 期待を押し付けたんだ。

 自分を受け入れて欲しいと。傲慢に。

 なんてバカなことをしたんだろう。

 受け入れてほしい『自分』って何だ?

 僕はどんな人間で、私は明日からどう振る舞えばいいんだ。


 二学期から学校に行けなくなった。

 みんなとどう話していたか、どんな風に笑っていたか忘れてしまったから。


 漫画を読んだり、テレビを観たりして時間を消化したが、少しも頭に入ってこない。

 母はいつかこんな日が来ることが分かっていた様だった。何も変わらない。

 何も聞かずいつも通り美味しいご飯を作ってくれ、部屋着のスウェットを良い香りに仕上げてくれていた。


 新学期が始まって2週間が過ぎた頃、母がパート終わりに自分の妹と一緒に帰宅した。

 叔母はリビングで体育座りをしてテレビ画面をぼんやり見つめている自分のもとに寄ってきて、どすんと大きい荷物を置いた。

 段ボールに印刷された中身の写真をを黒目だけで確認する。

「なに?……ミシン?」

 叔母は手芸用品店で働いている。

「うん!彗に誕生日プレゼント!」

 自分の誕生日はもっと先だ。

「今月じゃないよ?それにミシンなんて」

「誕生日なんていつでもいいでしょ」

 話している途中なのに遮る。


「きょう産まれる新しい自分のために自分の服作ってあげな。楽しいよ、何か作るのって」


新しいじぶんのための服……。


「それとー、これも!」

 別の紙袋から出てきたのは、胸がすくようなターコイズブルーの布。

 刺繍だろうか、模様が入っている。

「……綺麗」

 思わず立ち上がって全身であおい生地を受け取る。

「でしょ!これ、アンティークでさ、結っ構高いんだから!これもあげる。大事に使って」

「でも、授業でしかミシン触った事ない。なんか作れるかな?勿体無いよ」

何も感じないように押し潰していた心が小さく動き出した。

「大丈夫、教えてあげるから。裁縫道具あるよね?持っておいで、一緒に作ろう」

母にそれがある場所を訊いて準備した。


「そうだな、スカートがいい!簡単だし」

 そういってメジャーを身体に這わせ始めた。

「あんたほっそいね!」とウエストを測り、膝が隠れるくらい、との希望の丈をとってくれる。

 外に着ていけなくたっていい、私のお守りにする。

 縫い代も計算して、直接印を書き入れるときは、貴重な美術品を汚しているような申し訳ない気持ちになった。

 大きな台形に裁断していく。ハサミを入れる度に落ちていく切れ端を、勿体無いな、と見送っていると

「その大きさなら小さいポーチが出来るね。こっちはヘアクリップとかイヤリングにも使えるから、パーツ買いに来な」

と教えてくれた。


 新品のミシンに糸をセッティングする。

 緊張しながらペダルを踏み、ゆっくり生地を送る。

「彗、息して」と言われ、自分が呼吸していないことに気付く。


 幅の広いゴムを通し、端同士を縫い留める。

 仕上がった。

 掲げて見てみる、あおいフレアスカート。


「すごーい!そんなに簡単に出来るのね。彗、穿いてみてよ。」

 晩御飯の準備を終えた母が近づいてきて言った。

 何時間かかっただろう、というくらいの疲労感があったが“簡単”と言われるくらいの時間しかかかっていなかったのだろうか。


 足を通す。ほどけたり、ちぎれたりしないだろうか。

恐る恐るウエストを引き上げる。

見下ろす自分の視界があおでいっぱいになった。


 嬉しい。思わずくるりと一周まわってしまった。

「かわいいー!上手ー!」と姉妹が褒め称えてくる。達成と充実が恥ずかしさの中、もう一周回って見せた。

 自分でつくったスカートを着用して、心が踊るこの気持ち。男とか、女とか、どっちでもいいのかもしれない。そう思えた。




 ましろちゃんに会うきょう、その時のスカートを選んだことに特別な意味はなかった。

 でも、水色のスカートを作りたい、といった彼女にみて欲しかったのかもしれない。

 私の水色のスカートを。


 教えてもらった住所に到着したが、ここの地下だろうか。7着分の衣装のせいで歩くバランスが悪い。

 片手で手すりを持ち、階段を慎重に下りる。


『水色のスカート』

 まだオープン前の扉は開け放たれ、覗き込むと店内のましろちゃんと目が合った。


「彗ちゃーん!!!重かったよね!ごめんね!ありがとう!!!!」

 そう言いながら駆け寄ってきて、肩にかけている大きな荷物を取り上げようとする。優しい。

「平気だよ!男の子だもん!」

 笑ってそれをかわし、バッグをテーブルに乗せた。

 無駄に傷つかないために自分からネタにしてしまうことを身に付けた自分は、こういうことも言えるようになったのだ。

 大抵、出会って間もない人はこちらから先にこういうデリケートな言葉を先に出すと、なにかほっとしたように苦笑いでぬるっとかわして終わる。

「この子はどっちなんだろう」という探る様な、上滑りするような会話も気持ち悪いし、それならいっそ“普通”ではなくても、確定を出してあげた方が親切だと思ったのだ。

 なんの意味もない名刺交換のような言葉。これ以上そこに踏み込んでくるなという先制パンチでもある。


 なのに、ましろちゃんは

「彗ちゃん、男の子なの?」

 不思議そうにキョトンとしている。

 まだ2度目の彼女の口からそう真面目に返された事に驚いた。どういう意味だろう。

 生物学上の男だということはどれだけ上手くお化粧をしていても分かるはずだ。性的嗜好のことだろうか。


「えっと、どうだろう、よくわかんない」


 ましろちゃんはしばらく私を見つめた。

 私のこと好きなの?と訊かれたんだっけ。そんな肯定も拒否も出来ない気まずさが汗を滲ませる。

 素敵だと思う相手に拒絶される怖さを思い出した。

 何を思っているのだろう、次に何を言われるのだろう。こわい。沈黙が恐怖を持ってくる。男の子だもん、だなんて、試すようなこと言ってごめんなさい。中学生の時に振り払われた手がジリっと熱くなり、もう片方の手でぎゅっと握る。


「ふーん……。まあ、どっちでもいっか!ねえ、バッグあけていい!?早く実物見たい!」


 いまの時間が無かったかのように全ての興味がバッグの中身に注がれる。

「あ、ああ、うん!」

 中身を出すのを手伝いながら嫌な時間が過ぎたことにほっとした。

 変な子、と思うと口角が自然に上がる。

「なになにー?そんなに見せるの楽しみだったの?」

 笑顔が可愛い。つられて笑顔になっていた。この子のためにもっと何かしてあげたくなる。

 広げた制服を見てましろちゃんは直ぐに「着てもいい?」と、一組抱えて裏に消えて行った。


 気に入ってもらえるだろうか。

 ドキドキして待っていると、バックヤードと店内を仕切るカーテンが「ジャーン」と勢いよく開けられた。

「彗!みて!ちょーーーーかわいい!!!ありがとうーー!」


 くるりと一周して見せてくれる。

 服が気持ちをあげてくれたときに回ってみせるのは、きっとこの世界の殆どの人がするのだろうと確信した。

「本当、ましろちゃん良く似合ってるよ」


「ねえ彗、まだ時間ある?昨日のチーズケーキが一個残っててね。食べていいって言われてるから一緒にたべよう!」

 そう言ってるんるんとキッチンに向かった。


「ご飯作ってくれてるキッチンの子がね、最近お菓子も勉強してるの。修行とか言って、ここと別のご飯やさんとかでも掛け持ちしたりして。すごいよね、何か作れる人ってほんと尊敬しちゃうよ」


 新しい衣装を汚さないようにエプロンをつけ、一つのお皿にチーズケーキとフォーク2本。リンゴジュースを持ってきてくれた。

「食べよ!いただきます!」

 一つのケーキ。三角形の頂点を遠慮なく持っていく。

「子どもみたい」

 笑いながら言うと、ましろちゃんははっとして、もぐもぐする口元を隠した。

「もう21歳なのに恥ずかしい」

「そんなことないよ、無邪気でかわいい」


 ましろちゃんは首を軽く横に振ってチーズケーキを飲み込んだ。

「私さ、自分のこと自分でちゃんと決められないの。ほんと、こどもみたい。いつまで経っても。保育の学校行ったのもなんとなくだし、結局なんだかんだ理由つけて保育士として就職もしなかった」

 フォークを置いてリンゴジュースを飲んだ。私もならうようにジュースをいただく。


「でもね、ここのオーナーの水原まなさんのことが大好きになって。すごく憧れてて。近づきたくて認められたくて、まなさんをみて歌い方とか話す内容とか、アイドルってどんなだとか。すっごく勉強したの。そしたら段々いつも楽しめる自分になってて。自分でちゃんと決められてる!って、今の自分は好きだなって思えるんだ」

 自信のある表情。

「ましろちゃん。かっこいいね」

 えへへ、と笑う。


「彗は自分のこと、好き?」

この子は急にドキッとすることを訊く。

白い顔についている黒い二つの瞳が私を捕まえた。

「私は……」


 逃げるように視線を落とすと、テーブルの奥にターコイズブルーが広がっていた。

 アンティークの生地で作ったそのスカートを軽く撫でる。


「私は自分が何者なのかわかんなくて。どう生きていったらいいかもわかんなくて。でも叔母が誘ってくれた手芸店で仕事もできてるし、大好きなお裁縫でこうやって人に必要とされてる」

 勝手に自分の口から出る声が耳に届いて、再確認する。


 そうだ。

「私も今の自分は好きだなって思うよ」

ましろちゃんの目を見て答えた。

ふっとましろちゃんが表情を緩める。

「彗、すっごいかっこいいよ」

そう言われて、えへへと真似して返した。



 それから他の従業員さんが来るまでたくさん話した。

 男の子とも女の子とも付き合ったことがあること。多分どちらも愛せる、というと、まだ私は誰とも付き合ったことないのに、と怒られて笑った。

 もしかしてまなさんに対する気持ちが恋ってやつなのかな?の問いにそれは憧れでしょ、と答えるとしゅんとしてしまった姿を見て可愛いなと思った。

 ファンデーションはどこのを使ってる?

 こないだ一緒にいたもう一人の従業員さんびっくりするくらい美人だね!

 そのスカートの色すごく綺麗だね。


 お皿もグラスもとっくに空になっていた。

砂時計の砂が落ちきったように、終わりの時間を見せられて少し寂しくなった。

 そろそろ開店準備始めなきゃ、とましろちゃんが立ち上がる。


「制服、作らせてくれてありがとうね」

そう言いながら荷物を手にして出口に向かうと

「ええー!こっちがありがとうだよ!」

とましろちゃんが後ろを着いて来てくれる。


「あ、そうだ。これましろちゃんにプレゼント」

星のイヤリングが入ったテープ付きのクリアパックを渡す。

「かわいい、いいの?嬉しい」

またすぐに身につけてくれた。

「ありがとう!」

良かった、似合ってる。

笑顔が段々抑えられていって視線が下に落ちた。

「あの……」

「?」の顔で言葉を待つ。


「ここの周年記念イベントとかさ、誰かの誕生日イベントとかの時とか。また衣装のオーダー、してもいいかな?」

その申し出に『これでさよなら』だということを、とても残念に思っていたことに気付く。

だって

「え!全然いいよ!!嬉しいよ!」

飛び上がるくらい嬉しかったから。

またこの笑顔に会える。


「本当!?時間もかかるのに安くでやってくれるからまた頼むの申し訳なくて」

「わかった、じゃあー次はもうちょっとだけ制作費もらうから!」


 白い肌から発光しているようなめいいっぱいの笑顔。その光を受けて揺れる星。

「やったー!!よろしくお願いします!」

と私の手を両手で握った。

 たった1時間ちょっとで彼女はたくさん、たくさん自分を救ってくれた。




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