白き妃は隣国の竜帝に奪われ王子とともに溺愛される

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白き妃は隣国の竜帝に奪われ王子とともに溺愛される

「娘。アデリナといったか?」

 私を抱きあげ、黒い大きな羽で飛ぶ彼は私の名を呼んだ。


「はっはい」

「これで最後の質問だ」

「……はい」

「私と共にくるか」


 そう、言葉で手を差し伸べてくる彼は、太陽の光を浴びて黒い濡羽色に美しく艶めく黒髪に、小さな光を散りばめたような金の瞳。その瞳は切れ長で少し切れ上がっている。鼻梁はまっすぐで、口は薄く微笑んでいる。一言で言って、美しかった。初めて見る、人以外の、異質の美しさだった。


 そんな私を支える男の腕や触れる体は、初めて感じる異性のもので、私が知らない硬さと熱さの両方を持ち得ていた。


 虐げられ続けた月日──この手を取らないという選択肢はあるのだろうか。


「行きます」

 私は答えた。このまま、この申し出を手離してしまえば、虐げられる人生が一生続くだけ。


 ──ならば。


 「ほう? 敵国である、我がドラゴニア帝国に、女の身ひとつでくると?」

 黒い大きな羽をはためかせて高度を上げながら、彼が愉快そうに笑った。


 私はそうして隣国を統べる彼に、私は自ら望んで奪われたのだった。


 ◆


 時は戻って六年。

「アーベライン侯爵家の若く美しいと名高きアンジェリーナを、我が後宮へ差し出すように──」

 そんな国王陛下の王命が下ったのは、我が家にとって晴天の霹靂だった。


 我が家には、国でも美しいと評判の我が妹アンジェリーナがいる。その彼女が白羽の矢に当たったのだ。

 長く波打つ美しく煌めく金の髪に、湖水のような銀の光を集めたような美しい青の瞳。頬は色をつけずとも淡いピンクでハリがあり触れて艶やかだ。唇はさくらんぼ色で瑞々しく熟れている。

 そんな彼女のことを、人々は神が贈りたもうた女神と称し、結婚の申し込みは後を絶たなかった。


 両親はそんな妹を溺愛し、自慢の娘と愛し、私をほぼいないものとして扱った。食事の際も話題はアンジェリーナがいかに優れた家から婚約話を受けたとか、いかに夜会で他家の貴族から誉めそやされたとか。アンジェリーナもアンジェリーナで、求婚のために贈られた品々を、その美しさを謳ったとして贈られた詩を披露して終始するのである。


 そして、彼女のために、両親は爵位も人柄もこれ以上ない婚姻先を探していた。

 さらに、アンジェリーナには、これは、と思う若く麗しい男性と距離を縮めている……。

 そんな矢先のことであった。


 なぜ後宮に差し出すのを躊躇するのか──。

 それは、皇帝はすでに齢五十を過ぎ、その上、後宮には彼が寵愛する三人の妃がいたからだ。

 さらに、世継ぎもすでに複数いる。むしろ、そちらの王子たちに輿入れさせたがっていたというのにだ。


 アンジェリーナが国王に仮に輿入れし、寵愛され、子をもうけたとしても、我が家にとってはなんの旨味もないのであった。上手くやれたとしても、三人の妃たちを相手にし、他の妃から子を護り、国王陛下の機嫌をとる。まだ若きアンジェリーナにとっては、毎日が苦しい日々となるのは想像に容易かった。


 そんなわけで、我が家は、その命をどうにかして逃れようとした。


 そこに白羽の矢が立ったのが私だった。


 私、アデリナはアンジェリーナが生まれて今まで、いないも同然に扱われていた。

 先に生まれた私は、美しく生まれ、愛嬌よく育ったアンジェリーナとは正反対だった。

 ひどく一般的で、乾燥した国ではひどく癖のでる赤毛の髪。冴えない深い緑の瞳。自分を囲む環境に笑みを忘れた表情──。


「アデリナお姉さま。食事の支度は済んでいらっしゃるの?」

「お? アンジェリーナ、急にどうした」

「だって、お姉さまにお似合いだと思わない?」

 アンジェリーナとお父様が笑い合う。


「冴えないアデリナにはぴったりだわ。ああ、将来はどこかのお宅に侍女として勤めさせてもいいな」

「そのためにも、家のことに慣れておいた方が良いでしょう?」

 そういって母とアンジェリーナは大笑いし、アンジェリーナはくすくすと笑った。


 ちなみに、私を庇ってくれていた祖父母はすでに他界してしまっていた。


 私はその結果事実上、侯爵家の長女だというのに、使用人のうちの一人のように過ごしていた。

 アンジェリーナのほんの一言で、自宅で侍女まがいのことをさせられていたのだ。

 掃除、洗濯、そして配膳。それらは私の仕事となった。


 そんな私が主役になるのは、虐げられられる時だけ。

 アンジェリーナが、カチャンと音を立てて落ちたカトラリーを、「ねえ、アデリナお姉さま──」そう声をかけて、暗に私に「拾え」と命ずるのだ。


 食卓には、密かに「クスクス」と笑う声が響く。

 家族からも。使用人たちからも。


 本来、テーブルについた主人たちが落としたカトラリーを拾うのは執事や侍女、メイドといった、使用人の務めだ。けれど、あえてそれを命ずるのだ。アンジェリーナは。


 そして「お前は我が家の侍女に過ぎない」とことあるごとに思い知らせてくるのだ。


 メイドたちも、この家の力関係をわかっていて、椅子を降り、しゃがんでその落ちたカトラリーを拾おうとする私を放置する。本来は、やめさせるべきなのに。


 私はしゃがんでそれを拾おうとする。すると、さらに上からアンジェリーナの肘で滑り落とされた追加のカトラリーや、皿がザラザラと落ちてきて、私の頭を次々と打つ。

 もちろん、皿の上に残った食事で私の赤茶の髪を汚す。


「あらごめんなさい。ちょっとぶつけちゃったみたい」

 アンジェリーナがそういうと、部屋中がわっと笑いに盛り上がるのだ。

「いや、それは酷過ぎやしないかい?」

、あなたの姉なのよ」

 父母はそう言いながら、言葉とは裏腹に、大笑いしながらアンジェリーナに拍手喝采するのだ。


 話は戻って、アンジェリーナの輿入れなどという大問題が持ち上がったその日、我が家では玩具でしかなかった私がいることに、家族たちは気がついたのだ。

「ねえ、あなた。アンジェリーナを今更国王陛下の四番目の妃にと輿入れさせるのは、あんまりにもかわいそうです」

 母がそういう。


「ああ、そうだな。輿入れさせるのにちょうど良いのがいたじゃないか。あれは、あんなみっともない容姿に愛愛嬌のなさでは、輿入れ先など見つからんだろう。なんとかして代わりに、アデリナを押し込めれば良いのだが──」


 そういって、父は動いたのだ。


「アンジェリーナは病にふせっております。ですが、代わりに長女のアデリナを差し出しましょう。夜会にも滅多に出さず、家の中で大事に大事に育てた秘蔵の娘でございます」

 そう国王陛下に申し出た。

 その内実は、侍女として扱っていただけだけれど。

「そうか。アンジェリーナではないのは残念だが、美しさと社交のうまさにかけては名の高いアーベライン侯爵家。姉をあまり夜会で見たことはないが、そなたがそういうなら、きっとアンジェリーナ以上の娘なのだろう!」

 そういって、なんとか乗り気にさせることに成功し、私が輿入れすることになったのだった。


 そうして迎えた輿入れの日の、あの陛下の目。

 婚姻の儀式で私の父から引き渡され、花嫁である私の顔を覆うヴェールをめくった時──。


「これがか」

「──はい」


 お父様が答えると同時に、はらりと国王陛下が手を離し、ヴェールが降りた。

 そして同時とも思えるほどの短い時間で、陛下はくるりと背を向け、後宮の奥へと消えていった。


 ──そしてその日の夜。

 初夜でもあるその日、私にあてがわれた部屋で一晩待っても、国王陛下は姿を現さなかった。

 私は、空が白むまで、私は陛下がいらっしゃるのを待っていた。


 ただ、私はほっとしたというのも本音だった。

 ヴェールをまくり上げられた一瞬、その姿を見た国王陛下の姿は、私の父と同じような年頃で。しかも、私を迎えたことに、喜びのかけらも感じさせないその態度。

 そんな人の妃になり、今夜を迎えることに恐怖を感じていたのだ。


 そうして、その後も国王陛下は私に与えられた部屋に、一度も足を踏み入れることはなかった。

 顔を合わせるのは国王陛下と四人の妃が揃う儀式や宴のときだけ。


 形ばかりの妃として、他の妃たちと共に、与えられた席をただ温めていた。


 私と陛下は、白い結婚を続け、さらに私事で口を交わすこともなく。

 そんなぎこちないやり取りから他の三人の妃たちは、事情を勘づいて、内心安心するとともに、私を嘲笑うのだった。


 そうして、私は、後宮で『白妃はくひ』と綽名されるのだった──。


 ◆


「何にもすることがないわね」

 私は、誰もいない部屋で、テーブルの椅子に腰掛けて、私は肘をつきながらぼうっとしていた。

 ある意味、前の家ではやることは侍女の如く山のようにあった。それとはうって変わって妃となって、何もすることがなくなって、正直、時を持て余していた。


 衣食住にも事欠かない。


 衣装は、前の家では考えられないような美しい衣を、体裁上、困らない程度に与えられていた。

 食事は、後宮の皆が食べる食事なので、侯爵家出身とはいえ、毎日が贅沢な食事ばかりである。ただし、他の妃と違うのは、必要最低限しか配膳されないということだが。

 住まいは、『美しい妃』が来るはずの宮だったので、大変美しい宮である。

 けれど、国王陛下ですら、他の妃すら、誰も私の宮を訪れない。

 実家からは便りのひとつもなかった。


「寂しいわ」

 そう思いながらも、これで我が家はなんとかなるだろう。

「それでいいわ。家族の役に立てたんだから」

 そう思っていた。

 年老いた国王陛下に輿入れするだけ。それで、家族の役に立てたのだから。


 ◆


 そうして三年が経った。

 様子を見ていたアンジェリーナは、婚期ギリギリとはいっても相変わらず美しく、婚約話に事欠かなかった。結局、一応王家とは遠縁の公爵家の令息と結婚したのだという。

 本来は、国王陛下の息子、王子殿下たちに輿入れさせたかったそうなのだが、アンジェリーナと私の入れ替えの件もあり、申し入れもしにくくなり、諦めたのだそうだ。


 そして、私はおそらく国王陛下がご存命の間くらいは衣食住には困らない。


 ──これでいいのだ。


 私は目を瞑ってそう思うのだった。

 私は朽ちていく。

 この宮で、人知れず、静かに──。


 そう思っていたのだった。


 ◆


 そうして使用人を除いてほぼ一人で生きていたある日。

「ピイィッ!」

 と私の宮の裏の草むらから何かの鳴き声がした。

 扉を開けていると、遠くから「アレはどこだ──! 見つけ次第殺せ──!」と声がした。


 ──そんなに怖いものが紛れ込んだのかしら。


 声も近い。どうしよう。悲鳴を上げて侍女を呼んでおくべき?

 悲鳴をあげれば、侍女の一人か二人がやってきて庇ってくれるだろう。


 ──『白妃』を本当に庇ってくれるかは疑問だけれど。


 そんな妄想に私が耽っていると……。


「ピィ! ピィ!」

 カサリ、と小さな葉擦れの音を立てて姿を表したのは小竜。

 小さいとはいえ獣の姿に危機感を覚える。


「……おねがい、たすけて……!」

 すると、その小竜は見た目三歳ほどの小さな子供の姿に変化して、人の言葉で私に救いを求めてきた。

「まあ、こんな小さな子だったのね」

 それに、小竜でもあり、人間の姿に変化できるとあれば、ただの獣の竜ではなく、隣国の竜人族の子供だろう。そしてその証に、頭に二つの小さな角を持っていた。どうしてこんなところに迷い込んだのだろう。


 外の叫んでいる男たちの声を聞きながら私は思う。

「……この子、殺しちゃまずい気がするんだけど」

 そう呟くと、人の姿の小竜が私にぎゅっとしがみつく。

「おねがい。たしゅけて。あのひとたちに、わたしゃないで……!」

 そう言って、必死に私に救いを求めるのである。


 ──どうしたものかしら。


 隣国の竜人族が統べる国、ドラゴニア帝国は、人間から『亜人』と謗りを受けた、獣人たちをまとめ上げた国である。しかも、竜の姿をとれるものは、王族や、それに近しい血を持つものが多いと聞く。

 だから、本来、しかるべき手段をとって、丁重にお返しするのが筋なんだけれど……。


バント王国この国って、ドラゴニア帝国と敵対しているのよね……」

 そう考えると、この子を追っている人間たちに、引き渡した後が怖かった。敵である隣国の、王族に近しい子供。一体どんな扱いを受けるのだろう。


 ──外の人間も殺せっていっているものね……。


「ねえ、おねえたま。ボクをかくまってくれない?」

 舌ったらずな口調で、「匿って」などという。


 ──一体この子幾つなのかしら?


 ドラゴニア帝国の人々は種族によって寿命も年齢による外見もさまざまなのだという。この子は実際は見た目の三歳くらいなのには、実年齢には当てはまらないのかしら?

 でも、舌ったらずな子供っぽさもあるのよね。


 私がそう考えていると、「あ、イタタタ」という声がした。

 私の宮に入り込んだ小竜だ。


「勝手に……!」

 入らないでと言おうとした時、彼が怪我をしているのが目についた。


「怪我をしているなら、治さないとね」

 どうも私の方が捕まってしまったらしい、仕方ない。と思いながら、私は、裏の草むらの草の中から薬草になる草を選び取り、そして、部屋に戻った。


「追われていたからか、随分と汚れているわね。それと、あちこちに傷が……」

 汚れは長く清めていないようなものではない。あくまで表面的なものだ。そして、傷も、深いものではなく、転んで擦ったり、追っ手たちの刃を掠めたような、浅いものばかりだった。


「薬草のほかに、体と傷を清めるための水がいるわね……」

 そうなると、自分一人ではできない。自分付きの侍女に頼まないとならないのだ。


「ちょっとそこ、クローゼットの中で一人で、静かに隠れていられるかしら?」

 そう、小竜に尋ねた。

 すると、コクコク、と縦に頷いて見せた。


 私はクローゼットを開けて、彼の背を優しく押して、中に入るよう促す。すると、素直に中に入り、体をキュッとさせて小さくさせる。

「ボク、ここでしずかに、いいこにしてる」

「うん、お願いね」


 そういって、パタンとクローゼットを閉めると、「ミランダ」と私付きの侍女を呼ぶ。

「お呼びですか?」

 そういって現れたミランダは、『白妃』を軽んじていて、私に仕えることを倦んでいる。そんな彼女は、常に事務的にことを運ぼうとする。

 今はそれが功を奏するといえるだろう。きっと彼女は部屋の中の異変などかけらも気づかないに違いない。


「たらいに水と、布を持ってきて欲しいのよ。少し清拭したくて」

「お手伝いは……」

「いらないわ」

「承知しました」


 それで終わりである。

 そうしてミランダが水を持って来てくれる間に、薬草を乳鉢で擦って、薬になる成分を絞り出す。

 この簡単な薬作りは、昔私が家事をさせられていたときにできた、あかぎれを治したりするのに覚えたものだった。だから、そこまであっという間に治ってしまうような驚くような効力のあるものではない。

 けれど、毎日少しずつ塗っていけば、彼の傷も治るだろう、と。そう思って必要な量を擦っていた。


「水と布をお持ちしました」

「ありがとう」

 やがて、ミランダが水を持ってやってきて、興味もなさそうに帰っていった。私も形式的に礼を返す。


「さて、出てきてもいいわよ。小さなお客さま」

 そうクローゼットに向かって声をかけると、キィと小さく音を立てて、狭く内側から扉が開けられる。

「……だいじょぉぶ?」

「ええ、もう大丈夫よ」

 そう答えると、扉が大きく開かれて、人の姿の子が私の腕の中に飛び込んできた。


「……怖かったの?」

「うん。しらないひと、きたから」

 私は彼が腕の中に飛び込んできたとき、既に彼を受け入れてしまったようだ。優しく髪を指で梳きながら、穏やかに問いかけた。


「ちょっと汚れているわね。それと、傷があるわ。体を綺麗にして、傷に薬を塗らなきゃいけないわ」

「くすり、いや」

 そういうと、子供は腕の中から逃げていって、部屋の隅に逃げてしまう。イヤイヤする姿は子供そのものだ。愛らしくて、思わす、くすくすと笑ってしまう。

「大丈夫よ。痛くないようにしたお薬を用意したから。ね?」

「ほんとうに、ほんとう? うそ、ついてない?」

 こくんと首を傾げて尋ねてくる姿は、愛らしい。


「本当に。全く、かわいいわね。……ほら、いらっしゃい」

 私が両腕を伸ばすと、おずおずと腕の中に戻ってくる。

「服を脱がすわね。体を拭いた方がいいから」

「うん」


 そうして清拭している間もおとなしい。


 ──名前を聞けたりしないかしら?


 この国で名乗るのは難しいかしら?

 そんなことを考えながら私は清拭を終えた肌の、赤い部分に、刷毛で優しく薬を塗りつける。


「……いたくない」

 子供はポツリとつぶやいた。


「良かった。……ねえ、お話しするのに不便だから、名前を教えてくれると嬉しいわ。私はアデリナっていうのよ」


「うそつかなかった」

「ん?」

「いたくなかった」

「ふふ。それなら良かったわ」

 私は綺麗になって、薬を塗り終えた体に、もともと彼がきていた服を着直させた。


「ボクはね、ウソをつかないひとがすきなの」

 にっこり笑って私に抱きついてくる。

「だから、おしえてあげる。ボクは、ドラコルト」

「そうなの。ドラコルト、よろしくね?」

「よろしく、アデリナ。ボクはドラコでいいよ」


 そうお互いに挨拶してから、ドラコは部屋のあちこちを見て回る。さすがにさっきの今なので、外から見えそうな窓や扉の近くは止めたけれど。


「アデリナは。ここで、ひとりで、すんでるの?」

「……どうしてそんなことがわかるの?」

 陛下の訪れがあれば、そんな返事を返す必要はなかったのかもしれない。けれど、この部屋、宮は、用がなければ誰の訪れもなく、私ただ一人で住んでいるといって過言はなかった。


「め、がね、さみしそう、だったから」

 そういって、そっと私の目元に手を差し出してきた。暖かく、弾力のある、柔らかな指先が目元に触れる。それだけで、今までの悲しかったことが込み上げてきて、ぽろぽろと私は涙をこぼした。


「さみしいの? アデリナ?」

 急に慌てて、服の袖でこぼれる涙を拭ってくれる。

「うん、そうだったのかもしれない」

 そう、感じないように生きてきた。けれど、私は寂しかったのかもしれない。父母や妹に蔑ろにされ、一応夫である国王陛下には一度も夜の訪れを受けず。


「ボクが、いてあげようか?」

 ドラコはそういって、ぎゅーっとする。

「何いっているの。帰るあてもなくて、ここに居候しようとしているくせに」

 そういって私が揶揄すれば。

「ふふふ」

 と笑って、私の胸元に顔を擦り付けてくる。


 ──もし子供がいたらこんな感じなのかしら。


 人間にはあり得ない、銀の煌めく髪を持ち、瞳は黄金色。顔は非常に整っている方だろう。こども特有のきめ細かい肌は触れていて心地良い。

 きっと、ご両親がいたら、かなりの美形に違いない。そして、耳は上側の先端が、人のそれより尖っていた。

 そんな彼は、もうすっかり気を許し、すりすりと甘えてくるドラコの頬や耳たぶに優しくふれれば、ふにっ、と柔らかな弾力が返ってくる。色もまるで真っ赤に紅葉したもみじのよう。

 思わず彼の存在の全ての愛らしさに、私は微笑んでしまう。


 とはいえ、敵国である隣国の王族に近しそうな子供である。本当は彼を匿うのは不用心だろうな。


 ──それでも、この単調な一人の生活に寂しさを覚えてしまって。限界だったのだ。


「ちゃんと傷が癒えるまでここに隠れていなさいね」

 思わず自分から言ってしまう。

 すると彼はこうだ。

「かえりかた、わからない。むかえ、くるまで、アデリナといっしょ」

 そう言って、私の膝に顔を擦り付けてきた。

 することなすことが愛らしくあざとい。いや、あざといのではなく、何も考えずにやっているのだろうけれど。


 と、そんなとき、部屋の外から声がした。

「お食事のお支度が整い、お持ちしました」

 侍女のミランダだ。私は、終始体に触れてくるドラコの体温が心地よかったので、隠れさせるために離れるのも離れがたく、このまま受け取ることにした。


「しーっ」

 私は彼の唇に人差し指を添えて、おとなしくするよう諭す。それから、ミランダに扉ごしに声をかけた。

「食事は外に置いておいて。これからも。ああ、そうそう、食事量を少し増やして欲しいのよ」


「……ご懐妊ですか?」

 ミランダは抑揚もなく、彼女だってありもしないとわかっていることを聞く。

「食事は妃方の体調に合わせて作られています。多くするというのは……」


「皆が相手にしない白妃の体型が多少変わったとして、何か問題があるのかしら? それに、私は仮にも侯爵家出身の妃。あまりないがしろにされても……ねえ?」

 くすりと笑って嫌味を返す。こんな強気に出られたことは初めてだ。食は全ての源だ。幼い彼の分、増やしてもらうことは必要だろう。そもそも、他の妃と違って、私は必要最低限の食事しか配膳されてきていなかったのだから。

「いいえ、それは、その……」

 モゴモゴと答えられずにいるミランダ。少し嗜虐心を満足させられて、私の口は笑みの形を作ってします。


「そういうことなの。いいわね。調理室の者たちにも伝えておいて。……他の妃ほど贅沢にとは言わないわ。でも、もう少し量を増やして欲しいの」

「……それでは、この食事も変えた方がよろしいのでは……?」

 私の珍しい攻勢に押されたのだろうか。自ら引いて、ありがたい提案を申し出てきた。


 私は、床に座っている私の膝の上に顔を埋めているドラコを見下ろす。彼は今、傷を負って食事もしっかり必要だろう。私の分を分けるつもりだったが、彼の分ほど……とはいかずとも、増やしてもらった方がいいに違いない。

「……そうね、お願い」


「でしたら、一度御膳を下げてもう一度新しいものを用意させます。失礼します」

 そういうと、カタンと御膳をもって立ち上がる気配がして、その後、足音が遠ざかるのが聞こえた。


「……ドラコ、もう大丈夫よ。」

 そう言って、膝に顔を伏せて静かにしていた彼の髪を梳いてやる。

 すると、ゆるゆると彼は顔を上げる。


「ごはん、ふやしたの?」

「ええ、あなたの分がいるでしょう?」

「バレて、しまったり、しない?」

 そう言って、心配そうに潤んだ目で私を見上げてくる。


「大丈夫よ。結果として私が太るでもしなければ、咎められないわ。私は、他に我儘の一つも言っていないのだもの。これくらいは通るわよ」

 そういうと、ニコッとドラコが笑う。


「食事がきたら、後で一緒に食べましょうね」

「うん。アデリナ、だいしゅき」

 私に全面的に受け入れられたことを感じ取ったのだろう。

 私の座る床は毛足の長いカーペット敷だ。そこから、ドラコは今度は堂々と私の膝の上に乗って、私に抱きつく。


「やさしい、アデリナ、だいしゅき。いっしょ、くにに、かえるといい」

 国に、帰るといい? 彼の国に一緒に行って欲しいと言うことだろうか。その言葉がありがたくて、私は微笑む。私はこんなに笑ったり微笑んだりしたことがあっただろうか。

 彼は甘えて顔を埋めてくる。すると、彼の髪が私の鼻先をくすぐる。子供特有のまだ幼い匂いがして、その小さな存在が、愛らしくて愛おしくて。もう離れられない存在のように感じてしまった。

 何より、前の寂しい環境にはもう戻れない。


「うん、一緒に帰るわ」

 だから、私はあまり事態を重く考えず、返答を返してしまった。

「じゃあ、ゆびきり、げんまん」

 小指を絡めることを求めてきた。私は、その時は児戯と軽んじており、安易にそれに応じたのだった──。


 やがて、再びミランダが食事を持ってきた。彼女を早々に返してしまうと、にぎやかな二人での食事の開始である。

「やっぱりお箸はまだ無理ね? じゃあスプーンはどう? ……うーん、自分だと危なかしいわね」

 何で食べさせても自分ではポリポロボロボロとこぼしてしまうドラコに、仕方ない、と私がスプーンを持つ。そして、子供が好みそうな甘い煮付けをスプーンに掬った。


「ほら、アーンして?」

「アーン」

 そうして、差し出された煮付けをパクりと食べる。食べ方には問題があったが、体力の回復中だからなのか、追われていて食事にありつけなかったのか、食べっぷりはよく、初回は私の分まで少し食べる勢いだった。


「よく食べたわね。えらいわ。そうやって、傷を治して、大きくなりましょう? そうしたらきっと帰れるわ」

「……とうさま、きてくれる。たぶん。だから、だいじょうぶ」

「え……」

 おそらく彼の父親といったら、竜人族の王族に近しい……。


 ──ええい、ままよ!


 私は考えを切り替える。

 いいじゃないか。この国に成人の竜人が来ようとも。

 私は、もう一人ではいられない。ドラコとの生活が手放せなくなってしまったのだから。


 そうして、私は彼、ドラコとの生活を受け入れるのだった。

 彼の隠れ家は私のクローゼット。ミランダや、そのほかの人が来る場合には、静かに隠れさせる。

 そうやって、日々を過ごしていった──。


 ◆


 そうして三年の時が経った。

 未だ私は『白妃』のままである。


「ねえ、アデリナ、おなかがすいたよ」

 ドラコは特に五歳くらいに大きくなるとかはなく、3歳のみかけのまま、私にすっかり懐いて、平穏な生活をしていた。


 ところがある日──。


「竜だ! 竜人が現れたぞ!」

 王都中が大騒ぎになった。成人の竜人一人は、人間に比べれば百人力。相手にならないほどのものなのだ。


「我が息子はどこだ! 探し回ること三年。ここで消息を絶ったことはわかっているのだ!」

 そういう男は、人の姿に、黒い大きな竜の翼をはためかせていた。

 その声を聞いたドラコことドラコルトは、飛んではしゃいだ。

「ね、いったでしょ。とうさま、きた!」

 王都を襲撃してきたものは、彼の父なのだという。


「我々は、竜など関わったことはない! 早く去れ!」

 王都の警備兵が、空中を飛ぶ彼を槍で突こうとするが、リーチが違う。全く功を奏さない。

「正直にいえ! 三年前、ここに小竜が紛れ込んだはずだ!」

 そう言って、脅し程度に、魔法で炎を生んで、彼らにけしかける。


「うわぁ! 炎だ!」

「俺たちは知らん!」

 警備兵たちは知らぬ存ぜぬを繰り返す。

「もう少し、仕置きが必要か──」


 手に、前より大きな炎を生み出すと、数人まとめて炎に襲われるようにと投げつけた。

「うわぁぁ! もう嫌だぁ!」

「国王陛下に口止めされているだろう!」

 どうやら、ドラコルトの出現と失踪は国王陛下に伝わっており、そして箝口令が敷かれていたらしかった。


「ドラコ、どうするの?」

 私はドラコに尋ねた。

「もちろん、とうさまのところにいくよ。アデリナも、いっしょにね!」

 そう言って、手をぎゅっと握って引っ張られる。

 宮裏の藪を抜け、実は壊れたままの壁の穴からなんとか私もいっしょに通りに出る。


「とうさま!」

「おお、ドラコルト! やはりここにいたか……と、その女はなんだ?」

 ドラコルトの出現は想定していたのか、驚きは見せなかったが、ぎゅっと手を握って離さない私の存在に訝しげな態度を示した。

「ボクを、さんねん、まもってくれていた、ひめさま。ケガもなおしてくれたんだよ!」

 そう言いながらも、私の手は離さなかった。


「……そこは……後宮……姫様ということは、国王の女か?」

 ドラコルトが主張するにしても、確かに彼から見れば、私は後宮に身を置く国王の穢らわしい妻の一人にすぎまい。眉間に皺を寄せて汚いものでも見るような目で私を見た。


 その時、警備隊長がドラコルトがぎゅっと手を握りしめる私の姿を見つけて叫んだ。

「はっ。『白妃』が余計なことをしていたのか! どうりで見つからないと思ったぞ! おかげで俺がどんなに……」

「……『白妃』?なんだそれは」

 警備隊長の言葉は、ドラコルトの父の言葉に遮られる。


「そのままだろう……美しくもなく、愛嬌もなく、輿入れしたはいいが、国王の手は一切手がついていない、白い結婚に身を置く哀れな身の女のことさぁ!」

「やめてください!」

 警備隊長が私の恥ずかしい身の上を全てバラしてしまった。

 恥ずかしくて、悲しくて、私は顔を手で覆って隠す。どうしてこんな身分のものにまでも、嘲笑わられなければならないのだろう。

 少なくとも侯爵家の生まれだというのに。


「ほう、そなた──……」

 視線が私に止まる。

 そして、「この宮で冷遇されているのか?」と言葉が続いた。私は顔を隠していた両手を少しづつ下げる。その下は、涙でぐしゃぐしゃに濡れていた。

「はい。……初夜を含め王の訪れは一夜もなく、白い結婚ゆえに、『白妃』と蔑まれる日々を送っております──」

 涙を手の甲で拭いながら、それでもまだ溢れ出る涙を拭い続けながら答えた。

「アデリナ、かおがどんどんぬれていくよ」

 ドラコルトも、慌てて、一生懸命に服の袖で一生懸命一緒に私の涙を拭ってくれる。


「泣くな」

 ドラコルトの父はそういうと、大きな両手が私の頬から下瞼を拭い、ぬれていた涙を一掃してしまう。

「──私の息子が世話になったようだ。それに、気難しくなかなか誰にも気を許さないドラコルトが随分懐いている。……そうだ」

 良いことを思いついたとでもいうように、現れたドラコルトの父は愉快そうに笑う。

「ドラコルトの件は、そなた──まだ手付かずだという後宮の美しい姫を奪うという条件で手打ちとしてやろう」

「美しい? 私が? 私は生まれてこの方、美しいなどと言われたことはありません」

 思わず驚いてしまって、私を褒める言葉を否定しながら、ドラコルトの父を見る。

「何をいう。そなたは美しい。土地が変れば価値観も変る。そなたは、私の目にはこれ以上なく美しく映っている。我々の国に来い。そなたは美しいと誰からも誉めそやされるだろう」


 すると、ざっと一瞬風が凪いだと思った。

 その後気づくと、私は、彼の腕の中、そして空の上だった。


 間近で見る彼は、太陽の光を浴びて黒い濡羽色に美しく艶めく黒髪に、小さな光を散りばめたような金の瞳。ドラコルトと違うのは、その瞳が切れ長で少し切れ上がっていることだろうか。鼻梁はまっすぐで、口は薄く微笑んでいるのが、大人の余裕を垣間見せる。

 そんな私を支える男の腕や触れる体は、初めて感じる異性のもので、私が知らない硬さと熱さの両方を持ち得ていた。


 こんな美しく、男性とは、こんなにも力強く逞しい存在だったのだろうかと、私は見惚れるのを通り越して驚いてしまい、目を見張り、口を軽く開く以外のどんな反応も示すことができなかった。


「どうした、空がそんなに怖いか?」

 その男は、見当違いなことを聞く。当然、足が地につかないことも怖いけれど。


「……怖い、ですけれども」

 そこは素直に答えておいた。


「だいじょうぶ。とうさまがいるから! とうさまは、おつよいから、おとしたり、しない!」

 その男の横で、ドラコルトが人姿に小さな銀の羽を生やしてパタパタと飛んでいる。


 そうして親子と私の会話をしていると、下から矢が飛んできた。

「煩わしいな」

 今度は矢だと、警備兵たちが飛ばし、時々こちらにまで飛んでくるものをうるさそうに眉間に皺を寄せる。


「娘。アデリナといったか?」

 ドラコルトが言っていたのを聞いて覚えたのだろう。彼は私の名を呼んだ。

「はっはい」

「これで最後の質問だ」

「……はい」

「私と共にくるか」

 私は、人生最大級の選択肢を迫られた。


 私は実家で邪険にされて育った。──私がここにいる必要はあるだろうか。

 私は後宮でないものとして置かれた。──私がここにいる必要はあるだろうか。


 私はこの王国にいる必要はひとつも見つけ出せなかった。

 そして、おそらくは行先は敵国である隣国のドラゴニア帝国。苦心することもあるだろう。

 けれど、私は初めて自分自身で自分の身の振り方を決意した。


「行きます」

「ほう? 敵国である、我がドラゴニア帝国に、女の身ひとつでくると?」

 矢を煩わしく思ったのか、高度を上げながら、ドラコルトの父が愉快そうに笑った。


「私はこの国にいても居場所もありませんし、必要ともされてきませんでした。扱いはいつも奴隷のそれと変わりません。ですから、ドラゴニア帝国に連れて行かれて、奴隷として扱われようとも、扱われ方に変わりはないと思うのです」

 私は、多少の怯えと、大きな決意を込めて彼に告げた。


 すると。

「良い。異種族と知りながらドラコルトを匿うその心の強さと、優しさ。その身の振り方を決める、その心の強さも。大地に愛されし美しき容姿も。そして、こんなに美しいのに手付かずだという。どうして奪わずにいられよう」

 そう言って、私の髪の先に指を絡めて、『白妃』であることを指して満足そうに笑った。


「この髪も、水に愛されしドラゴニアに行けば落ち着くであろう。きっと美しい波打つ髪になるに違いない。そして瞳は大地に愛されし美しい緑。ドラコルト、美しく良い娘を見つけたな」

「ふふっ! ボクのくににいっしょにかえるって、ゆびきりげんまん、したんだよ!」

 父の機嫌の良さと褒め言葉に、自慢げにドラコルトは胸を張った。

「ほう、それは我が子ながら上出来だな」

 

 そうして、彼は、私を得て、そして我が子と久々の会話をしてから、なにも動きのない大地を見やる。


「反論らしい返事はないな。では、こちらも積極的な戦は望んでいない。我が子を傷つけられ三年の間返却がなかったことについては、そちらの妃の一人を貰い受けることで手を打とう。……では、さらばだ」

 国王は、あの競り合いに顔を出しもしない。話にならないと、一方的に要求を突きつけてドラコルトの父はくるりと反対方向を向くと、大きな黒い羽をはためかせ、ドラコルトと並んで、隣国を目指すのだった──。


 ◆


 私は、ドラゴニア帝国につくと、豪奢な一室に置かれることになった。

 けれど、前の宮の時と同じで寂しいかというとそうでもない。

「アデリナ〜!」

 そう叫んではしょっちゅうドラコルトが遊びにやってくるからだ。


 ◆


 そうして一年の時が経った。

 私は、ドラゴニアの王宮の一室で快適に暮らしている。


「アデリナ〜!」

 今日もドラコルトがやってきたようだ。

「ドラコルト殿下は、本当にアデリナさまがお好きでしょうがないのですね」

 にっこりと笑って隣で刺繍をしながら見守っているのは、ワニの頭を持つ侍女の、リデルである。


 そう。驚いたことに、ドラコルトは王子、そして私を攫った彼の父はドラゴニア帝国の皇帝その人本人であったのだった。

 私は、その彼に、彼の支配する王宮の豪奢な一室を与えられたのだ。


「あ、待ってリデル、そこより先に進まないでほしいわ。私、まだそこまで行っていないのよ」

 私は、嫁入りに必要な教育を実家で受けていなかった。やっていたのは侍女のような使用人としての仕事ばかり。刺繍も覚えたい技術の一つだった。


「大丈夫ですよ、アデリナさま。あとでアデリナさまのものを見ながら教えて差し上げますから。まずは殿下のお相手をして差し上げてください」

 そういわれてみてドラコルトを見ると、じっと手に糸を持ったドラコルトが待ちきれないと言った様子で待っていた。

 侍女も私に優しかった。


 私を待つドラコルト、そして優しい侍女。私は幸せだった。


 話は戻って、ドラコルトがやってきた用事だ。

「『あやとり』なる遊びを覚えたのだ。アデリナ、知っているか?」

 ドラコルトも、少しは成長し、口調がはっきりしてきた。

「知っていますけれども……それは人間の子供の遊び。殿下、もしかしなくとも、また人間の里に抜け出していっていましたね?」

 むに、と人型のときの柔らかいほっぺたを軽くつねった。

 ドラゴニア帝国の人々は、人型をとれるものは、それが誉高いようで、普段の生活の時には人型を取るものが多かった。


 私はというと、ドラゴニア王国に移ると、以前の乾燥したバント王国とは違い、適度な湿度に恵まれた大気のせいで、艶のある、やや緩やかな波打つ髪に変わった。もちろん、そう仕上げてくれたのは、こちらでの侍女としてつけられたリデルの念入りな手当てのおかげである。


 私の赤茶色の髪は我が国の大地のよう、緑の瞳は豊穣を表す女神のよう、として褒め称えられた。以前が以前なので、びっくりである。しかも、『人間だから』といって差別したりしない。

 この国が、人間に差別される獣人たちをまとめ上げて作られた国だからだろうか。逆に、人間という種族の中で冷遇されてきた私には、親近感を感じるのか、私の境遇を知るものたちは優しかった。


 話が逸れてしまった。問題はやってきたドラコルトである。

「ねえ、あやとりで遊ぼう。他に誰もできないんだよぅ」

 そりゃあそうである。人間の子供の遊びなのだから。


 それにしても危なっかしい。いくら人型をとったとしても、小さな黒いツノと、小さな羽は隠せない。これは、彼の父である皇帝陛下に──。


 叱っていただかないと、と思っていたら、床音を立ててその人がやってきた。

「ドラコルト。また、アデリナの元に入り浸っていたのだな」

「だって父さま。アデリナしかわからない遊びを一緒にしてもらいたかったんだ」

 そう口を尖らせて呟けば、彼の父、皇帝陛下はドラコルトの頭を優しく撫でる。

「お前は本当にアデリナになついているのだな」

「うん! 母さまになってほしい!」

 と、その言葉には、ぎょっとして皇帝陛下と私とで目を合わせてしまう。そして、私は恥じらいでそそくさと顔を下げて、熱くなる頬を隠すように押さえるのだ。

「なあ、ドラコルト。私は忙しい執務の合間を縫ってやっとアデリナのもとへやってきた。少し時間を譲ってはもらえないかな? そなたのその、母さまになって欲しいという願いは、私から頼み込んでやろう」

「本当!?」

 そう優しく諭した。

 ──待ってください、母様になるなんて、それって、陛下の奥方になるってことじゃ……!

 そんな切実な私の想いとは裏腹に、陛下は当たり障りのない事柄に話題を移す。

「ああ、そうだ。お前とアデリナには、帝都に新しく持ち込まれたという新しい菓子を持ってきたぞ?」

「お菓子!?  ……でも、さっき言っていたとおり、父さまは忙しいんだよね?」

「そうだな」

「……じゃあ、今は譲ってあげる。あ、アデリナ!」

 ドラコルトの目線が皇帝陛下から私に移った。

「父さまとの時間が終わったら、次はボクだから! 呼んでよね!」

 そういうと、リデルに菓子の半分を持たせて部屋をあとにするのだ。


 なんだか、私はこの親子にこういうふうに毎日引っ張りだこなのである。

 そうして、掛けて去って行くドラコルトを見送った。リデルも、そっと部屋を辞していく。

 私たちは二人きりになった。


「やっと二人の時間が取れた」

 そう言って、向かい合って座り、私の細かく波打つ赤茶の髪を指に絡めてから、そのまま髪に口づけする。その仕草だけでも、十分優雅で男らしくて色っぽかった。

 そんな愛撫を受ける私の髪は、リデルのおかげで潤いを取り戻し、美しい艶を放っている。そして、私は耳朶まで赤くなっているのだろう。耳朶が、頬が、熱を帯びているのを感じていた。


「相変わらず初心で愛らしい。……何もかもが初めてなのだな。男に、こんな他愛もないことをされるもの初めてなのか?」

「ならば嬉しいものだな」と言いながら髪の毛から手を離し、今度は私の頤に指を添える。男らしく節くれ立った手指が目に入り、そしてそれに触れられていることに、さらに熱を上げさせられる。


「これでは口づけもままなるまい」

 楽しそうに皇帝陛下は私の唇に陛下のそれを近づける。

 もう、我慢の限界で、私はぎゅっと目をつむる。そして、おそらく唇に触れられるであろう熱を期待する。

 ところが、触れたのは頬だった。

 私はその触れられた頬の感触を確かめるかのように手を触れた。

「次は、これだ」

 そう言って、小さなチョコレートを指で摘まんで私の唇の前に優しく押しつける。

「さあ、帝都でも最新の菓子だ。私が手ずから食べさせてやるのだ。……口を開けろ」

 そう命じられると、恥じらいにかっと身体が熱くなってしまう。けれど、陛下のご命令でもあるし、こんなやりとりは嫌いではなかった。だから、そっと小さく口を開いた。

 すると、コロリ、と口の中に甘い塊が放り込まれる。それは、すぐに口の中で形を崩して溶けてしまう。

「美味しい……」

 そういって、私が相好を崩すと、陛下もまんざらではなさそうな表情をする。

「菓子だけではない。着る物も、宝石も、全て私が贈るもので飾ろう」

 そう、この国に着てきた物は全て渡したけれど、それらは全て捨てられたとリデル経由にきいた。今私が身につけているものは、全てこの国に来てから与えられたドラゴニア帝国風のデザインのものばかりだった。

「アデリナ……そなたには、私しか見えないようにしてやろう。必ずな」

 そう、自身ありげに宣言した。

「そうだ、ドラコルトの母さまにするという約束も守らねばな」

 そういって、まだ身体の火照る私を置いて、部屋をあとにすると言い出した。「慌ただしくて済まない」と言いつつ、その部屋をあとにする足取りは速かった。きっと、ほんとうに執務の合間にやってきたのだろう。

 部屋を出て、彼が見えなくなるまで見送ったけれど、その時間は短いものだった。


 ──私、寂しく感じている?

 まだ熱を持つ体に困りながらも、あっという間に去っていった甘い時間に、名残惜しさを感じなくはなかったのである。

 ──甘い。

 口に残るチョコレートの甘さが、そのさみしさを余計に助長した。


 そうして、しんみりと陛下のお帰りを見送っていると、あやとりをしたいと言っていたドラコルトの言葉を思い出す。

「リデル! リデル!」

 すぐにリデルはやってきた。

「姫さま、なんでしょう?」

「私、ドラコルトとあやとりをする約束をしていたわ。遊んであげないと」

「ああ、そうでしたね」

 ドラコルトのことも忘れてはいない私の言葉に、瞳を細めて、「では」と告げ。

「ドラコルトさまをお呼びしてきましょう。きっとお喜びになります」

 そうして、その日はキャッキャと上機嫌に笑うドラコルトとともに、あやとりで遊んで過ごしたのだった。



 こんな日々が毎回なのであった。


 ドラコルトは毎日のように私と遊びたがった。母親のいないさみしさ故だろうか。それとも、あの宮で、毎日一日を一緒に過ごしていたのが当たり前になってしまったからなのだろうか。


 そして陛下は、毎日、ドレスだ宝石だ、花だと、私を飾るものを手に持ってきては、私の元を訪れる。それは、陛下の瞳の金の細かい刺繍を施されたドレスだったり、私の瞳の色の緑にあわせた色のドレスや、宝石だったりする。それに添える花も忘れない。

 前回のように甘いものも欠かさない。女性を落とすには、甘いものをと思っているのか、目あたらしい菓子の献上品を見止めると、ドラコルトを言い訳にしては菓子を持ってやってくるのだ。

 そして、大抵ドラコルトとともにいる私のもとを訪れると、恋愛に疎い私に優しく、優しく教育を施していく。勿論、ドラコルトの教育上悪いことをする時は、理由をつけては彼にはひととき出ていってもらうのだが。

 強引なようで優しい陛下は、初心な私に無理強いすることなく──むしろ私の初心さを楽しんでいるように、頬や額、耳朶といった箇所に口づけすることを教えるばかりで、まだ、唇に口づけを受けたことはない。

 ──私が唇にされるのを望むのを待っているのだろうか。


 陛下にはお子さまがいる。ドラコルトである。けれど、ドラコルトの母であった唯一の妃を失って、今は独り身なのだそうである。

 ドラコルトも私にすっかりなついていて、「母さまになって」という毎日。

 そうして、本来政務に忙しいはずの陛下は、私を日々私を寵愛しに来るのが日課になっている。からかっている……寵愛している? からかっているにしては、お言葉もすることも過ぎる気がするし……。


「陛下……は、私の唇に……は、触れないのですか」

 ある日、日々の戯れに耐えかねて、私はそう尋ねた。

 種族の差がいけないのだろうか。彼の妃に……、後見のない人間の身でそれは恐れ多い、せめて寵姫にでもなれないものなのだろうか。それにはやはりふさわしくないのだろうかと頭の中でせめぎ合う。

 そして、妻になるということは口付けをするだけだなんて思うほどの初心でもない。流石に一度妃になったくらいだから、夜に何かをするのだと程度は朧げにはわかっているつもりだった。


 私は陛下に腰を抱かれる。たくましい腕に抱かれて、身じろぎしてみたが、逃れることは出来ない。

「……アデリナ。私の唇に自分から口づけてみろ。そうしたら、私はもう何もかも止まらないのだぞ? 私は待っている。だから、そなたが受け入れるとそう一言言いさえすれば、たちまちそなたの全てを奪い尽くして、愛し抜いてやるだろう。一夜で足りないと思え? ……それを私は我慢しているんだ。……そなたが望むなら……」

 その言葉に、ゾクッと背筋から嫌ではない感覚が走って行った。


 ──陛下に全てを奪い尽くされる。


 ああ、出来ることなら奪い尽くされてみたい。女として愛されてみたい。そう思う。

 けれど、そのきっかけ、自分から口づけをする勇気が出ない。恥じらいと勇気のなさが邪魔をした。


 それに、私が陛下となったとき、種族の差が、身分の差がどう影響するのだろう。


「陛下、私は──……」

 それでも愛していますといいかけて、言葉を飲み込んだ。


「ん? どうした? アデリナ。私はそなたを愛しているぞ? もちろん、前の妃も愛していた。けれど、彼女はこの世にもういない。その切り分けはできるつもりだ。それに、ドラコルト自身もそなたになついている。それにそなたは我が子を守り抜いてくれた恩人だ。我が子と、私と、ともにそなたを愛しているのだよ」


 そういうと、陛下は今度は額に唇を触れさせた。


「それでもどうしてそんなに愛して下さるのですか? 私は人間で、種族も違います。それに、人として美しいわけでもなく、あなた方のように立派な羽を持つわけでもなく……」

 そう言いかけると、それを遮るように陛下が私の言葉を制して、私を賞賛する。

「そなたはそなたで十分美しいのだ。美しさとは、国やその人々によって評価は違う。そんなものだ。そして、私にとっては、その赤茶の髪は我が国の大地を象徴するかのようだ。そして、その深い緑の瞳は、我が国の深い森を現わすかのよう。そなたが嫌うそなたの容姿は、私には何ものにも替えがたい美しさなのだよ」

 そうして、私の瞼に口づけを落とした。


「さて、今日はここまでにしようか」

 そういって、陛下が私を捉えていた腰から手を離す。

 私の部屋の前に、侍従が控えていたのだ。

「残念だが、ここまでのようだ。……ドラコルトの相手をしてやってくれると嬉しい」

 そう言って、執務に戻っていってらっしゃった。


 私は、ともに廊下に出て、陛下の背中が見えなくなるまで見送りながら、胸の動悸を抑えるのだった。


 それが済むと、どこから把握していたのだろう、リデルが私の脇に控えていた。

「愛されていらっしゃいますね」

 穏やかな声でそう伝えてくれる。

「愛していたら、すぐに奪うものじゃないのかしら? ねえ、リデル」

「愛しているからこそ、相手の心を大切にするのですよ」

「そんな愛があるの?」

 そう尋ねると、リデルが少し笑った気がした。


「姫さまは、愛について、少しお知りになることが足らなかったようですね。……失礼します」

 そう言って、リデルが私の背に回って、腕を回して抱きしめてくれる。

「これも愛です。……私も侍女の身ですが、姫さまを愛していますよ。大切な方だと思っております。そして、殿下──ドラコルトさまも、同じように姫さまを大切に思っていらっしゃるでしょう」

 そう言われて、私は、心が温かくなるのを感じながら、鱗に覆われ、硬質な爪の生えた手に自分の手を重ねた。


 ──私は愛されていいのかしら。


 生まれと育ち、そして、結婚を経て、自己評価は最底辺に落ちていた。しかし、ここの人たちは優しい。みなで私を愛そうとしてくれていた。

 それが私の胸を喜びで震わせるのだった。


 そしてようやく、ドラコルトが一緒に遊ぶんだ! といっていたのを思い出す。

「あ、そろそろドラコルトを呼び戻さないとすねるのじゃないかしら?」

「じゃあ、お茶と、殿下がお好みのお菓子をご用意しましょうね」

 リデルはなんでも把握していた。陛下のことも、ドラコルトのことも。そして、私のことも知ろうとしてくれる。私にあてがわれたことなどないような、とても優秀な侍女だった。


 そうしてあやとりで遊び倒すと、夕方を過ぎて、ドラコルトは私の部屋のベッドでうとうとしはじめてしまった。私はベッドの端に腰掛け、とんとんと背中を優しく叩いて彼を寝付かせている。


「このまま、ご一緒にベッドでお眠りになりますか?」

 どうしようかとリデルがドラコルトを起こさないよう、私にそっと尋ねてきた。


「そうね、ドラコルトが本格的に寝てしまったら、誰か男性を呼んで、部屋に戻してもらった方がよいのかしら──……」

 そう言いかけていると、執務を終えたらしい陛下が再びやってきた。リデルはそっと部屋をあとにする。


「おや、眠ってしまったのか。よほど楽しかったのだろう。みなに菓子をと思って持ってきたのだが……無駄になってしまったな」

 皇帝陛下は、手に持っていたマカロンなどの乾菓子が乗った皿を手にしていた。

「陛下、それは乾菓子。一日なら持ちましょう。明日、殿下に食べていただけばよいのではないでしょうか」

 そういうと、「それもそうだな」そういって、皇帝陛下はその菓子をリデルに渡す。リデルはそれを受け取ると、恭しそうに、それを仕舞いに行った。

 そんなとき。

「ん……アデリナ……」

 ドラコルトは眠っているというのに手を差し出して、共寝をねだった。二人であの静かな宮で過ごしていたときはそれが当たり前だったから、仕方がないのかもしれない。

「あの、ドラコルト殿下が共寝を所望されているようです。失礼しても……」

 恐縮しながら頭を下げて皇帝陛下に許しを請う。

「ああ、よい。これは甘えたがりでしようがないな」

 苦笑いしながら、頷いて許して下さった。

「では、失礼して……」

 私は皇帝陛下に背を向け、寝台に向かっていき、眠っているドラコルトの隣に横になる。キシ、と小さな音が部屋に響く。

 そして、私を求めて伸ばされていた手を繋ぐと、ドラコルトは満足そうに笑みを浮かべる。

「……アデリナ……大好き……」

 そんなドラコルトを見ると、私はいつも愛しさでいっぱいになってしまう。

「私も大好きですよ」

 手を繋いだ反対の手の指先で、まだ柔らかな子供の髪を、撫でるように梳いてやるのだった。

「その姿はまるでこの子の母親のようだ」

 それを見ていた皇帝陛下が、なにを思ったのか、不意にギシ、とベッドをきしませて、陛下は私の後ろ、背中側に横になる。

 ベッドには、向かい合って横になっているドラコルトが一番奥、次に向かい合って私。その私の背中に沿うように陛下が横に並んでいた。

 上半身から下半身まで、触れるからだが熱い。


 私は彼に背中を預ける形になってしまっているので、無抵抗である。

 いたずらに耳朶を食まれ、唇に指先で触れられ、やがては身体の線をなぞられる。

「女というものは柔らかいが、そなたは特に柔らかい。そして、甘い……」

 そういって、陛下は、素肌の場所はそのまま、衣を纏っている箇所はその上から、私の身体のあちこちを触れて回った。


「ぅ……んっ」

 陛下のいたずらによるくすぐったさもあって、私は思わず声が出そうになる。けれど、向かい合って眠っているドラコルトを起こしてしまわぬよう、必死で声を押し殺した。


「ああ、そうしている姿も愛らしい……ああ、全てが愛らしいよ、アデリナ。私の妻になっておくれ。私たちの間を隔てようとするものは私が全て排除すると誓おう。なあ、アデリナ。私のものになっておくれ……」

「んっ……ん……ッ」

 私は、コクコクと頷くのが精一杯であった。


 すると、思いついたように陛下が申し出る。

「そうだ、アデリナ。そなたをないがしろにした家も、国をも滅ぼすことだって出来る。……そうしてやったら満足か?」

 そう言って、私の耳朶に口づけをする。


「ん……。殿下、私は今が幸せなのです。ですから、そんな滅ぼすなど必要ありません。そして、陛下のお力は信じておりますが、戦となれば万が一のことだってあります。……私は陛下に危ないことはして欲しくありません」

 そう告げると、背後からため息が零れた。


「優しいのだな、アデリナは。……ますます欲しくなった」

 陛下が満足そうに私の髪に口づけた。


 そうして夜は更けていき、私が陛下の返事を受けたことに満足したのか、陛下のいたずらも止んだ。けれど、どこから漏れたのか、陛下とドラコルトが私の部屋でその晩休んでいったことが、王宮中に広まったのである。


 もちろん、独り身になった皇帝陛下に、姫を差し出そうとしていた獣人の貴族は多く、そういった者たちから、皇帝陛下と私の婚姻を反対する声が上がった。しかし、ドラコルトがすっかり私になつき、他のものは母とは認めないと宣言しぐずったことで、多くの貴族は諦めた。

 それでもと、皇帝陛下を魅了し、ドラコルトの次に子供をもうけてしまえば、その子を次の皇帝へと、そして、自分たちは外戚として権力を握れると、固執するものもまだ残っていた。

 それについては、ドラコルトをすぐに王太子として立太子させ、跡継ぎを明確にしてその貴族の野望を断ち切った。

 私はと言うと、侍女のリデルの縁戚であり、高位貴族である、とある爬虫類系貴族が、私の後ろ盾になってくれることになり、私の身分も落ち着いたのである。


 ◆


「アデリナ、これでもう、邪魔するものはないだろう?」

 薔薇でいっぱいの薔薇園になっている温室の中で、私たちは互いに腰を抱き合っていた。誰も訪れない、早朝の私たちの楽園。

 もう、私もなにも恐れることなく、彼に愛を告げられる。

「アデリナ。私に言うことは?」

「陛下、私は陛下を愛しています……一人の、男性として」

 とは告げたものの、初めての告白に、私は顔から耳朶から指先まできっと真っ赤になってしまっている。だって、それだけの熱を感じているから。

「全く……言えたと思ったらこれだ。次のことに耐えられるかが心配だ」

「次?」

 私は首を傾げた。


 次とは輿入れして、妻としてただ夫に身を任せる、それだけのことだろう。それだけの知識しかなかったのである。

 それを、陛下に告げる。


「アデリナ……そなたは、一応バント王国の第四妃であったはずなのに……。全く可愛く愛らしいのだな。全てを私が教えていくのが楽しみで仕方がない」

 嬉しそうにしている陛下の言葉もよく分からず、私はぽかんとして彼を見ていた。


「アデリナ。……まず、口づけだ」

「口、づけ……」

「そなたからしてみろ? でないと、認めない」

 認めない、といわれて、私は慌てて口づけをする。ガチンと、歯があたる勢いで。


 私は、こんなのどうしてみながしたがるのか、と困惑する。そして、その困惑顔のまま、陛下を見あげた。


「口づけから教育とは……、全く」

 そういうと、陛下は私の唇に唇を軽く押しつけた。そして、何度も啄んで、吸い上げて、奥にまで絡めて。

 ありとあらゆる口づけを、一心に受け、私はその官能で足が立たなくなってしまう。それも、元々抱きしめていたたくましい腕で支えてしまう。


「陛、下……」

「ああ、可愛いな、アデリナ。本当になにも知らないのだな……ああ、そうだ」

 思い出したように陛下が蕩けたような顔のままで見る。

「陛下、ではなく、ドラグーンと呼べ。ドラグーン・ドラゴニア。それが俺の名だ」

「……ドラ……、グ……」

 恥ずかしくて呼べなくて、私は何度も繰り返す。

「いまさら、恥ずかしい、です……」

「ちゃんと言わないと、お仕置きが待っているぞ?」

 揶揄するように意地悪げにククッと笑う。そして、指で、さっきの動きを再現するかのようにいたずらをした。

「んっ……ドラ……グーン、さま」

 ようやく言えた頃には、私はまるで虫の息だった。

「ああ、可愛い、アデリナ……一生私のものでいてくれ」

「はい、ドラ……グーンさま、私は一生あなたのものです」

 こうして、私は愛を知り。

 

 そして、さらに深い愛を知るのだった。


「もう誰にも渡さない。そなたは私だけのものだ、いいな? 他の誰にも奪わせない。そなたの身は何者からも私が全力で守る」

 そう言って、陛下が私からの愛も求めようとする。


「はい、ドラグーンさま。……私はあなただけのものです。あなたに護られる私は果報者です」

 そう誓約すると、陛下は私の腰を強く抱き直して、私を引き寄せる。


「この瞳も、髪も、熟れた唇も、すぐに赤くなる愛らしい耳朶も……」

 そう言って、わざと耳元で囁く。すると、陛下の吐息が耳朶にかかって、わかりやすく私の耳朶が赤くなる。


「ああ、可愛い。愛おしい。なににも代えがたい我が半身。もう離さない。覚悟しておけ。そなたが嫌だと言っても、私は地の底までそなたを追いかけていく。その覚悟で愛されるがいい」

 その赤く熟れた耳朶を、唇で食みながら、陛下が私に宣言をする。


「んっ……ええ、離さないで。どこまでも私を求めて下さい」

 私は、そう答え、彼の首に腕を回し、しがみつくのが精一杯だった。


 ◆


 祝福の鐘が鳴る。

 花嫁の用意が出来たと聞いて、ドラグーンが私の様子を見に部屋へやってきた。


「綺麗だ……」

 そういうと、ドラグーンは私の顔を覆う花嫁のヴェールを一時いっときめくりあげる。

「ああ、美しいよ、私の緑、私の大地。……私はなんて幸せなんだ」


 真っ白なウエディングドレスに身を包んだ私を、ドラグーンが眩しそうに見てから賞賛する。

 そして、そっと唇をあわせた。もう、それにいちいち恥じるほどの私でもなかった。それだけ、彼にさせられたのだから。


 それが済むと、ドラグーンがヴェールを元に戻し、私に肘を曲げて差し出した。

「さあ、そろそろ行こう。みんなが主役の登場を待っている」

 私はそのエスコートに応え、肘に腕を通す。


「アデリナ、世界で一番幸せにしよう。今まで、苦労した分まで」

「私は今でもお二人とご一緒できて幸せです……」

 私がそう告げると、しばし二人は、幸せなときを共有するかのように見つめ合う。


「それでは」

 と教会のシスターが扉を開けようとした。

 そこには、小さなドラコルトが待っていた。


「花嫁のウェールはボクが持つよ!」

 そう言って、私の背後に回る。


 私たちは幸せに思いながらそれを見守ってから、シスターに声をかける。

「「お願いします」」


 きっと、私たち三人は幸せに生きていける。

 もし、バント王国側が『白妃』といえど、私を名誉の損失の回復のために奪還しようとしても、きっとこのたくましい皇帝陛下が追い返してくれるだろう。


 扉を開くと、眩しい結婚式の教会の会場と光と、未来が待っていた。

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白き妃は隣国の竜帝に奪われ王子とともに溺愛される yocco @yocco_

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