ハウステンボス~箸墓オバケGame👻受験生は、妖怪と卑弥呼がお好き

南埜純一

第1話 佐世保から妖怪バトル旅

人生とは、―――い・せ・ん・じ。・・・・・・そうか、人生とは胃を煎じて飲むほどに苦く、臓器を失うほどの困苦に満ちたもの、ということか。

 

愛用シャーボのペン回しを止めて、優一は気まぐれに〈じ・ん・せ・い〉の四文字を逆さに並べる。と、シャーボのペン先から、哲学的難問の解(答)が目の前に躍り上がってきたではないか。そうだ、人生とは胃を煎じて飲むほどの、苦く困苦に満ちたものなのだ。


「やっぱ我がオツムは、哲学者カントのそれとお友達レベルの、超スグレモノだったんだ!」

 

などと、ハッピーな誇大妄想に浸っていられるのも束の間。ほんの束の間で、すぐ過酷な現実の化身・宿プリ(宿題プリント)が、哀れな受験生を宿題地獄へ引きずり込むべく、はしゃぎ立てるのだ。


「早くしてー、まだいっぱい残ってんだからぁーん。ホント、このままじゃ、今夜は徹夜よー! ユウ君の汗と涙の結晶、どんどんお口に放り込んでくれなきゃ、ブラの中のおっぱい、見せてあげないんだからぁー」

 

角張り顔で大口開けて、百万枚! はチョット大袈裟だが、訳の分からん四角四面の口でかダンサ―が、いきなり机の上でラインダンスを踊り出し、本書の主人公の一人・倉田優一を揶揄するのだ。


「♪残り ひゃ~く万、今夜は徹夜♪ おっぱい、バイ、バ~イ♪」


宿プリ達が手ブラ(ブラジャー)でバストトップを隠し、一斉にラインダンスの脚を上げては下げ、四角四面の大口顔で歌い続ける。


「くそっ! 宿プリ族め、なめるでない! ごく薄ペチャぱいなど、見たくもないわ! 拙者を誘惑しようなどとは、笑止千万! 代わりに、この必殺十連キック弾を大口に叩き込んでやるぞー!」

 

勝手に作った空想ゲーム内の敵・宿プリ族にサッカーボール弾を放とうとして、優一は興奮のあまり、迂闊にも本棚の現物サッカーボールに右手を伸ばしてしまった。おっとっと! バカもん! ウツツ(現実)に戻ってしまったではないか。


「いったい何ばやってんのよ、あんた!」

 

と、お叱りの声が飛んできそうでありますが、毎度こんな有り様で、宿プリから空想ワールドへ逃れ、また現実に引き戻される。この際限なき繰り返し。要するに現実からのエスケイプの常習犯が、主人公五人の一人ユウ(優一)で、哲学的思考を巡らす余裕など、どこを絞っても一秒コインすら出てこない時間貧乏であった。


「あーあ‥‥‥」

 

自宅八畳間のこの時空から、大好きな明日香村と飛鳥時代へタイムスリップできればどんなに素晴らしいだろう。


―――エッ! ちょっと! ちょっと! 又々あれれ? ここは長崎県の、ハウステンボスのある佐世保市、でしたよね。そこの住人が、明日香村と飛鳥時代にラブコールって、とっても違和感。


とのクレームが飛んできそうでありますが、邪馬台国論争を巡る父と姉のホットな対立もあって、最近とみに、明日香村と飛鳥時代が優一を空ワ(空想ワールド)へいざなうのだった。


♪ 幕が いま開き ロマン燃え立つ 華やぐ飛鳥へ 天(あま)かける あなたと二人で タイムトラベル 巡る舞台に 拍手 拍手 感動シアター 心のふるさと 明日香の賑わい 石舞台も 緑をまとい 多武峯(とうのみね)まで 人が行き交う ♪


 父の親友の作詞作曲〈タイム旅行飛鳥〉のメロデイーが、ウツツから空ワへの切り換えスイッチで、中井優月の澄んだ歌声につられて優一も一緒に歌詞を口ずさむが、今回も一番だけだった。三番まで歌って飛鳥時代へはまり込み、雅(みやび)の世界に浸りきってしまうと、宿プリ完成は夢のまた夢。で、詰まるところ飛鳥美人の厠(かわや)へ追われ、せっちん詰めでゲームオーバーならぬ、学校のトイレ掃除の罰が待っているのだ。


「くそっ! 〈タイム旅行あすか〉を三番まで歌わせろー! 宿プリ地雷を掃討して、雅ロードをゆっくりホコテン(歩行者天国)させろー! 宿プリ地雷なんか、このサッカーボールの十連キックで、ドン、ドン、ドン! と逆クラッシュだー!」

 

一番を歌い終えると両コブシを握って、大声でなく小声で叫ぶ―――又々ワンパタンの抗議ポーズ。そして空想ワールド内の敵・宿プリ族が撒いた卑怯クラスター地雷をキックで掃討。この超ささやかなフラストレーション解消が、〈タイム旅行あすか〉を口ずさむ小心者優一の、過去・現在そして大学受験までの、悲しい、悲しい繰り返しであった。

 

さて、早速わけの分からないワールドがチラッと顔を出しましたが、本書の主人公たちは空想ワールドとウツツ世界の二元時空の住人でありまして、ウツツでは恋をし、苛酷な受験競争に励む高校生。空想ワールドは、邪馬台国の女王・卑弥呼が眠る、のではないかと家族間で論争が絶えず、その調査のために主人公たちが向かう奈良県桜井市の箸墓古墳。そこに至る主人公を邪魔する妖怪たちとの壮絶な戦闘スペクタクル―――そんな大層なものではありませんで、ずっこけ満載ゲームsexyコミックワールドのサワリが、先ほども述べましたが、チラッと顔を出します。


おっと、申し忘れるところでしたが、このsexyワールドは時空の歪みや切り替えスイッチの誤作動、主人公の気紛れ逃避願望でオープンといいますか、出現しますことをお断りして、主人公優一のウツツ世界へ戻ります。


「ふうー‥‥‥、あと二時間でようやく宿プリ・クリアか。くそっ! セイセイセイ!」

 

口から漏れる元気の種はここまでで、腰を振る精も根も残っていなかった。迷彩ヘッドバンドからはみだすボサ髪を左手でかき上げ、絶望のため息二つ。残存宿プリ量は大甘見積りでも、たっぷり二時間勘定だった。

 

―――あんなに五月が好きだったのに……。

 

スローな性格も影響しているのか、新学年の緊張が取れてクラスやクラスメートに馴染むのは、いつも五月の初めだった。しかし今年は予感の「よ」の字も見えない真っ暗闇の幕末気配で、父がファンの故鶴田浩二の口調をまねて、


「いったい明治の息吹きは、何処へ行ったんでしょう。右も左も真っ暗闇じゃ、ござんせんか」

 

と、ぼやきたくなる五月の訪れであった。

 

―――やはり、カオス(混沌)の年なのか‥‥‥。

 

姉の口からポロリと漏れた出任せ思いつきが、優一に自縛マジック〈オハヨー真っ先〉をかけてしまった。朝起きて真っ先に頭に浮かぶ言葉が、カオスなのだ。


「ヌヌ! かの有名高校合格とな! ‥‥‥カオスじゃのう。倉田優一君よ―――いや、わが弟ユウよ! カオスじゃ、カオスじゃ。ヌヌヌ! そうれ、それ! 恐ろしき、あな恐ろしきことが起こるぞえ!」

 

ことの発端は二月二十日。高校入試合格メールが機縁であった。


「倉田さん、速達ばい」

 

インターフォンからの声に、


「はいっ!」

 

スリッパをはきかえるのも忘れて優一は玄関へ飛び出し、郵便屋さんから受け取った速達を、震える手で開封。


「ヤッター!」

 

リビングから駆けつけた両親と三人で抱き合い、喜びがマックスに達したときだった。


「へっ!? カルタヘーナ! ではなくて、そんなことアルカイーダ?」

 

バスルームを出た姉の千加子は、すっとんきょうな声で映画〈ロマンシングストーン〉のオトボケお気に入りフレーズを一発かますと、まったく笑えない駄洒落で恐怖劇場の幕を開けたのだった。バレーボールの名アタッカーで、千加子のバーニング焰(ほのお)スパイクが放たれれば、空想ワールド内の敵〈霊帳(ちょう)類・ひらひらカイト目(もく)・長方形一枚二枚三枚科(か)〉の宿プリ族など、ボーッと机はおろか地上から燃え上がって消え去る運命なのに、あろうことか、ウツツ世界では弟に〈恐怖・カム・ハプン占い〉で恐れを呼び込んでしまったのだ。


「恐怖じゃ! 恐怖じゃ! 天から恐怖の冥府札、いや、トランプが、ひらり、ヒラリー! とそこもとの頭と体に、クリントンと、降ってこようぞ! そしてバイバイ、バイデーンと逃げねば、再び恐怖のトランプ嵐に吹き飛ばされるのじゃ」

 

バスタオルがスルリと落ちてスッポンポンになったのも気づかず、号外撒き散らし踊りをひとしきり踊ってから、呪術師さながら両手の指を震わせ、その先から弟に〈アメリカ大統領選〉恐怖爆弾を注入し続けた。


「あほカイーダ! うっ玉・ビンも当った・ラーディン」

 

この程度の駄洒落しか出ないのは恥ずかしい限りで、書く方もつらいのであるが、愚弟の即座のリスポンスであった。


「アホは、どっちだー! あら、ごめんあそばせ、タオルちゃんが。♪カオスちゃんは、今すぐ来ない いっつも遅れてくるんだよー♪」

 

足元のタオルを巻き直すと、三百六十五歩のマーチの替え歌を歌いながら平然と自室へ消えてしまったが、ボリューム満点魔女の呪縛は替え歌通りだった。携帯の頭(090=おくれ→遅れ)で、たっぷりと重かったのだ。

 

さて、近未来ならぬ近接過去はこの程度にとどめ、現在に時制を戻すとゴールデンウイーク、と行きたいのでありますが、紙面の都合でこれも五日で終わらせまして、生活のリズムがウイークデイに戻る五月六日が正真正銘、今この紙面の現在であります。佐世保市常盤町にある、倉田家の朝がまもなく始まろうとしておるのです。


〈トン、トン、トン、トン、トン〉


ゆったりと穏やかな包丁さばきは母の恵美子で、六時過ぎに目を覚ますとキッチンで朝食と優一のスクールランチを作っていた。


「ママ、おっはよー!」

 

今朝もダイニングへの切り込み隊長は千加子だった。七時ジャストのアラームで、腹筋開脚倒立からストン! と、体操日本代表気分でベッドを離脱。パジャマのまま隣室への突入を果たすのであった。〈人体スペース教〉という怪しげな宗教の教祖様で、人体が小宇宙。呪文さながら口から流れ出るのは、キャロル・キング作曲の世界的ヒット曲〈ナチュラル・ウーマン〉で、ナチュラルテオリーを実践し、日夜悪と戦う、本人いわく、パパ世代の〈少年ジェットの正義お姉さんバージョン〉であった。


「チーちゃん。ちゃんと着替えてから来てよ。ユウも高一になって、多感で難しい時期なんだから」

 

パジャマ姿の娘に、朝一番、お決まりのクレーム。胸のタイガーマスクがガオーッ! と飛び出さんばかりで、両目が乳首で小さく盛り上がっている。ボリューム満点、スタイル・フェイスも二重○。ただ一つ難点は頭が切れすぎること、本人の弁ゆえ真偽のほどは全く定かでなかった。


「さあ! 頑張っていこう! ♪六甲おろしに―――♪」

 

母のイエローカードの前に、ちょっと、ちょっと! 長崎の佐世保で、ホークスじゃなくて何でタイガースの応援歌が出てくるのよ? なんて言わないでくださいね。父の洋(ひろし)はジャイアンツファンで、とにかくここの一家は変わっているんですから。さて、千加子に戻ると、彼女は母のイエローカードなど知らん顔で、右手のコブシを振り上げ高らかに〈六甲おろし〉を歌い上げると、


「ああ! なんたる名曲! ビートルズの〈イエスタディ〉にも匹敵する〈六甲おろし〉。すかっとしましたわ。タイガースに奇跡を起こす〈六甲おろし〉で始まり、ドツボ、じゃなくて、幸運をもたらす〈六甲おろし〉で終わる。なんて充実した毎日でありましょう! ―――それはそうと恵美子どの。心配めさるな。わらわの性教育でありんす。徐々に慣らさねばのう。愚鈍で、パープリンの弟めを」

 

こう惚と〈六甲おろし〉を歌いながら、聴覚はきっちり機能していたのだ。明治ときどき江戸というか、貴族のち吉原遊女ことばで母のイエローカードを袈裟に切り、ラタンチェアに腰を下ろすと、千加子は近視まなこをテーブルに近づけ、朝刊を開いた。タイガーマスクパジャマで武装し、バシッ! バシッ! と無敵スパイクを駆使すれば正に向かうところ敵なしで、紙ひらりカイト妖怪(宿プリ族の別名)など、瞬く間に壊滅してしまい、空想ワールドの第一関門クリア。で、卑弥呼の眠る箸墓古墳へと続く〈明日香・卑弥呼ロード〉は第二関所までゆったり全開。というシナリオであるはずなのに、今朝のところ弟の味方をする気配は全くなかった。


「ヌヌ! またまたドタきゃんアラブ、ではなくて、ゴテどろチープンアブラ(石油)が原油市場でロシごろ巻いてんの?」

 

朝刊の見出しを、ヌッと近視まなこでアップの拾い読み。右手でページを繰りながら、口から意味不明発言を飛ばし、左手は手際よくテーブルのチキンナゲットを掠め取る。


「それはそうとね、ママ。のりちゃんのことだけど、とんでもない不良と付き合ってるわよ」

 

一〇〇%天然野菜汁の紙パックらっぱ飲み。恐るべき行儀の無さで喉を潤すと、倉田家の長女は声を落としてキッチンの母に真顔を向けた。スワンクリーニング店の看板娘のり子が、校内の話題をかっさらっているのだ。のり子は優一の幼なじみで、同い年。この四月から千加子の二年後輩になっていた。


「近所でも評判なのよね。あんなに大人しくていい子が、どうして暴走バイクなんかに乗せてもらうのかって」

 

トマトを切る手を止め、恵美子もため息をついた。


「こないだもね、バリバリ音たてて、校門のとこで待ってるの―――まっキラ金げのすっごいワルが。ユウの空想ワールドの出演者―――明日・ひみ(明日香・卑弥呼)ロードを突っ走る金髪・赤鬼ライダーだったら、のりちゃんやユウの味方なんだけど、今のところ全く逆ね。のりちゃんを困らせてばかりいるんだもの。こないだだって、のりちゃん、泣きそうな顔してたのに、『乗れや』って言われたら、黙って乗っちゃうのよね。ノーヘルで、めっちゃスピ(スピード)で海岸へバリバリ行っちゃったわ。先生たちが確認してたから、家へ連絡があるわよ、きっと」


「昨日、のりちゃんのお母さんにスーパーで会ったら、困ってたわ。『なして南君なんかと付き合うんか、分からん』って。だってのりちゃん、一番で高校へ入ったくらい賢い子でしょう」


「えー!? 南君って、あの、南竜児君なの。小学校のとき、ユウとよく遊んでた!」

 

千加子は大声を上げた。


「そういえばこないだのワル、どっかで見たことがあると思ったんだ。あれ、南君だったのか。‥‥‥どうりで。でも南君、卒業前に引っ越したんじゃなかったの?」


「うん。最近、前に住んでたアパートに戻ってるらしいの。南君とこって複雑でしょ、一人でそこに住んでるんだって」

 

おおらかで、世俗のアカから無縁っぽい母には苦手な話題で、曇った顔は似合わなかった。

 

南竜児は彼が中一の時、父親が覚醒剤不法所持と使用で逮捕され、再犯加重もあって、いまだ刑務所に服役中だった。竜児は母の澄江と卒業間際に市外へ引っ越して、近くの工業高校に入学したが、最近、以前のアパートへ舞い戻ってきていた。


「お母さんが水商売でしょう。男の人ができて、その人と同居してるらしいの。南君、おもしろくなくて家を飛び出したんじゃない。ママだって出るわよ」

 

恵美子は、竜児に同情的だった。


「でも、のりちゃんのお母さんじゃないけど、どうして南君とのりちゃんなの? のりちゃんて、お父さんお母さん思いで、店の仕事もよく手伝ってるのに」


「さあ? ママにもよく分からないわ。ユウに聞いたら分かるんじゃない。のりちゃん、のぞみさんと仲がいいから」


「のぞみ!! おお、嫌だ! あの子、大体なまい気なのよね。少し顔が良くて、頭がいいからって、何よ、えらそうに!」

 

千加子は鼻息荒く、ドン! と、テーブルをたたいた。弟のガールフレンドは空想ワと異なり、ウツツ世界では千加子の天敵であった。大の苦手で、なぜか敵わないのだ。


「どがんしたんや? 朝っぱらからカンシャク起こして。〈六甲おろし〉ん延長なんか? ジャイアンツファンは、逃げも隠れもしもさんぞ」

 

ダイニングを開けて、ニヤニヤ笑いながら父の洋(ひろし)が娘をからかう。自称ミスターサードが、今朝も三番手であった。生粋の長崎っ子の洋と、東京生まれ東京育ちの恵美子がハウステンボスで出会い結婚。子供たち二人も東京弁を使って、家庭内は三対一の東京弁と長崎弁の会話構成。この物語の内容そのまんまで女性上位ファミリーではあるが、恵美子の人徳ゆえか、おくびにも感じさせない隠れ女性上位一家であった。さて、ミスターサードの洋に戻ると、彼は佐世保市の木場田町で友人と共同会計事務所を開いていて、木場田町ジャイアンツの監督兼名サードである。


「いつものように、のぞみシンドロームなの」

 

恵美子が苦笑しながら、夫に娘の症状を解説する。


「なになに。パパんばり好きな、のぞみちゃんの話か。よかねぇ、チー子んごとパジャマ姿で迎えてくるるんじゃったら、パパはのぞみちゃんに何でん買うちゃるんだけどなあ」

 

千加子とは違って、洋は息子のガールフレンドが大のお気に入りなのだ。


「キャー! 不良、チュー・ネーン! ジャイアンツファン、永久、追・ホー!」

 

タイガースファンの、ジャイアンツファンに成り代わってのクレームなど、洋には馬耳東風で、頑丈な体に似合わず、童顔の笑顔が極限のスマイルであった。


のぞみとは因縁浅からぬものがあり、彼女の母みどりと洋は幼なじみで互いに好き合っていて、みどりが東京での女学校生活を終えて帰郷したときに結婚―――という二人の約束だったが、資産家の跡取り娘という当時は如何ともしがたい事情によって二人の婚姻は阻まれてしまった。のぞみの父―――洋の恋敵であるが、彼は三年前に亡くなってしまったので、洋とみどりは世間でいう〈危ない関係〉になってもおかしくないが、現在、全くその気配はなかった。


「なんだよぅ! 朝早くから大声あげて、ご近所に迷惑じゃないか。みんな、もう少し寝てたいんだから」

 

最後の住人は、今朝も不機嫌だった。眠気まなことあくびの連発。頭をかきかきダイニングのドアを開けた。


「なによう! こんな時間に、何が『朝早く』なのよ! アンタが寝てたいだけでしょ! キャー! やめてよ! もう、フケが飛ぶでしょ!」

 

弟の見せかけフケ攻撃に千加子が悲鳴をあげる。


「おい、おい。チーにユウ。ビー・クール。ビー・クール。頭ば冷やせや。楽しか朝んひとときなんやけん。―――ところでユウ。わいんガールフレンドん話ばしとったんだ」


「ふぅーん」

 

無関心を装い、隣の姉にツメとキバをむくと、優一は父の向かいに腰をおろしトーストをかじる。


「ねぇ、ユウ。のりちゃんのことだけど、南君と付き合ってるらしいわね」

 

息子のカップにセイロンティーを注ぎながら、恵美子はさりげない。


「さぁ、どうだか」

 

知っているが、優一は答えたくない。


「何が『さぁ、どうだか』なのよ! のぞみから聞いて知ってるくせに。もったいぶらずに言いなさいよ!」

 

千加子がかみつくと、


「何が『のぞみ』っだよ! えらっそうに。自分が落ちた私学に、のぞみが受かったからって、カリカリすんなよ」

 

優一は、ドッカーン! と、姉に大砲をぶち込んだ。


「何よ! 女学院が何だってのよ! 女ばっかりで、男がいないじゃん! うちんとこは男女共学なんだからね。へん! あんなとこへ入ったら、私みたいな男好きのモテ女(じょ)は、気が変になっちゃうんだ。その点、のぞみはいいわよ。私と違ってブスなんだから。ヘン! ヘン! ヘンだ!」


「もう、いいから。チーちゃん、本当にもういいわよ」

 

恵美子があきれ顔で千加子をたしなめる。


「ママ。ユウのやつ、最近、少しおかしいんだ。こないだの土曜日だって、駅で私に会ったのに、ボヤッとして気づかないのよ。きっと五月病にかかっているんだ。無理してレベルの高い高校へ入るからよ。へん! ざまぁみろ!」

 

声の主はダイニングを出たが、捨てゼリフは落ち武者を狙った竹ヤリであった。


「ふぅー‥‥‥」

 

千加子の後姿を見送り、優一の大きなため息一つ。空想ワールド内とあまりに違う姉の対応なのだ。そこでは姉は頼もしい味方で、箸墓に至る明日・ひみロードの第一関門が宿プリ族であった。この部族は、西海国立公園内の平戸島。そこから数十キロ沖の、我が国領海外の海底に、邪馬台国の女王卑弥呼が眠ると主張してやまないヤカラで、なかなかの強敵であった。天空の城空母〈四角四面カイト城〉を保有し、秘密兵器〈宿プリ地雷〉を空から活断層にまき散らすのだ。ふわふわカイトにぶら下げて、切れ長お目々センサーで軟弱地盤をキャッチ―――〈活断層だっこちゃん作戦〉ゴー! で、地震を誘発し卑弥呼の海底墳墓を地上へ隆起する。このオッソロシイたくらみを実行に移し、日本中に混乱の嵐を巻き起こすヤカラであった。

 

東日本大震災が起こり、阪神・淡路大震災からもすでに三十年近く経過したことから、今回キャツラの狙いは、九州に又々地震被害をもたらし、東へ波及させることであった。そのために、九州から中国地方へ至る活断層に狙いを定めているのだ。宿プリ地雷を増産し、


♪ おーお地震 まーた又 ♪ 東南海(地震)に 連動だー ♪


〈地震ふりこ合唱団〉まで組織して、許し難い神経逆なで混乱歌を歌いながら、せっせ、せっせと宿プリ地雷を埋め込んでいるのであった。が、もちろん決して容認されることのない哀れな企みなのだ。


「まず、俺とチーちゃんのサッカーとバレーボール弾で、福岡から山口に至る第一地雷帯を撃破」

 

フルメンバーラインアップ後でありまして、空想ワールドの割れ目も大きくオープン。優一はきっちりワールドへはまって、震災被害未然防止の敵陣突破作戦を実行に移す。


「第二地雷帯は、ダーツ矢をのぞみ大尉が射掛け、連続百連発で完膚なきまでに撃退。そう、無被害爆破で地雷帯を無力化し、岩国に陣取る第二陣も撃退なのだ!」

 

ガールフレンドの得意技と芸術的爆破が、優一のテンションをハイモードに跳ね上げる。


「第三次の波状攻撃で、本丸所在の女王・宿プリ姫を倒すのだ!」

 

ここは竜児に登場願って、七半(七五〇cc)に股がり、あまた敵兵と将軍たちを蹴散らし、王宮へ突入。ヒラリヒラリと逃げ惑うフワフワ妖怪に、


「ヤー!」

 

後部シートから、のり子が布団バサミをブーメランさながら発射し、きゅっとチョークスリーパー逮捕で、後継の消えた宿プリ王国絶滅。で、大竹市の敵本部陣地も、これで卑弥呼の戦士たちの完全突破。優一の描いたシナリオ通りで、ここでユウ司令官が高らかに勝利宣言。と、思いきや、


「これユウ殿、詰めが甘いのう。これだから、見習い司令官は困るのじゃ。あれを見よ!」

 

ロケット爆乳ではち切れる、sexyビキニ鎧。ポニーテールの下に肩マントをヒラリとなびかせ、千加子は上空の四角四面カイト城をキッと睨みつけた。ヒラヒラと舞い上がる宿プリ族残党を、ポッカリと開いたお腹に空母が収容しているのだ。


「空母カイト城を無能化せねば、宿プリ族の野望は消え去らぬのじゃ」

 

千加子の得た極秘情報によれば、宿プリ族はサリン教創始者〈あさ黒ゴウ腹〉を教祖と仰ぐ集団で、早急に〈爆弾マニア壊滅法〉を制定し厳重な監視体制下におくべき団体であった。


「あさ黒ゴウ腹は死刑判決を受け、執行も終わったので、この世に存在せぬのじゃが、逮捕前に歩くタンポポさながら悪の胞子をまき散らし、美人信徒たちの受胎告知と共に、自己の復活予言を信徒たる宿プリ族に刷り込んでしまっておるのじゃ。サヨウ、マインドコントロールでアリンス。地震誘発も、ひらひらペーパー卑弥呼の海底墳墓隆起も、あのむさくるしい〈あさ黒ゴウ腹〉復活の布石で、サリン教の経典に深く書き刻まれておるのじゃよ」

 

怖 ! 何とおっそろしい! それが事実なら、確かに目の前の宿プリ姫チョークスリーパー逮捕など屁のツッパリにもならず、安全平和社会実現には、あさ黒ゴウ腹の悪種たる女王ヒラリ姫根絶と、働きヒラリ妖怪撲滅。そのために、空母カイト城無力化は至上命題であった。


「それっ! 上空のカイト城を引きずり落とし、日本海の眠りフリーズ墓標第一号にするのじゃ!」

 

おっと、千加子の正司令官としての甲高い指揮権発動と、弾丸バレーボール弾が同時発射。


〈ドーン! ばきっ! ばきっ! ガヮラーン!〉

 

轟音と共に巨大空母カイト城がぐらりと揺れて、メインマストが折れ曲がり、指令室に連発バレーボール弾が、爆乳まじない二倍・二倍の四倍合体弾で〈ズッキューン!〉と突き刺さった。


「のり子中尉、今だ! 磁力発射装置付き巨大ブーメで、指揮能力喪失カイト城を日本海・眠り墓場海域に誘導するのじゃ」

 

さすが〈テンボスぱっしょん〉と銘打つ、女性上位の国の女性上位物語の主人公。司令官としての格も質も愚弟優一とはダンち(段違い)であった。千加子司令の正確無比な情報分析と的確な指揮のもと、空母カイト城は巨大グライダーブーメにゆっくりと電磁捕縛誘導され、当時の世界最強ロシア海軍バルチック艦隊を呑み込んだ―――日本海・眠り海域に、ザッブーン! と着水したのだった。


「さあ、給水バルブを開いて巨大船内に海水注入。そして、海底のメタンハイドレート層にくるめば、宿プリ族は永遠に御ネンネで、もはや悪さはできんのだ。どうじゃ、ユウ殿。ここまでやって初めて、後継の消えた宿プリ王国絶滅。で、大竹市の敵本部陣地も、これで卑弥呼の戦士たちの完全制覇なのじゃよ」

 

優一の自己完結勝利なら、美人巫女(みこ)神主の祝詞(のりと)で妖怪祓(ばら)いを終え、自分が司令官として達成とシアワセ気分の独り占め。これが本来の空ワ(空想ワールド)のシナリオであったはずなのに、


〈リラヒリラヒ、ワフワフ。アッホー!〉

 

千加子に勝利の栄誉を奪われ、おまけに彼女の白装束巫女に変身しての意味不明祝詞。優一は空ワから、一気にウツツのユウうつ世界へ引き戻されてしまうのであった。

 

―――カオスでは飽き足らず、弟に五月病までかぶせてくるのか!

 

千加子のウツツで放った一言が、グサリと優一の胸に突き刺さったままであった。

 

―――しかし言われてみれば、確かに五月病だな‥‥‥。

 

新学年の緊張が抜け出したかと思うと、宿プリ族の呪いではあるまいが、心が糸の切れた凧さながら、フワフワとあらぬ方向へ漂い始めた。分相応で良かったのに、極限上位の高校に受かってしまったのだ。

 

確かに、ものごとはやりすぎると後に来る反動が大きい。分かっていたのに、きっちりハマッてしまった。そう、人生最大の誤算は、十カ月前、突如、辻風のごとく舞い来たったのだ。あろうことか、九州一の進学塾の入塾テストに、大穴中の大穴で受かってしまった。


「バカねえ、受かりっこないでしょ! 身のほど知らずの愚か者! 受験料、ドブにほかすようなものではござらぬか。―――ああ! もったいない、もったいない」

 

姉にさんざん悪態をつかれ、後ろ向き顔隠し〈もったいないイヤイヤ〉尻ふりダンスまで踊られたが、


「ひょっとして奇跡が起こるかも知れないよ」

 

のぞみに乗せられ受験すると、ハッタリ手抜きサプライズが起こってしまった。彼女が張った大ヤマが、数学で二問も当たったのだ。


「へっ!? アンタが維新ウルトラ進学塾に受かっちゃったの!? さては、まだ悪運が尽きてないんだ。でも、もうすぐ使い果たすわよ」 

 

千加子がキョトンと目を丸くしたのは束の間で、すぐ何時ものイヤミが飛んで出た。出産時の異状とミスが重なり、死胎で生まれるはずだったのに、機転の帝王切開で優一は息を吹き返したのだ。幸運が、いつのまにか悪運にすり替えられてしまったが、維新ウルトラ進学塾合格は、出生時に匹敵する快挙であったのだ。


「良かったな、ユウ。ばってん途中から入ったんやけん、周りんペースに振り回されんよう注意するったいぞ」

 

洞察鋭い父のアド(アドバイス)も、息子の耳に届かなかった。さすが九州一、ひとたび足を踏み込むと、熱気ムンムンムン! と、受験オタク予備軍に引きずり込まれてしまった。


「チョット、チョット、チョット! 一学期のユウは一体、どこへ行ったのよ。まぐれから出た本気なんて、シャレにもならないんだから」

 

千加子が慌てふためくほど塾のペースにはまったから不思議で、半年後、優一は夢想だにしなかった進学校へ出願していた。


「ヤッター!」

 

合格通知を手にした第一声で、まさに天に昇ったが、夢心地は長くは続いてくれなかった。段々と気力が萎え、脱力感に軽い耳鳴り。姉に似た天の声まで体を襲い、捕えどころのない雑念も蜃気楼のように浮かんでは消えるのだった。


「東大現役合格だー!」


「いや、京大だー!」

 

テンションハイのクラスメートを横目に、


「兄弟、兄弟。わしゃ、灯台守でんがな」

 

当代随一のズッコケ白け駄洒落をかますしか、優一はなす術がなかった。

 

―――本当に、どうすればいいんだろう‥‥‥。

 

なんとかせねばと焦るが、有効打が思いつかない。目下、逃避が最良の打開策とは実に情けない。右手でぼんやりと頬杖をついていると、

 

―――ピン、ポーン!

 

押し手の元気が伝わる、溌らつたるチャイムが優一を呼び覚ました。


「はい! はーい!」

 

父が脱兎のごとくダイニングを飛び出すが、


「ワラワが先じゃー!」

 

タッチの鼻差で千加子に先を越されてしまった。


「おっはよー! のぞみちゃん。あなたのユウ君は、ただいま五月病にとりつかれていて、相当深刻なご様子ですぞ。ワタクシメの見立てでは、全治三年で、高校生活は確実に泥船チープンで、まず沈没ですな」

 

ドアを開けて、千加子が恭しくのぞみを迎え入れる。


「チーちゃん。お医者さんごっこに独裁者末期願望予言もいいけど、ほら、ほら。こんなとこに、とっても可愛いクモが」

 

敵も用意周到であった。右手のはえ取りグモを、ぴょんと千加子のセーラーに飛ばしたのだ。


「キャー!!」

 

悲鳴の主は今朝も完敗で、ピクピクッ! と痙攣を起こし、父にしがみついてしまった。


「な、のぞみ。チーを驚かすのはいいけど、クモだけはやめろよ」

 

のぞみと並んで、優一は苦笑しながらマンションの階段を下りる。彼もクモが苦手なのだ。


「うん。分かった。分かったって言ってるのに、どうして逃げんのよ?」

「いいから。あんまし、近づくなよ。三メートル。三メートル、空けろって!」

 

優一は女子大生と女子高生の視線が気になる。女子大と芸能高校の通学路で、美人学生が中佐世保駅まで引きも切らず、高一男子は圧倒されてしまうのだ。身長・フェイス・おつむ、いずれも超並みで、特上ののぞみとは超が三つ付くアンバランスで、よけい人目が気になってしまう。


「いいじゃない。恥ずかしがらなくても―――恋人どうしなんだから」

 

のぞみはカバンを持ち替え、優一の右腕を抱いてからかう。


「やめろよ!」

 

赤くなって、優一は裏通りへ逃げてしまった。


「‥‥‥学校、おもしろいか?」

 

細い市場の通路を、追って来たのぞみと並んで歩く。


「ううん。全然おもしろくないわ。こないだまで、おもしろくなくて、大声で叫んでたの。ユウと同じ教室で、授業を受けさせろー! って。でもここしばらく、のりっぺのことが気になって、叫ぶの、忘れてた」

 

肩をすぼめ、のぞみは小さく舌を出して苦笑い。


「―――ね。のり子のことで、話があるんだけど。今日、ウチへ来てくれないかな」


「‥‥‥宿題が一杯あるからなあ」

 

宿題地獄にのたうちまわる日々であった。優一が渋っていると、


「数学と英語なら、まっかせなさーい!」

 

えくぼの主は、こんもりと可愛い紺ベストの胸の谷間を、ポン! とたたいて不安を解消してくれた。


「うん。じゃぁな」

 

苦笑いを浮かべ、優一は先に中佐世保駅の改札をくぐる。


「それじゃ、ばいばい」

 

改札手前で右手を振ると、のぞみは反対ホームへ駆けて行った。

 

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