きままにエッセイ
葱と落花生
第1話 冤罪
『冤罪』
有ってはならない罪だが、人が人を裁き始めた時から絶える事なく繰り返される悲劇。
悪意が無くとも、捜査中のちょっとした情報の行き違いで罪のない市民が逮捕される。
裁判中、被告に覚えのない証拠がさも真実であるかのように列挙され、誤った証拠はいつの間にか真実とすりかえられてしまう。
たとえ無実の者でも、裁判によって有罪判決が確定すれば、犯罪者となり刑に服さねばならない。
無実の者が逮捕され被疑者として起訴さたりしたら、世間様は冤罪事件としている。
しかしこれもまた、長い裁判によって無罪を勝ち取ったから冤罪であって、負ければ刑は執行される。
法的に冤罪という概念は無い。
法律用語としては誤判・誤審とされている。
『冤』=【濡れ衣】では無く、単なる『誤』=【誤り】なのである。
間違いでしたで済まされる問題ではないが、法律家の考えは【間違いでした】なのだ。
ある国では空港で見ず知らずの兄ちゃんが『ちょっとこれ持ってて』と言って包みを預ける事が頻繁に行われている。
赤ん坊を抱えた女性に対しては、粉ミルクの缶だったりする。
ターゲットと目星を付けた御人好しの前で、小さな袋を落とす者もいる。
親切心で『落としましたよ』と拾ったが最後、落とした奴は猛ダッシュで其の場から走り去る。
御人好しの後ろには、本物の警官や刑事が手錠を持って立っている。
物を持たせる為の手口は年々巧妙になっている。
観光気分でチョットだけ油断したばかりに、何時出られるかも判らない刑務所暮らしの実刑を受けている人がいるのだ。
麻薬所持者を密告した者に、報奨金が支払われるからである。
警官と密告者が組んで冤罪を仕組み、報奨金を稼いでいる。
生きる為ではない、今よりほんの少しだけ贅沢の金が欲しいばかりに、他人の一生を盗んで食い物にする族は、物語の中だけの者ではない。
腐ったみかんの中に入り込んでしまうと、腐っていない者まで腐れたみかんにされてしまうのである。
ほんの些細な出来事で、貴方にその時アリバイが無かったというだけで、今日にも拘置所送りにされてしまう可能性がないと言い切れる世の中ではない。
自分が自身の罪を裁くのではない。
何等かの事件に巻き込まれた時に、他人が自分を裁くのならば、冤罪は常に身近な事件であると認識しておくべきだ。
冤罪は何故つくられてしまうか。
『裁判があるから』である。
世の中に嘘と錯覚と勘違いが存在する限り、冤罪はなくならない。
何が間違いかと言って、人が人を裁く事が一番大きな間違いなのだが、他に裁く者がいないからしかたない。
防犯カメラにしっかり犯行現場と犯人が映っているなら別だが、タイムマシンでもない限り過去の犯罪を見る事はできない。
証人や証拠が指し示す真実を探って繋ぎ合わせ、一つの事件を整理していく。
この段階でどの証言を信じるか、どの証拠を採用するかは総て人の裁量に任せられている。
困った警官といい加減な検事とやる気の無い裁判官。
ついていない三連ちゃんを喰らえば、簡単に凶悪犯の仲間入り出来るのが現在の制度である。
凶悪犯の仲間入り程度ならまだしも、死刑判決など出された日にはついていないどころの騒ぎでは収まらない。
裁判制度のある国では、過去におて国家による冤罪作りが盛んに行われていた時期が必ずある。
どの国でも歴史がこの事実を物語ってくれている。
日本で言えば終戦直後の赤狩りしかり。
近年では政治の裏工作を一手に引き受けていた暴力団の事実が明るみに出るや否や、世情が大きく動いているらしい。
それまで表裏一体の関係であった政治と暴力の関係。
今まで、そして今後も一切ございませんと言いたげにわざとらしく【暴力団排除法・条例】が次々と可決された。
邪魔になったら新に法律を作り、邪魔者を合法的に排除する。
政治家になってその力を実感する瞬間である。
政治家になって良かったと思う瞬間である。
昨日の友を陥れて何が悪い。
それが政治の世界であり政治家である。
良い人はいずれは取り込まれ食いつぶされてしまう。
この様に自分達で作った法を駆使し、規制対象外の人物でも自分にとって都合の悪い者を【コイツは悪い奴】と無理矢理のこじつけて逮捕させて閉じ込めておく。
合理的かつ効果的な作戦である。
政権が変わればどこの国でも大物政治家が逮捕されるのは御決りで、ここまで腐って来るとどれが冤罪なのかさえ判らなくなってしまうものだ。
江戸時代にも【御白砂】といった裁判に似た制度はあった。
しかし、現在も似たり寄ったりの処があるのだが、自白が絶対の証拠のように扱われて来た。
自白を得るための拷問は当たり前の様に行われていた時代である。
ある意味、殺風景な取調室と危険な香りが充満した拘置所を行ったり来たりの生活も、昔の拷問とさして変わらない。
肉体への拷問は気絶してしまえば何とかなるが、精神的拷問は逃れようがない。
慣れない拘置所生活を長く続けると、やっていない事まで『ひょっとして、俺やっちゃったかも………ね』と自供してしまうのだから恐ろしい。
間違って『やっちゃいました』と言ってしまったら後戻りはできない。
日本には代用刑事施設(拘置所・旧代用監獄)と呼ばれる近代国家としては極めて特異な施設が現存している。
問題が大きい取調べ体制だが、改める気配は一向にないまま公的に存在している。
司法当局が喉から手の出る程欲しい『私が遣っちゃいました』を容易に引き出せるこの様な施設は、冤罪の温床となっている。
苦し紛れに罪を認め、後から公判中に『実はやってませんでした』などと自供を翻して無罪を主張したならば、反省の色なしと裁判官や裁判員の心証を悪くするだけだ。
科学捜査の充実が目覚ましい昨今。
昔とは真逆に証言はなくとも、犯罪の立証にはDNA鑑定などの物証で十分といった風潮がある。
悪意をもって人を陥れようとしたら、中学生レベルの科学力で物的証拠などいくらでもねつ造できる。
容疑者に有利な証拠を、破棄したり無視する捜査関係者がいないとも限らない。
科学絶対的傾向もまた冤罪を作る危険性を大きくはらんでいる。
ドラマの中だけの話かと思われている捜査機関が創り出す基本的推定シナリオは実在する。
このシナリオに基づいて捜査が行われてゆくのであるから、一流の作家も顔負け玄人裸足の真っ青である。
自らの出世のため、虚偽の自白を強要。
証拠の捏造など何でも有りのやりたい放題。
出来上がっているシナリオで候補した人を主役に抜擢し、どんな大根でも無理やりはめ込み冤罪を創り出す。
捜査機関の暴走を引き起こす原因は、マスメディア報道や国民世論にもある。
捜査状況を必要以上に知りたがったり、速く犯人を捕まえろ! 能無しの石潰し! 税金泥棒! などと、容赦なく捜査関係者を罵倒するのは、いかに国民の生活習慣病とは言え出来る限り抑えた方が良いようである。
外野にやいのやいの言われて功をあせったばかりに、甲山事件のように被疑者が証拠不十分で不起訴となったにもかかわらず、不起訴不当議決で再び被疑者に嫌疑がかけられ起訴されたが無罪となった事件などは、皆で作る冤罪事件といった感が強い。
2005年には検察審査会の権限が強化され、冤罪の増加を危惧する声が上がっている。
一度無罪になったからと安心してもいられない。
捜査機関に限らず、冤罪を創り出す行為は無限である。
真犯人が他人に罪をなすりつけた事例では【梅田事件・八海事件・牟礼事件・山中事件・富山長野連続女性誘拐殺人事件・警察官ネコババ事件】
他には嘘をついて裁判官の心証を著しく害し、被疑者自身が冤罪を作り出している場合もある。
どのような状況によって無罪判決が確定しても、警察は「捜査は適切に行なわれたと信じる」とコメントするのが御決りで、報道関係者の質問に対して答える気はないと思っていればはらもたたない。
冤罪の原因追求をして関係者問責を行った例は、足利事件以外確認されていない。
日本では冤罪の主張をしていても、話題とならなければ報道は取りあげない。
最終審まで争っての判決は冤罪主張がなされていても、裁判所が再審請求を受け入れるのは非常にまれで、死刑判決などでは再審請求を行っている間に死刑執行されず、獄死してしまったりする。
長期刑が満期釈放になる例も多く、再審によって冤罪を証明できたとニュースになる事件は、実際の冤罪件数からすると一部でしかないと言える。
第二次世界大戦以後、裁判所が死刑判決をした事件で、法務省が無実・冤罪の疑惑があると認識している事件は死刑を執行せず、裁判所が再審請求を受理して無罪判決をするまで待つか【免田事件・島田事件・財田川事件・松山事件】死刑囚が天寿を全うするまで拘禁する【帝銀事件・牟礼事件・波崎事件・三崎事件】という運用をしているのが現実である。
ここで貴方が、冤罪で長い間拘束されたとしよう。
いざ釈放された時、補償の低さに驚くはずだ。
捜査や起訴の段階で違法性がまったく証明されなかった場合、刑事補償法は拘束1日につき1000円からで、非常に警察検察に分が悪い場合でも最高一日につき12500円しか賠償しなくて良いとされている。
最低ラインの一日1000円てなんだかな。
ガキの使いが駄賃くれって言ってんじゃねえぞ!
10年服役して最低だと365万円。
最高額でも4566万円の補償である。
捕まり損もいいところだ。
たとえ無実でも、警察が追いかけて来たら逃げるしかないだろ。
こんな法律がまかり通っているんだから。
最高で年450万円超というのは、捜査機関の故意による冤罪・死刑囚拘置と、最悪の条件が重なった場合。
年中無休24時間のコンビニの様な拘束である。
人の自由を散々奪っておいて、それはないだろう。
冤罪により死刑宣告を受けたら最後、苦労の末に無罪を勝ち取っても、孤立無援に周囲の人々から見放されてしまった後だ。
生活保護を受けて細々と生活しているのが現状である。
政府は冤罪の被害者に対して、実質何の謝罪も救護もしていないのである。
補償をもらえた者はまだ良しとするべきかとも思える滅茶苦茶な決りがある。
刑事補償を受け取るには裁判で【無罪】とならなければならない。
無実の冤罪被害者が長期間勾留されても、起訴されなかった被疑者は補償の対象とならないのである。
疑いを掛けられ世間から罵倒され、一家は離散し帰った家はボロボロに荒され、親兄弟嫁子供の行方がわからなくなって、天涯孤独の上に会社はとっくに解雇された無一文でも、逮捕拘留した警察・検察は一切賠償に応じる義務がない。
何ともやりきれない法律だが、かたや裁判で犯人であると確定しても、心神喪失等による責任能力がない者として【無罪】となれば補償の対象となってしまう。
冤罪であっても有罪判決が確定したら、再審によって無罪が確定されるまで有罪として扱われる。
推定無罪ではない。推定有罪である。
家族の経済的損害はもとより、犯罪者の家族として差別や排斥を受ける。
被害者にすれば、怒鳴りつけてやりたい犯人とされた者は刑務所の中である。
坊主憎けりゃ袈裟までも。家族に対して土下座して謝れとねじ込む。
酷い言いがかりではあるが、被害者やその家族の気持ちも分からないではない。
どうにもならない無情までも、冤罪事件は産み出してしまうのである。
犯罪事件で冤罪が判明すると、真犯人は野放しだという結論に達する。
しかしながら、真犯人の行方を今更のように捜査しても、記憶や事件そのものの風化によって犯人を探し出せる確率は限りなく零に近い。
今は過去の事件に遡って殺人事件の公訴時効がなくなったが、その他の事件は控訴時効が成立していたりする。
真犯人は法の裁きを受けないまま、事件は迷宮入りとなるのだ。
冤罪で犯人とされた者ばかりではなく、被害者やその遺族には、何処にもぶつけようのない口惜しさばかり残るのが冤罪だ。
冤罪は有ってはならない罪である。
再発を防ぐ為に多くの努力が成されている。
日本では日本国憲法と刑事訴訟法によって、拷問や脅迫などによって引き出された任意性のない自白は証拠とすることができないという原則(日本国憲法第38条第 2項、刑事訴訟法第319条1項)がつくられている。
だが、この拷問の詳細定義には問題が残されている。
先に記した【取り調べ・拘置所】である。
その措置そのものが拷問ではないのかという議論が有る。
他に、補強法則は自白を証拠として偏重すると、苛烈な取り調べによって虚偽の自白が引き出され、冤罪が発生する恐れがあるため、自白のみによって被告人を有罪とすることは出来ない(日本国憲法第38条第3項、刑事訴訟法第319条第2項)としている。
過去において取り調べ中の暴力が当然であったが、今日においては暴力的検事に対する告訴を検察側が適切対処する事例も見られる。
現在も冤罪事件は根絶されてはいない。
取調べの全過程を録画・録音して違法な取調べをなくそうとの意見が有る中で、残された取調べ映像が部外者に流れた時の弊害を懸念する声もある。
証人保護プログラムのない日本では、画像として残った証人を守り切れない。
当然、犯人からの報復を恐れて自白をためらい、真相の解明ができなくなってしまう可能性があるのだ。
現在、検察は2006年。警察は2008年から取り調べの一部録画を始めているが、検察・警察にとって都合のいい一部だけ切り取られたのでは、録画の意味がないと言われている。
何も信じるな。誰も信じるな。
それが冤罪から逃れる方法である。
当然と言えば当然の反応だ。
何時でも何処でも不謹慎が私のポリシーであるが、今回は少しばかり挫ける題材であった。
作家を志す方が多く在籍しているサイトである。
冤罪を扱った作品を幾つか紹介しておく。
二番三番煎じどころではない。
限りない程多くの作品が作られている。
それでもなお、冤罪はなくならない。
優れた作家は多くの人の心を動かす力を持っている。
私には生憎とその様にだいそれた力がない。
才能ある方々には作品を創り出すにあたって、少しばかりでも冤罪という困った現実が此の世には存在しているという認識をもっていただければ、この様な駄文も生きていられましょう。
映画
『影なき殺人』『真昼の暗黒』『松川事件』『帝銀事件 死刑囚』 『証人の椅子』 『日本の黒い夏─冤罪』 『三浦和義事件』『容疑者 室井慎次』『父の祈りを』『10番街の殺人』『それでもボクはやってない』『出獄』『ザ・ハリケーン』 『死刑台のメロディ』『BOX 袴田事件 命とは』
『ディア・ブラザー』
演劇
『NEWS NEWS』(『日本の黒い夏─冤罪』の原作)
テレビドラマ
『白の処刑 絞首台から生き返った男』『暁は寒かった―誰かが母を殺した日』 『逃亡者』 『冤罪シリーズ』 『逃亡弁護士』『ギルティ 悪魔と契約した女』『自白・この国の捜査のかたち』『嘘ひいごろ』『続・嘘ひいごろ』『私はやってない―えん罪はなぜ起きたか―』 『空白―志布志事件・暴走捜査の闇―』 『つくられる自白―志布志の悲劇―』『空白―冤罪被害者のその後―』『犯人にされた男―検証 富山えん罪事件―』 『なぜ私が収監されるのか~高知白バイ事故の真相~』『それでも僕らはやってない~親と子の闘い3000日~』
小説
『湿原』『13階段』『涙流れるままに』『善意の報酬』
漫画
『MONSTER』『勝利の朝』『無頼伝 涯』
評論
『最低ですかーっ!』『冤罪はこうして作られる』『痴漢「冤罪裁判」―男にバンザイ通勤させる気か!』『ぼくは痴漢じゃない!―冤罪事件643日の記録』 『お父さんはやってない』『彼女は嘘をついている』『冤罪司法の砦!ある医師の挑戦―奈良医大贈収賄事件』『いつか春が―父が逮捕された「佐賀市農協背任事件」』 『酩酊えん罪 裁かれるべきは誰か―刑事裁判物語』『(同)〈Part2〉完結編』 『 「ごめん」で済むなら警察はいらない―冤罪の「真犯人」は誰なのか』 『冤罪―ある日、私は犯人にされた』『訊問の罠―足利事件の真実』『ナラク―ゴビンダ・マイナリ獄中日記』
ルポルタージュ
『「冤罪」を追え―志布志事件の1000日』 『「違法」捜査 志布志でっち上げの真実』『左手の証明―記者が追いかけた痴漢冤罪事件868日の真実』
きままにエッセイ 葱と落花生 @azenokouji-dengaku
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