七つの鉄槌 5

明日出木琴堂

第5打 献身無き信仰

 1995年 1月。 

阪神淡路大震災の発生から数日が過ぎた。

被災地の混沌と混乱は、全く収まる気配が見受けられない。

真冬の厳しい寒さの中に、着の身、着のままで放り出された被災者たち。

重たい家屋に押しつぶされながらも必死に救助を待つ生存者たち。

そのまま息絶えた被害者たち。

くすぶり続ける瓦礫。立ち昇る煙。充満する嫌な臭い。

その瓦礫とゴミで埋め尽くされた地面を踏み潰しながら、十数台の真っ白な4WDのワンボックスワゴンが土煙を上げ行進していく。


 「神戸の皆さぁ~ん。マコト教団の応援炊き出しカーがやってまいりました。どうぞ、お集まり下さぁ~い。」

車に取り付けられたスピーカーを通して、場違いなほど元気な女の子声が響き渡る。

倒壊した家屋や仮設テントから疲れ切った様子の人々が、疲れ切った顔を覗かせる。何事か?と思い、重い脚を引きずるように表に出てくる。

「温かい豚汁、おにぎり、カレーライス、うどん、お菓子にジュース、簡易トイレも持って来ましたぁ~。どうぞ、お集まり下さぁ~い。」

女の子の声に従うかのように人々がのろのろと車の後ろを追っていく。まるでブレーメンの音楽隊のようだ。


 車が停車すると群がるように被災者たちが集まって来た。

車の中から真っ白な服に身を包んだ数十人の若い男女が降り立った。

その神秘的で威圧的な光景が被災者たちの足を止める。

「はぁ~い。こ、ん、に、ち、わ。マコト教団でぇ~す。どうぞ、お集まり下さぁ~い。」と、最後に車から降りてきたマイクを持った小柄なツインテールヘアーの女の子が語りかける。

「怪しい者じゃないのでぇ~、安心して下さいねぇ~。」

女の子の陽気な語りかけが、怪訝に思っていた被災者たちを笑顔にする。


 




 「教祖。彼女、いかかでしょうか?」

「うむ。」

真っ白の車とは違う場所に停車した黒い4WDの大きな高級車。その車の広い後部座席に座る二人の男性。スモークガラス越しにマイクを持ち語りかけているツインテールの女の子のを指差し話し合っている。

「名前は荒井みなぎと申します。見た目とは違い、年齢は今年で25歳となります。現在はアナウンサーの専門学校に通っており、在家信者となります。」

「入信のきっかけは?」

「専門学校帰りの渋谷で教団のスカウトにつかまって、というところです。」

「家族構成は?」

「両親は健在で静岡県浜松市在住。父親は地元自動車企業のサラリーマン。母親はスーパーでパート勤めの主婦。彼女は専門学校に通うため、中板橋で一人暮らしです。教団の修行は板橋道場に通っております。修行態度は【熱心】と、報告を受けております。」

「うむ。引き続き身辺調査を…。」

「承知いたしました。」


 




 翌日。神戸市長田区。

「はぁ~い、長田の皆さぁ~ん。こ、ん、に、ち、わ。マコト教団でぇ~す。どうぞ、お集まり下さぁ~い。」小柄なツインテールヘアーの女の子がマイクを片手に呼びかける。

「今日はぁ~、マコト教団の代表、鳳翔宝殿も参りましたぁ~。温かいお食事の他、代表のエネルギッシュなお言葉でぇ~、パワーも持って帰って下さぁ~い。」

ここまで話すと、小柄な女の子の後ろにある真っ白な車のスライドドアがゆっくりと開いた。

その薄暗い車内から手を引かれながらやつれた大男が降りてきた。

その大柄な体を包む真っ白な服は、そそり立つ白壁のように見えた。

傷んだ長髪の髪に伸ばし放題な髭。大きな顔は痘痕あばただらけで、その大きな顔に大きな真っ黒ングラスをかけていた。

登場した大男に背丈が半分ほどしかないように見える女の子のが持っていたマイクを渡す。


 「こんにちはああああああああ!元気ですかああああああああ!」

マイクを持った瞬間、大男はあらぬ方向を向いて大声で叫んだ。

「え…、私は…、子供の頃に罹患した病気で失明しました。何も見えません。」

大男は脈絡もなく切々と語り始めた。

「え…、目が見えない事で、交通事故に遭い、死ぬ思いも味わってきました。」

大男は苦々しい表情をした。

「え…、今も、神戸市の惨状、皆さんの苦悩な表情、どれもこれも私には見ることができません。」

大男は顔を皺くちゃにして俯いた。

「え…、今日こんにちまで、目が見えないことを悔しく思っていました。」

大男は顔を上げ、目の見えないことをアピールした。

「え…、しかし、この瞬間から考え方が変わりました。」

大男は空を見上げて語る。

「え…、なぜなら辛いものを見ずにすんだからです。」

大男はひと際澄んだ声で語る。

「え…、今、私に見えているのは、温かい食事を取る皆さんの笑顔。」

大男は温かい笑顔を振り撒く。

「え…、どんどん復興していく神戸市。」

大男はマイクを持っていない方の手を広げる。

「え…、悪いことの中にも必ず良い事はあります。」

大男は広げた手をマイクに添える。

「え…、スマイル。スマイルを忘れないで下さいね。」

大男は笑顔でさほど意味の無い話を語り終えると、マイクを女の子のに渡し、手を引かれこの場を去った。






 「村岡くん。少し歩きたいな。」と、大男は手を引く生真面目そうな男に言う。

「教祖。分かりました。」と、男は返す。

この日の炊き出し活動を行った場所には、マコト教団以外の団体も炊き出しを行っていた。

ボランティア団体、自治体、芸能人、…等の様々な団体が見本市のように炊き出しを行っていた。

「ん?!」

その中に、ひと際異彩を放つ団体がいた。

炊き出しを行ういかつい男たち。その男たちの体の至る所に入れられた【墨】。

『やくざ者か…。やくざがなに故…。』大男はこの光景に少し興味を持った。





 「村岡くん、ストップ。」

「は、はい。」

「あそこの団体は何なんだろうね。」私は、やくざ者たちの炊き出し会場を指差し、教団ナンバー2の村岡に問うた。

「多分…、××組のボランティア活動かと…。」自信なさげに村岡が返す。

「××組…。」

神戸に本拠地を置く、日本最大の暴力団組織、××組。

日本を裏から牛耳っている××組。

『そんな奴らがボランティア…。結びつかない…。』

情にほだされて動くような奴らじゃない。得にならない事に足を突っ込む奴らじゃない。


 暫し、その異質な団体を遠目に観察していると、その場にそぐわない男が近づいてきた。

ひと目見る限りで、その男の異様さは感じ取れた。

誰もが足元の悪い地面で転ばぬように注意を払いながら慌ただしく動き回っている中、その男だけは優雅に滑るように現れた。

全身を紫紺の服に包み、胸に黄色の薔薇を差している。

『何者だ…。同業者か…。』






 「船場さん。こんな所にまでわざわざ。」

どう見ても気質かたぎじゃない男が紫紺の男に頭を下げた。『組関係か…。』

「久しぶりですね。▲▲さん。大丈夫でしたか。」

「ええ。お陰様で…。」

「それは何より。福富さんは?」

「市議もお変わりなく…。」

「それは良かった。ところで…、あれはいけませんね。」

「…と、おっしゃいますと。」

「お宅のところの若い衆…。あの身なりでは…。」

「えっ…。」

「皆さんが、怖がってしまいます。人が寄らねば…、あなたや福富さんが欲しがっているものは集まりませんよ。」

「それもそうですね。でも、まいったなぁ…。船場さんは何でもお見通しで…。」


 遠目に見ていた私からは彼らが何を話していたのかまでは分からない。

紫紺の男は数言、話すとその場を離れた。すると、気質かたぎには見えない男は、墨の入った男たちの頭をひっぱたいて回わり始めた。

『…ん。紫紺の男に、何か言われたのか…。』

興味をそそられる光景であったが、それ以上の進展も無く、私は教団の炊き出し場に戻ることにした。


 教団の炊き出し場に戻ると、そこには紫紺の男がいた。マイクを持った荒井みなぎに話しかけている。

私の姿を見つけた荒井みなぎが駆け寄って来た。

「だ、代表…。お客様が…、お待ちです。」と、息を切らせながら、絶対に取り次がなくてはと言わんばかりの強い意志のこもった言葉を伝えてきた。

「どなたかな?」察しはついているが敢えて聞き返す。

「あちらの…。」と、荒井みなぎが振り返り手で指し示そうとした…。

「はじめまして。船場美津彦と申します。」と、荒井みなぎの後ろから声がした。

『?!いつのまに…。』

荒井みなぎの後で、紫紺の男が頭を下げ立っていた。音も無く、気配も無く、知らぬ間に、そこにいた。

「鳳翔宝殿です。」

「急なご挨拶の御無礼、お許し下さい。」

「何用で…。」まじまじ見るとこの男の事がより分からなくなる。

見れば見るほど判断できなくなる。

年齢不詳。とは言っても若くはない。

身長は高い。痩せている。髪はフサフサで、顔に皺やたるみも見かけられない。透けるように肌が白い。男に間違いないのに、何か違う魅力を纏っている。

『この人物はいったい何者なんだ…。』


 「前回の総選挙でのご活躍から、私、教祖様のファンでして…。」

「それは、ありがとうございます。」よく言う。総選挙は誰一人当選することなく、惨敗だったじゃないか…。

「マコト教団の選挙戦での活躍。目新しい選挙活動。テレビのニュースを釘付けで見ておりました。」

民衆からは色物と馬鹿にされたじゃないか…。

「お誉め下さり、ありがとうございます。」

「この度の被災者に対する支援も目を見張るものがございます。」

「ありがとうございます。」何が言いたいのだ、この男は…。

「しかし…、」

『ん…?』顔つきが変った…。なんだ…?


 「神様も残酷な試練をお与えになるものです…。」

「それは…。」何を言いたいのだ、この紫色の男は…。

「いやなに、この度の大地震と言い、過去の大戦と言い、強大な力で蹂躙されても、我々は肯定するしかない、ということですよ。」

「…。」

「どれだけの人命が奪われようとも…、どれだけの文明が壊されようとも…。」

「…。」

「余りにも強大な力は、肯定せざるを得ない、ということですよ。」

「…。」

「強大な力前では、我々は…。」

「…。」

「ひれ伏すしか手だてが無い。」

「…。」

「…ということですよ。それでは…。」と言うと、紫紺の男はいなくなっていた。

『何なんだ…。いったい…。』

変な気分だった。さっきまでの出来事が、現実なのに夢のように思えてしまう。不思議な人物との遭遇だった。


 しかし、彼の言った「強大な力は肯定される。」という言葉には、深い意味が含まれている。

この言葉は、我々に、自己肯定感や自信を持つことの重要性を示していると言える。

人間は、自分自身の力を信じ、肯定的に捉えることで、さらなる成長や成功を達成できる…。

人々は、自分の能力や可能性を信じることで、困難を乗り越え、目標を達成する…。

どんなに厳しい状況においても、どんなに凄惨な現実を見ても、己を否定しない限りは、「道は開ける。」と、説いている…。

大惨事に合おうとも、我々は災難を嘆くのでは無く、乗り越えた自分たちを自分たち自身で賛美するのだと…。

そして厄災は歴史となって「肯定」されるのだと…。

その凄惨な厄災が、【天災】であれ【人災】であれ…。

『奴は高名な宗教家か、それとも千里眼でも持っているのか…?』

とにかく、私は力強く後押しされたように感じた…。






 紫色の男の言葉は、まるで私の心中を見透かしているかのようだった。

私の今日こんにちまでの闘争の日々を…。


 私の立身の始まりは整体師からだった。整体師と言っても自称である。

小さな頃から大きな体でブ男の私は引っ込み思案な性格になっていた。

できるだけ、自分にいい状況を作り出すことに務める子供だった。

いい年になってもまともに職にも就いていなかった。

しかし、身内に甘えて生きようなんて気持ちもさらさらなかった。

だが、身に付いてしまった性格から「今更会社勤め…。」は考え辛かった。だから自分一人でできる仕事を考えた。独学で整体を学んだ。始めは住んでいたアパートで身内に施術するところから始まった。


 独立しようとする私に身内も協力的だった。まぁ、大きなお荷物を背負いたく無い一心からであろうが…。

私は多種多様の整体術を独学で学び、それらを組み合わせて、新しい整体施術を売りにした。

この頃の私は、この新しい整体の施術が認められ細々ではあるが生活できていた。

思えば、あの頃が一番、平穏だった。


 私の新しい整体施術は口コミで客を増やしていった。

アパートでの施術が手狭になるほど客が増えた。

私は店舗を借り、真実堂しんじつどうと名付けた整体院を開いた。

そんな折、私の整体院の人気に目をつけた地元の健康器具や食品を扱う企業が【タイアップ】を持ちかけてきた。

社会人としてまだまだ未熟だった私は何も分からぬまま、「千載一遇の好機」と、捉えた。

「有名になれるなら…。儲かるのなら…。」と、深く考えること無く、快諾してしまう。


 それから、その企業から担当者だと言うことで、一人の女性が真実堂に通ってくれることになる。

名を出門美羽。当時、入社したての新入社員だった。


 出門美羽、当時二十歳そこそこ。スーツ姿がよく似合う美人で肉付の良い女性だった。

「整体の事は何も分からないので、是非、ご教示下さい。」と、謙虚な彼女の姿勢に、好感が持てた。

商談の度に、簡単な施術を行ってやった。

敢えて簡単な施術にしているのは、彼女は若いので、本格的な施術を行うと、逆に体を痛めてしまう可能性があるからだ。

私の整体に対する理論についてもよく話した。熱心にメモをとっていた。その姿勢にも、好感が持てた。


 当初、出門美羽の来院は月に一度だった。

それが、半月に一度となり、週に一度となり、週に二日、三日となり、最後には、必ず毎日来るようになった。嫌な気分はしなかった。

「会社側がそんなに熱心なのか?」と、問うと「私個人の興味で…。」と、返答をする。これも、嫌な気分はしなかった。

そんな時間がごく自然に我々を男女の関係にした。

私より一回り以上年下の女性が、私に興味を持つとは思ってもみなかった。

巨漢で無愛想。痘痕あばた面の中年男が若い女性から好かれるなどと考えもつかなかった。

まるで「美女と野獣」だな。

それはお伽話の世界でしかないものだと思っていた。

それが現実に起きている。

でも、全然、嫌な気分はしなかった。


 彼女の支えは私に活力を与えた。

私のバイタリティーはおのずと真実堂の好調にも繋がった。

会社勤めの傍ら、時間ができれば真実堂の切り盛りを手伝ってくれる美羽。

その甲斐甲斐しさに私の中で彼女の存在が大きくなっていることを感じざるを得なかった。

そして、私は彼女に懇願する。「ここでずっと一緒にいてくれ。」と…。

彼女は私の願いを聞き入れてくれ、早々に会社を辞め、真実堂で私と一緒に過ごす決断をしてくれた。

そんな順風満帆とも思えた日々を過ごしていた最中、こういう時に限って潮目が変わる。それも悪い方向へ…。

真実堂の人気に目を付けタイアップ企画を申し込んできた企業の商品に不備が見つかったのだ。

その頃の真実堂は、地方紙やローカルテレビに取り上げられるぐらいに有名になっていた。

その中での、真実堂の名を冠した健康食品の原材料の一部に毒性のある成分の使用と虚偽の原材料表示が発覚する。

私にとっては寝耳に水、藪から棒、青天の霹靂、と言った出来事だった。

私は急ぎ、健康食品企業に問い合わせるも、その段階で企業は倒産していた。

私に残った物は、販売することのできない商品の山と、健康被害を訴える訴訟の嵐と、支払いのために借り入れた借金だけだった。


 一瞬にして全てを失った私は途方に暮れていた。

毎日のように真実堂に押し寄せる記者たち。

私の失意を思い図ることもなくチャイムを連打する借金取り。

真実堂の前を通る度に罵声を浴びせる近隣住民たち。

気が狂いそうだった。生きている意味が分からなくなった。

そんな私に「一緒に逃げましょ。こんな所にいてもしょうがない。」と、美羽が言ってくれた。

「あなたはこんなことで終わるような人じゃない。生まれ変わればいい。」と、言ってくれた。

私はこの言葉に一縷の望み託し、姿を消した。


 私が次に表舞台に現れたのは【鳳翔宝殿】と言う名のスピリチュアリストとしてだった。

逃避行生活の疲れからか、体重は半分ほどになり、骨と皮だけの大男になってしまった。

ストレスによる自律神経失調症から顔面麻痺も発症することになった。

しかしながら、これが功を奏した。

真実堂の主人とは似ても似つかない人物になっていた。

親、兄弟ですら私と鳳翔宝殿が同一人物であると分かる者はいないだろう。それほどに別人になってしまった。

頬の肉が下がり、顔つきが変わった。瞼は持ち上がり難くなり、ずっと半眼でしか見ることができなくなった。


 私は物心ついた頃から、目が見えないふりを演じてきた。

物心ついた頃、私は皆と違うことに気づいてしまった。

誰よりも大きな図体に醜い顔。誰も私には近づきたがらなかった。だから、弱い子供を演じることにした。

ある時、高熱を出したことがあった。熱が冷めた時、私は「目が見えない。」と、言ってやった。これが始まりだ。

初めは大人の同情をかうためだった。皆、私を気遣って、お菓子をくれたり、ジュースをくれたりした。

これが幼き私に生きるヒントをくれた。

「強き者は、弱き者を助ける。健常者は、障害者に親切にする。それが騙されていたとしても…。」ということを…。

親も私が目が見えないと信じ込んでいた。だから、私を盲学校へ通わせた。

そして、盲学校での経験が私に生きるための次のヒントをくれた。

本当に、目が見えない子供たちの中に、本当は目の見える私。

「弱き集団の中では、何の努力をする必要もなく、簡単に一番になれる。」ということを知ったのだ…。


 私の目が、本当は見えることを知っている美羽が「このまま盲目を演じなさい。」と言うので、人前に出る時は濃い色のレンズがついた大きなサングラスをかけるようにした。

おかげで誰もが皆、私は目が見えないものだと勝手に思い込んでくれた。

これが功を奏する。目が見えない人間が、物に当たることなく、つまづくことなく歩く。

普通の人々には奇跡としか思えない。

これも厳しい修行の賜だと宣うと、皆、信じる。

単なる茶番劇なのに…。

美羽の指示で、髪は伸ばし放題。

逃避行生活での栄養不足からか艶のない傷んだ毛しか生えてこなくなった。

髭も伸ばし放題。

一見、不潔感漂う身なりだが、これも功を奏することになる。

「インドの山奥で修行してきた結果だ。」と、吹聴すると、皆、勝手に信じきった。

単なる怠惰で不健康だけなのに…。


 美羽の勧めでしばらく姿を消して、美羽の言う通りに従った結果、私は人々から【ミステリアスなスピリチュアリスト】として迎えられることになった…。

生まれ変わったばかりの私には、人々の反応がどれもこれも理解不能なことでしかなかった。

『真実堂の私も、鳳翔宝殿の私も、中身は全く同じなのに…。』

この結果をもたらしたのは、美羽の献身的な努力のおかげだ。

何もかも失った私を支え、私を生まれ変わらせてくれたのは、全て、美羽のおかげだ。






 ある日、美羽が「写真を撮りたいから協力して。」と、言ってきた。

私には美羽の提案を断る理由はない。言われる通りに協力することにした。

撮影部屋に入るとそこには何も無かった。

ただ、教壇のように一段底上げした床に座布団が一枚敷かれてた。

不思議に思っていると「裸になって、これを腰に巻いて。」と、美羽が言う。

言われるがまま、裸になり、腰に布を巻く。

「その座布団の後ろに立って。」言われるがままに動く。

「その座布団の下にトランポリンを仕込んでいるの。」

「えっ?!」確かに、座布団の四隅が釘で床に打ち込まれている。

トランポリンが見えないようにしているのか…。

「そこで飛び跳ねて、空中で胡坐を掻いて欲しいのよ。」

「なぜだ?」流石に疑問から質問してしまう。

「トリック写真を撮りたいの。あなたが空中に浮いているような…。」

説明を聞いても分からなかった。しかし、美羽の言う通りのポーズを取りながら撮影を進めた。


 この撮影の1ヶ月後、オカルト系の雑誌に一枚の写真が大々的に載った。


 【 決定的瞬間!!!これが空中浮遊だ!!! 】


 タイトルと共に私が裸で胡坐を掻いた姿で見事に空中に浮いている写真が掲載されていた。






 美羽の計略は見事にハマった。

雑誌が出た翌日から出版社への問い合わせの電話が鳴りやまなくなったそうだ。

この瞬間から、鳳翔宝殿は【神秘のスピリチュアリスト】となっていた…。

美羽は私に「さあ。今度はあなたが癒される番。皆があなたを祀り上げて、尊んでくれるわ。」と、言う。

美羽の考えは、私を頂点としたコミュニティを作り上げることだと言う。

「ここからは、来るものは拒まずの姿勢で。」と、私にアドバイスをする。私に美羽の助言を拒む理由はない。

そして、いの一番に私に会いに来たのが現、教団のナンバー2である村岡だった。

当時の村岡は、国立大学の理学部で助教授をやっていた。

リアリストの理学者がユートピアンの思想家風情に傾倒したことが不思議であった。

ただ、話していく内に、村岡と言う男は、沈着冷静で、頭脳明晰で、忠誠心の高い、危なっかしい男だということは分かった。

それでもなお、私と美羽は村岡の才能を買い、村岡を直ぐに仲間に加えることにした。

私たち三人は、我々の行く末を、今後の展望を、日夜話し合った。






 私たちの想像した未来は、思いの外、あっという間に叶うことになる。

私たちは村岡の提案を基に、難しい宗教的教義を全面に打ち出すのではなく、【クラン】(氏族)と言う考え方を基にして有能な人材を集めることにした。

【クラン】(氏族)とは 広義では「共通の祖先を持つと信じる人間集団。」であり、狭義には「宗教的な結びつきのみがあって実際の家系図がない集まり。」と言うことである。

いわゆる【疑似家族】組織である。

村岡は、鳳翔宝殿を共通の【祖】と、心から思える者だけを加入させること絶対条件とした。

私も美羽もそれに賛同した。そして、マコト教団の前身となるマコト会を立ち上げることとなった。


 村岡の狙いは見事に的中する。

鳳翔宝殿を疑うことなく信奉できる者だけを入会させていった。

その結果、鳳翔宝殿をはなから信じ込んでいるわけだから、鳳翔宝殿が何を言っても受け入れる。鳳翔宝殿が何を要望しても従う。鳳翔宝殿を【祖】とした【クラン】氏族ができ上がった。

集まった者たちの中には、自衛隊員もいれば、警察官もいた。医者もいれば、看護婦もいた。司法書士もいれば、弁護士もいた。化学者もいれば、音楽家もいた。マナー講師もいれば、占い師もいた。色々といた。

この成果に「質の良い【山羊】たちが集まった。良い母集団が形成できた。」と、村岡は喜んでいたものだった。


 マコト会の【クラン】(氏族)たる人間たちが決定すると、美羽が「次は【羊】たちが必要ね。」と言う。

その通りだ。家族を支えるため沢山の従順なる【羊】たちが必要なのだ。

【羊】たちは、マコト会の労働力となり、マコト会の資金力となり、マコト会のために自らを捧げる防壁となるのだから。

美羽と村岡は様々な計略を用いて【羊】たちがを増やしていった。

マコト会は某宗教団体のような訪問勧誘などは行わなかった。

音楽コンサートを開いて勧誘。法律相談会を開いて勧誘。健康セミナーを開いて勧誘。占いで勧誘。街角アンケート調査で勧誘。

明確に勧誘を感じさせない手法を用いて【羊】たちを集めていった。

だから、勧誘された方も、軽いノリで入会した。

はしたな金額の入会金を払い、クラブ活動か、サークル活動気分で参加する。そして、興味ある分科会に参加する。

大抵の者は数回程度の参加で来なくなる。それは全く問題ない。

しかし、幾ばくかの者は継続的に参加する。この者たちが【羊】となる。

【羊】たちには、羊飼いたちが「トレーニング」と称して、じわじわと宗教的洗脳を施していく。

私の解釈する宗教とは「神の言付けを守る。」「救世主の言うこと聞く。」そうしてれば、もしくは、それしていれば「あなたは救われる。」という説く者にも乞う者にも、双方にとって都合の良い考え方なのである。

それによって羊たちは外敵に恐れを感じ、守られる事に感謝を感じ、柵の中にいることに喜びを感じるようになる。

こうなれば、【羊】たちはマコト会に全てを捧げる。

こうやってマコト会は急激に拡大していった。






 マコト会がハイスピードで膨張している中、村岡とマコト会の法務担当者と財務担当者の3人が私のもとへやって来て「宗教法人格を取得しましょう。」と、進言してきた。

確かに、宗教法人となれば社会的信用はつく。財務的優遇もある。

ただ…。

「宗教法人となると、勧誘に際して敬遠されるのでは?」と、私は彼らに問うた。

「新しいイメージの宗教法人を創設しましょう。」と、村岡が言う。

「堅苦しい教義を解くのではなく、漫画やアニメを用いて分かりやすいものにして…。」と、法務担当者が言う。

「それていて崇高で格式高い組織…。」と、財務担当者が言う。まるで、3人で言うことを分担してきたようだった。

「そんなことで受け入れられるのか?」

「手に取れる身近な存在だけど手が届かない…。」と、村岡がなぞなぞのようなことを言う。

「一つの事柄から生じるふたつ結果や判断が、共に成り立つと同時に、共に矛盾している状態…。親密で切っても切れない関係であって、対立する大元がひとつのもの…。」と、法務担当者もなぞなぞのようなことを言う。

「二律背反と表裏一体。この状態が人々を惹きつける。」と、財務担当者がなぞなぞの答え言う。やはり、3人で言うことを分担してきたようだ。

「で、どうすればいいのか?」

「キーワードは、生き神様。生と死。終末思想。ディストピアとユートピア。」と、村岡が真顔で言う。

「どういうことだ?」

「辛い現世は、怠惰に過ごした前世の報い。苦しい現世は、楽な来世のため。何もしない未来に訪れるものはディストピア。しかし、生き神様である鳳翔宝殿の教えを実行すれば訪れるものはユートピア…。」と、村岡が鼻の穴を広げて言う。

「そんなことで?」

「人々の中にはどんな時代にあっても不安の方が大きいのです。それを取り除けて安心で明るい未来を示すと、人々はそれに向かって猛進するのです。」と、村岡は私に諭すように言う。

相変わらず切れ者の村岡である。人間心理に訴えかけて、本能的に逃げらなくする。悪魔的な発想だ。

それに、村岡の一連の演出力、演技力には敬服した。私でというところか…。





 村岡の献身からマコト会は宗教法人マコト教団として新しく歩みを始めることになる。

信者の数も爆発的に増加した。信者からの多大なるお布施で教団の財政も教団の施設も充実していった。それに伴い、出家信者を希望する者も増えた。

関東近県の寂れた町でひっそりと開業していた整体院から大都会東京の一等地の青山に本部を持てる宗教法人にまで成長した。

これもひとえに、美羽や村岡やクランの者たちのおかげである。






 ただ、急激な成長は敵も作るものである。

マコト教団の成長を嫉むかのように、何かにつけて訴えを起こす輩も多くいる。

特に田中と言う弁護士はしつこかった。

「マコト教団被害者救済」などと言うスローガンを掲げ、事ある毎に直訴に来た。

やれ「財産を返せ。」だとか、やれ「子供返せ。」だとか、五月蝿いこと甚だしい。

私はクランの者たちに「田中弁護士が五月蝿いのだ。何とかならんか…。」と、問うてみた。

すると半月もせぬうちに静かになった。

これで私も【教祖】の仕事に打ち込めるというものだ。


 この1年後、世俗的で俗物的な週刊誌にマコト教団の記事が載った。


 【 田中弁護士一家失踪事件! マコト教団が関与か?! 】と…。






マスコミが連日、連夜、教団施設に取材に訪れる。

本当に暇な奴らだ。

私は真実堂の主人であった頃、真実堂の名を冠した商品に落ち度が見つかった時、嫌と言うほどマスコミのむごたらしさを経験させてもらった。

今回も同様な事が起きた。

奴らは骸に群がる蝿のように、生死に関わらず群がって来る。叩いても、潰しても、湧いて出てくる。にえを求めて…。

美羽が「私たちは何もやましい事は無い。だから、信者が取材を受けたらしっかりと受け答えさせましょう。ただ、その様子は全て、私たちのビデオカメラに収めて…。」と、すぐには理解できないことを言う。

2~3日すると、全国放送のニュースで面白い映像が流れ出した。

取材を受けるマコト教団の信者。

それを取材しているアナウンサーとカメラマン。

その様子をハンディービデオカメラに収めているマコト教団の信者たち。

その状況を撮影している違うテレビ局のカメラマン。

まるでコントだ。

この映像がテレビ放映された途端、マコト教団への若者たちの入信希望者が一気に増加した。

テレビという一方的な正義を振りかざすメディアに対して、悪とされる側が取った行動が皮肉なことに若者の共感を得ることになってしまったのだ。

マコト教団の行動が既存の価値観に対する反発のトリガーになったようだ。






 これを機に、クランの者たちから「この国を変えましょう。」と、言う言葉が上がり始める。

クランの誰もが勢いづいていた。誰もが「自分たちが正しい。」と思っていた。

本当にこの国を転覆できると思い込んでいた。教団は熱気で充満していた。

しかしながら、この思いは一枚岩ではなかった。

教団内部で意見が分かれていた。

クランの大半の者たちは「政権を奪取しましょう。」と言う穏健派。

教団ナンバー2の村岡を筆頭とする一派は「クーデターを起こしたましょう。」と言う過激派。

どちらも間違いなく国を変えるための方策だ。

平和主義派か、強硬派か。

ハト派か、タカ派か。


 利権に傾く政府。

同調圧力によって動く国会。

どこを向いて仕事しているのか分からない官僚たち。

全てのツケを背負わされ抑圧された国民。

不健全極まりない国の姿。

私もクランの者たちの「この国を変えましょう。」と言う考えに賛同した。


 




 私は先ず、穏健派の考えを実行に移した。

1989年8月に東京都選挙管理委員会に政治団体設立を届出した。

政党【マコト党】を旗揚げし、国政に打って出ることにした。

選挙戦に先立ち、東京の様々な場所に無料リラクゼーションルームと政党事務所を開設した。

無料リラクゼーションルームは「整体師のインターンシップが施術を行うので、無料でモニター体験して下さい。」との振れ込みで開始した。

無料ということもあって、「マッサージの実験台ならいいだろう。」ということで老若男女問わず繫盛した。

政党の強制的なアピールは避け、香を焚いたり、ポスターを貼ったり、私の写真を飾ったり、その程度の宣伝活動にとどめた。

政党事務所でも、宗教色を抑え、街頭演説もすることなく、終始、行きかう人々への挨拶、街の掃除、ゴミ拾い、…、等々を行った。

ただ、活動員全員が白い修行着スタイルであるため、近隣住民からは少し奇異な目で見られることはあったが、妨害行為や干渉される事はなかった。


 そして、1990年、衆議院解散。それに伴う総選挙の期日の公示が行われた。


 我々の政党マコト党は25人の候補者を立てた。勿論、私も出馬した。

我々の選挙運動は他党とは一線を画していた。

馬鹿の一つ覚えような選挙演説は一切行わず、終始、各選挙区でミュージカルパフォーマンスを繰り広げた。

4トントラックが演説会場に到着すると、ウイングボディがゆっくりと開く。

その隙間から目が眩むほどの光と、耳をつんざくほどの轟音が漏れ出すと、ショウの始まりである。

ミュージカルの主役は私の顔の面を被り、立候補者と二人して勧善懲悪物語の主人公として4トントラックの荷台の上を縦横無尽に動き回る。

この目新しい選挙運動はすぐさまメディアの目に留まった。選挙当日まで、連日連夜、早朝深夜に関わらず、マコト党の勇姿をテレビで見ない日はなかった。


 手応えは感じていた。

マコト教団の誰もが、立候補した25名の内で、数人は当選するだろうと思っていた。

しかし蓋を開けてみれば【惨敗】。

誰一人として当選にかすりもしなかった。

しかも全員が供託金没収点未満だったため、供託金はすべて没収された。

週明けのテレビでは、マコト党の選挙運動は色物いろもののような扱いで報じられていた。

このことで私の中で何かが変わった。

私は村岡を呼び、マコト教団を次のステージに上げる話し合いを持った。





 田中弁護士の一件から何か不穏な事が起きると、なぜが我々マコト教団がやり玉に上がるようになった。

教団の身辺を調べるジャーナリストがあれやこれやと嗅ぎ回るようになっていた。

まるでカルト教団扱いだ。

そんな状況からか、出家信者たちから教団脱退希望者がちらほら出始める。

クランの者たちは焦りから厳しい修行を行うことで【羊】たちの規律を強めようとする。

しかしながら、元々、サークル活動的に入信してきた者たちだ。急に方向転換されても素直についてこれるはずがない。

教団内の空気が悪くなる…。

そんな時に起きた阪神淡路大震災。

やはり私は強運だった。






 教団の出家信者たちを連れ、炊き出し慰問に向かう。ここで【羊】たちは教団の言う【終末思想】を目の当たりする。

被災地に広がるディストピア。その荒廃した町に手を差し伸べるマコト教団。

【羊】たちは「マコト教団の教えが正しかった。」と、勝手に思い込む。

出家信者たちの囲い込みに神経を擦り減らしていたクランの者たちにも良いガス抜きとなった。

そして、今回の活動からマコト教団の広報の顔にできそうな人材も発掘できた。

これで準備も整った。あとは私の決断のみだ…。





 マコト教団の広報員に任命した荒井みなぎは、私の予想通り大衆の目を集めていた。

テレビ各局はマコト教団ではなく、いつしか荒井みなぎを追うようになっていた。

世の中の人々は話題に飢えている。

皆でののしれる者、馬鹿にできる者、あざけり笑える者、それらをずっと探している。

物質的な優劣は簡単には逆転できない。しかし、精神的な優劣は簡単に立場を逆転できる。

だからこそ、人々は自分より弱い立場の者を見つけては安心感に浸る。

平等を解く者は、その時点で皆の上に立っている。

正義を振りかざす者は、その時点で誰よりも自分は正しいと思っている。


 人が作ったルールに正しさなど存在するのか?

自分にとって都合の良いように作っただけではないのか?

同調圧力によって、それが正しいと刷り込んでいるだけではないのか?

生まれた瞬間からの刷り込みによって疑問すら抱かせないようにしているのではないか?


 そして、今の世界は、疑問を呈した人間たちを魔女裁判にかけていく。

もう、小さな暴力にもてあそばれるのはまっぴらごめんだ。

神戸で会った紫色の男が言ったように「強大な力は、肯定される。」のだ。

強大な力を振るい、全ての亡者共をひれ伏させるのだ。






 1995年3月20日午前8時過ぎ…。

「地下鉄線内で毒物が撒かれた模様です。繰り返しお伝えいたします。地下鉄線内で毒物が…。」

全てのテレビ局は全て同じ内容の情報を馬鹿の一つ覚えのように報じるしかできなかった。

目に見えない殺戮兵器が使われたテロ。現場に近づくことすらできない。

現場に影響が出ないほど遠巻きに上空から撮影するのが手一杯。

1995年1月17日に続き、本当の危機に晒された時、この国のジャーナリズムは脆弱さを再び露呈する事になった。


 後に、このテロに使用されたのは毒ガスのサリンと判明。

歴史の中でサリンが使われた初めての事件となった。

捜査でこのテロの首謀者はマコト教団と判明。毎日のようにテレビを賑わすこととなった。

テレビの取材に答えていた村岡が暴漢に刺され、絶命する事件まで起きる。

この模様は生中継中に起こりたくさん国民が目にすることとなる。

この約2ヶ月後、マコト教団代表、鳳翔宝殿は山梨県の教団施設に隠れているところを逮捕された。












 やっと…。

私の思いを遂げられました…。

やっと…。

仇が討てました。田中先生…。


 私には忘れられない人がいます。

私を窮地から救ってくれた人。

私に心を取り戻させた人。

私に笑うことを思い出させてくれた人。

私に生きる勇気をくれた人。

それは、私の家庭教師だった、田中太郎先生です。

私は小学校5年生と6年生の2年間、田中先生に勉強を教わっていました。

あの頃の田中先生は、弁護士になることを夢見て、国立大学の法学部に通うお兄さんでした。


 田中先生と出会った頃の私は無気力でした。

子供の体から少女の体へ変化していく時期、心も子供から少し大人びていきます。

ホルモンのバランスが変わることによるイライラやモヤモヤ…。

今では理解できますが、当時はイライラやモヤモヤの原因が分からなかったのです。

それまで、男子女子、分け隔て無く仲良しだと思っていた皆にへだたりが生まれ始めます。

それまで、何でもなかった事が、大きな事にに変わってしまいます。

そして一度入った亀裂は二度と修復できないと思い込んでしまいます。


 始まりは私のほんの些細な言葉でした。

「○○ちゃん。ブラジャーしてる…。」

ひとりっ子で甘やかされて育った私。

子供っぽい性格だった私。

少しばかり成長の遅かった私。

だから、友達の成長を知って、発してしまった何の気なしの一言…。

悪気は感じていませんでした。

だからこそ、この後に起きた事に対して全く理解できなかったのです。

なぜこうなったのか分からなかったのです。


 私の言葉は、知らぬ間に友達を傷つけ、そして結果的に私はいじめの対象になってしまいまた。

理由が分からぬまま、皆から避けられる…。

原因が分からぬまま、周りに誰もいなくなる…。

悩んでも悩んでも答えの出ないもどかしさ…。

ただ、私の小学生時代はいじめと言っても友達から無視される程度のことではあったのですが、狭い世界しか知らないあの頃の私には、生きる気力を失わせるほどの大きな出来事だったのです。

私の背が伸びなかったのは、当時のストレスのせいかもしれません…。


 【いじめ】という概念が今日こんにちほどはっきりと確立されていなかった時代。

目に見えて元気がなくなっていく私。

口数が減っていく私。

部屋に籠りがちになっていく私。

そんな私を心配して、両親は「話し相手になれば…。」と、家庭教師を雇ってくれたのでした。


 家庭教師は爽やかな人でした。

背が高くて、足も長くて。小さな顔に亜麻色の癖っ毛の髪。少女漫画から出てきたような人でした。

その家庭教師の田中太郎先生は私の無気力さを心配して、授業と称していろいろ所へ連れ出してくれました。

当時の私は『いいおっさんが小学生の女子を連れ回してなんなの?彼女代わりにしてるの?』なんて、精一杯背伸びした軽蔑の視線を投げかけていました。

本当に世間知らずの失礼な子供だったと思います。

結果的に田中先生のこの行動は、矮小な世界に囚われていた私の呪縛を解いてくれたのです。

『世の中は広い。いろんな物がある。いろんな人がいる。私を縛るものは何もないんだ。』

こう考えられるようになると、自分のいる世界の狭さが、馬鹿みたいにちっぽけで、そんな中の歪んだ人間関係なんかに悩んでいた自分自身が、馬鹿馬鹿しく思えるようになりました。

それからの私は強くなれました。

態度が変わりました。

精神的にも肉体的にも成長できました。

今までとは違う人間関係もできました。

そして、6年生ではクラスのリーダーになっていました。

私に勇気をくれたのは田中先生。

私を変えてくれたのは田中先生。

多分、幼心の初恋の人だったのでしょう。


 田中先生は私の成長を見届けると、司法試験に集中すると言われて、家庭教師を辞められました。

その後、私が田中先生の事を知ったのは、通学電車で…。

その車内吊りの週刊誌の見出しで…。


 【 弁護士一家失踪事件!! マコト教団が関与か??? 】


 車内吊りの週刊誌の見出しには、一家の白黒写真も掲載されていました。

中央に写る赤ちゃん。

その右に写る奥様であろう女性。

左側に写る男性。

男性の腕には赤ちゃんを抱いている。

その微笑む癖っ毛の小さな顔は…。

『田中…。先生…。』

私の頭の中で田中先生の写真と見出し記事の内容が一致しませんでした。

『田中先生。ちゃんと弁護士になったんだ…。でも…、なんで…。』

懐かしさ、嬉しさ、微笑ましさ、不安、疑問、悪い想像、最悪の事態、…、様々な思考が脳内を駆け巡りました。


 あの日から私は真実を追い求めるためだけに生きてきました。

田中先生に起きた真実を知るためだけに時間を費やしてきました。

弁護士になった田中先生は、マコト教団という新興宗教法人と争っていました。

マコト教団によって家族を奪われた人、財産を奪われた人、全てを奪われた人、そういう人たちの代理人としてマコト教団と戦っていました。

その田中先生が家族ごと失踪した…。

全く消息は不明…。


 私は大学院卒業後、国家公務員採用1種試験に合格しました。

警察庁を希望し、警察学校も上位の成績で卒業しました。

しかし、私はキャリアを目指したわけではありません。

あくまでも田中先生の真実を追求することだけを目指してきました。

そのためには配属されたい部署がありました。

それは、警備警察。

いわゆる公安部です。

そんな想いを抱いていた最中、私の執念が実ったのか、生まれて初めての任務がマコト教団への潜入捜査でした。

全く違う違う名前、違う生年月日、違う経歴、違う生い立ち、違う家族、…、全く別の人間、【荒井みなぎ】になりすまし、任務を開始しました。


 マコト教団が頻繁に勧誘を行う渋谷で誘いに乗り、マコト教団への第一歩を開きました。

中板橋の1Kマンションからマコト教団の板橋道場へ足繫く顔を出しました。

そこではよく分からないエクササイズのようなことやらされて、最後にマコト教団代表の鳳翔宝殿の説法とやらの音声を聞かされました。

滑舌の悪い、くぐもった気色悪い声でした。

何を言っているのか全く分からなかったです。


 そんな潜入捜査を半年ほど続けていた秋のある日「本日の修行はこれで終わりです。」と、指導員が急に伝えてきました。

私は指導員の指示に従いつつも、ダラダラと片づけをして、彼らの慌てぶりをつぶさに観察しました。

そんな中、「教祖様は今夜…。」と、話す彼ら言葉を耳にしたのです。


 翌朝。

テレビのモーニングショーは一つのニュースで持ちきりとなりました。

「昨夜、松本で毒ガスが発生…。死者、重体多数…。」

彼らの言葉と符号するような事件が起こったのです。

私は取り急ぎ、警察庁の公安部へ連絡しました…。






 阪神淡路大震災の発生と共に、私は教団から炊き出しボランティア隊のMC担当の一員に指名されました。

入会時の身上書に「アナウンス学校在籍中。」と、書いたからでしょう。


 炊き出しボランティア隊は、マコト教団の名古屋支部に援助物資を蓄え、名古屋から神戸へと、ピストン輸送を行う計画でした。

しかし被災地神戸までの道行きは一筋縄ではいきません。

目的地に近づけは近づくほど、道なき道を行進することになりました。

最初、車40台ほどの編隊で名古屋から神戸に向かいましたが、頑強なオフロード仕様の車が神戸に着く頃には半分以下になってました。

それでも、どうにかこうにか被災地でのボランティア活動を開始しました。


 この時のマコト教団の炊き出しの模様は、テレビのニュースで何度も何度も繰り返し放送されることになりました。

その結果、本来の報道の目的である、被災地の惨状やマコト教団の動向といったことに話題が及ばず、何故か私が注目が集まることになってしまったのです。

「被災地に降り立った天使。」だとか、「マコト教団のアイドル。」だとか、全く関係のないところで盛り上がってしまいました。

しかし、私にはそれを嬉しがっているような余裕はありません。

『この現象すらもマコト教団の筋書きなのではないか…。』なんて猜疑心しか起きません。

それほどこの教団は気味悪かったのです。


 被災地から東京に戻ると、神戸での炊き出しボランティアに随行している間に私のマンションに誰かが侵入した形跡がありました。

鍵穴にはキズがありました。

ドアの死角に付けていたシールも千切れていました。

公安部からも、チラシに偽装した連絡ツールにも「侵入者あり。」との、暗号がありました。

まあ、侵入者とは、マコト教団の誰かなのでしょうけど…。

公安部からの連絡には「盗聴マイクか監視カメラのどちらか、または両方ともが、部屋に仕掛けられている。」という暗号内容でした。

確かに部屋をよく見てみると、数か所に監視カメラは発見できました。

やはり、マコト教団は普通ではないです。


 『潜入捜査がバレた?』と、当初は推測しましたが、普段通りの日々を過ごして、いつも通りにマコト教団の板橋道場に通い続けました。

結局のところ、何ら変化はありませんでした。

公安部も私も、監視されているだけのようだと判断し、そのまま捜査を続行することにしました。


 マコト教団は私の監視結果から「問題無し。」と判断したのか、事ある毎に、マコト教団の青山本部へ私を呼びつけるようになりました。

要件は、マスコミへの対応でした。

マコト教団の広報員として、教団側の意志や弁明をマスコミの前で私に話させたのです。

公安部の潜入捜査官としてマコト教団に潜入している私が、全国放送のテレビ局相手のスポークスマンやらされることになるなんて思ってもいませんでした。

こんなにも面が割れてしまっては、今後の公安部の仕事に支障をきたしてしまいます。

ただ今は、そんなことを考えても詮無いこと…。

とにかく、マコト教団の尻尾を掴むのが先決なのです。


 1995年3月の上旬。

私は、教団の青山本部でここ最近の通例となっていたいマスコミへの対応の準備を進めていました。

ふと、私のこの行動が恒常化していることに気がつきました。

自分自身の教団への献身に、本当に教団へ帰依してしまったような錯覚を覚えるほどでした。

木乃伊ミイラ取りが木乃伊ミイラになる…。』なんて、昔の人はよく言ったものです。

この狭苦しく閉ざされた環境に順応しようとする私がいる…。

これが生まれつきの私の人間性なのでしょうか…。

昔の嫌な事を思い出してしまいます…。


 ただ、この日はいつもとは少し様子が違いました。

今日、ここに、クランと呼ばれる教団の古参幹部が一同に集うというのです。

『何も無い日に、古参幹部が一同に会するなんて…、考え辛い…。』

この状況は、いち早く公安部へ伝えなければなりません。

少しでも教団の動きに変化があれば、逐一報告しなければなりません。

しかし、今日の動きは「少し」という程度の話ではありません。

『一刻でも早く公安部へ連絡しないと…。』

しかしそれは、思いの外、難しい事では無いのです。


 朝7時。

いつものようにマコト教団の青山本部の入口のガラスの自動ドアを手動で開けると、次の瞬間、私は一斉に待ち構えているマスコミ関係者から取材を受けるのです。

そこには、私の一言一言をマイクで取り漏らさぬよう努める音声さん。

私だけをライトアップする照明さん。

私の一挙手一投足を逃すことなくカメラに収めようとする映像さん。

そんな中で私は、【異常発生】のサインをジェスチャーで示すだけ…。

それだけで公安部には情報が伝わるようになっています。

この情報を流した二週間後、教団は世界初の凶行を行いました。






 1995年3月20日 月曜日 午前8時過ぎ。

平日朝の東京都心上空を無数のヘリコプターが飛び回っていた。

ヘリコプターは上空から地上で起った異常を撮影していた。

おびただしいほどの白衣に身を包んだ人々。無数の赤色灯を回す白い車。

それの何十倍もいる具合が悪そうな人々。

何が起こったのか知る由もない花曇りの朝をテレビの前で過ごしていた日本中の視聴者たち。

誰も見たこともない映像がモーニングショーから流れ出す。






 二週間前に私から異常事態の連絡を受けた公安部は、秘密裏にマコト教団の動きを調査していました。

何か事を起こすことは想定できていました。

何が起きても対応できるように日本中の関係各所には、想定できる最悪の事態とその対応に関する連絡が入っていました。

しかしながら、その網を掻い潜ってマコト教団はやってのけたのでした。

同時多発テロ事件【地下鉄駅構内毒物使用多数殺人事件】を起こしたのです。


 公安部から関係各所には情報が入っていましたが、食い止めることができませんでした。

想定外の化学兵器、サリンが使われたことにより、死者14名、負傷者6000名以上を出す無差別テロ事件になってしまいました。

この無差別テロの情報は世界中を駆け巡ります。

世界は化学兵器、サリンが使用された無差別多発テロ事件に驚愕し恐怖しました。

公安部も想定外の科学兵器テロの混乱から容疑者を取り逃がす大失態を犯してしまいます。

「疑わしきは罰せず。」の遵法精神に則り、マコト教団が真っ黒に近い灰色だと判断していたにも関わらず、公安部は慎重な態度を示します。

その態度を嘲笑うかのように、【地下鉄駅構内毒物使用多数殺人事件】の8日後、また、大事件が起こります。


 




 1995年3月30日 木曜日の午前8時30分過ぎ。

【警察庁長官狙撃事件】が発生。出勤前の警察庁長官が腹部に3発の銃弾を受け、瀕死の重傷を負う。

この狙撃事件の1時間後、テレビ局に次のターゲットとマコト教団への捜査をやめろという強迫電話が入る。

狙撃現場からは社会主義国のバッジや紙幣が発見される。






 狙撃犯の逃走中の姿もいろいろな場所で目撃されていました。

公安部はその情報を元に、狙撃犯の行方を追うのですが、何人かの被疑者を捕まえ、取り調べるのが精一杯だったのです。

まるで、目撃情報が全てガセネタであったかのように雲に巻かれてしまったのです。そして、証拠不十分にも関わらず、公安部はとうとう強引に教団各施設に強制捜査を行います。

それほどまでに公安部は焦っていました。


 しかしながら、【警察庁長官狙撃事件】の当日、マコト教団の青山本部にいた私には変な違和感があリました。

この狙撃事件を知ったマコト教団の青山本部にいた皆が慌てふためいたからなのです。

中には「誰が?」「められた?」と、こぼす幹部もいました。

結局のところ、この事件によって公安部は強引な手段を使うほどに本気になったのは間違いないのです。






 1995年4月 下旬。

マコト教団のナンバー2でクランのトップである村岡さんが暴漢に襲われ命を落としました。

テレビの生中継中の出来事でした。

マコト教団の青山本部の建物に入ろうとしていた村岡さん。

そこを暴漢に襲われました。

ナイフで胸や腹を数か所刺され、救急搬送されましたが、間に合わず、大量出血からの失血死となりました。

私にとっては、広報としてここ最近は毎日のように通っているマコト教団の青山本部で起った事件…。

なのに、恐いとか、悲しいとか、そういった感情が湧くことはありませんでした。

それよりも、田中先生へつながる情報を持っていそうだった村岡さんの死が悔しかっただけでした。

ただ、鳳翔宝殿はまだ生きています。

彼を逮捕できれば…。

しかし、村岡さんの事件以降、マコト教団の代表で教祖と呼ばれている鳳翔宝殿は雲隠れしてしまいました。

行先は誰も知らず、全く音信も無くなってしまいました。

潜入捜査をしている私の耳にさえ、内部からの噂話のひとつすらも入ってきませんでした。

焦ります。

村岡さんの他に鳳翔宝殿まで消え去ってしまっては、田中先生の真実に近づくことができなくなります。

しかし、恒例の朝のマスコミ対応の際、取材陣から耳寄りな情報を得ることができたのです。

「教団の影の最高幹部と呼ばれている出門美羽がさっき山梨の教団施設へ向かった。」と…。

この情報を朝の会見を使って、すぐさま公安部へ報告しました。

この情報の二週間後、公安部は山梨にある教団施設を家宅捜査します。

そして長い時間の捜索の結果、施設の屋根裏に隠れていた鳳翔宝殿を発見します。【地下鉄駅構内毒物使用多数殺人事件】の首謀者として緊急逮捕しました。

これで私の仇討ちの第一段階は終わりました。

でも、田中太郎先生の本当の仇を取るにはまだまだ長い時間がかかるでしょう。

でも、仇を討つまで、私は闘い抜きます…。






 2006年に鳳翔宝殿の死刑が確定しました。

検察からは「わが国犯罪史上、最も凶悪な犯罪者というしかない。」と、評されたようです。

鳳翔宝殿の結審までに、マコト教団が起こした様々な事件の実行犯たちが取り調べ上で田中先生の事件に対しても供述しています。

田中先生は、御一家ごと拉致されて全員殺害された…。

薄々、思っていました。

最悪の事態も覚悟していました。

そのせいか、事実を知っても私は涙ひとつ零しませんでした。


 2018年 夏、鳳翔宝殿の死刑が執行されました。

私の長い長い仇討ちは、やっとこれで幕を閉じました。

『田中先生、五十路でようやっと仇を討てました。遅くなって申し訳ありませんでした。』と、田中家の墓前で報告させてもらいました。

田中先生と出会ってから40年近く、私の髪にも白いものが混じるようになりました。

ここまで人生、恋人を作ることもなく、結婚することなく、家庭を持つこともなく送ってきました。

やっと肩の荷が下りたように思えました。

やっと田中先生から卒業できたように思えました。

「田中先生、ありがとうございました。お世話になりました。」と、言葉にした瞬間、私の目から涙が止まらなくなっていました。

頬を伝わる涙は熱かったです。

忘れていた感情が戻ってきたようでした。

この2018年をもって私は警察庁を退職しました。











 2018年 夏、宵闇迫る新宿。

「いらっしゃいませ。」

「いらっしゃいませ。」

「いらっしゃいませ。」

「いらっしゃいませ。」

「いらっしゃいませ。」

若い男の子たちの元気一杯の挨拶が心地良いわ。

「いらっしゃいませ。美羽様。後ほどテーブルに参りますので、僕のお酒でも飲んでお待ちになってください。」

「あら、鏡夜。今夜も忙しいのね。」

「いえ。直ぐに参りますので、少しだけ…。」

「分かったわ。」

若い男の子たちが私を取り巻いてVIPルームまで案内してくれるの。女王様のような扱い。本当に、心地良いわ。


 私はずっとこういう扱いを受けてきた。私はそれに値する人間だから。

全ての事の発端は、鳳翔宝殿との偶然の出会い。

あの不細工男は、本当に笑えたわ。

あんな野獣のような身なりで私を好きになるなんて、ちゃんちゃら可笑しいわ。

出会った頃の不細工男は、盲目のふりをした駆け出しの整体師だったわ。

独自の整体施術で少しばかり人気を博していたの。関東の片田舎で【真実堂】って、整体院を開いていたわ。


 その頃の私は「健康増進」を売りにする会社の営業だったの。

元々、「健康」なんてものを商売にする会社なんてろくなもんじゃないのよ。

あの時代、皆がモーレツに働いていた時代。豊かになっていった時代。健康に気を使い始めた時代。

たいして効果が無くても「効果絶大」って、誇大広告だけで商品が売れたわ。

人々は健康増進を妄信してあれもこれもとモノを買う。ある意味、見事な詐欺商法…。

同業他社が揃いも揃ってうそぶくには良い時代だったわ。

私も嫌いじゃない、人々を信じ込ませて金をむしり取る行為は…。


 あの時も、人気の出だした真実堂の独自の整体術と、うちの会社の商品が結びつけばよかっただけなのよ。

ただ、不細工男と何度か商談するうちに『こいつ、宗教っぽいなんか持ってるな。』って、感じたのよ。

宗教に対し使われる言葉で【大衆の阿片】【民衆の阿片】ってのがあるわ。

ドイツの哲学者・経済学者・社会思想家カール・マルクスが述べた「宗教は大衆の阿片である。」ってのからきてるんだけど、これほどまでに的確に表現している言葉はないと思うわけ。

信じた瞬間に身を滅ぼす、気持ち良くさせる猛毒【宗教】。

大衆の阿片を私の生業にできれば、私の求める快楽は間違いなく得られると感じたわ。


 不細工男が常々言う、「目に見えない【気】の力。」「【気】の流れ。」「【気】による患部の治療。」全部、噓臭いんだけど変な説得力があったのよ。

私は直感的に『こいつは、宗教【阿片】になる。』って、踏んだわ。

だから、足繫く通ったわ。体も与えてやったわ。不細工男を虜にするために…。

私の思った通り、こいつとタイアップした商品はとても売れた。

不細工男の考えた、何やら意味の分からぬ単語を並び立てた効能書き。

不細工男の考案の紫色のパッケージに金文字で描かれた胡散臭い商品名。

どこかの国のゴミの瓶を真似て作った変な形のボトル。

どれをとっても健康マニアの心くすぐる意匠になっていたわ。

『こいつ、顔に似合わず宗教的センスは持ち合わせている。』


 だから、こいつを独占するために早々にインチキ臭い会社は辞めたわ。

もっとこいつを使って拡大する方法を考えていた。そんな折、退社したインチキ会社が味噌をつけやがったの。

タイアップ商品に不良が見つかったのよ。発がん性物質が使われてたとか…。

真実堂の信用はガタ落ち。ショックを受けた不細工男は、金も自信も誇りも、全てを失っていたわ。

毎日毎日、借金取りの取り立てに追われ、正気を保てなくなっていたのよ。

『こんなことで金の卵を生む鶏を潰されてたまるか。』って、私は不細工男を連れて逃げたわ。


 次に私たちが表舞台に現れた時には、不細工男は、鳳翔宝殿と名乗るスピリチュアリストに生まれ変わっていたの。


 私が撮った一枚の写真。その写真で鳳翔宝殿は押しも押されぬスピリチュアリストとして出現したの。

それからは私たちのもとに頻繫に雑誌の取材が来るようになったわ。

鳳翔宝殿は持ち前の滑舌の悪い低い声で相変わらずの意味不明な説法を話すの。

誰にも内容なんて理解できないのに、不思議なことに鳳翔宝殿はあがめられていくのよ。

『思った通り…。』

鳳翔宝殿は大した人物ではないのに、何故か皆がたてまつる、不思議なキャラクターの持ち主なのよ。

宗教を開いた【開祖】なんて言われる人物なんて、こんな奴だったのかもしれないわ。


 色々なメディアに取り上げられたことで「教えを請いたい。」「弟子になりたい。」っていう要望がどんどん増えていったの。

私は絶対的に宗教法人化すること視野に入れてたので「来るものは拒まずで、会員を増やしましょう。」って、鳳翔宝殿に提案したの。

案の定、あいつは馬鹿だから、何も考えることも無く承諾したわ。

それで私はすぐさま村岡に連絡したの…。


 村岡とは古い付き合いなのよ。

村岡は私が女子高校に通っている時の理科の講師だったわ。

ロン毛で青白い顔に銀縁メガネ。顔は童顔だったんだけどね、見るからに太陽に触れてないっていうタイプだったわ。

ヒッピー世代でもなく、学生運動世代でもない、しらけ世代を象徴するような存在だったわ。

私たちが授業を聞いていなくっても、淡々と講義を進めるようなタイプ。

でも、影がある。私は村岡の【闇】に興味津々だったわ。

この頃の私はまだ単純に【反抗】や【暴力】や【自己顕示】に興味を持っていたわ。まだ初心だったのよ。

そう思って村岡を観察していると、村岡がカバンを異常に気遣って持っている事に気づいたのよ。

どこでも売っている合皮のスポーツバッグ。それを抱くように持って登校してくるのよ。


 ある日の理科の授業前に「体調不良。」って言って、保健室で休んでいたのよ。授業が始まり、誰もいなくなった職員室へ入り込み、村岡の大事にしているカバンの中を覗き見てやったの。

びっくりしたわよ。中に入っていたのは多分、時限爆弾…。

ジュリーの主演映画「太陽を盗んだ男」にでも感化されたのかしら…。原爆を作って政府を脅迫する、っていう内容の映画…。

私は俄然、村岡に興味を持ったわ。

怖いと言う感覚より、何かやらかしてくれるっていう期待感じだったわ。

見たこともないものを見せてくれそうだったのよ。幼かった私はそれを格好いいと思っていたわ。

だから、村岡に近づいた。

私の処女もくれてやったわ。そして、村岡の欲望を教えてもらったわ。


 ただ…。村岡はただの『自己顕示欲の塊。』だったの。

村岡はとても頭が良い。村岡の思考も面白い。でも、実現力が無い…。

村岡には首謀者(リーダー)になれる器はなかったわ。事を起こせる行動力もなかったわ。

村岡に器量があれば、村岡は間違いなく私に愉悦を与えてくれたと思うわ。

私に最高の満足を与えてくれたと思うわ。

でも、村岡に協力してくれる人間は皆無だと思う。

村岡はどちらかと言えば参謀には向いてるけど、リーダーにはなれないタイプ。

誰かの傘の下じゃないと力を発揮できないタイプ。

私の女子高校時代は、村岡の奇想天外な夢物語を聞いているだけで過ぎ去ったわ。

結局のところ何もできなかった女子高校時代だったわ。





 村岡は私から声がかかると、直ぐにやって来た。そして、直ぐに入会した。

私の思惑通り、村岡は参謀としての才能を遺憾なく発揮した。

ただ、成果を急ぐあまり強引な手法を取ることもあったので、訴えられることもしばしばあった。

その中の一つに、しつこい奴がいたのよ。噓みたいな名前だったけど、田中太郎という弁護士だったわ。

マコト会がマコト教団へとなった頃に「マコト教団被害者救済」なんて言うスローガンを掲げて田中弁護士は現れたわ。私も何度か会うことがあったわ。


 私が知る男の中で田中太郎ほど『いい男。』って、思った男の記憶がない。

それほどまでに印象的だったわ。

高い身長に仕立ての良いスーツを着こなし、礼儀正しく、冷静沈着。

豊かなウエーブのかかった亜麻色の髪、大理石のように白い艶やかな肌、彫りの深い顔。ギリシャ彫刻を彷彿とさせたわ。

敵対関係でなければお近づきになりたかったほどよ。


 ただ、田中弁護士は本当にしつこかった。

鳳翔宝殿は過去の経験から追い立てられるような行為に弱い。トラウマってやつ。

この時もしつこく食い下がる田中弁護士に気を病みかけていたわ。本当に小心者。

この状況を見かねた村岡が独断で強硬に出たの。

クランの者たちを使って田中弁護士を一家ごと亡き者にしたのよ。

村岡は相変わらず頭の中の線が何本か切れていたわ。


 しかしこの事件は1年後に週刊誌に取り上げられ、マコト教団に疑いの目が向けられることになってしまったわ。テレビ局がマコト教団の青山本部へ押し寄せて来たわ。

この時、私は奇抜な対抗策に打って出たのよ。

取材陣を取材される側が録画するって方法で…。この様子は毎日のようにテレビで流れたわ。

面白がったのは、若い人たち。

力ではなく、言葉でもなく、行為だけで巨大権力であるテレビと言うマスメディアを打ち負かしているマコト教団の信者の姿に共感したのよ。

だから、急に若い入信希望者が増えるおかしな事態になっちゃたけど、まぁ…、「終わり良ければ総て良し。」って感じ。


 ただ、これで勘違いしちゃったのが、鳳翔宝殿。

元々、しっかりした教義がないマコト教団。

あちこちの文献からいいとこどりの継ぎ接ぎ教義。

そこに、漫画チックな行動がうけちゃったものだから、少年レベルの思考しか持ち合わせていない鳳翔宝殿は舞い上がっちゃって「国政に打って出る。この国を変える。」なんて言い出した。



 私と村岡は「無理無理。そんな正攻法が通じるわけがない。」って、同意見だったけど、鳳翔宝殿は強引に事を進めたのよ。

その結果、総選挙で惨敗。

自尊心をズタズタにされた鳳翔宝殿は怒りに気が狂っていたわ。あれは笑えたわよ。

「この国をぶっ潰す。変えてやる。」って、180度言うことが変わっちゃて。

元来、破壊衝動の強い村岡もこの意見にノリノリになっちゃうし、この時に『この教団はこれで終わりね。』って、感じたわ。だから私は方向を転換したわ。


 地方に倉庫のような教団施設を建て、村岡の指揮のもと、日夜、何かを作らせていた。

村岡の考える物に世の為、人の為になる物なんてあるはずがない。まともな物なんて作るはずがない。

鳳翔宝殿と村岡の構想に付き従うクランの者たちも、日々、顔つき、目つきが悪くなっていったわ。

そりゃそうでしょう、戦争を仕掛けようとしているんだもの。誰だって緊張が走るわよ。


 その上、鳳翔宝殿と村岡は出来上がった兵器をそこら中でテストさせる。

彼らが作らせていたのは化学兵器だったのよ。【貧者の核兵器】って呼ばれてるやつ。

それを手当たり次第にテストするの。テストされた場所には奇妙な事故や事件が発生したわ。

目撃情報からマコト教団がやったって、噂話が広まる。事実、マコト教団がやった事なんだけどね。

この状況を鳳翔宝殿と村岡は楽しんでいたわ。大量に人を殺すことを探求していたわ。

大量に人を殺すことの究極の目的は自己顕示欲の誇示。

彼らはいつまでもお子様だったわ。


 カルト宗教色の強くなったマコト教団は大衆から毛嫌いされる。

見世物小屋のように指を差され、あざけり、ののしり、馬鹿にされる。

そうなると一般信者たちは離れていく。

全てがマイナスのベクトルへ向かい出す。

クランの者たちの精神的緊張は、空気がいっぱいいっぱいに注入されたゴム風船のように膨れ上がってたわ。

私が『もう、割れるかな…。』って、感じた時、1995年1月17日を迎えたの…。


 阪神淡路大震災の発生は教団の緊張の糸を緩めてくれたわ。

少しの間、皆に人間らしさが戻った感じがしたわ。

強大で暴力的な力が皆の頬を打ち、強引に目を覚まさせたって感じかな…。

もしかしたらこれがマコト教団への本当の【神】の御意思だったのかも…。

でも、やっぱり、それは束の間。1995年3月20日、マコト教団は破裂したわ。






 地下鉄線内で化学兵器のサリンを巻き散らしたの。

「走行中の満員電車は極めて密な状態。次の停車駅まで逃げることもできない。化学兵器サリンの効力を最も発揮できる場所。」って、村岡が興奮気味に提案したのよ。

やっぱり悪魔的な頭脳の持ち主だったわ。


 鳳翔宝殿や村岡の行動の真の動機は、自己内に鬱積したフラストレーションの解消。

幸せな人達や社会への憤懣を晴らすために無差別大量殺人を決意し、自分たちだけが貧乏くじを引いているっていう被害者意識…。

彼らの特徴は、何かに失敗しても自分の努力が不足していた、能力が足りなかったなんて考えないこと…。そんな風に考えると自分が傷ついちゃうから…。

換言すると、彼らはそれほどまで自分を愛おしく思い、身勝手な考えをするってこと。自己愛の塊よ。

その結果、彼らは彼らの怒りを社会的規範に適合しない行動、即ち暴力に訴え、それも多くの人を一度に殺めるという究極の破壊行動に打って出たの。

他人の安全を考えない無謀さ、一貫した無責任さ、良心の呵責の欠如…。

反社会性の局地ね。






 本当に【地下鉄駅構内毒物使用多数殺人事件】以降のひと月は大変だったわ。

田中弁護士の件以来、マコト教団にはスパイが紛れ込んでいるのは薄々感じていた。

だから、鳳翔宝殿と村岡の計画の事を小出しにしてずっと情報を与えていたのに…。事件発生時に誰一人逮捕することもできないなんて…、日本の警察も知れたものね。

鳳翔宝殿と村岡が捕まって極刑を受けてくれないと私の思惑は露と消えちゃう。


 私は村岡をあおって、鳳翔宝殿にご執心の元、警察官の信者に警察庁長官を狙撃させたの。こうでもしないと警察が本気にならないからね。

村岡は事件がどんどんエスカレートする事に興奮を隠せないでいた。本当、頭のネジがぶっ飛んだ奴。

ただ、ビビりの鳳翔宝殿は慌てまくってたわ。

「何も知らないぞ。何も聞いてないぞ。』って。笑えたわ。

この狙撃事件で国家権力のマコト教団を見る目が強くなった。鳳翔宝殿は必ず逮捕されるって確信したわ。


 そして残るは村岡…。

村岡には「マコト教団はもう、終わり。鳳翔宝殿は逮捕される。間違いなく極刑は免れない。あなたはどうするの?」って、聞いたのよ。

「僕は逃げるよ。マコト教団の資金を持って逃げ延びて、また、騒動を起こすよ。」って、こいつは根っからの危ないだけの奴に成り下がっていたの。

マコト教団の資金を持ち逃げして、さっさと地下に潜伏しようとしていたわ。

そんなことされたら私がたまったもんじゃない。

だから鳳翔宝殿に「村岡がマコト教団を裏切る。」って、耳打ちしてやったらの。

そしたら、疑心暗鬼状態の鳳翔宝殿は「神の召すままに…。」って…。


 1995年4月23日、マコト教団青山本部で村岡は暴漢に襲われ亡くなったわ。

テレビの生中継中に暴漢に襲わせるなんて、そこまでするって感じ。

あんな劇場型殺人事件が神の望んだことじゃないでしょ。本当に鳳翔宝殿って子供っぽい…。

世界中を震撼させた事件を起こせたのだから村岡も本望だったんじゃないかな。

私を楽しませてくれたけど、最期まで楽しませてくれたわ。ありがと。






 あとは私がきれいさっぱりとけりをつけるだけだった。「立つ鳥跡を濁さず。」の言葉通りに…。

私の快楽はたった一つ、大勢の人が作り上げたものを、人が丹精を込めて作ったものを、人々が長年にわたり大切にしてきたものを、木っ端微塵叩き壊す…、その瞬間。その瞬間だけにエクスタシーを感じるの。だから、誰に愛されようが、誰に抱かれようが、そんなことに快楽を覚えることはないの。今にして思えば、あの健康を売りにしてた会社も真実堂も壊したのは多分、私…。


 私はこの教団に先がないって感じた時から、教団の資金を運用するって名目で、莫大な教団資金を動かしていたわ。

実際には運用なんて博打みたいな真似はしない。隠すためよ。このことは鳳翔宝殿も村岡も知らない。

ただ、そのためにはマネーロンダリング(資金洗浄)が必須。

この教団は間違いなく犯罪集団になる。捜査の手が入る。

そうなれば、捜査機関や司法機関による口座凍結、差押、摘発、徴税等が、施行される。

マネーロンダリング(資金洗浄)は、これを逃れる目的で行うの。

それに、犯罪資金をマネーロンダリング(資金洗浄)せずに使用した事が切っ掛けで、足が付くってことは往々にしてあるのよ。


 教団資金を動かしていることを知っていたのは、私と鳳翔宝殿と死んだ村岡だけ。

だから今は、私と鳳翔宝殿だけ。残るは鳳翔宝殿だけ。

だからこそあの日、鳳翔宝殿が縮こまって隠れている山梨の教団施設へわざと行ったの。

案の定、警察は鳳翔宝殿を捕まえてくれたわ。

これでこのお金は全て私のもの。





 そして2018年の今日、誰もいなくなった。

長かったけど、これであのお金は全て私のもの。全部使い切ってあげるわ、私の快楽の戦利品として…。この私が…。感謝なさい。





 「お待たせいたしました。美羽様。」

「思ったより早かったわね。褒美にどんどんお酒持ってきていいわよ。」

「それはありがとうございます。」

「その代わり、鏡夜。今夜はとことん飲むわよ。」

「お付き合いさせていただきます。」

「さあ、祝杯よ。」

「美羽様。」

「なに?鏡夜。」

「うちの新人も呼んでやってもよろしいでしょうか?」

「そんなこと?いいわよ。」

「こっち来て。美羽様にご挨拶して…。」

「美羽様、初めまして…。」

「あら、鏡夜。この子かわいいじゃない。名前は?」

「タロウ。タナカタロウと申します。」

「えっ…。」

「今夜は、地獄の底までにお付き合いさせていただきます。」






おわり





























  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

七つの鉄槌 5 明日出木琴堂 @lucifershanmmer

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ