第38話


 遠坂が俺の隣に並ぶ。


 その横顔は強さに満ち溢れていて、それなのにどこか柔らかさを感じた。

 俺はそっとさっきまで胸の中をぐるぐる回っていた感情に蓋をする。


「それで、話ってなんだ?」


「……藤田くんのことだよ」


「俺のこと?」


 首を傾げると、遠坂がふっと笑う。


「無理に取り繕わなくていいよ、藤田くん。もっと楽にして?」


「取り繕ってなんかないぞ? 普通だ」


「肩に力入ってる。それに顔も強張ってるよ」


「っ!」


「私にはわかるから。だってここ最近、濃く藤田くんのことを見てきたからね」


 遠坂が優しく微笑む。

 すべてを受け止めるような、嘘を見抜いてしまうような顔を向けられ、どうしていいのか分からなくなった。

 

 そんな俺すらも見越していたのか、遠坂が続ける。


「藤田くんはさ、きっとちゃんとお兄ちゃんしてるんだよ。それは今も、私たちの前でも、私の前でも」


 遠坂が再び遠くに視線を飛ばす。


「それは藤田くんの良さだし、私がすごく尊敬してるところでもある。けどさ、それは辛いのを一人で我慢しなきゃいけない理由にはならないって思うんだ」


 遠坂の言葉がゆっくりと喉を通っていく。


「私は藤田くんに自分の弱いところも見せちゃったし、それを藤田くんの強さで助けられた。だからさ、私も藤田くんの支えになりたい。ただの私のわがままに聞こえるかもしれないけど、本心なんだ」


 遠坂がもう一度俺に視線を向ける。

 そのまなざしは俺の体に入った力を解かすように抜いていく。

 そんな目で見られたら、俺は……。


 そして遠坂は、俺を掴んで離さないと言わんばかりの表情で言い放った。







「藤田くん、君の“弱さ”を教えて?」







 俺の“弱さ”。

 そんなの人に見せるものじゃない。

 見せることはダサいことだから。

 見せることは誰かのためにならないから。


 なのに、俺の目の前にはそっちから向かってくる人がいる。

 俺より遥かにカッコよくて尊敬できる、遠坂がいる。


 理性ではしっかり制御しているはずなのに。

 いつの間にか抑えるよりも、言ってしまいたいという衝動が勝っていた。

 いや、遠坂の受け止めたいという姿勢が俺の我慢を足止めさせた。


「……俺はさ、正直言って呆れてるんだ。何の相談も無しに勝手に決めて、母さんが死んでからずっと海から逃げ続けてる父さんに」


 一度出てしまえば、溢れるように感情がこみあげてくる。


「海はさ、“似てるんだ”。母さんに。それも年々似てきてる。それを父さんは耐えられないんだ。元々気が弱くて、いつも母さんに引っ張られて。そんな父さんは母さんを失って、すごく落ち込んでた。それでも俺たちを育てなくちゃいけなくて、仕事に没頭することで紛らわせたんだ。そういう……人なんだ」


 普段考えないようにしてきた父さんのことを思う度、胸が締め付けられる。

 湧き上がってくる怒りで体が震える。


「父さんは逃げ続けてる。俺はそれが許せない。だって海はまだあんなに小さくて、親の力が必要なのにさ。……それと同時に、この状況をどうにかできてない俺も許せないんだ」


 遠坂がじっと黙って俺の言葉を聞いている。

 こんな情けないことを同級生の女の子に話していいのだろうか。

 今更思うけど、もう遅い。


「だから、俺は……許せないんだ」


 そこで言葉が止む。

 出してしまえば、案外こんなものだった。

 それでも俺の胸はこんなにも苦しい。

 やはり俺は、できた人間じゃない。


 耐えられなくなって、重力に任せて足元に視線を落とす。

 すると遠坂の声がぽつりと頭を優しく撫でた。


「そっか。藤田くんはこれまで一人で頑張ってきたんだね」


「そんなことない」


「そんなことあるよ。藤田くんが自分を認められなくても、私が君のことを認める。頑張ってるねって、頑張ったねって言うよ」


 遠坂の声が確かな温度を持って俺に伝わってくる。

 

「ねぇ藤田くん、お父さんと直接話してみたらどうかな?」


 遠坂が俺の肩にそっと手を置く。

 遠坂の提案に思わず顔を上げた。


「きっと藤田くんは我慢してきたんでしょ? 自分が不満を言えば状況が悪くなるからって。でもさ、言わなきゃ伝わらないこともあるよ。今藤田くんが私に話してくれたみたいにさ」


「直接、話す……」


 考えたこともなかった。

 ……いや違うな。

 俺はこれまで逃げ続けてきたんだ。

 面と向かうより、父さんに全責任を押し付けて逃げている方が楽だから。


 ……でも、今のままで本当にいいんだろうか。

 このまま父さんが転勤して、いつしか話せないほどに距離が空いてしまったら。

 それは物理的にも精神的にも。

 そうなればきっと俺たちは、ずっとこのままだ。


「大丈夫だよ、藤田くんなら。藤田くんのその怒りは間違いじゃないし、誰かのためを思った怒りなんだから、ダメなものなんかじゃない。だから言うべきだよ、ちゃんと言葉にしてさ」


 遠坂の言葉が支えになって、自然と背筋が伸びてくる。

 立ち上がる勇気が湧いてくる。

 

 遠坂は俺の目をまっすぐ見つめ、あたたかな表情で言った。





「何があっても私は藤田くんの傍にいるよ。だって藤田くんは――私のとって“特別”なんだから」





 遠坂が傍にいる。

 俺は、遠坂にとっての“特別”。


 ……そうか、そうだったのか。

 顔を上げてみれば、寄りかかる先はこんなにもあったのか。

 一気に視界が開けたように感じる。

 それはまるで今日、遠坂と海を眺めたときのように。


「……ありがとう、遠坂」


 決意は固まった。

 今の俺がするべきことも、したいことも決まった。


「ちゃんと話してくるよ」


「うん、わかった」


 遠坂はそうとだけ言うと、歯を見せてにっと笑った。

 やっぱりカッコいい。そして――可愛い。


 俺の傍にはこの子がいてくれる。 

 ならやらない理由も、恐れる理由も――どこにもない。


 決着をつけよう。

 これまでくすぶってきた、このわだかまりを。

 

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学校の王子様に可愛いと言い続けていたら、学校一の美少女になっていた 本町かまくら @mutukiiiti14

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