第31話


 クラスメイトの声が、喧騒に満たされていた教室を支配する。

 そして、興奮を隠しきれないといった様子で続けた。


「他のクラスの奴がさ、二人がショッピングモールで手繋いで歩いてるところ見たらしいんだよ! やっぱりマジなの⁉」


 ……やっぱりそうか。

 誰かしらに見られるかもとは思っていたが、まさかピンポイントであの場面を見られるとは思っていなかった。

 

 俺の返答を催促するように集まる数多くの視線。

 そしてぽつりぽつりと、泡が浮き上がってくるように声が聞こえてきた。



「やっぱり二人、付き合ってたんじゃない?」

「教室でもよく一緒に話してるしな」

「俺聞いたことある! テスト期間に藤田が王子様を不良から守ったって話!」

「体育祭の時だって真っ先に王子様見つけたの藤田でしょ?」

「そういえば王子様が仲よくしてる異性って藤田くらいじゃない?」

「校外学習の時だって、二人だけ遅れてたよな!」

「ってことはやっぱり、王子様がスカート履き始めたのだって……」

「俺は最初からそう思ってたんだよ! やるなぁ~」



 教室の空気が変わっていく。

 祝福するような、地に足が付いていないような。そんなフンイキ。


 ふと、もう一人の当事者である遠坂に視線を向ける。

 彼女は俺の方を見て、驚いたような、それでいて複雑な感情を押し殺すような表情をしていた。


 そんな遠坂を見て、やるべきことがはっきりした。


「どうなんだよ! 別に隠すことないだろ⁉ むしろ喜ばしいことで……」



「付き合ってないよ。仲はいいけどな」



 俺の言葉で、パッと噂の声が弾ける。

 シンと静まり返る教室。


「え? でも手を繋いでたって……」


「繋いでたって言うより、引っ張ってたって言う方が正しいな。実はあの時、めちゃくちゃ急いでてさ」


「じゃ、じゃあほんとに付き合ってないの?」


「そうだよ。ってか付き合ってるなら否定しないだろ? 俺は遠坂と付き合ってる! って声高らかに自慢するのが普通だ」


「た、確かに……」


 また空気が変わる。

 ざわついていながらも、一つ一つがバラけて解散していくような。そんなカンジ。


「ごめんな? 急に問い詰めたりして。つい熱くなっちゃってさ」


「気にするな。気にしてないから」


「藤田……お前意外にいい奴だな! もっとそれ主張してけ!」


「その主張は悪手だろ。あと意外は悪口だからな?」


 ケラケラと俺の肩をバンバン叩いてくるクラスメイトを横目に、ふと遠坂の方に目を動かす。


「……え」


 一瞬、頭をぶたれたような感覚に陥る。

 おかしい。事実を知っていたはずの彼女だけが、複雑な感情の色を濃くさせていた。


 でも俺は間違っていないはず。ちゃんと事実通り答えただけ。

 なのになんでだろう。

 遠坂の表情を見ていると、俺まで心がぐしゃっと握りしめられたような気になった。










 朝のホームルームを終え、一時間目の化学。

 理科室に移動となり、玲央と並んで歩く。


「意外と普通だな、林太郎は」


「なんだよ急に。それに意外ってどういう意味だ?」


「そのままの意味だよ。あまりにも林太郎が普通でびっくりした」


 言葉を言い換えただけで、意味が全く変わっていない。


「だから、それがどういう意味かって聞いてるんだけど?」


「それは自分で考えろ。それか他の人に教えてもらえ。正解を知ってる人はちゃんと、お前の近くにいるからな」


 玲央が余裕そうに笑う。


「…………」


 その表情に若干苛立ちながらも、うんうんと考えるのだった。


 しかし結局答えは見つからず、そして答えを知ってる人も現れず。


 ――あっという間に、陽が落ちようとしていた。





     ♦ ♦ ♦





 理科室に向かう道中。 

 私はとにかくモヤモヤしていた。


 それはもちろん、藤田くんが教室で私との交際疑惑を否定したときから。

 いや、もしかしたらそれ以前からずっと引っ掛かっていたのかもしれない。


 思い返せばそうだ。

 藤田くんとかかわる日々の中で、その違和感はあった。

 でも今まで見て見ぬふりをしてきただけで、今その存在に面と向かっているだけ。


「……はぁ」


「どうしたの? ため息なんかついて」


「あ、ごめん。らしくないよね」


「ま、人間らしくないことはしないってわけじゃないからねー」


「それは……確かにそうだ」


 愛佳の言葉で、少し胸が軽くなる。

 ふと、前を歩く藤田くんの姿が目に入る。


 藤田くんは今、どんなことを思っているのだろう。

 ぎゅっと背中を見つめてみるけど、その内側はいつになっても見えてこなかった。










 モヤモヤとした気持ちを抱えたまま時は流れ……放課後。


 どれだけ考えたところでわからず、結局本人に聞くしかないという結論に至った私は号令が終わったと同時に席を立った。

 そして藤田くんの下に向かおうとして、足が止まる。


 なんて聞けばいいんだろう。


 このやけに胸を苦しめる気持ちの正体も、その大きさも全部わかってる。

 なのに的確にそれをぶつける言葉が見つからない。

 えっと、こういうときは……。


「何してんの? あんまり見たことない体勢で固まってるけど」


「うわっ! ふ、藤田くん⁉」


「最近遠坂に驚かれること増えたな。そんなびっくりな存在じゃないと思うんだけど」


 まさか本人から話しかけてくれるとは思わなかった。

 あんなことがあった後なのに……って、そうか。そういうところ、なんだよね。


「ごめんごめん。不意打ちに弱くなってるみたい。鍛えることにするよ」


「鍛え方が難しそうだけどな」


 言うと、藤田くんが肩にかかった鞄をずり上げる。

 マズい、このままだと藤田くんが帰ってしまう。何か言わないと……でもここで言えることじゃ……。



「いいところに二人発見!」



「……え?」


 愛佳が声をかけてくる。

 その隣には旭日くんもいた。


「二人とも、お願いがあるんだけど!」










 きゅっ、きゅっと黒板消しを擦る。

 

 誰もいない教室。窓の外からかすんだ人の気配がする中。

 隣に立つ藤田くんは、せっせと手を動かしていた。

 

「まさか日直の仕事を丸投げされるとはな。そんなに暇人に見えたかな」


「あはは……まぁ愛佳、仲いい人にはとことん甘えるから」


 それはいわゆる愛情の裏返しなんだけど。

 

「早く終わらせて帰ろう。幸い仕事は黒板を綺麗にすることだけだし」


「……うん、そうだね」


 時計の針がかちかちと鳴る。

 あまり時間は残されていない。


 まさに絶好の機会。

 きっと愛佳が私に気を遣って用意してくれたんだろう。

 

 なら今、この二人きりの状況で聞くしかない。


 ……それなのに、私の口はドクドクと脈打つ心臓に圧迫されて、思うように言葉を出してくれない。


 私って、思ったよりも意気地なしだ。

 それにこんな気持ちを抱いてる時点で面倒くさい。


 王子様とか言われておきながら、中身はまるでハリボテだ。

 もっと堂々としていて、威勢のいい感じだと思っていたのに……なんとも皮肉な話だ。


 時間は私を待ってくれず、時間は流れていき……。

 私は喉元にまで出かかった言葉を彼に言えないまま。


 ――あっという間に、陽が落ちようとしていた。










 下駄箱で靴を履き替え、校門までの道を歩く。

 夏だからまだまだ明るいけど、太陽は傾いて昼までの勢いを失っていた。


 同じ歩幅で彼と並んで歩く。

 そしてあっという間に校門までやってきた。


「俺、こっちだから」


「あ、あぁ。うん」


「気をつけて帰れよ」


「……うん」


 藤田くんの優しい配慮すらも、今の私には痛くて苦しい。

 

「じゃ、また」


 藤田くんが軽く手を上げ、私に背を向けて歩き始めた。

 藤田くんが遠ざかっていく。

 小さくなっていく彼の背中を見て、私はさらに胸を締め付けられた。


 ふと、脳裏をよぎる先日の光景。

 彼に腕を引かれ、その背中を追いかけながら光の下を歩いたあの時の高揚感。


 ――どくん、どくん。


 心臓が強く脈を打つ。

 まるで私を急かすみたいに、全身に血液を送る。


 

 

 ――ドクン、ドクンッ。




 そして私は、いつの間にか足を踏み出していた。

 地面を蹴り、風を切り。


 まるで時間の流れに逆行していくみたいに、私の中でたいそうな使命感をもって走った。



「藤田くんっ!!!」



 彼に追いつくと、彼が振り向き体を私に向ける。

 それと同時に息を切らしながら、私は全身を振り絞って訊ねた。






「私のこと! 女の子として見てくれてる?」






 複雑で言いづらいことって、案外シンプルだ。

 こんなにも言ってしまえばあっけない。


「え? それはもちろん……」


「私! すごく面倒くさいと思うんだけど……でも! 今日藤田くんがあまりにも普通で、私だけこんなに……だから、私のこと女の子として見てないんじゃないかなって、そう……思って」


 私の言葉にはっと驚く藤田くん。

 

「それは……」


 その後がなかなか続かない。

 それでも私は、どういう答えになろうが言いたいことが頭にあって。

 

 迫る鼓動に急かされて、思いを口にするのだった。







「あのさ! これから私のこと、女の子として見てほしい!!! 一人の、女の子として!!!」







 こんなの、ほとんど告白だ。

 それでも今私が一番伝えたい言葉はこれだから。


 私は伝えるのだ。言葉にしないとわからないことだらけの、せかいだから。





     ♦ ♦ ♦





 陽が落ち始めていた。


 一人帰り道を歩きながら、顔を手で押さえる。


「なんだよ、あれ……」


 顔が熱い。いや、顔だけじゃない。全身が熱い。

 まるで血が沸騰したように、内側から熱が体にこもっていく。


 原因はわかっている。一つしかない。


「俺、遠坂のこと遠い存在だと思ってたんだな」


 遠坂に問われて、気が付いたこと。

 

 王子様と呼ばれ、常に注目を集める彼女のことを、これまで傍観者側としてしか見てこなかった。

 でも、遠坂のあの一言で、俺のせかいが変わった。引き込まれてしまった。



「……熱いな、ほんとに」



 熱を逃がすように空を見上げる。

 夕方の気配を滲ませた青空が、頭上いっぱいに広がっていた。


 まるで病気にかかったみたいだ。

 

 でもこの季節には言い訳が効く。

 このやけに熱い体も、何かを急かしているみたいに早い鼓動も。


 全部全部、夏のせいなのだ。



 

 陽が落ちていく。そしてまた昇り、朝が来て。こうして夏はやってくる。

 

 いや、気づけばもう、やってきている――












 ――急かす鼓動に彼女は走る。













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