第23話
――ピコん。
新着メッセージが一件
遠坂香子:今日の夜は少し涼しいみたいですね。藤田くんはいかがお過ごしですか?
「……なんじゃこりゃ」
意味もなく思考もなく生産性もなくスマホを見ていたら、画面上に目を引く通知が降りてきた。
「……こりゃなんじゃ」
逆にしてみるも、これに特に意味はない。
ひとまず通知をタップし、遠坂とのトーク画面を開く。
短いやり取りの一番下に、やはりあのメッセージがあった。
「マジでどういう意図だよ、これ」
藪から棒すぎて何もわからない。
ただこれは質問だ。俺は彼女に「いかがお過ごしか」と聞かれている。
それに答えればいいんだろう。
いやしかし、どうして遠坂はこんな質問を……。
思考がどんどん沼に沈んでいき、息が苦しくなったところで顔を上げた。
他人の考えなど、考えてわかるものじゃない。なら聞けばいい。
思い立ったら即行動。
メッセージを送ろうとして、指が止まる。
「……電話でいいか」
メッセージだとじれったい。
音声通話のマークをそのままの勢いでタップした。
お馴染みのポップなコール音に耳を傾ける。
「あれ、出ないな」
さっきメッセージが来たばかりだから出ると思ったんだけど……。
『あ! も、もしもひ!』
噛んだな。
「もしもし遠坂? 悪いなこんな夜遅くに電話かけて」
『い、いや大丈夫だよ!』
心なしかスマホから聞こえてくる遠坂の声が切羽詰まっているように思えるが、一度置いておいて早速本題に入る。
「メッセージ見たんだけどよくわからなくてさ、どうしたんだ?」
『あ、あれは、えっと……その、なんていうか……あ、そう! 愛佳に送ろうと思ったんだ!!! そしたら藤田くんに間違えて送っちゃって!』
「そうなのか。……遠坂って宇佐美に平安時代の恋文風メッセージ送るんだな。毎日会ってるのに」
『っ! ちょ、ちょっとふざけただから! いつもはもっと普通だよ?』
「ま、そうだよな」
それにしたって、遠坂でもあんな風にちょけたメッセージを送ることがあるのが意外だ。
でも、思えば実際の感じとメッセージの感じが違うことは往々にしてあること。
別に遠坂が例外ってわけではないか。
「ありがとな、遠坂。謎が解けた。じゃあまた――」
『ちょっと待って!!!』
「どうした?」
『あ、えっと……』
遠坂の次の言葉を待つこと数秒。
『せっかく電話してるんだし、こんな機会めったにないからもう少し話せたらなぁ……なんて。あ、でももし忙しかったら平気だから! 心と時間に余裕があればっていう条件付きで……』
「そうだな……」
『…………えっと』
「電話とかあんまりしたことなかったし、やってみるか」
『え、ほんとに⁉ いいの?』
「うん、全然」
『そ、そっか。じゃ、じゃあ……』
こうして、遠坂と電話することになった。
とはいえ、おそらくお互いに電話なりの距離感に慣れておらず、初めは回線が悪いことを言い訳にしたいくらいにたどたどしかった。
「最近気温も30度近いよな」
『そうだね。すっかり夏って感じで』
「だなぁ」
『あ、あはは…………』
「あはは…………」
話したいことがある、ではなく電話することが先行しているためか話しながら頭で色々と考えてしまっていた。
しかし、徐々にいい意味で疲労感が思考をシンプルにし。
いつの間にか面と向かって話すのと相違ないほどに自然と話せるようになっていた。
『そうそう! それでこないだ愛佳と食べ歩きしたんだけど、一個の量が少なくてさ』
「そりゃ食べ歩くために作られてるからな。やっぱりフードファイターは腰を据えて食べたいだろ?」
『私フードファイターじゃないんだけど⁉ 確かによく食べるけど、フードとファイトはしないから!』
「じゃあフードラバー?」
『……やっぱりフードがつくと食いしん坊みたいに聞こえるから嫌だ』
「そういうもんか」
そこは遠坂の譲れないポイントらしい。
「でもすごいよな、遠坂は」
『え、何が?』
「だって、あれだけ食べてもスタイルいいだろ? スラっとしててモデル体型だし」
『っ! そ、そうかな』
「そうだよ。でも前に公園で会った時ランニングしてたの見てさ、やっぱり努力してるんだなって納得がいった」
『っ! な、なんかすごく恥ずかしいことを言われてる気がする』
「ほんとさ、遠坂って可愛いだけじゃないよな」
『っ!!! あ、ありがとうございます……』
遠坂の言葉尻がどんどん萎んでいく。
「いや、なんか違うな。可愛いだけじゃないっていうか、可愛い、っていうか……うーん、可愛い?」
『さっきから何言ってるの⁉』
遠坂の慌てた声がスマホ越しに聞こえてくる。
俺の語彙力じゃ納得のいくように遠坂を評価できない。
もどかしい。だが可愛いを伝えられればそれでいい。
『全く、藤田くんは……私に可愛いって言いすぎだよ』
「これに関しては最近俺は悪くないと思ってる」
『……意見を聞かせてもらおうか』
遠坂から正式に場を与えてもらったので、気合を入れる意味も込めて一息つく。
「何度も言ってるとは思うけど、俺とて別にむやみに“可愛い”とは言わないよ」
『う、うん』
「つまりな、俺はほんとに可愛いって思うから言ってるだけなんだよ」
『な、なるほど? というかなんか、自分で聞いて恥ずかしくなってきた……』
「とにかく、俺が言いたいのは可愛いと俺に思わせ、さらに言わせてしまう遠坂が悪いと思うんだ。要するに、可愛いと言われる可愛いが悪い!」
『っ!!! も、もう終了! 可愛いの解説は終了っ!!!』
本人に言われてしまえば、幕引きせざる負えない。
大人しく引き下がると、遠坂がスマホ越しにため息をついた。
『……やっぱり私のレベルが足りないみたいだ』
「レベル?」
『こっちの話! って気づいたらもうこんな時間か』
壁に掛けられた時計に目をやると、確かに電話を始めてから随分と経っていた。
「そろそろ終わりにするか」
『そうだね。ありがとう、藤田くん。今日はすごく楽しかったよ』
「こちらこそだよ。じゃあ――」
『あ、ちょっと待って!』
再び遠坂が俺の言葉を遮る。
かすかに息を吸う音が聞こえた後、遠坂は言った。
『また私と電話してくれる? その……したい、から』
遠坂の言葉がまるで銃弾のように俺の脳天を打ち抜く。
じんわりと体全体が熱くなるのを感じながら、俺は高揚感を抑えるように答えた。
「もちろんだよ。心と時間に余裕がある時ならいつでも。何ならその余裕を作るまであるな」
『ほんとに⁉ ふふっ、ありがとう』
スマホからコロコロと転がるような微笑みの音が聞こえてくる。
電話だと声や表情や纏う雰囲気が凝縮されて伝わっているように感じる。
だからか妙にこそばゆいし、胸の鼓動はいつもよりうるさかった。
ゴソゴソと生活音が聞こえた後、遠坂はいつもより二つくらいテンション高めに、それでいて心にそっと手を添えるように呟いた。
『じゃあ、おやすみ、藤田くん』
「……おやすみ、遠坂」
電話が切れ、俺はそのまま椅子の背もたれに深く腰掛ける。
何かを吐き出すように息を吐き、やがて無意識のうちに呟いていた。
「可愛すぎるだろ、今の」
可愛い女の子からの“おやすみ”ってこんなにも威力があったのか。
天を仰いで余韻に浸っていると、
「……お兄ちゃん」
振り返ると、パジャマ姿の海が扉を開けて立っていた。
「お、海どうしたんだ?」
「なんでニヤけてるの?」
「…………仕方ないんだこれは」
逆にこれで頰を緩ませない方がおかしい。
「そ、そっか! 仕方ないなら仕方ないね! おやすみ!」
「おぉ、おやすみ」
ぱたぱたと海が部屋から出ていく。
小さな背中を見届けると、俺はもう一度天を仰いだ。
「……ヤバいな、ほんと」
それからしばらくの間、俺は遠坂との電話の余韻に浸っていたのだった。
♦ ♦ ♦
翌日。
「ふはぁ」
あくびをしながら下駄箱を開き、外履きを入れて上履きをコロンっと地面に放り投げる。
「あ、藤田くん。おはよう」
「おはよう、遠坂」
今日も相変わらず異彩を放った遠坂が、俺の隣にやってきて先ほどの俺と同じ動作を行う。
それにしても俺、遠坂からのおやすみとおはようをコンプリートしたな。
あとはシークレットのごきげんようを残すのみ、か。
上履きに履き替えた俺と遠坂は、並んで落ち着きのない朝の廊下を歩いていく。
「昨日はありがとな。意外に電話って楽しいんだって気づけた。ベルと遠坂に感謝……!」
「発明者と私を並べて感謝しないでくれる⁉︎」
なんてことを話しながら教室に到着。
足を踏み入れると、すでに宇佐美と玲央が登校していた。
「おはよう」
「おはよー! って、おや?」
「……ほうほう」
宇佐美と玲央が二人顔を見合わせる。
「これは何かありましたかね? どう思いますか解説の旭日さん」
「心なしか距離が近いように思います。その点はどうでしょう実況の宇佐美さん」
「ゴォォォォォーーーーールゥッ!!!」
「二人とも何言ってるの⁉」
遠坂が二人のもとに駆け寄り、必死に抗議している。
その様子を少し遠くから眺めながら、思わず頬を緩ませた。
今日も騒がしい日常が始まる。
ただそれだけの当たり前が、今はたまらなく嬉しかった。
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