乙女の心の世界。その中心に大司教と青年は辿り着いた。前者は初めての、後者には何度も見た光景だ。


 血液が脈打ち、振動が周囲に散らばるユリの花弁はなびらを巻き上げる。暗い赤と黒が、血液で着色されたそれは、見る者におぞましい気持ちを抱かせる。


 ユリの花に囲まれた心臓。一人の女性が織りなす世界に鎮座する臓物のそばに二人の男は並び立つ。


「これは……」


 大司教プレトンは、ヴェレダの心臓をつぶさに観察する。脈拍を計り、動脈の太さを確認してから、彼はアルトゥールに語った。


「心臓が弱り切っておる。あまり、長くは生きられぬだろうのお」


 大司教の言葉に頷くと同時に、己の胸――心臓のある箇所を抑えるアルトゥール。まるで、自分が巫女と同じ症状を抱えているかのように。


「どうして、ここまで疲れ切っておるのか。調べて見ねば。でなければ、ここに来た意味はなかろうし……巫女殿も何か訳があって、わしを拒んだのじゃろうから」


 大司教の手には戦棍メイスが握られていた。ヴェレダの胸を叩いた武具、「解体の魔力」が封じ込まれた特別な道具が。


 名はシュプリング。ローラントのルミエールとは異なり黒く鈍い光を放つそれは、鈍器に相応しく叩かれたもの全てを解体する。物理的なものだけでなく、心理的な障害さえも。


「あなたを救うためじゃ。辛抱しておくれ」


 祖父が施術を怖がる孫娘に苦痛に耐えるのを促すように、大司教はシュプリングを小さく振り下ろす。巫女の核心に潜む「闇」を探るために。


 アルトゥールはもはや何も言わず、語らず、ただ見守ることにした。そして、受け入れる覚悟をする。巫女の心中を己の眼で確認する決意を固めたのだ。


 コツンッ。


 おもちゃの木槌が鳴らすのに似た軽い音が黒い空間に響く。ややあって、一つの幻が現れた。白い輪郭の内側にそれよりもやや暗い白で作られた幻。ヴェレダに瓜二つの女性のよう。


 女性は剣を握っている。誰かを見下ろしているのは俯き加減から察せられたが、その相手が誰かははっきりしない。大司教の介入を拒むかのように、巫女の心は頑なに詳細を知らせようとはしなかった。


「これは――」


 しかし、シュプリングの威力が勝り始める。霧が払われるのに似た感じで、巫女の記憶は露わにされていった。年若い少女の探られたくない部分を覆う布が取り払われるように。


 映画のスクリーンのように、幻は動き出す。


 幻は、地底の民を見下ろしていた。鋭い眼光に、憎しみの念を込め、彼に注いでいるようだった。そのかたわらには、既にこと切れているだろう男の姿がある。首を切られ、大量に血を吸った絨毯じゅうたんに衣服。間違いなく死んでいた。


「俺は悪くねえぞ。悪いのは……だ。俺は……ねえ!」


 音声も伝わってくる。剣を向けられた男のものだ。彼は足を震わせ後ずさりをしながら、口で女性に弁明しているらしい。そうしているうちに、彼の首元に剣先が近づいてくる。そして、持ち主が脅しをかけた。


「誰だ? わたくしの愛する人を殺したのは? カンという奴か? 答えろ!」


 あまりの剣幕に気圧され、男は何やら喋り出した。しかし、その細部までは二人には伝わらない。巫女の心が邪魔しているのだと、プレートンとアルトゥールは感じた。


「カン様じゃ……。命じ……リンさ……」


 それだけが辛うじて聞き取れた。男はもう何も話さなかった。話せなくなった。首が胴から離されたからだ。頭部を失い、力なく倒れる男の首から下。次に移ったのは、女性の歪んだ顔。そして、復讐の呪いを自らにかける一言だった。


「陛下。わたくしはあなた様のお命を奪った方を、今から追いかけます。同じく愛する者を奪われた婦人たちと一緒に。わたくしの復讐が叶いますよう、どうか天から見守っていてくださいね」


 くすんだ笑みを見せる女性。その顔はヴェレダ。しかし、今のアルトゥールが知るヴェレダのものではない。


 同じ顔だけれども、彼女は別人。一体彼女は何者だろうか。


 だが、現段階では明確な答えを出せそうにない。これだけでは何も断定できないし、巫女の心はそれ以上のヒントを与えてはくれなかったのだから。


 ガタガタガタッ!!


 天地がひっくり返るかと思わせるような地震の発生。それとともに、大司教と青年は巫女の心から追放されてしまうのだった。

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