第五章 湖上の戦い

マイペースな男爵

 ヴェレダを運ぶ騎士団一行は、神聖ラティニア領内にあるヴォルフス辺境伯領の関所まで来た。


「どのような要件で、領内を通過するので?」


 門番が、騎士団の代表であるテオドリクスに尋ねた。一切の感情を感じさせない、事務的な対応で。


「ある人物をダキニアまで護送するよう、法王猊下げいかおよび神聖ラティニア皇帝陛下から命ぜられ、今はその任に就いている」


 テオドリクスは、門番にその証拠となる書類通を――法王の印が押されたものと、ハインリヒ皇帝の印が押されたものを差し出してみせた。門番はそれを受け取り、中身を確認する。


「辺境伯様にこれを目通ししてもらうから、待っててくれ」


 門番は騎士団一行をその場に残したまま、領内にある辺境伯の住まう宮殿へと馬を走らせていった。手持無沙汰になる一行。


「あの、テオドリクス閣下」


「なんだい、アルトゥール君」


 実力はどうあれ騎士となったアルトゥールは、敬称を用いつつテオドリクスに聞いてみた。


「関所とは言っても、道の両側に丘があるだけですよね? どうにかして、門番の目をくぐることはできないのでしょうか」


 関所とは言っても数人の門番が交代で任務に当たっているだけで、舗装ほそう道路の左右にそびえる丘まで壁が築かれているわけではない。このような手間をかけなくても、暗くなってから丘を登攀とうはんして進むことも出来そうなだ。


「勝手に通行して、後で発覚する方が面倒だ。それに君のお姉さんは馬車に乗っているのだぞ? 勾配こうばいのある場所は通れない」


 テオドリクスの言葉は至極当然だった。


「本当に申し訳ありません。テオドリクス様」


 二人の会話を聞いていたヴェレダが、自分の不自由な体のせいで任務に支障が生じていることを詫びた。


「いえ、お気になさらないでください」


 テオドリクスはそう言ったが、ヴェレダには分かっていた。公爵が落ち着きを失いつつあったことを。


(テオドリクス様の足踏みが段々と増えてる……イライラしているんだわ。ああ、私のせいでこんなことに)


 浮かない顔をするヴェレダ。今の私は守られているだけの無力な存在。彼らが危険な目にっても助けにいくことはできない。 馬車がなければ動くことも出来ないし、未知の敵――目で見ることも叶わぬ相手に抵抗することさえ不可能だ。


 己の不甲斐なさと内心を打ち明けられない心細さが、ヴェレダに深く突き刺さる。彼女は願った。誰か、私の気持ちを受け止めてくれる人が現れてほしい、と。


「なあ、閣下」


「うん? マルグレーテ卿。どうした?」


 騎士で唯一の女性、マルグレーテがテオドリクスに話しかけた。その顔は真剣そのもので、そんな彼女を見たテオドリクスは何か重大なことを話すのかと身構えた。


「ここから東に少し行くと湖があるんだ。水浴びしてきていい?」


 テオドリクスは呆れてしまった。自分たちがいくら待たされている身とは言え、身を清めたいと言い出すとは思ってもみなかったからだ。


「いや、マルグレーテ卿……。東から敵が接近しつつある中で、呑気のんきなことを言わないで頂きたい」


「呑気?」


「私たちは通行許可が降りるまで、近くに野営地を作り、そこで食事や休息を取る必要がある。馬も同様。だから――」


「ああ、野営地を作る方が先ってこと?」


「その通り」


「じゃあ、男のあんた達がやっといてよ」


 何とも身勝手な答えに、冷静沈着なテオドリクスも唖然あぜんとするしかなかった。


「ねえ、ヴェレダちゃん。馬に乗せてあげるからさ、一緒に汗を洗い流そう」


 そして、マルグレーテはヴェレダを馬車から連れ出し、自分の馬に乗せてしまおうとする。弟のアルトゥールが止めに入った。


「ちょ、ちょっと。姉さんを勝手に連れ出さないでください」


「安心してよ。大切に扱うからさ」


 マルグレーテの言葉はまったく信用ならなかった。彼女はアルトゥールに弁明しつつも、ヴェレダをひょいと持ち上げて、馬の背にドスンと無理矢理に乗せてしまったのだから。


「そういうあんたもさ、野営地を造るついでに剣術の訓練しといた方がいいんじゃない? 姉ちゃん守りたいんでしょ?」


「え、ああ、はい」


「じゃあ、あんたが訓練中に、うちらは身を清めてくるっつうことで決まり!」


 何もかもが強引だった。マルグレーテは盲目のヴェレダに「しっかり、掴まってて」と告げると、従者と共に近くの湖へと馬を走らせていってしまった。


「まったく、困ったものだ。騎士は人を導く者だというのに」


「僕も同感です。あの女は好き勝手言いやがってよ。いやあ、困った人だ」


 テオドリクスのぼやきに、ローラントが賛同する。


(お前が言うか……)


 テオドリクスやアルトゥール、それに千を超える従者達が、伯爵にツッコミを入れたいと思うのだった。

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