イビツアイ 〜クールな幼なじみと、壊れかけの異世界で〜
稲苗(いなえ)
過去の大罪
第1話
彼女の第一印象を語るのであれば、まずはその気怠げでぼんやりとした雰囲気をあげるべきだと、俺は思う。
学年にちょうど一人居るような、根暗なイメージはないのに他者との関わりが薄いマイペースな女子、と言えば伝わるだろうか。
丸く大きな瞳はいつも眠気に曇っていて、表情は決まってつまらなさそうなポーカーフェイス。
色素の薄い茶髪はかなり長い。ふんわりとした大きな三つ編みがツインテールになっていて、彼女の背中で大きく揺れている。ファンシーでゴシックな印象の髪型だ。
どこか浮世離れした、儚さとも、鈍感さとも言い切れない、ある種のマイペースさを感じさせる雰囲気。
あるいは、『芸術肌の不思議ちゃん』という言葉が、彼女の容姿を適切に表現してくれるかもしれない。
例えば、志乃架が学校机に頬杖をついて、窓枠の夕景を眺めていれば、おおよその人間はこんな感想を抱くと思う。
『この子はおっとりとした性格で、美術部に入っていそう。多分、趣味は昼寝で、一人が好きなタイプ。思うに、人間よりも猫が好き』と。
俺も志乃架が猫に囲まれて昼寝をしている姿はとても絵になると思う。
けれど、残念なことに、それは一見した容姿から想像される人物像だ。
現実の志乃架は猫と昼寝なんてしない。
彼女の内面、性質、性格は、容姿から想像されるものとは全く違う。
人間を外見の第一印象だけで評価するのが如何に不確かな行いか、志乃架と時間を共有した人間は実感することになる。
まず、気怠げというのは、志乃架とは真逆の言葉だ。彼女はむしろ、怠惰という言葉を憎んでいる節がある。
なんでも合理的に効率的に終わらせることを信条としていて、例えば、嫌なことほど真っ先に終わらせる。定期試験があれば余裕を持って計画的に臨むし、そもそも、日頃から予習復習を欠かさない。
眠そうに見えるのは生まれついた瞳や表情のせいで、本人いわく一切眠気を感じていないらしい。
ファンシーな髪型も本人の趣味ではない。行きつけの美容室の指示通りに結っているだけ。基本的に、彼女は生真面目な人間だ。
印象通りな点と言えば、一人が好きなことくらいだろう。
志乃架は社交的な性格ではないし、学校でも誰かと親しげに談笑するような姿を見せることはほとんどない。
とはいえ、人間が嫌いなタイプではない。
少数とはいえ特定の友人がいるし、家族とも良好な関係を築いているはずだ。
なんなら、学校でも俺とはそれなりの頻度で言葉を交わす。
校内で志乃架のダウナーで少しとげのある声が響くのは、授業中か、俺に声をかける時の二択がほとんどだろう。
例えば。
「
「面倒だったから……」
「ダメ。一緒に購買行ってあげるから食べなさい」
あるいは。
「灘世。ちょっと足を止めて」
「……なに?」
「襟もタイも曲がってる。だらしない。制服はちゃんと着て」
または。
「灘世、また追試なの?」
「ああ、まぁ……」
「真面目にやればできるのに。もったいない」
「過大評価だよ」
「放課後、対策に付き合ってあげるから図書室に来なさい」
など。
正直、会話というよりは小言の方が近い。けれど、志乃架は飽きることなく、いつも俺に声を掛ける。
いつだって無表情で、可愛げもなく、淡々と。仕方なさそうにため息を吐くとか、軽蔑を見せることもない。
まるで当たり前の仕事をこなすように、志乃架は俺の世話を焼く。
そして俺も、いつの間にか、彼女に頼ることが当たり前になっていた。
情けない話だが、もし突然志乃架がいなくなったら、俺は進級すら危ういだろう。志乃架には、本当に感謝している。
しかし、なぜ志乃架が俺に手を貸してくれるのか、その真意を俺は知らない。彼女に依存しておいて、その本心を全く理解していない。
前提として、志乃架はモテる。
俗にいう、マドンナとかアイドルという立ち位置でこそないけれど、普通にかわいいし、スタイルも悪くなければ、頭もいい。何より、アンニュイとも受け取れる雰囲気、もしくはクールと表現できる性格が、一部の男子に対して、強烈に突き刺さるのだろう。
志乃架に告白して玉砕した男子は、俺が知っているだけでも片手の数じゃ足りない。
要は、志乃架はその気になれば、男を選べる女の子、ということだ。
その上で俺、つまり、目つきも生活態度も成績も悪く、不良崩れ、あるいは不良そのものである灘世
もちろん、俺は志乃架の彼氏じゃないし、志乃架の俺に対する態度を見て、そんなことを考える奴はいない。
そもそも、俺たちの関係性を『友人』と呼べるかすら怪しい。
だからこそ、俺も含めて、学校中の誰もが不思議に思ってる。
なぜあの夕凪志乃架が、よりにもよって、あの灘世漣に関わるのか、と。
◇
一度、直接尋ねたことがある。
俺が志乃架に日頃の礼がしたいと提案して、ファミレスでケーキを奢ることになった時だ。
四人がけテーブルの向かいで、志乃架が少しづつケーキを頬張っていくのを傍目に、俺はアイスコーヒーを飲んでいた。
いつも無表情な志乃架も、好物のスイーツを前にすれば、かすかに表情が柔らかくなる。
俺はそれを少し微笑ましく思いながらぼんやりとして、思いがけず、コーヒーのグラスを倒してしまった。
すぐ白いテーブルに黒い川が広がって、俺の膝目掛けて滝を作る。
慌ててグラスを立て直し、ハンカチを求めてポケットを探る。けれど、伸ばした指先の感触は、ハンカチの不在を伝えるだけだった。
一瞬、思考が止まる。それからゆっくりと、俺は現状を見下ろした。失態を犯して、そのカバーもおろそか。あまりにも格好が悪い。
志乃架の前で、最悪だ。
どんどんと濡れていくズボンの感触を気持ち悪く思いながらも、俺は解決に動き出す気分にはなれなかった。
対して、志乃架の動きはすばやかった。
彼女は花柄の白いハンカチを取り出すと、滝の流れを止め、二次被害を防ぐ。当然、ハンカチはコーヒーに染まるけれど、気にした様子はない。
間髪入れず、志乃架は鞄からハンドタオルを取り出して、
「灘世。これでズボンを拭いて」
と言い、俺に差し出す。
「あ、ああ……」
俺が鈍い反応で受け取ると、次は店員に助けを求めるため、丁寧な態度で声を上げた。
結局、俺が自分のズボンを乾かそうとまごついているうちに、テーブルの上はすっかり元通りになっていた。
俺の目の前には新たなアイスコーヒー用意され、志乃架はハンカチの処置や店員への対応を一通り終え、澄ました顔で俺の対面に座っていた。
はっきり言って、いい気分ではなかった。
俺に母親の記憶はない。だが、今の自分が母に世話を焼かれる幼子同然なのは理解できる。
あまりに情けない自分に対する失望が、俺を鬱屈とさせた。
とはいえ、ずっと黙っているわけにもいかない。悪いのは自分だ。
「すまない、志乃架。……ありがとう、助かった」
どうにか、感謝の言葉を搾り出す。だが表情にまで気が回らなかった。少なくとも、感謝を述べる人間の顔つきではなかっただろう。
怒りを買っても仕方ない、と思う。
「別に。次は気をつけなさい」
けれど、志乃架はいつも通り、何も気にした様子を見せずに、淡々と答えた。
「タオルはしばらく使っていていいから。コーヒーは店員さんのご厚意よ。灘世もお礼を言っておきなさい」
それだけ言うと、もう話は終わりとばかりに、志乃架は目の前のフォークに手を伸ばした。
横髪を耳にかけて、育ちの良さを感じさせる動作で、ケーキを口に運ぶ。
その態度は、いっそ不可解なほどに、何の感慨も、不愉快さも感じさせない。
──……せめて、不快感でも示してくれれば、納得がいくのに……。
俺は机の下で拳を握りしめた。湧き上がってきた疑問を押し止めようと、歯を噛み締めた。でも、足りなかった。
「……どうして、そこまでして俺の世話を焼く?」
聞くべきではないと、ずっとずっと抑えつけてきた言葉。それは
「面倒が増えるだけだろう、お前にとって」
俺は半ば噛み付くように言う。
「別に俺と居たって、メリットはないはずだ」
感謝を伝えるべき相手への態度じゃないのはわかっている。でも、抑えられなかった。
「……心外ね」
俺の言葉を聞いた志乃架は、少しだけ驚いた様子だったけれど、それでもやはり、いつも通りの涼しげな答えを返した。
「損得勘定だけで付き合いを選ぶほど、擦れていないわ」
「じゃあ、理由を教えてくれよ」
「理由? 私があなたと一緒にいることの?」
「そうだ」
「そんなこと知ってどうするの?」
「別に深い意味はない。でも知らないのは気持ちが悪い」
それは間違いなく、俺の本心だった。
志乃架との関係性がどこまでも不明瞭なまま、一方的に助けられている現状。それが、心に棘が刺さったように気持ちが悪い。けれど。
「私のこと、鬱陶しい? 迷惑なら、私のことが嫌いなら、そう言って。身を引くから」
志乃架に少しだけ首を傾げてそう聞かれれば、俺は語気を弱めるしかない。志乃架には恩義を感じている。強く出れるわけがない。
「……いや、そんなことはない。すごく助かってる。お前がいなかったら、俺は進級すら危ういし……」
「私は灘世に面倒をかけられているなんて思ってない」
キッパリと、志乃架が言う。
「そして、灘世は私の存在にメリットを感じているのでしょう? だったら、それが理由でいいじゃない」
志乃架は明らかに、俺の疑問をはぐらかそうとしていた。
「他の理屈は必要ないでしょう?」
「……俺が気になっているのは理屈じゃない。お前の本心だよ」
俺は自分の中で、志乃架を理解できない気持ち悪さが、思い通りにならない不愉快さに変わっていくのを感じていた。
「俺の怠惰が気に食わないから、正そうとしているのか?」
「そうなら、距離を置くだけ」
「幼なじみだから?」
「そうね。それが全く関係ないとは言わないわ」
「不良を更生させることに、意義を感じている」
「私がそんなに道徳的で、視座の高い人間に見える?」
「何か……俺のそばにいることで得るものが……俺を利用している……」
「さぁ。心当たりは無いけれど」
思いつくままに、俺は質問を並べ立てる。
しかし、志乃架が返す答えは、全て曖昧なものばかり。
目は合っているのに、向き合えている感覚がまるで無い。
あまりにも歯痒かった。
それでつい、俺はわかりきっていたはずの地雷を踏み抜いた。
「じゃあ他に何があるんだよ。恋愛感情か?」
言葉にした瞬間に、俺は自分の発言に後悔する。それは紛れもない失言だった。
「………………」
俺の言葉を聞いた志乃架は、いつもは半分ほどしか開かれていない瞳を見開く。ゆっくりと息を吸って、吐いて。それからそっと目を逸らした。
「……それがあり得ないのは、あなたが一番よく知っているでしょう?」
「……悪かった」
俺は手遅れの謝罪を口にする。自分の短慮さが嫌だった。
俺は口を閉ざそうとして、けれど、最後に一つだけ質問を続けることにした。この際だ。彼女に嫌われてもいいから、真実を求めようと思った。
「……本当は、俺のことを……見張っているんだろ。これ以上、お前のような被害者を出さないために。俺に罪を忘れさせないために」
これが、ずっと抱えていた本命の問いだ。志乃架に過去の事件を思い出させないために、そして、俺自身が思い出したくないから、封じ込めていた疑問だ。
正直、きっとこれが正解だろうと、俺は心のどこかで思い込んでいた。
「違うわ」
だから、志乃架が思いの外はっきりと否定したことに、驚きを感じた。
「さっきも言ったでしょう? 私はそんなに視座の高い人間じゃない」
少し眠たげな瞳と視線が絡む。力強さも、心許なさもない、いつもの夕凪志乃架だ。
「私はあなたを嫌ってないし、疑ってもいない。これのことを誰かに明かすつもりもない」
自分の下腹部を撫でてから、志乃架は続ける。
「あなたの罪の意識には気づいてる。でも、あなたがこれ以上傷つくことを、私は望んでない。灘世、私があなたと一緒にいるのは……」
志乃架はそこで一瞬だけ言い淀んだ。瞳が、微かに揺れる。
ああ、嘘を言うんだな、と俺でもわかる。
「あなたが……放っておけない人だからよ」
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