帰宅してからの実践

会場で味わった体感の記憶を辿り

たった1人で「食べる瞑想」を試してみた。


不思議と何も感じられない。

いつもと若干。少しだけ。

おざなりな食べると言う行為を、

大切に出来た感覚は存在する。

でも、深い感謝の念や、

多くの人や存在によって

今、自分が、生かされていると言う。

壮大なる愛の中の1つと言う感覚は、

微塵も感じることは出来なかった。


瞑想後の感想のシェアの時、

毎日瞑想をされている方の感想が過る。

「毎日している瞑想と、全然違いました。」

「眠るかのような気持ちのよさで、

 何時間もねていたような、

 安らかな気持ちです。」

「毎日している筈なのに、

 こんなに気持ちの良い瞑想を体験したのは

 初めてのような気がします。」


次々に感動の声が上がる。

「大勢の方との集合意識が、

 相乗効果を表すのかもしれませんね。」


沢山の方との、共有の時間で知る知識。

1人では得られない体感を、

大勢の方との共有で体験する。


同じで違うこと。

今、この瞬間。瞬間が、今であること。

同じである筈のことが、違うこと。

旬の時に、旬を体験する。

すべてが「今」にしか、存在しないことを。

昨日の「今」と、今日の「今」で知る。

同じはない。

「今を大事にする。」

「今、幸せであることを知る。」

「今、幸せであることを噛みしめる。」



「今の状態を続けると、

  そのままの幸せな未来がくるでしょう。」


きづくこと。

今、幸せに満たされていること。

大いなる愛に満たされていること。を。

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枝 食べる瞑想 一粒 @hitotubu

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