　ダルメシア帝国北西部に位置する城塞都市『レパートエアロ』。

　自然災害の少ない穏やかな気候。周囲に生息する脅威度の低いモンスター達。そして都市を囲う堅牢な城壁。これらの特徴から『レパートエアロ』は帝国一平和な都市として有名である。

　さらには平和を求め様々な人間がこの都市を訪れるため、『レパートエアロ』では物音や人声が絶えることはなく、とても賑やかで常に活気に溢れていた。

　そんな都市『レパートエアロ』であったが、今日だけは全く別の意味で賑やかだった。

　帝国騎士団レパートエアロ支部に所属する女騎士、カンナ・ベルモットはいつものように騎士団支部で事務作業を行っていた。

　『レパートエアロ』は帝国内において犯罪率の異常な低さを誇る。すると必然的に都市内外の警備に必要な人員が少なくなるため、戦闘や治安維持を行わずに騎士団支部内で事務作業を行う騎士も多い。カンナもその例に漏れず、今日も事務作業を行っているのだが・・・。

（はぁ～、今日も事務作業か。別に事務作業が嫌いってわけじゃないけど、騎士にまでなったのに事務作業ばっかりかぁ～）

　カンナは心の中で不満を漏らしていた。騎士を目指す者の中には囚われの姫を救い出すような、守るべき民を後ろにモンスターと相対するような、そんな英雄譚を夢見る者が多い。カンナもそんな輝かし活躍を夢見て騎士になった者の一人だ。それ故に事務作業程度では物足りないのだろう。しかし、幸か不幸か、その作業は突如打ち切られることとなる。―――もたらされた凶報によって。

「団長っ！！団長はいますか！？」

（うわっ、びっくりしたなぁ）

　「ガタンッ！」とドアを乱暴に開き、「ドタドタ」と大きな足音を立てながら騎士団支部内へと入ってきた一人の騎士。その騎士は普段の飄々とした姿からは想像ができないほど焦った表情で騎士団団長のことを呼んでいる。

　その様子から何かしらの緊急事態に直面していることは明らかだった。カンナは一体どんな要件なのかと冷や汗を垂らす。

「そんなに焦ってどうした？ジャック」

　帝国騎士団レパートエアロ支部を纏める騎士団長グレイが焦った様子の騎士――ジャックに冷静に問いかけた。

「それが、ドラゴンが・・・ドラゴンがこちらに向かって飛んで来ているんです！！このままじゃ、この都市の上空を通過するかも！！」

（ドラゴン！？その話が本当なら緊急事態じゃないっ！！）

　ジャックの言葉にカンナは驚愕した。最強のモンスターに名を連ねる種族――ドラゴンが都市の上空を通過するなど異常事態どころではない。もはや都市の存続が懸かっているのだ。

「ドラゴンだと！？ここら一帯はドラゴンの生息域ではないぞ！？見間違いじゃないのか！？」

「本当ですって！！私は確実にドラゴンの姿を視認しました！！団長も私のスキルは知っているでしょう！？」

　カンナと同様にジャックの報告に驚いた様子を見せる騎士団長グレイ。城塞都市『レパートエアロ』はドラゴンの生息域から外れているため、ドラゴンが都市上空を通過することなど今まで一度もなかった。都市近辺の町村でさえ目撃証言の一つもなかったのだ。カンナやグレイが驚くのも無理はない。

　しかし、流石は団長を任せられるだけの男といったところか。グレイは驚きに支配されながらも、その場にいた者達へ的確な指示を出し始めたのだ。

「・・・分かった。ならば急いで厳戒態勢を引くぞ！！総員、都市全域に大きな音や煙などを出さないように、そしてなるべく建物内に避難するように通達するんだ！！ドラゴンを決して刺激してはいけない！！少しでもドラゴンの気を引いてしまえば、都市に多大な被害が生まれることになるだろう！！分かったな！？」

「「「了解！！！」」」

（大変なことになってしまった。これなら事務作業の方がよかったかも）

　こうしてカンナを含めた騎士団員達は突如発生した緊急事態に対して速やかに対応し始めた。

「・・・行ったか」

　無事に厳戒態勢を引いてから僅か数分後、ドラゴンが『レパートエアロ』の上空を何事もなく通り過ぎて行った。騎士団長であるグレイはだんだんと小さくなっていくドラゴンの背中を見ながらほっと胸を撫で下ろした。カンナや他の騎士達も同様だ。

「総員、よくやってくれた。これで『レパートエアロ』の危機は過ぎ去っていったわけだが、念のためこれから数十分は厳戒態勢を維持する。そうだな・・・三十分後、厳戒態勢を解く旨を都市全域に通達してくれ」

「「「はっ！！」」」

（よかったぁ。何事もなくて）

　カンナは胸に広がる安心感と共に、ひとまず事務作業に戻ろうとする。しかし、血の気が引いたような表情をしたジャックが視界の隅に入ったことで、その行動は遮られた。

「あれ？ジャック、そんな顔してどうしたのよ」

　カンナがジャックの様子を訝しみ声をかけると、その声によって他の同僚達もジャックの異常な様子に気が付き、その結果多くの視線がジャックへと集まった。

　しかし、ジャックは注目を集めていることにも気が付かない。気が付けない。そんな余裕がないほどの衝撃を、ジャックが受けているからだ。

「ちょっとジャック、聞いてる？いったいそんな顔してどうしたのって聞いているんだけど」

「あ、あぁ」

　カンナがジャックの傍に寄り再度話しかけると、ジャックはゆっくりと、まるで口にすることさえも恐ろしいかのように、ゆっくりと口を開いた。

「ド、ドラゴンが・・・」

「ドラゴンが？」

「ド、ドラゴンが、北の草原に着地したんだ・・・」

「え！？」

「なに！？それは本当か！？」

　カンナがジャックの言葉に驚くと同時に、二人の会話を聞いていたグレイがジャックに真偽を問う。

「ほ、本当ですよ！！というか、このやり取り今日二回目ですよ！？どれだけ私は信用されてないんですか！！」

「あぁ！！あんまり信用してないぞ！！酒のつまみ代を経費に入れる男を信用するか！？しないよなぁ！！」

「な、なんでその事を！？」

（うわっ、ジャックってそんなことしてたんだ・・・。あんまり関わらないようにしよ）

　グレイとジャックの会話を聞いていたカンナ含める同僚達は冷たい目線をジャックに向ける。そんな視線に気が付いたのか、ジャックは話題をそらすように口を開いた。

「って、そんなこと話してる場合じゃないですよ！！ドラゴンが北の草原に着地するところを見たんです！！」

「あぁ、そうだったな。それにしても北の草原か。ある程度この都市から離れているにしてもまずいな。もしドラゴンが何かの拍子で暴れたらこの都市への被害は甚大だ。我々はどう動くべきか。・・・よし、ドラゴンが北の草原から飛び立つまでは厳戒態勢を解かない。そして、我々は今すぐ少数精鋭で草原に向かい、ドラゴンの様子を確認する。刺激しないように遠くからだがな。北の草原に向かうメンバーは隠密が得意なカンナと監視が得意なジャック、そして俺だ。二人とも、準備はいいか？」

「「はい！！いつでも行けます！！」」

　グレイの問いかけに対してカンナとジャックは一切間を開けず、しかも息を揃えて了承した。最悪の状況を想定しながらも、二人は騎士としてとうに覚悟を決めていたのだ。その様子にグレイは満足げな笑みを浮かべた。

「時間を無駄にはできない！！すぐに出発だ！！他の者も警戒を続けてくれ！！」

　そして、グレイ、カンナ、ジャックの三人はドラゴンが着地したとされる北の草原まで急いで駆けた。ドラゴンを刺激するわけにはいかないので馬を使わずに、自らの足で音を消しながらの行動であった。