舞い戻れ魔法少女
島丘
次回予告
暴力反対! 怪人にも人権を!
などとつらつら並べられていた横断幕には、今や魔法少女への助けを求める懇願へとすり替わっている。
求ム救世主、タスケテ魔法少女。
何とまぁ人間とは、自分勝手な生き物だろう。つい四年前には、時代に合わない暴力的だと追い出しておいて、今さら戻ってきてほしいなんて。
狼だって危ないからと排除しまくった結果、絶滅寸前になったじゃないか。どうして同じ過ちを繰り返すんだ。
こっちは動物と違ってまだ生きているから、すぐに戻ってくるとでも思っているのかもしれない。
ところで一般市民に問いたいが、世の中にはブランクという言葉があるとご存知だろうか。
「そりゃ知ってますよ」
背中を丸めた
「知ってはいるけど、そんなもん関係ないんですよ、あいつらは。ブランクが何だ、年齢が何だ、命の危険が何だ。魔法少女としての責務を果たせ。本気でそう思ってるわけです」
四年前、初めて会ったときの柊くんは、自信と希望に満ちあふれていた。「共に世界の平和を守りましょう!」と曇りなき眼で言われたときには、こっちが恥ずかしくなったくらいだ。
当時の柊くんほど、フィクションじみたセリフが似合う男はいなかった。口を開けば世界平和、正義の味方、人類の希望とうるさかったものだ。
それが今はどうだ。乾燥した鶏肉みたいな声で、ボソボソと現実を語っている。
「自分達が魔法少女を追い詰めたとは、つゆほども思ってないんですよ。暴力で解決するのはどうでしょうかとかしたり顔でほざいてた自称専門家も、怪人にも家族がいるとか声高に同情を示したインフルエンサーも、皆自分のやったことを忘れているんです。いや、なかったことにしてるんです」
ほとんど息継ぐ間もなく捲し立てたものだから、普通に心配になってきた。
お茶を勧めるも、返ってきたのは会釈のみ。柊くんの現実語りもとい愚痴は続く。
「それで実力派の魔法少女が追い出されて、怪人の被害が拡大して、終末の悪魔がこの地を侵略すると宣言してきて、今さら声をあげたわけですよ。助けて魔法少女!」
最後だけ裏返った声で叫んだ柊くんは、勢いのままグラスのお茶を飲み干した。
天を仰いだまま戻ってこない柊くんの喉仏辺りを眺めながら、口を開く。
「君、私を呼び戻しにきたんじゃなかったの?」
かつて私を担当していたマネージャーとして、上司から仕事を任されているはずだ。本人も先日、電話口でそう言っていた。覇気のない声ではあったが、言葉だけは額面通り社会人のものであった。
それが今はどうだ。話すや否や愚痴、不満、現実語り、狂った叫び。
目の下の隈は色濃く、頬はやつれ顔色も悪い。スーツはしわしわで、実年齢より老けて見える。
あの正義感あふれる夢見がちな好青年の姿は、今や見る影もなかった。
「元々諦めてましたよ、そんなこと」
柊くんはゆっくり顔を前に向けると、幾分か落ち着いた声で話し始めた。
「というか、どんな顔して戻って来てほしいなんて言えますか。当時のアイドル人気を優先して、実際に現場で活躍していたあなたを追い出した俺達が」
「君は守ってくれようとしたじゃない」
「結果がともわなけりゃ一緒ですよ」
柊くんは自嘲気味に笑うと、しばらく俯いて黙り込んだ。
空っぽのグラスが気になったので、冷蔵庫からお茶が入ったピッチャーを持ってくる。ヤカンで沸かしたちょっとお高めの麦茶だ。
注いであげると、俯いたままお礼を言われた。律儀なところは変わっていない。
一緒に持ってきた一口チョコレートも目の前に置くと、再びお礼を言われた。手に取る気はないようだ。
キャンディのように左右をねじられた包装を開いて、口に放り込む。安っぽいけど安定感のある味だ。昨日柊くんが家に来るとわかってから、買いに行ったものである。
「まぁ確かに、当時は私もやさぐれたし恨んだよ。でもほら、結果的に若者の未来は守られたわけだしね? 私ももう二十五だったし、魔法少女としては若くなかったからねぇ。未来に託すという意味では、ある種の正解だったと思ったり思わなかったり」
柊くんは乾いた笑いをこぼした。唇の右端だけを器用に吊り上げて、ひくひくと頬を動かす。
「ヒカリさんが守った若者は、今キャバクラで働いてますよ」
カヲリちゃん、だったか。
四年前、一週間だけパートナーを組んだ新人だった。顔が可愛くて、SNSのフォロワー数が多いという理由で採用された、十六歳の現役女子高生。
当時は魔法少女飽和時代と呼ばれていて、とにかく魔法少女の差別化が必須だった。歌が上手い、トークが上手い、顔が可愛い。魔法少女がタレントのように扱われ始めたのは、この頃である。
昔からメディアに出る魔法少女もいるにはいたのだが、あくまでも平和を守る魔法少女としての役割で出ていた。
それがいつの間にかタレントのように、アイドルのように、女優のように扱われ始めた。志望動機がドラマ出演だと公言する子もいたくらいだ。
当時在籍していた会社では、そういったメディア向けの魔法少女が少なかった。
魔法少女に必要なのは、強い意思と高い戦闘能力、死の恐怖にも怯まない心だ。
そう言っていた先代の社長がポックリ逝って、次に社長に就いたのがその息子だった。
彼は決して無能ではなかった。他の会社に遅れをとらないように、様々な策を練っていた。魔法少女を支える人間ではなく、ビジネスマンとして。
彼はビジネスマンとして、当時必要なものを選んだだけだ。
「あの女、けっきょく前線では役立たずで、怪人は一人も倒してないんですよ。ただギャーギャー喚いて終わっただけ。それに性格も悪かったから、他の魔法少女と揉めまくりました。揉めに揉めて、勝手に辞めて、YоuTubeで小遣い稼ぎし始めたけどそれも上手くいかなくて、今はセクキャバ勤務です」
詳しいね、と言おうとしてやめた。柊くんは、カヲリちゃんのマネージャーも兼務していたのだ。
そりゃ詳しいことは知っているし、どうにか良い結果に結びつけようと奮闘したのだろう。全て徒労に終わり、無力感に苛まれたに違いない。
励ましの言葉も何か違う気がして、別の方向に話を振った。
「ええーと、そうだ。アサカちゃんは元気にしてる?」
アサカちゃんとは、私のことを憧れだと言ってくれた二つ下の後輩だ。屈託のない笑顔とは裏腹に、戦闘時には誰よりもクレバーに動いていた。
「亡くなりました」
「え?」
「すみません、守秘義務で言えなくて。一年前の新世界襲撃で、たくさんの人を守って亡くなったんです」
記憶に新しい事件だ。大阪の新世界と呼ばれる下町で、大量の怪人が発生。死傷者十六名となったこの事件は、しばらく世間の話題を占領していた。
この悲劇を食い止めることはできなかったのか。神妙な顔で話すニュースキャスターを見ながら、私は思っていた。
被害が拡大しなくてよかった、と。
もちろん十六名は、少ない人数ではない。いや、例え一人であろうと、傷付いた人や亡くなった人がいる以上、よかったことなど一つもないのだ。
何人で済んでよかったと、そんなふざけたセリフを言う魔法少女はまずいない。
だが、想定した被害人数でなかったことは事実だ。
夏休みの観光地に大量の怪人が発生したとなれば、数百人の被害者が出てもおかしくなかったはずだ。
それが十六名で済んだのは、魔法少女が被害を食い止めた証拠だった。
すぐに大勢を派遣できたのか、偶然近くに複数の魔法少女が待機していたのか。今の今まで、私はそんな風に思っていた。
「当時、偶然周辺に待機していたアサカさんが、三十分以上一人で持ち堪えたんです。援軍が来たあとも、自分が引くわけにはいかないと戦い続けました。その時点でボロボロだったのに」
柊くんの声はひきつっていた。鼻をすすり、目の縁が潤んでいるのがわかる。
それでも決して、言葉が途切れることはなかった。
「む、無理矢理にでも止めておけばよかったんです。脅すでも何でもして、これ以上戦わないでくれって」
後悔はいくらでも襲ってくる。柊くんは今まで、何度襲われてきたのだろう。何度戦い、敗北してきたのだろう。
「アサカちゃんのマネージャーだったんだ?」
優秀な魔法少女には優秀なマネージャーがつく。柊くんはうんと成長したらしい。
ずずっと鼻をすすり、目元を雑に腕で擦ってから、彼は強く頷いた。
「はい。とても素晴らしい、尊敬できる、最後の魔法少女でした」
最後の、という言葉を強調して言う。もうまともな魔法少女は、残されていないということなのだろう。
だから今、世間の人々は助けを求めている。一度は追い出した魔法少女に、戻ってくるよう懇願している。
「ヨシノさんもミズキさんもノノカさんも、もういません。追い出されたり辞職したりで、正しい魔法少女はもう誰もいないんです。終末の悪魔なんて来なくても、いずれ人類は終わるんですよ」
グラスに指先だけかけた柊くんが、皮肉じみた顔で言う。
私は一つの言葉が気になって尋ねた。
「正しいって、また妙な言い方するね」
「思いませんか? 正義を誓い、平和を愛し、自己犠牲も厭わず戦い続ける。それが正しい、魔法少女としてのあるべき姿ですよ」
時代は変わる。暴力で解決するなと私達が追い出されたように、魔法少女の在り方も変わるはずだ。私は柊くんの意見を否定した。
「それは君の主観でしょ。特に自己犠牲の部分ね。誰もがそんな高尚な精神持ってないよ。私だって持ってなかったし」
そりゃ戦いもしたし危険な目にも遭ったけれど、死んでも構わないと思って戦場に立ったことは一度もない。自己犠牲など、そう容易くできるものではないのだ。
だが柊くんはそれに答えず、微笑みだけを返した。馬鹿にしたような笑みではなく、安堵したような、懐かしむような笑い方だ。
「俺ね、いろんな魔法少女の方を回ってきたんです。上司の命令ってのもあるんですけど、俺自身が会って話したかった。謝りたかったし、お礼を言いたかった。はなから引き戻すつもりなんてありませんでしたよ」
かつては力を抜くという言葉をサボりだと思っていた若者が、随分と狡賢くなったものだ。相槌を打ちながら、柊くんの話に耳を傾ける。
「ただ中には、こんなの引き戻したところで何もできないだろって奴もいました。カヲリさんとかね。俺、名前を聞いたとき思わず聞き返しましたもん」
「どうしたの?」
「会いに行きましたよ。上司曰く、いないよりはマシだそうです。さっき怪人は一人も倒してないって言ったんですけど、公式記録では十三体倒したことになってるんです。まぁ全部パートナーの実績で、カヲリさんはあっても意味のないサポートをしただけなんですけど。記録には残ってますから」
柊くんは、それからまたしばらく黙り込んだ。じっとテーブルの木目を見つめている。四十秒ほど経ち、再び話し始める。
「あの人、もうあんな怖い思いはしたくないって言ったんです」
ぎゅっと唇を噛んだのがわかった。血が滲みそうなほどに自分を傷付ける理由は、私にはわからない。
「あのおばさんに頼みなよって」
そこまで言うと柊くんは下を向いた。太腿に爪を立てているのが見える。口内は鉄の味がしているのかもしれない。
「おばさんねぇ。まぁ確かに若い子にとっては、おばさんになるか」
面と向かって言われてないが、恐らく当時も陰でおばさんと言われていたのだろう。
「俺、聞いてやったんですよ。顔の傷は治りましたかって。なのにあの人、何のことだか忘れてました。あれだけ大騒ぎしたくせに、ヒカリさんを追い出した理由なんて、もう覚えてなかったんですよ」
カヲリちゃんにとっては二度目の戦場だった。
たいした現場ではなかったが、同時に別の場所で強力な怪人が出た。目の前には弱い怪人が一人。無理はしないようにと言い残して、私は一人別の現場に飛んだ。
カヲリちゃんは顔に怪我を負い、泣き腫らし、先輩が自分に仕事を全て押し付けたとSNSで発信した。それが事の顛末だ。
「悔しくて情けなくて……俺、何やってたんだろうって。ヒカリさんもアサカさんも守れなかったくせに、何で自分はまだここにいるんだろうって」
今でも時々思い出す。匿名の誹謗中傷メッセージ、イタズラ電話、当時住んでいたマンションに群がるマスコミ、扉の落書き、仕事中の罵声。どれも嫌な思い出だが、トラウマというほどではない。
誕生日に遊びに来た遊園地で怪人に襲われたユウナちゃんや、結婚を間近に控えていたスズコさん、志望校に合格した当日に瓦礫の下になったナオトくん。彼ら彼女らを助けられなかったことに比べれば、何のことはない。
助けられなかった人達のことは、今でも時々夢に見る。今の柊くんの夢に出てくるのは、私達なのだろうか。
柊くんはまだ俯いていた。鼻をすする音が、やけに大きく聞こえる。
苦しむ彼を救う言葉一つかけられない私は、きっと魔法少女失格だ。
「皆は何て言ってたの?」
この重苦しい空気を変えたくてやっと出てきた言葉は、あまり頼りにはならなかった。
どう話題を振っても暗くなる気がする。だけどかつての戦友達の名前を聞いて、懐かしくなったのも事実だ。
死を目前に戦ったあの日々を、決して美化するつもりはない。それは皆も同じはずで、だからこそどんな返事をしたのか知りたかった。
柊くんは未だに声を出すのも苦しそうだったけれど、俯いたまま話してくれた。
「皆さん、魔法少女として復帰するつもりはありませんよ」
まるでそれが喜ばしいことのように、柊くんは話す。対して私の胸に広がった感情は、相反するものだった。
落胆、いや、失望か。私は今、失望している。
「それでいいんです。無責任な大衆の呼びかけに応じる必要なんかありません。むしろもっと怒るべきなんですから。今まで散々利用してきたくせに何を今さらって、もっと怒っていいんです」
そこまで言うと、柊くんは勢いよく顔を上げた。その目は涙ぐみ真っ赤になっていたけれど、強い光が宿っている。覚悟の目だ。
私はこれと同じものを、幾度か見たことがある。
「だからヒカリさんも、罪悪感なんて抱く必要はありません」
柊くんの言わんとしていることがわかって、私はゆっくりと頷いた。
そうだね、と肯定してから、彼が言葉を続ける前に付け加える。
「だけど私は魔法少女だから、きっと戦うよ」
柊くんの目が大きく見開く。先程の揺るぎない光は、畏れと不安に苛まれ消えかかっていた。彼の動揺が手に取るように伝わってくる。
柊くんは、私の口から「戻らない」と聞きたかったのだろう。私だって本当はそうしたかった。今でも後悔しているし、言葉を撤回したい気分だ。
それをしないのは、今でも夢に出てくる誰かがいるから。
助けられなかった人々を、助けることができた皆を、共に戦った仲間を、死闘を繰り広げた敵を、私は今でも忘れられない。
きっと私は、死ぬまで魔法少女のままだ。
「たった一人で?」
柊くんが恐る恐る聞いてくる。
どうか否定してくれと願っているのが伝わってきた。けれど私は、彼の期待には応えられない。
「たった一人で」
「勝ち目がなくても?」
「勝ち目がなくても」
「死ぬかもしれませんよ」
「そうだね」
そこで私は目を閉じて、かつての私を思い出す。
お腹に穴を開けられたとき、目を潰されかけたとき、精神攻撃を食らって、三ヶ月立ち直れないときもあった。
あんな思いは二度としたくない。死にたくない。
そういうことを改めて認識し終えてから、私は言った。
「でも、戦うよ」
柊くんは静かに涙を流した。今や瞳に、あの強い光は宿っていない。代わりに差し込んだ柔らかな光は、マネージャー時代のものによく似ていた。
柊くんは、私が知る誰よりも、魔法少女を誇りに思っている。
「そう、ですか」
静かな呟きはほとんど聞こえない。それでもその言葉が、私達の決別を表したことだけはわかった。
立ち上がり、頭を下げる彼に手を差し出す。柊くんは受け取ろうとしなかったけれど、私は無理矢理、彼の右手をとった。
弾かれたようにこちらを見た柊くんに、最後の言葉を伝える。
「ありがとう、呼び戻しに来てくれて」
柊くんは泣きそうに笑っていた。
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