心霊事故物件
重土 浄
第1話 「その和尚、素人につき」
大氷河期世代に訪れた未来は、
大自決世代だった。
日本における賃貸住宅の3割弱が
「事故物件」となった近未来
玄関に溜まった山盛りのゴミ袋を超え、和尚は室内に入った。
世帯主が亡くなってすでに一ヶ月が過ぎているのに、内部の家具はそのままだった。これは家主が何度も送り込んだ清掃会社の作業員が、作業もそこそこに逃げ帰ったという事であり、この「事故物件」の厄介さを物語っていた。
2K、一人暮らし、家賃5万の安アパート一階角部屋、日当たり悪し。
詳細は聞いていないが、天井にはロープを引っ掛けれるようなものがないから、薬を使ったのか。今や薬局で睡眠薬を大量に購入することに制限はない。パチンコの換金以上に合法行為だ。
遺体の見つかった部屋だけは比較的綺麗に片付いていた。
和尚はその袈裟姿に似合わない大きなバックパックを開き、仕事道具を部屋に並べ始める。
まず紫色の座布団、続いて携帯電話、タブレット、4つのゲーミング仕様のLEDがついた縦型スピーカー、音楽に合わせて光が動くLEDミラーボール。
そしてペットボトルの水。
和尚は座布団を部屋の中心に置く。部屋の四方にスピーカーを配置し、タブレットとの無線通信の接続をチェックし始めた。
「ピキッ」
和尚の背後で音がした。
部屋には誰もいない。
隣と上の住人は、もう逃げ出して住んでいない。
「パキッ」
また音。一度目より大きい。
ラップ音とは、気温の変化により起こる建材の伸縮によって発生すると言われている。
「バキッ」
連続して、音は大きく、連続して鳴った。人為的であることを示すかのように、
超自然的現象が、この部屋で起こり始めている。
和尚は背後の異変を感じながら、おおきくため息をついた。
「退屈である」と背中で示したのだ。
窓の外は重苦しい雲が空を隠している。世界全体が色彩を失っている午後、準備を終えた和尚は座布団の上であぐらを組んだ。
タブレットの画面をクリックすると、スピーカーからワイドな音が流れ出す。
「チーーーーン」
お経の開始を知らせる鐘の音が静まった空間を貫く。
和尚は孤独に自害した男の部屋で、読経を開始した。
その声は小さいが経験と修行に裏打ちされた・・・
男が手に持つタブレットには音に合わせて「歌詞」が流れていた。
お経が、カラオケの歌詞のように流れていたのだ。それを音読しているだけの和尚。
和尚は若い男性で、剃髪もしていなかった片側を剃り上げたツーブロックモヒカン。
まるで権威というものがなかった。
「バン!」
壁を叩くような激しいラップ音。周辺に住人などいないのに、壁や天井が何度も打ち鳴らされる。
しかし、若い和尚の声は低く小さいままで、揺らぎがなかった。再生されている木魚の音のリズムも、当然変わらない。
和尚がタブレットをいじると、木魚のリズムが変わる。ビートが早まった。
木魚が、刻み始めた。
読経も合わせて早まる。言葉と言葉の間隔が狭まり、音と韻が結ばれる。
読経が変質を始め、和尚の肩が揺れ始める。
「キンッ」
空気が弾けたような音と、壮絶な耳鳴り。
部屋の主…現在の部屋の主と言うべき存在が、より高度な攻撃を仕掛けてきた。
スピーカーの音は遠ざかり、和尚の喉から空気の排出が止まった。
部屋の主、この賃貸物件を「事故」らせている存在が、隠れていることをやめた。
幾度もの清掃作業を中断さた「霊的現象」が再度、起こりはじめた。
ノイズのような黒い闇が、隅々から部屋の中に這い出してくる。男の遺体は無縁の仏として焼却された。その燃えカスの小さな灰が、安いアパートの隙間を通って部屋の中に入ってきた。
灰が部屋の中央に集まり、かつての姿を取り戻そうとする。だが灰ゆえに空気のゆらめきにすら負け、形は常に崩れ続ける。
人間サイズの黒い紙人形が和尚の前でじわじわと立っていた。
黒いこの部屋の主が和尚の前に立つ。
黒い体の頭部には、もっと暗い二つの黒。その二点の丸が目のように、凍りついた和尚を見下ろしていた。その黒いノイズの塊の顔には満足げな雰囲気すらあった。
この部屋の事故を帳消しにするために派遣された和尚。その「浄化作業」である読経も恐怖のために止まった・・・
そう思えた時、
スピーカーのLEDが輝き出す。七色のド派手光線が部屋を染めた。
LEDのパーティーライトが後光の輝きのように、部屋を照らし出した。
スピーカーから発射された音は、それまでの音量とは比較にならない、人の耳を破壊するレベルの、ライブ会場の音だった。
ドコドコドコドコ
ドラムのように叩かれビートを刻む木魚。
聴衆の意識を奪い取る鐘の乱打。
蘇ったかのように立ち上がった和尚。
霊の顔面の前には、生者の輝きにあふれる、パフォーマーの顔があった。
「ナァーーーーーー!」
和尚のシャウト一発。
霊の顔面が濡れた紙のように波打つ。
再び「読経」が始まった。
それまでの手加減されたお経ではない
宗教に対する敬意ゼロのアレンジがバリバリになったサウンドとヴォイス。
なにかにつけシャウト、韻を踏んではジャンプ、聴衆である霊を挑発しダイブする。
スピーカーから流れる大音量は町内を騒がし、大家の評判をさらに悪化させた。
LEDは命の光を放ち、和尚は汗とツバを飛ばし、残った家具を蹴飛ばしては家具を粗大ごみに変えた。
それは「事故物件」の解体作業。
霊に対して「ここはお前の場所じゃねぇ」と宣言する行為。
光と音の洪水読経で「霊が出る」にはふさわしくない場所を一方的に作り出す。
「場違い」の誘発。
場の主導権の奪回。
それがこの御坊のやり口だった。
音楽が消えた時、その部屋に流れる空気は先程までの陰鬱なものではなく、清々しく清らかな、売れないバンドメンバーの部屋のような空気になっていた。
霊の存在など、まるで感じられなくなっていた。
「うるさいから引っ越します」
そう言い残して去っていった隣人のように、霊はこの世から消えていた。
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