第67話 ルークの決意
長い間、世界情勢に大きな変化がなく、安定した世で起きた我が国での聖女引退劇。
それは世界に知られることになり、あらゆる均衡の上で成り立っている国家間の力関係にも少なからず影響することになるだろう。
北方の国が他国を巻き込んだ内乱状態であるとの報告と、ジルフィード家の嫡男に第一子が産まれたとの報告が上がったのはほぼ同時だった。
北の情勢についてはまだ把握しきれていないものの、もし報告通りであれば早急に対策を考えていかなければならない。
そのことでグライアム侯爵が直々にディノを現地に派遣したいと申し出てきたときには、息子を直接出すつもりなのかと驚いた。それと同時に、友であり優秀な人材でもある彼を向かわせることに抵抗を感じたことは正直なところだ。しかし話し合いを重ねた結果、やはり彼が適任であるということで、つい先日この国を旅立っていった。
「ルーク、明日はジルフィード家から正式な跡継ぎ誕生の挨拶があります。エイデンと会うのも久しぶりになりますね」
今では私の側近となっているユウリがそう話しかけてくる。
「そうだな……ディノも、エイデンとマリーの子供の誕生を楽しみにしていたから、それを待たずに出発となってしまったのは残念だ。ところでユウリのところは子供が生まれてもう一年になるだろう。ジュリアもライラが主催する茶会に顔を見せるようになったようで安心したよ」
元平民だったジュリア。後に子爵の養子となり、そして今はユウリ=マルティウスの妻として昨年男子を出産した。
「今は以前にも増して元気を取り戻していますよ。子をお腹に宿している時も力が有り余っていた様子でしたから」
なんとなく想像がついて頷いた。そして話はそのまま私の子供へと話題が移り、近々行われる息子ラスターの三歳を迎える儀式について話をした。
王太子の第一王子として光の精霊殿で祝福を受け、ここまで無事に育ったことへの感謝を示す大切な式典だ。その事について簡単な確認をして一旦話を終わらせた。
翌日、王宮に出向いたエイデンと久しぶりに対面することになった。
謁見の間で父国王の前に跪き、嫡男誕生の報告を上げる。引き締まった面持ちで口上を述べる姿は、記憶にあるエイデンの姿よりも精悍に見えた。子を持つ親となったことで、彼も色々と変わったのかもしれない。そんなことを思いながら後に別室で彼と話をすれば、相変わらずの口数の多さに思わず苦笑してしまった。
こちらが尋ねる前から、エイデンの身の周りの出来事を色々と聞かせてくれる。最近のジルフィード家のこと、出産後のマリーのこと。産後間もないということでまだ体調が戻っていないようだが、とりあえず心配はないらしい。
「俺らの世代は猶予も無くて引継ぎもない状態だったから、ライラとマリーとジュリアは本当に負担が大きかったと思う。それを少しでもいたわれていたらいいんだけどね」
エイデンはそう言って口を閉じた後、少し間を開けて私の方を見た。
「ルークは、ミラ様のこれからをどう考えてる?」
以前から聞きたいと思っていたことなのか、思いついたような言葉ではなく静かにそう尋ねられた。
「俺はルークの置かれている環境に気付かなくて、話を聞いた時には驚いたよ、そんなことがあるのかって。俺は小さい頃に実母を亡くしてから後妻が入ったけれど、彼女は他人だったから俺への無関心さなんて気にならなかった。寂しくはあったけどね。でもルークのそれは全然違う」
そう言って声を沈ませる。
「俺が口出すことじゃないことはわかってるよ。でも、マリーが産んでくれた俺達の子を初めて目にした時、なんだか言葉にできない色々な思いが溢れてきてさ。……別にミラ様を許せとかそういう話じゃない。ただルークが抱えてきたものをどこかで下ろすことができるなら、それはルークの為でもあると思って」
そう話したエイデンはどこか気まずい照れがあったのか、すぐに話を切り替えた。
「それにしても、ディノが遠征に出るとは驚いたよ。話によるとあいつも乗り気でいたらしいけど」
「……そうだな。私の方は渋っていたのに、彼はすでに楽しげに準備を進めていたらしい」
「うわー、それ目に浮かぶ」
そんな他愛のない話をしばらく続けた後、私はエイデンの先程の言葉に自分の気持ちを伝えた。彼は頷き、手を振って去っていった。
自分の中でどう扱っていいか分からずに持て余していた思い。そろそろ整理をしなければならない時期にきているのかもしれない。
これから一国を背負う者として。そして子を持つ親として。
私はライラに息子の式典について相談をした。そして彼女から了解の言葉をもらった後、父とも話し合い一部変更することに決めた。
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祝賀式典を行うには絶好の晴天日和となった今日、多くの人が見守る中、ライラは正装に身を包んだラスターに優しく声を掛けた。
「ラスター、ここに帰ってくるまで一人でしっかり歩くのよ。今日は立派になったあなたを精霊様がお祝いしてくれるの。立派な姿を皆に見せてあげましょうね」
渡り廊下に立つ小さな息子をそう言って励ます。三歳の子供にとって、これから長い時間を歩くことはなかなか大変なものだ。
私にもその儀式のことはうっすらと記憶が残っている。父と母に挟まれ、同じように歩くことを促された。もしここを立派に歩くことができたら母は喜んでくれるだろうかと、そんな期待を抱いてこの日を過ごしたような憶えがある。
式典では父も母も褒めてくれた。母のそれはおそらく外面でしかなかったのだろうが、それが強く印象に残るほど幼い私にとって嬉しいものだったのだろう。
「おとーたま、おかーたま。いってまいりましゅ」
きりっとした顔で私を見上げる姿に、何かに胸がこみ上げる。先導する守護司に従って一人で歩き出し、そのあとに私とライラがついて歩く。胸を張って歩く後ろ姿が、小さいながら頼もしく思えた。
祭壇の間で、精霊の加護を授かる儀式を滞りなく終えると、次は庭園を周るパレードを行う。王宮に仕えるものが表に出て立ち並び、彼の成長を祝う。
しかし本来ならば宮殿前の庭園で行われるものを、今回は精霊殿の後ろの庭園を周るように変更した。その庭園の外れには、貴族の罪人を幽閉する別棟がある。そこから見えるであろう場所を行進するよう決めたのだ。
私がそれを提案した時、ライラは大きく頷いて賛同してくれた。父国王もそうしてくれると嬉しいと涙をこぼしたのを見て、この案は間違ってはいないのだと自信を持った。
あの日、ライラをあの部屋から連れ出して以来訪れることのなかった罪人部屋。最後にあの人を見たのは、錯乱したように暴言を吐く姿だった。
それから少し経った後、二十年前の出来事と真相を知り、私は言葉を失った。
あまりに残酷で、そして馬鹿げた話に笑うしかなかった。人一人の命を掛けた呪いが呪いではなく、簡単に消せるほどの弱い魔法だったこと。そんなものに踊らされて狂わされた私たちの人生は何だったのかと。
それからの母の報告は事務的に受けた。酒の量が増え、酔いつぶれる日が続くと聞けば制限を設けた。
そうすると一日中泣いて過ごすようになり、ベッドに潜って突然奇声を上げたりと、平常心が保てない様子が続いていたらしい。
私はそれに対しても淡々と報告を聴いた。しかし父はそれらの内容に参ってしまったようだった。私にとっては辛い記憶の母だとしても、父にとっては愛する妻だったのだ。
騙されていたとはいえ、第一王子の命を狙うという大罪を犯した罪は消せるものではない。父はその処分を私に一任した。もしお前が許さないとするのならそれに従うと。次期国王で直接命を狙われた私にその権限を任せるとのことだった。
今では母も落ち着いて、静かな生活を送っていると聞く。
自分が何を思い、どうすべきか考えが纏まらないままこの日まで来たけれど、大切な息子の成長を前にしてようやく答えを見つけ出せそうな気がした。
大勢の人に囲まれ、一歩一歩足を踏み出して歩くラスター。彼にとってはとてつもなく広いこの庭園を、弱音も吐かずに行進している。
別棟近くの道を通った時、窓辺に懐かしくも胸が苦しくなるその人の姿が目に映った。長く忌み嫌われていた、私と同じ髪色を持つ母の姿。
ここを通ることは母に仕える者に知らせていたが、それをどうするかは相手に任せるつもりでいた。
彼女は窓の側に立ち、こちらをじっと見ている。そしてラスターが一番近くの道を通った時、彼女はその場で膝を崩した。
謝っているのかそれとも泣いているのか、侍女に助け起こされる姿を目にしたところで、私は目を伏せた。
パレードは無事に終わり、やりきった顔で最後の挨拶をするラスターを抱きしめ、初めてこれだけ歩いたであろう彼を休ませる。
「ルーク様……」
ラスターを部屋に連れて行ったあと、ライラが私の顔を見て不安そうな顔をしている。彼女も、先程の母を目にしたのだろう。
「ライラ。私はもう間もなく王位を継ぐことになる。その時には、父には離宮で母と一緒にのんびり過ごしてもらおうと思っているんだ」
ライラの表情がぱっと明るくなったのを見て、こちらも笑みがこぼれた。彼女は本当に昔から変わらない。
彼女がずっと母のことを気にかけていてくれたことを知っていたから、この決断を彼女に一番に伝えると決めていた。
「ありがとう、ライラ。君がいたから、私はくじけずにここまで来ることができたんだ」
私はそっと彼女の頬に手を添え、静かに唇を重ねた。
夫として、父親として、そして国王として、君と子供と大切な人たちがいるこの国を全力で守る。そしてそんな私を守り導いてくれたライラに心から感謝を伝えたい。
運命の出会いとなった、十二歳の茶会の日。初めて見た彼女の姿は、今も色褪せずに私の記憶の中に残っている。
〈~アフターエピソード~ 終わり〉
全ルートで破滅予定の侯爵令嬢ですが、王子を好きになってもいいですか? 紅茶ガイデン @kocha_gaiden
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