第19話 橘平、桜と友達になる

「さーて、八神家に向かって出発だ~!!」


 向日葵のピンクのデコ軽に乗り、4人は八神家へ向かう事になった。


 橘平は家の車に乗る癖で、自然と後ろのドアに手を触れたが「きっちゃん、助手席だよ」と向日葵に声を掛けられた。


「いいんすか隣」


「家まで案内してよ。あんま覚えてない」


「あ、そーゆことですか」


 そういうわけで、橘平は助手席、桜と葵は後部座席に乗り込む。乗り込むと桜はすぐに、大きな猫のぬいぐるみを抱きしめた。


 車が発進した。ついに3人が八神家にやってくるのだ。 


 橘平は、葵たちの考えた言い訳を頭の中で反芻する。母との会話もシミュレーションし、反応パターンもいくつか考えた。


 考えれば考えるほど、心臓の鼓動が大きく、速くなっていく。体がおかしくなりそうだった橘平は、同乗者たちに話しかけて気を紛らわそうとした。


「そーいや、後ろの二人も向日葵さんの車ってよく乗るんすか?」


「うん、私はよく乗せてもらうよ。街へお買い物行くときとか」


「そーそー、さっちゅんは私としょっちゅうドライブデートね~」


 シートにもたれかかる葵は「俺は初めてだ」と答えた。桜がちっちゃい猫のぬいぐるみを葵の膝に載せる。


「まじっすか。桜さんはしょっちゅうなのに」


「向日葵の車に乗る機会なんてないし、派手過ぎて乗りたいとは思わないし。今日は仕方ない」


「は~これだから!」


 その後の話のなかで、葵も車を持っていることが分かった。黒の車らしいが、大学生の弟に昨日から貸してしまっているという。春休みで帰省中の彼は、それで友達と遊びになど行っているそうだ。


 桜は大きな猫のぬいぐるみを抱きしめ、絶えずにこにこで橘平と話し続けていた。ちっちゃい猫のぬいぐるみを握りながら、葵が声をかける。


「桜さん、楽しそうだな」


「だって私、いままで」


 同年代の子のお家に…と言おうとして、桜は橘平が自分にとって今、どんな存在か、なんという関係が適切なのかを自身の心に尋ねた。


 心は、彼との正解の関係は分からないと答える。でも、なりたい関係だけはハッキリしていた。


 友達。


 自由な時間を与えられず、友人を作ることはとうに諦めていた。けれど、橘平なら。


 初めてのお友達になってくれるかもしれない。


 友達になりたい。


 その気持ちが自然と桜の口から出た。


「お友達の家に行ったことないじゃない。初めてだから楽しみすぎて」


 先週は初対面、昨日は八神さんから橘平さん、そして今日は「お友達」。


 橘平は耳を疑った。桜は「お友達」と言ったのか。聞き間違いではないかと。ミラー越しに、「お、お友達?お友達って言いました」と桜に確認する。


 桜は無意識だった。心の声が漏れていたことに気づき、恥ずかしさと同時に後悔も襲う。勝手にお友達にしてしまった、と。


「ごめん、もしかして迷惑…」


「んなことない!俺もお友達になりたい!だから友達!!」


 橘平が助手席から振り向き、ぐーを桜に突き出す。桜もぐーを作り、橘平にこつんと当てる。


「わーい、ねえねえ葵兄さん、私、橘平さんと友達になったよ」


 両頬がりんごのように赤く、興奮している。その表情に、いつもの「申し訳ない」感情は含まれていない。純粋に嬉しさを表している桜だった。


 葵は微かだが、とても柔らかな温かい笑顔で「良かったな、桜さん」と返した。


「うん!!」


「桜さん、めっちゃもてなすからね!お茶淹れるよ!」


「ありがと~」


 桜は猫のぬいぐるみさらに、ぎゅむむと、抱きしめる。本物の猫なら窒息だ。


「え、ってか桜さん、友達んち遊び行ったことないの?」


「ほら私は外の学校だから、帰り遅くなっちゃうでしょ。それにバイクの免許取るまでは送り迎え付きだったから」


 超能力も案外不自由だが、歴史ある神社の跡取り娘も意外と不自由。桜の発言から、橘平はそう察した。


 八神家のような平凡そのものの家より、家柄が良くてお金持ちな家の方が楽しく暮らせる。というものではないのかもしれない。教科書や本の知識が世の中だと思っていた橘平は、彼らに出会ってから知る外界の出来事が、珍しくもあり、切なくもあった。


 知らないことを知ると、視界が広がり、世の中を見る目が明るくなる。しかし、そうではない側面もあるのだった。


 わいわいと話しているうちに、八神家の敷地が見えてきた。橘平は試験直前対策のように、言い訳をざっと復習する。試験まであと1分くらいの緊張感だ。


「く、車は庭に停めてください」


 橘平の不安とどきどきはピークを突き抜けそうだ。庭には飼い犬の大豆。人間は見当たらなかった。


 軽自動車を降り、玄関へ向かう。


 さあ、弁明?いや弁解?弁論か?と橘平は半分混乱しながら玄関を開けた。


「た、ただいまー!」


 若干声が裏返り、恥ずかしさも加わったためか、母が出てくるまでの時間が長く感じた。


「おかえり」


 実花が居間の方から現れた。彼らが目に入った途端、ピタリと動かなくなる。


「こんにちはー!息子さんのお友達デース!お邪魔しま~す」


 いの一番、背景に南国の花が見えるような明るい声で向日葵が挨拶する。続いて、桜、葵も挨拶した。


「……お、お友達?おおおお、お友達連れてきた?」


 やはり、今まで見たこともないタイプの「お友達」に、母も驚いたようだ。


「あああああ、う、うん、この人たちは」


「ど、どどど、どうぞどうぞ!上がってください」


 ごゆっくりー!と、母親は慌てた様子で居間に消えてしまった。


 身構えていた橘平は、拍子抜けだった。


「あ、じゃあどうぞ…」


 心臓が、頭が、破裂しそうなほど悩んだのは無駄だったらしい。普段から子供に深く介入しない親だが、それをより理解した橘平であった。


「言い訳の必要なかったな」


「いきなりお部屋行ってだいじょぶ?」


「え、なんで?」


「男子特有のヘンなもん置いてあったりしないの~?お掃除してきてもいいよ~?」


「期待してるよーなもんはありませんからっ!どうぞ!」


 つまんなーいとヘラヘラ笑いながら、向日葵は靴を脱いだ。


◇◇◇◇◇


 地区の集まりから帰って来た橘平の父、幸次は、庭に停まっている車を見て「お?」と足を止めた。


 ピンクのキラキラした車。幸次が毎日、職場の駐車場で見かけているものだ。


「うっそ、向日葵ちゃん?うちに来てるの?何用?」


 玄関を開けると、見慣れない靴が3足あった。


 橘平の足のサイズより大きいメンズスニーカー、小さめの運動靴、そして蛍光ピンクにリボン風のシューレースがついたスニーカー。幸次は確信した。3人の客人のうち一人は向日葵だ。


 居間では、実花がテーブルに折り畳みの鏡を置いて化粧をしていた。鏡にぶつかるほどの至近距離に自分の目を写し、アイラインを引いている。


 向日葵はここにいない。ということは2階、つまり子供たちといるのだろう。そう幸次は推測した。


「見たことない靴あるけど、誰か来てる?」


「まあ」


「金髪の女の子いた?」


「うん」


「橘平?柑司?」


「ぺー」


「へーあの子と友達だったのか。意外だなあ」


 向日葵と息子の関係を意外に思いつつ、あと2足も橘平の友達だろうと、幸次はそれ以上興味を持たなかった。


「ねえ、コーヒー飲みたいなあ」


「自分でやって」


 普段であれば、外から帰ってきてお茶を頼むと「はいはい」と淹れてくれる実花。今日は様子がおかしい。


 まず、出かけないのに化粧をする妻の姿を幸次は初めて見た。「家と近所はノーメイク。なんなら親戚の集まりだってそうしたい」の彼女が、幸次がいままで見たこと無いほど、必死に塗りたくっている。むしろ怖い。若いころ、幸次とデートする時ですらきっと、こんなに頑張ってメイクしていたとは思えないほどm力が入っている。


「…お化粧してどっかいくの?」


「は?!行かないけどお!?家の中にいるときは化粧しちゃいけないの!?」


「ああ、いや、いいと思う…」


「もー、話しかけないで!手元狂う!!失敗したら幸次のせい!!」


 実花が夫を呼び捨てするとき。それは、怒り、腹立ち…。


 触らぬ神に祟りなしと、幸次はとぼとぼと、台所へ向かった。


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