路傍の貴石の花嫁修業

カワナガ

第1話 葉桜の季節に、君と出会う

 鼻孔をくすぐる柔らかな香りは、春のうららかな日射しの中を揺れている草花の匂いか。

 それとも、肩のラインで切り揃えられた髪を小さく揺らしている彼女のものか。


 校舎から外に出たばかりの僕は、眩しさに思わず目を眇める。


伊吹いぶきくんってさ。女の子っぽくない、男勝りな性格の女子は嫌いだったりする?」


 僕をその場に連れてきた彼女は、こちらを振り返るとそんな問いを投げかけた。


 はきはきとした喋り方は快活な性格を表わしているように思う。

 すらっとした体型は短めの髪も相まって、活発な印象を与えてくる。

 男勝りな女子という表現はまさに目の前の彼女にぴったりなように思えた。

 太陽の下で笑う姿が似合うだろうな……。

 そんな彼女の口元は、少し照れたような、そして少し不安げな笑みを浮かべていた。

 僕も小さく笑って返して、彼女の問いかけに答える。


「そんなことは断じてないさ。お淑やかな子も好きだけど、元気な女の子も同じぐらい魅力的だ。人にはそれぞれの良さがある」


 それは嘘偽りの無い、本心からの言葉だ。

 女の子はみんな違ってみんな良い。


「それじゃあさ。……伊吹くんは、私みたいな女子も可愛いと思ってくれるって、受け取っちゃっていいのかな」


 穏やかな陽の光に照らされた彼女の頬はほんのりと赤みが差しているようで、僕は彼女の言葉に胸が大きく高鳴るのを感じた。


「もちろん。実際、君は可愛い。こうやって話しができて光栄だよ。こんなところを他の男子に見られたら、嫉妬されるだろうね。構わないけど」


 僕がそう答えると、彼女は声を上げて笑った。


「あはは、褒めすぎだよ、恥ずかしいな。お世辞にしても、限度ってものがあるんだよ?」


 目尻を指で擦りながらそう言う彼女に、僕は軽く頭を掻いた。


「お世辞を言ってるつもりは無いさ。嘘だと思うなら、確かめてみればいい。僕が君に、どれだけときめいたのかを」


 僕はそう言って、持ち上げた右手首に巻いてある腕時計型の端末を指差した。

 その動作に、彼女は半信半疑といった表情で懐から小さい端末を取り出す。

 そしてそのディスプレイを見て、目を見張った。


「えっ、うそ!? この一瞬で一五〇〇ポイントも……!?」


 そんな彼女の驚きに僕は若干気恥ずかしさを覚えながら、


「信じてもらえたかな」


 取り敢えず笑顔を浮かべてみた。


「う、うん。すごいなぁ伊吹くん。やっぱり噂は本当だったんだ」

「僕がすごいわけじゃない。君がそれだけ魅力的なんだ」

「やめて! お世辞じゃないとしたら、余計に照れちゃうから!」


 そう言って恥ずかしそうに両手を顔の前に突き出す彼女。

 そんな仕草が余計に僕の心を刺激する。

 彼女のディスプレイに表示されている数値も跳ね上がったことだろう。


 そしてそうであるなら、僕が彼女についてきた目的も果たされたというものだ。


 そろそろ休み時間も終わる頃合いだし、ここいらで校舎に戻った方がいいかもしれない。

 僕がそんなことを考え始めていると、彼女がぽつりと溢すように言った。


「でも本当にすごいなぁ……。ちょっとお話ししただけでこれなら、もっと仲良くなれたら一体どうなっちゃうんだろう」


 そして彼女は意を決したように、真っ直ぐな視線をこちらに向ける。


「ねえ伊吹くん! もし、もし良かったら、試しに私と――」

「――ごめん、ちょっと用事思い出しちゃったから、先に戻るよ」


 何かを言いかけた彼女を制して、僕はそう言った。

 言葉とは、一度口にしてしまうと無かったことにするのは難しい。

 だから大事なことを言う時は、その前によく考えるべきだと僕は考える。

 はっと口を噤んだ彼女に、僕は続けた。


「ごめん、良ければまた誘ってよ。お喋りぐらいならいつでも付き合うからさ」

「う、うん。……ありがとね、伊吹くん」


 照れ笑いを浮かべる彼女に手を振って、僕はその場を後にした。


 校舎に入り、特にどこへ向かうでもなく歩みを進める。

 用事を思い出したというのは真っ赤な嘘だ。

 そろそろ次の授業の予鈴が鳴るだろうが、真っ直ぐ教室へ戻るような気分でも無かった。


 いきなり話を切り上げて、悪いことをしただろうか。


 彼女とのやり取りを思い返す。

 白い陽光に包まれた穏やかな時間。

 頭の中で鮮明に思い描けば描くほどに、鼓動が早くなるようだった。少し体温も上がっているように感じる。

 ちょっと女の子と会話をしただけでこれだ。

 我ながら、自分の身体の素直さがおかしくなる。


 それにしても――


「――あーあ、可愛い女の子だったなぁ」


 小さく溜息をついて独りごちる。

 校舎の窓から見える空は、痛いほどに眩しかった。


     ◇◇◇


 男性が女性に対して感じたトキメキをエネルギーに変換する。

 日本の科学者が十年程前に提唱したTOKIMEKI Conversionシステム――通称TCシステムは世界に四度目のエネルギー革命をもたらした。


 戦争や不況、資源の枯渇などから化石燃料の使用が控えられていた世界で、あらゆるエネルギーに高効率で変換できるトキメキエネルギーはすぐさま注目を集めた。

 発電所のような大きな設備も必要無い。

 トキメく男とトキメかせる女がいればそれでいい。

 再生可能で超絶クリーンなエネルギー。

 各国がその開発に心血を注いだ。

 そしてそれまでエネルギーを他国からの資源に頼っていた日本は、中でも特に早い段階からTCシステムの研究開発に取り組んだのだ。


 逼迫する国のエネルギー事情を改善する為の、起死回生の一手。

 この国立高緑高等学校は、その一環として設立された教育機関だ。

 そして僕はこの春からそんな学校に入学した一年生。

 夢にまで見た高校生活を、今のところ何不自由無く過ごしている。

 むしろちょっと、出来すぎなくらいだった。


「よう三上みかみ、お前、昼休みは一体どこ行ってたんだ? ……まさかまた呼び出し受けてたとか?」


 午後の授業を乗り越えて伸びをしていた僕に、にやにやした笑みを浮かべながら尋ねてくるクラスメイト。

 彼が女の子だったらもちろん丁寧に受け答えしようという気にもなるが、残念ながらこいつは男だ。


「まあそんなとこだ」


 僕がそうぞんざいに答えると、彼は大仰な身振りと共にでかでかと溜息をついて見せた。


「はあー、流石は男子生徒一のTP還元率を誇る三上サマだ。モテモテだなぁおい」

「この学校の女子が魅力的過ぎるんだよ、僕はただ自分に素直なだけだ」

「そうは言っても、言い寄ってくる女子全員に興奮できるかね普通。タイプとかタイプじゃないとかあるじゃんよ」


 そんな彼の言葉に、僕はただ無言で肩を竦めた。


 TCシステムで最も重要なのは、男性を強くトキメかせる女性の存在である。

 それは男性のトキメキの度合いによって得られるエネルギーが変動するからだ。

 相手の言葉や仕草に興奮すればするだけ強いエネルギーを得ることが出来るのだ。


 現在、男性をトキメかせる女性のその力は、女子力という名称で呼び習わされている。

 そしてこの高緑高校は、女子力の高い女子生徒を育成することを第一の目的とした学校なのである。

 そしてそれこそが、僕が実家から遠く離れたこの学校に進学を決めた唯一にして最大の理由だった。


 可愛い女の子と思う存分触れ合える、そんな夢のような空間。

 それがこの学校なのだ。


 TCシステムを生活の一部に組み込む社会実験場でもあるこの学校では、生徒一人一人に特別な装置が国から貸与されている。

 男子生徒にはTOKIMEKI Transmitter、略してTT。腕時計型の小さな機械だ。

 そして女子生徒にはTOKIMEKI Receiver。TRというのが正式な略称だが、単にレシーバーと呼ばれることもある、スマートフォンのような端末。

 このそれぞれの装置が、TCシステムには欠かせない。


 TTは、装着している男性が感じたトキメキをエネルギーに変換する。

 そしてトキメキの対象である女性の持つTRへと伝達するようになっている。

 トキメキエネルギーの所有者はそのトキメキを感じさせた女性ということだ。

 ちなみにTRに伝達されたエネルギーはTOKIMEKI Pointとして数値化され、端末のディスプレイで確認できる。

 普通、女性が手にしたトキメキエネルギーは国に売ったり変換して家の電気を賄ったりTOKIMEKI Deviceという専用の装置を動かすのに使ったりされる。

 現在は一TP=一円で取引されていて、女子力の高い女性の中には異性をトキメかせることで生計を立てている者も少なくない。


 つまり女性にとって容易く自分にトキメいてくれる男性ほど都合の良い相手はおらず、また国としても高いTP還元率を維持できる男女の組は多ければ多いほどいい。


 そういうわけで、この学校では異性交遊が積極的に推奨されていて、女子達も自分の女子力を磨くと同時に自分の良きパートナー探しに奔走している。

 故に、女の子と恋に落ち愛を語らう甘酸っぱい青春を謳歌したいという男子にとってここは桃源郷なのである。


 だから僕はこの学校を受験した。恐らく僕以外の男子生徒もどうせ全員同じ理由だ。


 つまり、女子といちゃつきたいから。


 そういう我欲にとことん忠実な選りすぐりの男達が、ここの男子生徒である。


「というかやたら僕に絡んでくるけど、お前も彼女作ってただろ。入学して一週間で」

「おうよ! せっかく馬鹿みたいな倍率くぐり抜けて入学したんだから、特権は利用しないとな!」


 僕に対して「モテて羨ましい」だのほざいていたこいつも、こう見えて立派な彼女持ちだ。嫉妬に狂いたくなるほど良い子と付き合っている。


 ちなみにこの学校には僕達と同じような考えのアホな男子共が全国から山のように志望してくるので、入試の倍率は驚異の千倍超え。

 入学には血反吐を吐くような猛勉強と豪運が要求されるのだ。

 つまり、この学校の男子生徒達は皆、天国に到達する為に地獄を抜けてきた猛者達ということになる。


「彼女いる側の人間が羨ましいとかのたまっても、皮肉にしか聞こえないんだよ」


 僕が吐き捨てるようにそう言うと、彼は眉を顰めてこう言った。


「おうおう、俺からしたらお前の台詞こそ皮肉だぜ。『相性不問オールラウンダー』のあだ名は飾りか? お前だって、その気になれば相手なんて選り取り見取りだろうによ」


 そんな言葉に、僕は思わず顔を顰める。

 『相性不問』。

 それは入学してからたったの数日で僕に付けられたあだ名である。

 その由来は、どんな女子にもすぐにトキメいてしまうという僕の特性。


 元々僕は、相手が女性であれば最大限愛す自信がある程度には女の子が好きだ。好みも好みじゃないも無い。女の子にはそれぞれの良さがある。

 そんな性格が故だろう。

 僕はほとんど知りもしない女の子にちょっと声をかけられたぐらいで滅茶苦茶な量のTPを産出する、ボーナスキャラみたいな存在だった。


 ――今年の新入生にチョロい男子がいる。

 

 そんな噂は瞬く間に学校中に広まったらしく、付いたあだ名が『相性不問』。

 格好良いとは到底思えないけれど、他に候補に挙がっていたのが『歩く油田』だとか『自律発電機』だとか『逃げない柔らかメタルスライム』だとかだったと聞いて、今のあだ名に落ち着いてくれて良かったと胸を撫で下ろしたものだった。


 そんなわけで女性に対するチョロさが瞬く間に全校へ露呈した僕ではあるのだけれど、それはむしろ幸運だったと言っていいだろう。


 おかげで僕の噂を聞きつけた女子がひっきりなしに声をかけてくれるし、お弁当を作ってくれたりプレゼントを用意してくれたりと至れり尽くせりを極めている今日この頃。

 入学して一月で一生分の幸福を味わったかもしれない。

 これまでの人生がそれほど心躍るものではなかった分、始まったばかりの高校生活は僕の身に余りあるものに感じられた。


 けれど。

 そんな僕にも、一つ心に決めていることがある。


「本来恋人っていうのはかけがえのない存在のはずだ。ただ僕がTPを大量に生み出せるからという理由で交際するなんていうのは間違っている。それで誰かと付き合ったって、きっとその人の為にならない」


 人にはそれぞれの良さがあり、女の子にはそれぞれの魅力がある。

 だから、一人一人に相応しい相手がきっといるはずだ。

 こんな、女なら誰にでもトキメいてしまう僕のような男を選ばなくたっていいはずだ。


「第一、今のこの状況でも十二分に幸せなんだ。この上恋人までできちゃったら死んじゃうよ」


 それは割と本気の台詞だったが、彼はどうやら冗談だと受け取ったらしく、楽しそうに笑っていた。


「まあ、人生の楽しみ方なんて人それぞれだよな」


 そう知ったような言葉で締めくくって去っていく。

 僕は別に見たくもない野郎の背中を何とはなしに見送って、それから小さく吐息を溢した。


 満たされているはずなのに、心に少しわだかまりがあるような気分だった


     ◇◇◇


 六限目の授業も終わって放課後。

 どこかの部活に入ればそれ以外の女の子と関わる機会が減ってしまうのではないかという懸念から未だに部活を決めあぐねている僕は、つまり帰宅部。

 校舎を出て帰路についていた。


 漫画みたいな青春ロマンスを望む僕としてはもちろん部活という空間は魅力的だ。

 活動内容は然程重要ではなく問題は男女比。

 男の少ない部に入れば部活仲間の女の子達とめくるめく青春活劇を繰り広げることだってできるかもしれない。

 同じ目標を目指して助け合う内に、お互いの仲も深まっていく――全くもって捨てがたい。


 だが、僕はその部活仲間の女の子だけではなくて、この学校にいる全ての女の子と仲良くなりたいのだ。

 一つの部に集中している時間はあるのか?

 あちらを立てればこちらが立たない。二律背反。トレードオフ。

 世の中はそんなに甘くないということか。


 そんな風に、答えを出せず今に甘んじている内に、いつの間にか桜もほとんど散ってこの並木道のソメイヨシノはすっかり薄い緑色を纏っている。


 何かの始まりと言うには些か出遅れ感のある、そんな葉桜の季節。

 僕はその道の先に、一人の人影を見つけた。


 不意に吹き付けた風が道端の花びらと、それから彼女の長い髪を吹き上げる。

 彼女は、こちらを見ていた。

 誰かを待ちかねていたような仁王立ちで、誰かを待ちわびていたような真っ直ぐな視線を僕に向けていた。


「遅かったわね、三上伊吹くん」

「――君は」


 声をかけられ、僕は自然と口を開いていた。

 目の前に立つ黒髪の少女のことを、僕は知っている。

 言葉を交わしたことこそ無いが、知識として知っている。


 当然の事ながら僕は女子生徒の顔と名前は全て暗記している。

 ただ彼女はその仲でも特に異質な存在で、学校でも今や知らない者はいないぐらいの有名人だった。


垰止踊梨たおやめおどりさんだね。……僕を待っていてくれたのかい?」

「ええ、そうよ。……あんた、私のことを知っているのね」

「まあ、お噂はかねがね。あくまでも噂に過ぎないけどね。一度会って話をしてみたいと思っていたんだ」

「そう……。私はこんな日が来なければいいと思っていたけれど」


 目を伏せてそんなきな臭い言葉を溢した彼女は、そのあとにこう続けた。


「けれど、話が早くて助かるわ。あんたにお願いがあって、待っていたのよ」


 そう告げる彼女の顔は飾り気こそ無いものの、いくら見つめていても飽きないほどに整った顔立ちだった。

 噂通りのその容姿に吸い込まれそうになる僕だったけれど、その噂を思い出してはっと気を取り直す。


「お願いか……。もちろん、僕にできることなら協力させてもらうけど」


 注意深く彼女を見つめる僕に、垰止踊梨はこう言った。


「三上伊吹。あんた、私にトキメいてTP渡しなさい」


 びしっと音が鳴りそうな勢いで真っ直ぐ指を向けて言い放った。

 そんな彼女に、僕は思わず眉を顰める。


「そう言われてもね……。トキメけって言われてすぐトキメけるものでもないし」

「あら、そうなの? でもあんた、女子と同じ空の下で歩いているだけでトキメくんでしょ? そう聞いたわよ」

「流石にそこまで無節操ではない」


 まあ良い匂いとか漂ってきたら否めないけれど、僕にだってトキメキの限度はあるのだ。


「まあいいわ。それなら私がトキメかせてやるまでよ」


 自信満々にそんな格好いいことを言う彼女。


「そうかい? まあ僕としても、女の子が頑張る姿を見られればそれだけで有難いし――」

「黙ってなさいよ、気持ち悪いわね」

「…………」


 一蹴されて、口を噤む。

 いやあ、いくらなんでもいきなり酷いこと言い過ぎじゃない?

 そりゃあ僕は多分に気持ち悪かったけどさ。


 女の子に貶されるのは普通に傷付く。

 内心で肩を落とす僕に、彼女は続けた。


「とは言ったものの、あんたにも一応感謝しているのよ。お願いを聞いてもらえなかったら、ちょっと困ったことになっていたから」

「まだご期待に添えるかどうかはわからないけど。ちょっと今ナーバスだし」

「というわけで、プレゼントを持って来たわ。つまらないものだけど、感謝の気持ちというやつよ」


 僕の台詞は意に介さずという様子で彼女は言う。

 用意しておいた台本を読み上げているというような印象だった。


 けれどまあ、何かくれるというのならありがたくもらっておこう。

 変な気なんて遣わなくていいのだけれど、折角用意してきてくれたものを押し返すのも気が引ける。

 女の子からの贈り物には後日三倍返しが僕の信条なのでもらいすぎは破産に繋がるのだけど、可愛い女の子から何かもらえるというだけでそこには計り知れない価値があるのだ。


「はいどうぞ」


 そして無造作に押し付けられた小さな物体に目を落とす。

 お礼を言おうと口を広げた僕だったが、その品物を見て口を開けたまま固まってしまった。

 右手に置かれたのは安っぽいビニール袋で個包装された、一片数センチほどの直方体。

 コンビニとかでよく見かける、一個十円のお手頃チョコレート菓子だった。


「……お礼は?」

「ああ、うん、ありがとう……」


 彼女に催促されたお陰でどうにか礼を欠く失態は避けられたけれど、疑問はさっぱり拭えない。


「えっと、これは……?」

「あら、知らない? チルルチョコだけど」

「知ってるから疑問なんだよね」


 まさかこれがさっき言っていた感謝の気持ちというやつなのだろうか。

 別にもっと良い物をよこせと言うつもりはないけれど、それにしたってもうちょっと他にあったんじゃないか。

 バレンタインデーにクラスメイトへ配る義理チョコじゃないんだしさ。

 まあ有難いからこれはいただいておくけれども。


 とまあ、そんな指摘をやんわりと伝えてみたところ返ってきたのは、


「なによ! チルルチョコ美味しいじゃない! 私好きなのよ!」


 というキレ気味のお言葉だった。

 うんまあ、好きなんだったら仕方がないね。


「ていうかどういうわけ? 私がわざわざチョコあげたのにTPが少しも増えてないんですけど?」

「凄まれてもね。僕だって驚いているんだ。まさか女子からもらったチョコにこんなに感動しないだなんて」

「ふん、安物じゃあ嬉しくないというわけ? ケツの穴の小さい男ね」

「……ごめん、流石に初対面の女の子にケツとか言われたくなかった……」


 見目麗しい女子から唐突に放たれた下品な単語は思いの外衝撃が強く、目眩がした。


「決して女性の言動を定言命法で縛るつもりはないけれど、そういう言葉遣いは気心知れた相手に限った方がいいと思うよ。あくまでも僕個人の感想ではあるが、世間一般の感覚を持ち合わせている自負はあるので、これは社会常識だと思って欲しい」

「ぐちぐちうるさいわよ。なに? ケツに並々ならぬ拘りでもあったの? 要はチルルチョコじゃなくてトリュフチョコの方が良かったんでしょう?」

「ここでそのチョイスはトリュフが何かのメタファーになっていそうで嫌だ」


 言いながら、溜息をつきたい気持ちを必死に抑える。

 僕はここまでのやり取りで、彼女、垰止踊梨という少女について一つの確信を得ていた。


 なるほど、聞いていた噂はどうやら真実だったらしい、と。


「便秘気味で水分が足りない時のに似てるわね」

「オーケー、わかった。ストップだ」


 便秘とか言ってる時点でアウトです、垰止さん。


 僕は額に手を当て天を仰いだ。

 高緑高校には色んな女子がいると聞いてやって来たわけだけれど、まさかこんな女の子に出会うことになるとは。


 垰止踊梨。

 入学直後、その類い希なる容姿で注目された彼女の名は、すぐ後にその特筆すべき内面も明らかになり、瞬く間に知れ渡った。

 彼女と接した人間は口を揃える。

 綺麗な見た目とは裏腹に、中身は物凄い残念である、と。

 そこには女子力の欠片も無く、ギャップ萌えとか言ってフォローできるレベルを超越しているのだと。

 美人が故に注目され、壊滅的な中身が周知された彼女に付けられたあだ名は『路傍の貴石ジュエルダスト』。褒めてるんだか貶してるんだかわからない。

 けれどまあ、こうして実際に彼女を見ていれば、そんな風に呼びたくなる気持ちもわからなくはない。


「短いやり取りだったけど、君のことはなんとなくわかった気がするよ。どうやら噂は本当だったらしい」

「ふん、あの変なあだ名のこと? この学校に来てから似たようなことばかり言われるわ」


 そういう彼女は不愉快そうに眉を顰めた。

 そんな表情すら似合うのに、言葉を交わした後だとまったく心に響かないからすごい。


「現代版の仏作って魂入れずだとか、天は二物を与えずの好例だとか。失礼な話だわ」

「まあ確かに、良い気分はしないよね」


 例え、事実だとしてもだ。

 事実であっても名誉毀損は成立するのと似たような理屈だと思う。


「ええ、そうよ。私だって女なんだから。二物どころかイチモツだって与えられてないわよ」

「そういう話をしているんじゃあないんだよ」


 そしてそういうところだと思う。

 女子力が低いと誹られる要因は。


 この僕をもってしてそう感じさせるのだから、彼女は相当だ。


「それで、そんな君がわざわざ僕にあんな頼み事をするってことは、四月の成績が悪かったのかい?」


 僕がそう訊ねると、彼女はやや引き攣った笑みを浮かべた。


「え? なに? 聞こえないわ。四月の性癖? 月ごとで変わらないわよ。よしんば変わったとして悪いとか言われる筋合い無いわ」

「図星ってことで話を進めるけど」


 今更何を誤魔化して何を取り繕うつもりなのかは知らないが、彼女が事実を認めたがらないので僕は咳払いしてその茶々を制した。


 彼女のように女子力が低い生徒は、この学校では特にその肩身が狭い。

 というのも、国の政策の一環だからと色々融通されて特権的な扱いも受けているこの高緑高校は、その代償としてと言うべきか、かなりの実力至上主義なのだ。

 入学時に学力で途轍もなく目の細かいふるいにかけられる僕達男子は元より、女子に対して求められる条件はそれ以上に厳しいと言えるだろう。


 高緑高校の女子の成績評価には、授業態度や筆記試験の出来以外に、特筆すべき項目が一つある。

 それは、月間女子力。

 その月に一体どれだけのTPを獲得できたのかが月毎に集計され、それがそのまま成績になるのだ。

 そしてその月間女子力が余りにも低く改善の余地も無いと見なされれば、即落第。

 そんな女子にとってはハラハラドキドキな成績公開が、つい先日行われたばかりなのである。


 それを踏まえれば、彼女が僕に会いに来た目的など考えるまでもない。

 つまり、女子なら誰にでもトキメく『相性不問』と謳われる僕からTPを稼いで、五月で成績を挽回しようとしたのだろう。

 まるで使い勝手のいい道具のような扱いだとも思うけれど、それ自体は別に構わない。


 ただ問題は、こんな僕でもおいそれとトキメくことのできない例外的な女子が存在したということだ。


「ごめん……。多分、君に協力することは難しい。正直まったくトキドキしないんだ」

「どうしてよ! 他の女子にはほいほい籠絡される癖に、どうして私にだけ反応しないの!? 差別よ差別! 女子はみんな平等に評価しなさい!」

「滅茶苦茶言わないでくれ……」


 僕だってトキメけるもんならトキメいてやりたいが、無理なものは無理なのだ。


「僕もこんなこと初めてで動揺している。……だからこそ、君は他の方法で挽回を図るべきだと思う。僕がこの先、君にトキメけるかどうかは未知数だ」

「そんなこと言われても、他の方法なんて……」


 僕の提案に、彼女は唇を噛んで顔を背けた。

 その横顔には不安と焦燥の色が見て取れた。

 教師から相当厳しいことを言われたのかもしれない。


 そして、彼女とて努力していないわけではないのだろう。

 挽回のための他の手も考えて、既に試した後なのかもしれない。

 そんな彼女の状況を想像すると、なんだかいたたまれない気持ちになる。


 するとそこで、彼女が妙案でも思い付いたのか唐突に大声を上げた。


「あーっ!!」

「うわびっくりした……」


 心臓に悪い。

 ただでさえ僕のハートは、普段から女の子達に刺激されて負担がかかっているのだ。


「そうだわ! あんた、私のパートナーになりなさいよ! 今すぐにトキメけないって言うんなら、時間をかけてでも調教してあげるわ!」

「ええ……。藪から棒に何を言い出すかと思えば……」


 僕を巻き込む気満々の彼女の妙案に、気乗りはしない。

 異性交遊を推奨するこの学校では、公式ではないにせよ、パートナー制というものが公然と存在する。

 それはつまり友達以上恋人未満という関係のことで、いずれ恋人に至るという前提のお試し期間のようなものだ。誰かとパートナー関係になった異性には手出ししないというのが暗黙の了解、不文律。


 だからパートナーになろうと申し出るということは――


「――それって、ほとんど告白みたいなもんだよね」

「嫌なの?」


 そう問い詰めてくる彼女は目が据わっている。


「嫌っていうか……」


 威圧感に気圧されながら、それでも僕は言う。


「そういう、誰か特定の一人と仲良くするようなことは、したくないんだ」


 僕がそう説明すると、彼女はあからさまに眉を顰めた。


「えっ、なにそれ。誰の物にもなりたくないとかほざいてるわけ? きも」

「だって君のパートナーになったら、もう今までのように他の女の子達と仲良くできないじゃないか!」


 弁明するつもりも無かったので正直にそう叫ぶ。

 それに、恋人とかパートナーをその場の勢いで決めるべきではないというのは僕の信条でもある。

 譲るわけにはいかない。

 今のところ僕には、誰とも付き合うつもりが無い。


 そんな僕に対して、彼女の方も頑なだった。


「私だって本音を言えばあんたなんて御免だけれど、もうこれしか方法が無いのよ」


 静かに告げる彼女の言葉。

 僕は周りの空気が張り詰めていくような錯覚を覚えた。


「どうしても嫌だと言うなら、力尽くででも一緒に来てもらうわ」


 言いながら彼女は鞄をその場に置いて、顔の前で両腕を構えた。

 そのファイティングポーズは彼女に不釣り合いなほどに様になっていて、僕は少し驚いた。


「力尽くって……。プレイの一環じゃない暴力は反対だな」


 そんな風に嘯きながら、内心僕は焦っていた。

 少しだが武術の心得があり全くの門外漢というわけでもない僕に言わせてもらえれば、彼女の構えには隙が無かった。

 十数年にも及ぶような長い時間を費やして辿り着いた境地であると言われても違和感は無い。

 纏っている雰囲気も、歴戦の猛者を思わせた。


「……君、護身術でも習ってたの? 女の子とは思えないほど喧嘩慣れしてそうなんだけど」

「家庭の事情で、ちょっとね」


 多くを語るつもりも無ければ問答を続ける気も無いのか、彼女は続けてこう言う。


「私も暴力に訴えたくはないのよ。だから、自分の意思で私に協力して欲しい」


 言外に、力で言うことを聞かせるのは簡単だと告げるような台詞。

 そしてそれは間違っていないのだろう。

 女の子の台詞としては間違っていると思うけれど。


 どういう事情からか、彼女がそこらの男子では太刀打ちできないような実力の持ち主であるということは僕にも理解できた。

 だがそれでも、首を縦に振ることはできなかった。残念ながら。


「……悪いけど、僕は男だからね。意地がある」


 自分の信条を曲げるわけにはいかない。

 僕も彼女に倣って、自分の荷物を地面に投げる。

 それが合図になった。

 目にも止まらぬ速さで彼女が僕の目の前に現れる。

 高度な重心の移動で距離を詰めてきたのだと、遅れながらも僕はなんとか理解する。


 そして次いで繰り出された容赦の無い鋭い蹴りを、何とか躱す。


「へえ、やるじゃない、あんた」


 余裕ありげに笑う彼女から慌てて距離を取る。


「パンツ見えてるんだけど、興奮する余裕が無いのが悔やまれるよ」


 こんな物騒なご開帳じゃなければ少しはトキメけたかもしれないのに。

 それにしても、まさか学校の敷地内で女の子に襲われる羽目になるとは思っていなかった。

 日頃の行いが祟ったのだろうか?

 だとしても反省するつもりは無いけれど。


「今の蹴りを躱せるなんてね。一発で意識を奪うつもりだったのに。あんたの方こそ何かやってたんじゃない?」

「まあ一応、空手と柔道と剣道とかを少々……。ていうか、そんな殺意ある攻撃を同級生に向けないでもらえるかな」


 男たる者強くあるべし。

 女の子を守れる強さが必要だった僕は、幼い頃から文武両道を是としてきた。

 まさかその経験が、守るべき女の子からの攻撃を避けるのに役立つとは、人生とはわからないものだ。


「謙遜ね。少々の鍛錬で躱せるほど、私の技は甘くないのよ」

「世界観おかしいよその台詞。君は一体何者なんだ」


 ただの下ネタ好きなデリカシーの無い美少女だと思っていたのに。


「私のパートナーになったら教えてあげるわ、三上伊吹!」


 そんな威勢の良い台詞と共に、再び向かってくる垰止踊梨。

 僕はそんな彼女の攻撃をすんでのところで躱していた。

 蹴り、掌底、頭突き。

 それらが流れるように一分の隙も無く繰り出されてくる。


「どうしたの? 少しは反撃したらどう?」

「いやあ、僕は男だからね。女の子には手をあげないことにしてる」


 これもまた、譲るわけにはいかない僕の信条なのだ。

 もっとも、反撃を試みたところで彼女に勝てるかどうかは相当怪しいところなのだけれど。


「へえ、そう。二点褒めてあげるわ。まずはその心がけ。そして次に、まだちゃんと私を女の子として見ているということ」

「そりゃあどうも」

「だからそれに免じて、痛みを感じる間も無く、その意識刈り取ってあげる」

「えっ――」


 そしてその直後。


 宣言通りだった。

 視界の端から繰り出された鋭い手刀を僕はろくに捉えることもできず、呆気なく意識を奪われた。


     ◇◇◇


 目が覚めると、そこは知らない部屋の中だった。

 だが見覚えのある間取りと家具から、そこが高緑高校の学生寮の一室であることはすぐにわかった。

 僕の部屋にあるのと同じ型のダブルベッド。その上に制服のまま一人で寝かされていた僕は、重たい頭を持ち上げて身体を起こす。


「ここは……」

「私の部屋よ」


 独り言のつもりで呟いた言葉に、そんな返答があった。

 見れば、扉の傍に立つ彼女の姿があった。


「垰止さん……。僕をこんなところへ連れ込んで、どうするつもりだい?」


 気を失う前の出来事を思い出しながら、僕はそう訊ねた。彼女は答える。


「もちろん、私の女子力向上に協力してもらうのよ。共同生活を通してね」


 打ち所が悪かったのか、僕は鈍い痛みを訴える頭を抑える。


「僕に君と同棲しろと? 色々と急すぎるし、こっちにだって都合ってものがあるんだよ」


 高緑高校は全寮制で、生徒にはそれぞれそこらのホテルより使い勝手の良い部屋が与えられている。血税さまさまだ。

 そして例のごとく異性交流促進の為、男女が同じ部屋で寝起きすることを禁止する規則は無いしなんなら備え付けのベッドはダブルだ。

 実際、上級生には同棲しているカップルも多い。


 けれど許された行為だからといって気軽にやっていいわけではないと僕は思っている。


「第一、僕と君は今日知り合ったばかりだろう。パートナーになるという話も了承していないし。こんな風に無理矢理連れて来られて、言うことを聞いてやる義理も無いと思うけどね」


 腕っ節で勝負が出来ないなら言葉で言い負かせるしかない。そんな僕の非難に彼女は小さく息を吐いた。


「私だって一応、悪いとは思っているのよ? 手荒になってしまったことも、あんたの事情を考慮していないことも」


 どうやら本当に少しぐらいは悪いと思っていそうな顔でそう言って、続ける。


「けれど何度も言っているように、私にはもうこうするしか他に手段が無いの」

「こんな犯罪紛いのやり方しか残っていない? 本当に? 君は事を急ぎ過ぎているような気がするけどね。何か、そこまで急がないといけない理由が?」

「あるわよ。五月の女子力評価も最下位だったら退学だって、先生に言われてるの」


 さらりとそう言って、彼女は忌々しげに舌打ちした。

 なるほど。相当厳しいことは言われているだろうとは予想していたけれど、次の成績次第で即退学か……。

 想像以上の崖っぷちだった。


「そして、私はこの学校を出て行くわけにはいかない。絶対にね。だから、何としてもTPを稼ぐ必要があるのよ」


 そう言って僕の方を真っ直ぐに見る彼女。

 譲る気は無いという固い決意が見て取れた。

 けれど僕は、そんな彼女の言葉を不思議に思う。


「……こう言っちゃあなんだけど、君はこの学校には向いていないんじゃないか? 別にここに拘らなくても、君なら他に相応しい場所があるだろう」


 彼女の女子力は壊滅的だ。

 けれど、彼女には謎の武術の心得がある。類稀なる身体能力も併せ持っている。

 アスリートでも目指せば将来はバラ色だろう。


 そんな僕の疑問に、彼女は吐き捨てるように言った。


「そんなことはわかってるわよ。でも私には、女子力を諦められない理由があるの」


 そう語る彼女の顔は真剣で、彼女が生半可な覚悟でこの場に立っているわけではないということを僕は悟った。


「……なら、その理由ってやつを聞かせて欲しい。僕はまだ君のことを何も知らない。だから君の要求を受け入れることはできない。だけどせめて君が頑なな理由だけでも知れたなら、何かが変わるかもしれない」


 僕達はまだ、知らなすぎる。

 お互いのことを何も。

 誰かと親しくなるということは、その知らない部分を知っていくということなのだ。


 僕の言葉に、彼女は少し逡巡したようだった。

 けれどやがてゆっくりとした口調で、話し始めてくれた。


「……私の家はそれなりに歴史のある古武術の宗家でね。門下生もいて、警察や軍人を輩出したりもしている。私はその跡取りとして、小さい頃から技を教え込まれた。おかげでろくに学校へ行く時間も無かったし、友達を作るような暇も無かった。……けどそのこと自体は別にいいの。磨いた技は無駄ではないし、両親には感謝もしているから」


 言いながら、彼女はどこか遠くを見つめるような目でこちらを見ていた。


「私はこのまま垰止流を継いで、自分の子供にも両親と同じように技を継がせていくんだって、漠然とそう思っていた。けれど、TCシステムの登場で私の周りの環境は少しずつ変わっていった……。トキメキエネルギーを利用する装置、TOKIMEKI Device。それが軍事転用されれば、白兵戦の常識は変わると両親達は考えたの」

「武装TDか……。確かに話は聞いたことあるし、海外では試験的に運用している部隊もあるという噂も流れていたね」


 そもそも女性の社会的価値が高まった昨今、護身用のTDは女性の必需品と言ってもいい。

 それが更に強力に、武器として特化されたものが武装TDという話だ。

 三度目の世界大戦を経て、今はどの国も緊張状態である。TCシステムの登場でエネルギー資源の問題はほぼ解決に向かっているとはいえ、火種はあちこちにくすぶっている。


 新技術を取り入れて軍事力を強化しようという考えは理解に容易い。


「そして両親は、そんなTCシステムを利用した次世代の戦闘技術を垰止流に取り入れることにした。その為に私に、女子力を磨いてTDを扱う素養を身に付けるよう命じたの」


 それが、彼女がこの学校に来た理由。

 まさか戦闘技術の為だったとは驚きだ。

 どうも彼女の育ってきた環境は、僕のそれとは大きく異なるらしい。

 考え方や振る舞いが色々噛み合わなくたって当然と言えるかもしれない。


「まったく、流石に困ったものよ。今までボーイフレンドどころか普通の友達だっていなかった私が、いきなり男心を理解してトキメかせろだなんて」

「……でも、諦めるつもりはないのかい?」

「ええ、生憎ね。家から命じられているからっていうのもあるけれど……。これは私にとっても良い機会だと思っているのよ。これまで修行ばかりで関わってこなかったものを知る、チャンスだってね」


 その言葉で、僕は理解した。

 彼女とて、好きで女子力皆無の女子に成長したわけでもそう振る舞っているわけでもないのだ。

 ただ環境に恵まれなかったというだけ。

 そして、そんな今の自分を変えたいと願っている。


 落第点を突き付けられようと、『路傍の貴石』と詰られようと、男子からの協力を拒まれようと、懸命に前に進もうともがいている。


 そんなひたむきな姿勢を知って、僕は初めて彼女のことが少しだけ好きになれそうな気がした。


「――なるほど、よくわかったよ。君が諦めない理由がね。……話してくれてありがとう、垰止さん」

「別に。つまらない話だったでしょう」

「そんなことはない。だって、君のいいところを一つ知る事ができた」


 僕がそう言うと彼女は目を丸くしてきょとんとしていたが、すぐにそっぽを向いてしまった。


「はん、そんな歯の浮くような台詞よりもTP寄越しなさいよ」


 口を尖らせる彼女に思わず苦笑しながら、


「その願いを叶えられるかどうかはわからないけど、僕にできることがあるなら協力したい。話を聞いて、僕はそう思った」


 努力する女の子を応援できない男にはなりたくない。

 僕は女の子が好きだから。


 協力を申し出た僕に、彼女は再び驚いた顔を向けた。


「え? ほんとに?」

「僕が君にトキメけるかどうかは正直わからない。けれど、君の女子力を向上させる修行に付き合うことはできると思う。それで良ければ――」

「いい、いい! それでいいのよ伊吹! なによ、ようやく観念したのね!」


 まだ話の途中だというのに、彼女は喜色で顔を綻ばせそんなことを言う。


「散々文句垂れてたくせに、ころっと態度変えるんだから! やっぱちょろいわねあんた!」

「かつてない早さで前言を撤回したい気分だ……」


 ちょっと彼女のことを見直しかけていたところだったけど、今の言動を見ていると気の迷いだったんじゃないかという気分になるし、先が思いやられる。


 まあ嬉しそうな女の子というのはそれだけで価値があるので、取り敢えずは良しとしておこうか。


「ただ、女子力修行となれば僕も手を抜く気は無いし、抜ける気もしない。それなりのスパルタになるだろうことは覚悟しておいて欲しい」


 女子力に関しては一家言ある男子。それが僕だ。

 決してヌルくはないぜ。


「つまりあんたが私の女子力の師匠ってことね。いいわ、望むところよ! こちとら修行には慣れてるんだから」


 そう言って笑う彼女は、中々に鍛え甲斐のありそうな逸材だった。


「そうと決まれば、早速始めましょうか! 見てなさい! 私は絶対にあんたをトキメかせられるようになってみせる!」

「期待してるよ」


 そうして、僕達の修行は始まった。


 人にはそれぞれの良さがあり、女の子にはそれぞれの魅力がある。

 だから、一人一人に相応しい相手がきっといるはずだ。

 恐らく彼女、垰止踊梨にだって魅力はあって、僕がそれに気付けていないだけ。

 修行なんてしなくても、どこかにいるであろう彼女に相応しい男は、そのままの彼女を認めてくれるのかもしれない。


 けれど、僕は知ってしまった。

 彼女の想いも、ひたむきな姿勢も。

 知ってしまった以上、見て見ぬ振りはできない。

 目を逸らさずに彼女の魅力を伸ばしていく。

 それが僕の役割なのだと、この時思った。


     ◇◇◇


「だーから、どうして玉ねぎの皮を包丁で剥こうとするんだ! 無くなっちゃうだろうが!」

「だ、だって、にんじんの時は素手で剥くなって言ってたじゃない……」

「当たり前だ! むしろなんでお前はにんじんの皮を素手で剥けるんだ!」


 この学校の学生寮は一部屋ごとにキッチンまで誂えてあり、簡単な料理なら部屋の中で用意してしまえる。

 ひとえに手料理で男を萌えさせようとする女子の為の戦略的設備であり、修行を開始した彼女も手始めにと手作りの夕食を用意する算段だった。

「私の料理であんたをもだえさせてあ・げ・る」という不穏な台詞の後キッチンへ向かった彼女だったのだが、なんとなく不穏な空気を感じて後をついていってみれば、案の定と言うべきか、彼女は超の付くど素人だった。

 慣れていないとかいうレベルではなく、料理に関する知識がまるで無いという感じだ。

 恐らくだが、カップラーメンを渡せば電子レンジで作ろうとするだろう。

 危なっかしすぎて見ていられず口を挟むことになり、今に至る。


「伊吹あんた、口調変わってない……? そんな乱暴だったっけ……?」

「そりゃこうなるよ! もうやんわりと伝えるとか無理だもん!」


 ちなみに今作っているのはカレーである。

 小学生の飯盒炊爨でも定番の簡単な料理ではあるのだが、彼女は目を離すと指の一本や二本は落としそうな勢いだった。


「なによ、ちょっと皮剥きに慣れてるからって。言っておくけど野菜はちんちんとは違うのよ」

「当然知ってるし誰もそんな話してなかっただろうが! あと慣れてもねぇよ!?」


 料理しながら唐突に下ネタかます神経が全く理解できない。面白くもないし。


 僕が頭を抱えていると、今まさに手の平に乗せた玉ねぎへ包丁を入れようとしている彼女。

 やはり目を離すべきではなかった。瞬きだって許されない。


「待て待て待て玉ねぎ豆腐と違う! 切る時はまな板の上でだ! 何の為のまな板だと思ってる!」

「は、はあ!? いきなりなに!? 今、私の身体のことは関係無いでしょう!?」

「誰がてめえの胸の話してんだよッ!!」


 とはいえ。

 ふうん、言われてみれば確かに小さい。

 意識していなかったが、彼女の発言のせいで視線がそこに吸い寄せられる。

 いやほんとに意識なんてしていなかったが。


「大丈夫だ。おっぱいはただおっぱいであるだけで十二分なんだ。それに、大事なのは大きさではなく形と感度だと、僕は思っている」

「……あんたもたまに人の事言えないくらい頭おかしいから気を付けた方がいいわよ」


 唐突に冷めた目でそう返された。

 何故だろう。気にすることではないと伝えたかっただけなのに。


 僕は咳払いして彼女に言った。


「とにかく、こんな調子じゃ料理なんて無理だ。今日は僕がやるから、それを見て勉強しなよ」

「へえ、大口叩くじゃない。料理ってすごく奥深いのよ? 果たしてあんたにできるかしら」

「君の立ち位置が最早僕にはわからないけれど、心配には及ばないよ」


 羽織っていたブレザーを脱ぎ、シャツの袖を捲る。

 颯爽と調理場に立つ僕は、不敵な笑みを浮かべていたことだろう。


「料理が女性の仕事だと言われていたのは遙か昔の話……。今の世の中、料理が上手いのはできる男として当然の要件だ」


 僕は女性が好きだ。

 だから世界中の女性に見合う人間でありたいと常日頃から思っている。

 そしてその為の努力ならば怠るつもりはない。

 包丁の握り方など、鉛筆の持ち方と同時に学んだ。


「ところでカレーは甘口と辛口どっちが好み?」

「断然甘口派よ。チルルチョコとか添えてくれない?」


 なるほど、僕の好みとは合わない。

 というかまだチルルチョコ引っ張るのかよ。


「じゃあさっき渡されたあれ返すよ。要らないし」

「はあ!? 断腸の思いであげてるんだから有難く受け取りなさいよ!」


 うるさいなあ……。横でぎゃんぎゃん騒がれて気が散る。

 とはいえこれぐらいの料理なら慣れたもので、僕は手早く調理を進めた。


 そんな僕の手際を見て、彼女はどこか納得いかないという表情だった。


「なによ、ちゃんと上手いじゃない……。期待外れだわ」

「君は人が失敗する姿を期待していたのか?」

「だって、女子からちやほやされて鼻の下伸ばしてる女たらしがスペック高いなんて、思いたくないし」

「薄々気付いてたけど、僕に対する評価低いよね……。別にいいけど」


 それでいてTPは寄越せと吠えるんだからとんだ二枚舌だ。


「魅力的な相手に振り向いてもらう為には、自分にも魅力が無いと駄目だろう? 僕は別に君みたいに容姿がいいわけでも、君の武術みたいな圧倒的に誇れるようなものを持っているわけでもない。だから持ち合わせを必死に磨いているだけさ」


 たたでさえ惚れっぽい僕は、甲斐性の無さで女性を不幸にするわけにはいかないから。


「ふうん……。ま、私の師匠としては良い心がけなんじゃない?」


 そう言い残して、彼女は部屋へ戻っていった。

 その言葉は投げやりだったけれど、僕はこの時少しだけ彼女に認められたような気がした。


 いやそれはいいとして、なんで勝手にどっか行ってるんだよ。

 僕のやり方を見て勉強するって話だったじゃん……。


 納得がいかなかったので、カレーの味付けはバリバリの辛口に決めた。


     ◇◇◇


 そしてその晩。

 口から火を吹きながら文句とルーを垂れ溢す彼女との地獄のような夕食を経て、僕は今最大の問題に直面していた。


「……やっぱり考え直さないか? いくら女子力の修行だからって、何も同じ部屋を使うことはないだろう」

「そういうわけにはいかないわ。私に残された時間は一ヶ月。おはようからおやすみまで費やしてなんとしてでもTPを稼がないといけないんだから」


 今更何を言っているのかと言いたそうな目で僕を見てくる彼女。

 確かに、協力すると言った矢先に音を上げているようなものだが、いざ女の子との同棲生活が目の前に現れると、本当に大丈夫なのだろうかという気持ちになってくる。

 まあ目の前の彼女を純粋な女の子として見ることが出来るかというと意見が分かれるところであろうが、どちらにしても節度を保った付き合いが必要だとは思う。

 この学校は世間一般の社会通念とか割と無視しがちではあるけれど、それでも無視してはいけないものが確かにあるはずなのだ。


「でもやっぱり、甘く考えすぎなんじゃないか? 男と同じ部屋で暮らすってことを」


 だから、そんな苦言を呈さずにはいられない。

 それに対する彼女の返答はこうだった。


「なに? 男は狼だから危ないアピール? それとも、自分を抑えられなくなった時、最初に警告はしたと言い訳する為の布石? 大丈夫よ。いざとなれば、あんたをぶちのめすだけだし」


 確かに彼女がその気になれば僕など風の前の塵に同じだろうけれど。


「けど、世の中には色んな奴がいる。手段だって色々ある。だからその危機感は甘いと言わざるを得ない」

「でも、あんたはそんなことしないでしょう?」


 あっけらかんと、純然たる事実を突き付けるかのような響き。

 そんな言葉と共に真っ直ぐに見つめられ、僕は僅かに鼻白む。


「そりゃあ、まあ……」


 無論そのつもりだが、こんな言われ方をすると、無害だと甘く見られているのかあるいは信頼されているのかわからない。

 そんな僕に、彼女は続けてこう言った。


「だったら他の人間のことなんて関係無いわよ。だって、私が暮らすのはあんたとなんだから」


「っ……」


 その台詞に、僕は虚を突かれた思いだった。

 全く警戒していなかったところからストレートをもらったような感覚だ。


 今の彼女の台詞に、僕は不覚にも鼓動の速度を速めていた。

 今の台詞、ちょっと良くない?

 ふとした時に恋人から言われたい台詞ランキング上位入賞も夢ではないんじゃないか?


 喉の辺りで呼吸が詰まり、言葉が出てこない。その程度には僕は動揺していた。

 勝手に一人でまごつく僕の様子には気が付かないのか、彼女は懐を漁って怪訝な声を上げていた。


「……あれ? あっれぇ!? TPが増えてる!? 十ポイントも!?」


 そしてTRの画面を見て色めき立っている。

 僕の方を向いて、にんまりと笑った。


「あれあれあれ? あっれぇ~? あんた、散々私にはトキメかないとか強がってなかったっけ? これ見てこれ。十ポイントよ十ポイント。あんた、私にトキメいちゃってるのよ。機械に嘘はつけないわね~。どう? どう? どんな気持ちなの? ていうか、どこにトキメいたの? おっしえなさいよぉ~」

「う、うっぜぇ……」


 滅茶苦茶ウザ絡みしてくる踊梨から僕は顔を背ける。


「うふふ、顔赤くしちゃって。やっぱりあんたはチョロいわね。この分だと予想より全然楽勝そうね! あんたの通り名が伊達じゃなくてよかったわ!」

「くそ、ちょっといいなって思っただけでここまで冷やかされるのか……。もうぜってえトキメかねえ」


 こいつは僕にトキメいて欲しいのか欲しくないのかどっちなんだ。

 ただ僕をからかっているだけなんじゃないだろうな。


 ずっと求めていたTPが嬉しくて仕方がないらしい彼女は、そんな僕の疑念にも気付いていない様子だ。

 ……まあ、喜んでいる女の子を見る為の代償だと思えば、安いものだとは言えた。

 多少の溜飲は下げさせてもらいたいところではあるけれど。


「ていうか、十ポイントなんて誤差じゃないの? 自販機の下漁ってた方がまだ儲かるよ」

「はーあ!? 何言ってんの、誤差なわけないでしょ歴としたTPよ! これであんたにあげたチルルチョコの出費もカバーできたし、修行初日としては順調過ぎる滑り出しだわ!」


 どうやら何を言っても彼女はへこたれないらしい。

 単純というか馬鹿というか……。

 まあその辺が彼女らしさと言えるかもしれないので、僕はそれ以上何も言わなかった。


「いい? 伊吹! この調子で明日からは十万ポイント目指しなさい!」

「現実を見てくれ」


 どうやら僕の高校生活は、明日から途端に忙しくなりそうだった。


 入学してからあっという間にひと月が過ぎ、少しずつ生活にも慣れてきたところだった。

 何かの始まりと言うには些か出遅れ感のある、そんな葉桜の季節。

 こんな新生活が始まるとは思っていなかったけれど、人生とはそういう予想外の連続なのかもしれない。

 人生の楽しみ方が人それぞれだとして、僕はこの生活を楽しむことができるだろうか。

 今はまだわからないけれど、取り敢えず彼女の笑顔は素敵だった。

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