ACT.02/キャラバン


 ナザンの顔はいま、狼へと変わっている・・・・・・・・・


 比喩表現ではない。とがった耳。灰色の毛並み。長いマズルに大きな口。完全に、獣の顔になってしまっているのだ。


 カカトラが絶句し、コパンがナザンだと分からなかったのも無理はない。顔が変わっている――どころか、人ですらなくなってしまっていたのだから。


 さらに言えば、顔だけではない。

 全身が――頭の天辺から足の爪先まで余すところなく、ナザンは灰色の狼になってしまっていた。


 狼。

 否、厳密にいえば、完全に狼になったとは言い難い。たとえば骨格。狼は四足歩行の獣であるが、ナザンの身体はこの状態でも――多少猫背にはなっているものの――直立二足歩行を行うことができる。


 手についてもそうだ。手のひらに肉球こそついてしまっているものの、指先は長いままであり、びっしりとした毛皮や長く鋭い爪に目を瞑れば、どちらかといえば――非常に僅差ではあるものの――人間の手に近い形状といえなくもない。


 今のナザンの身体は、一事が万事そういったかたち・・・であり、人間でもなく、かといって完全な狼でもなく――ヒトとオオカミが綯い交ぜ・・・・になった新種の魔物のような見た目をしているのである。


「どういうこった……」コパンが、いまだに信じられていないような表情で呟く。「ナザン、あんたは――狼になれるのか?」

 ナザンは首を振る。

「狼になれる――というより、なってしまう、と言った方が正確だな」ナザンは、ふたりに対して説明する。「これは『呪い』だ」

「……呪い?」

「そう、魔女にかけられた呪いによって、太陽が出ている間は人間でいられるんだが――日が落ちると同時に俺はこの姿になってしまう」


 〈獣の呪い〉

 ナザンをこんな身体にした元凶の魔女は、そう言っていた。


「そんな呪いがあるのか……」


 コパンは、恐る恐ると言った様子で剣を鞘に戻した。 


「それで?」ナザンは、つとめて何てこと無いような態度を示しながら、話を促す。「鞄、直してくれたんだろ?」

「あ、はい」


 カカトラが、鞄を渡してきた。

 ナザンは、鞄の具合を確かめる。穴の空いた部分に、布が縫い付けられている。何度か引っ張って強度を確認してみた。問題なさそうだった。


「大丈夫そうだな。ありがとう」


 礼を言って、カカトラに銀貨を渡す。

 報酬を受け取った彼女が、じっとこちらを見ている。


「……どうした?」


 奇異の視線を向けられることは珍しくない。しかし、カカトラの瞳が宿す感情は、ただ珍しいものに対して向けられるそれとは、違っているように思えた。


「あー……」コパンが、頭を掻いた。「カカトラは、ライド山脈あたりの少数部族出身なんだよ」

「うん?」

「カカトラの出身地は、狼信仰が根付いている土地柄でな。中でも彼女の部族は、狼と群れを組んで狩りや生活を行っていたんだ。キャラバンに来てからは、生きた狼を間近で見る機会なんてなかったからな……」

「ごめんなさい」カカトラが頭を下げる。「私の村では、狼をルタロと呼んでいました。ルタロは、神様の化身と言われています」

「そうか……」


 ずい、と。カカトラが近づいてくる。その圧に押され、ナザンは一歩後ろにさがる。


「それで、ナザンさんにお願いがあるのですが……」カカトラが言った。

「なんだ」

「祈りを捧げてもいいでしょうか」


 どういうことだ。困惑していると、彼女は説明を続ける。曰く、彼女の住んでいた村で信仰されていた神は、人と狼が合わさったような姿をしているらしい。つまり、今のナザンのような。


「いや……、興奮しているところ悪いが、俺は神様でもなんでもない。ただの人間だ」


 そう断ると、カカトラは幾分か気落ちした表情を見せた。

 そんな顔をされても、どうしようもない。敬われる理由もないのに敬われるのも、なんだか騙しているみたいで気後れしてしまう。

 それに、この姿はナザンに取って――どちらかといえば忌むべき物なのだ。


 ナザンは話題を変えるために、コパンに話しかける。

「鞄の件以外にも、何か用があるように見えたが?」

「あ、ああ――」コパンが何度か頷く。「そうだ……番兵たちから酒を貰ってな、一緒に呑まないかどうか、誘いに来たんだ」

「酒? いったいどうして」

「まあ、彼らにも負い目があるんだろう。せっかく来てくれたキャラバンや旅人を、抜き差しならない理由があるにしろ町の外に占めだしているわけだからな……。タダ酒は、せめてもの償い・・だと言っていたよ」

「なるほどな……」


 その誘いは正直に言えば嬉しい。だが――、


「いや……、大丈夫なのか?」ナザンは質問する。

「何がだ?」

「だから、その、俺の姿が……」


 まるっきり獣の姿のナザンが同席することで、酒の席で余計な混乱や動揺を生むかもしれない。そんな危惧を、コパンは一笑に付した。


「なんだ。そんなことか。俺たちはキャラバンだぜ? 珍しいものなんて山ほど見てきてる。危険じゃないなら何も問題はないさ」

「そうか……」

「むしろ、酒も入って絶対に弄り倒すだろうからな、ナザンの方が気を悪くしないか心配だぜ」

「それは大丈夫だが――」

「じゃあ、ほら、行こうぜ。タダで飲める酒ほど、美味いものはこの世にないんだから、さ――」


 結局ナザンは、押し切られるような形で、酒宴に同席することとなった。

 キャラバンの反応は、コパンが言っていた通り穏やかなものだった。初見こそ服を着て二足歩行をする狼に対して驚きの表情を浮かべたものの、これが魔女による呪いであることを説明してからは「まあ、そういうこともあるのだろう」といった温度感に落ち着いた。


 狼の姿は、あからさまな恐怖――あるいは敵意・殺意すら抱かれることも珍しくないため、それだけでナザンは、随分と救われたような心持ちになった。


〈やはりお主は、ずいぶんのちょろいのう――〉少女の声が、ナザンにだけ聞こえるような声量で、そう囁いた。


 焚き火を囲い、酒を酌み交わす。

 キャラバンの構成人数は、十二人だった。男が七人、女性が五人。下は十八歳。上は六十歳まで、年齢層も幅広い。普段はここよりもう少し北の地域を中心に巡り商売をしているらしいが、販路拡大の為にいつもとは違うルート取りで南下してきたとのことだ。


 各々の自己紹介が終わったあと――話題にあがったのは、やはりこの町についてのことだった。より正確に言うならば、自分たちが閉め出される原因となった〈山の神〉についての話だ。


「ナザンも、この町に来たのは初めてか?」コパンが酒を片手に尋ねてくる。

「ああ」ナザンは頷いた。

「じゃあ、番兵たちが言ってた〈山の神〉についても知らないよなぁ」

「そうだな」


「――俺は知ってるぞ」

 キャラバンの中で最年長の男が言った。男は、ゴザ爺と呼ばれていた。


「ここら辺は、むかし、俺が住んでいたところでよぉ。若い頃、この町にも何度か来たことがある」

「へえ、そうなのか」コパンが目を丸くした。「知らなかったな、それは」

「昨日も言っただろうがよぉ」ゴザ爺が口を尖らせる。「ほんと、人の話を聞かないよなぁ、テメェはよぉ」

「悪い悪い」コパンはヘラヘラと笑った。「じゃあ、ゴザ爺は知ってるのか? この山の神様について、さ」

「聞いたところによるとな。『龍』だって話だ。この町に住んでいる人間に幸福をもたらすらしい」

「龍……?」コパンが呟く。「ドラゴンのことか?」

「ああ。ドラゴンの一種だよ。まあ、俺も見たことはないけどな。蛇をでっかくしたような見た目で、空を飛び、雨を降らすらしい」

「へぇ」 

「この町も、結構信心深い土地柄らしくてな。ずっと昔には、生け贄を捧げる文化も、あったみたいだからよ」

「生け贄って、マジかよ……」コパンが酒を呷る。

「まあ、珍しい話じゃないだろ。神様に生贄を捧げることで、幸福がもたらされる。逆に、捧げなければ災いが降り注ぐってのが相場だ」

「でも今は……やってないんだよな?」

「たぶんな。やってたら大問題だ。いや――案外、問題になるからこそ、こうやって外部の人間が入らないようにして、こっそりと秘密裏に生け贄の儀式をしてたりしてな?」

「まーたそうやって適当な話をしやがって……。もうガキじゃないんだから、いちいち怖がらねえよ」

「ちっ、可愛げがなくなりやがって……」


 コパンとゴザ爺の話に耳を傾けながら、ナザンはカップに注がれた酒を飲む。

 スグリの実を沈めた果実酒であった。深く、芳醇な味わい。随分と度数が高い。香りも複雑だ。いくつかの種類の酒を混ぜているのかもしれない。


 酒宴の話題は、自然とお互いの『旅』の話になっていった。今までの旅路を語り合うのだ。どんな村や町に訪れたのか、どんな人と出会ったのか、そして、どんな危険な目に遭ったのか。もちろんそれは面白おかしく酒の肴にするという目的ではあるのだが、それと同時に情報交換の役割も担っている。


 とどのつまり、旅を続けるのに必要なのは『情報』だ。どこにどんな町や村があり、そしてどんな状況なのか――そういった情報を新しい物に更新していくことが、自分たちの安全に繋がるのだ。もちろん、キャラバンとナザンは一期一会。話に聞いたことをそのまま鵜呑みにすることはしない。だが、話半分でもそういった噂話を数多く仕入れておくことが、己の生存率を少しでもあげることになる。


 ナザンは魔女の情報を知りたかった。自分に獣の呪いを掛けた魔女――あるいは、そういった生命に関する術を操る魔女について。しかし、キャラバンの誰も魔女について具体的な情報を持っている者はいなかった。気落ちはしない。そもそも魔女自体、非常に数の少ない存在であるからだ。


 酔いが回ってくると、人は自然と歌い出す。


 コパンたちのキャラバンは、どこからともなく楽器を取り出すと、思い思いに演奏をし始めた。動物の皮を張った打楽器や、木製の横笛、見たこともない弦楽器などである。きっと、よく練習をしているのだろう。どの者の演奏技術も高く、さながらちょっとした楽団のようであった。


 中でも、カカトラの歌声は素晴らしかった。聞き覚えない言葉で切々と歌われる異国の歌は、耳を傾けるナザンの心を揺さぶった。


 心地よいリズム。奏でられる音楽。そして、美しい歌声。


 目を閉じ、ゆったりと聞き入っていたナザンであったが――やがて、ゆっくりと横向きに倒れ込んだ。


 口から漏れる寝息。ナザンは、意識を失っていた。寝入ってしまったのである。


 ナザンだけではない。


 音楽は止まっていた。


 誰も歌っていなかった。


 キャラバンの面々も、その場で蹲り――あるいは横たわり、寝息を立てている。


 誰も、起きていなかった。


 コパンも、隊長も、カカトラも、ゴザ爺も――十二人のキャラバンの全員が、完全に、眠りに落ちているのである。



 誰も起きていない。


 静かであった。十三人分の寝息と、焚き火の弾ける音だけが、山の夜の空に吸い込まれていった。


 そして――、


 夢の中へ旅立った彼らの元へ、忍び寄るひとつの影があった。


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