110. 良くなっているので

「助けるのが遅くなって申し訳なかった」


 カグレシアン公爵の姿が見えなくなってすぐ、クラウスがそんな事を口にした。

 今回はいつもよりも時間がかかっていた気がするけれど、それでも他の方々よりも早かったのよね。


 だから、彼を責めようだなんて欠片も思わない。


「遅いだなんて思っていないわ。

 すぐに助けてくれて本当にありがとう」


「シエルが無事で本当に良かった」


 私がお礼の言葉を口にすると、クラウスは私を軽く抱きしめてくれた。

 今はドレスを着ているから、普段よりも抱きしめられている感覚は小さい。


 あんな事があったばかりだから、これだけでも心が癒される気がする。

 けれど、落ち着くことなんて出来なかった。


「シエル様、とても大切にされていますのね」


「夫婦と言われても違和感がありませんわ」


「本当にお似合いのお二人だ」


「この様子が見れただけでも、このパーティーに参加して良かったと思えるよ」


「シエル様とクラウス様を不幸にしようとしたあの男は本当に許せませんわ」


 周囲がヒソヒソと囁き合っている声が聞こえてしまったから。

 皆が私達の味方と分かって嬉しい気持ちと、この抱擁を見られて恥ずかしい気持に挟まれて、どうすれば良いのか分からなくなってしまう。


 だから……せめて顔を見られないようにと、クラウスの胸に顔を埋める。

 それからしばらく、私達は同じ体勢のまま動かなかった。




   ◇




 あの騒ぎから少しして、パーティーは元の雰囲気を取り戻した。

 私達もダンスや帝国の貴族達との会話を楽しむことが出来ている。


 帝国の貴族達との繋がりを増やすことも出来ているから、大満足だわ。

 カグレシアン公爵が騒ぎを起こしてくれたお陰で味方が増えるという状況だから、少し複雑な気持ちだけれど……断罪の時に向けた準備は順調だと思う。


「シエル様、すごく人気ですわね」


「フィーリア様だって、さっきからずっとダンスに誘われるほど人気ですわよね?

 私はダンスに誘われないから、少し羨ましいですわ」


 パーティーの中で婚約者以外の方とダンスをするのは、他家との関係を作るためには大切なことなのよね。

 他の人とぶつからないように距離を取るお陰で、一対一で話せる貴重な時間になるから。


 良くない関係を持とうと迫ったりすれば大問題だけれど、普通にダンスするだけなら問題になったりはしない。


 冒険者としてここに居る私達だけれど、三週間後の大聖祭に備えて帝国の貴族達との繋がりは増やしておきたいのよね。

 カグレシアン公爵を断罪する時に味方が少ないと、王国側の数に押し負けてしまうかもしれないから。


 だから、今の状況は少し不満なのよね……。

 私とクラウスのダンスや、カグレシアン公爵が起こした騒ぎのお陰で私達は帝国の貴族達から興味を持たれているけれど、繋がりを増やすことは出来ていないから。


「シエル様とクラウス様の間に入るのを躊躇う方が多いみたいですわ。

 それに、お二人ともお上手ですから、恥をかきたくない方もいらっしゃいましたの」


「そうでしたのね。

 私から誘いに行くのはあまり良くないですわよね?」


「王国では女性から誘えませんの?」


「ええ、はしたないと怒られてしまいますわ。

帝国は違いますのね……」


「女性からでも問題ありませんわ。貴重な機会ですから、シエル様はもっと積極的に動いても良いと思いますわ。

 クラウス様さえ良ければ、ですけれど」


 フィーリア様がクラウスに視線を向けると、彼は少し申し訳なさそうな表情を浮かべてから、こんなことを口にした。


「繋がりを増やすためだから気にしませんよ。

 私も動けたらシエルの負担を減らせますが、今も令嬢達の輪に入るのは難しいので」


「私は大丈夫だから、無理しなくても良いわ」


「ありがとう。

 しかし、いつまでも女性を避けていては支障が出るから、克服しないといけないな……」


 冒険者でも貴族の後ろ盾を持っている以上は社交も必要なこと。

 今のところダンスの誘いは来ていないけれど、全て断っていたら印象が悪くなってしまうから、クラウスの女性苦手は克服しないといけないのよね。


 けれど、無理に克服しようとしても悪化すると思うから、焦らない方が良い気がしてしまう。


「いつかは克服しないといけないと思うけれど、今は焦らなくてもいいと思うわ」


「そうかもしれないが、シエルに迷惑をかける訳にはいかない。

 だから頑張ってみるよ」


「本当に大丈夫……?」


 クラウスはすっかりやる気になった様子だけれど、見ていてすごく心配になってしまう。

 もしもこれから一緒に踊る人が誘惑してきたら……立ち直れなくなる程に傷を負ってしまう気がするのよね。


 そんな不安があるから、最初は安心して任せられる人が良い。

 だから、フィーリア様にお願いしようと思って視線を送ってみる私。


「シエル様、わたくしにお任せくださいまし」


「ありがとうございますわ」


 小声でそんな言葉を交わすと、フィーリア様はクラウスの方に恐る恐る近付いていって、少し間を置いてから声をかけていた。

 そんな時、私の方にも知っている人物が近付いてきていて、私もダンスの誘いを受けることになった。


「シエル嬢、私と一緒に踊って頂けませんか?」


 声をかけてきたのは、ネイサン・シャーマン侯爵令息様。


彼はフィーリア様の婚約者様。

親睦を深めておいた方が良いお方だから、私は迷わずに頷いてから口を開いた。


「はい、喜んで」


 こうして、私とネイサン様、クラウスとフィーリア様の組み合わせでダンスをすることになったのだけど、クラウスが途中で限界になっても大丈夫なように、私とフィーリア様がすぐに入れ替われる場所で踊る流れになった。


 けれど、私の心配は杞憂で済んでくれたみたいで、クラウスは笑顔を強張らせながらも最後まで踊り切る。

 


「なんとか最後まで耐えられたよ……」


 ダンス後の挨拶を終えて私のところへと戻ってきたクラウスは、今までに見たことが無いほど疲れた表情を浮かべている。

 これでも前よりは酷くないから、少しずつ克服しているのは間違いなさそうね。


 今の感じで少しずつ私以外の女性と交流する機会を作れば、そう遠くないうちに問題無く動けると思う。

 それまでに厄介な人に狙われないかが心配だけれど、その時は私が追い返せば大丈夫だと思から、心配しすぎも良くないのよね。


「少しずつ克服出来ているみたいで良かったわ。

向こうで少し休みましょう」


「ああ、助かるよ」


 そう言いながら私の手をとるクラウス。

 彼の顔の方を見上げると、さっきまでの憔悴が嘘のように吹き飛んでいる。


「シエル様と手を繋いだ瞬間に回復するなんて、本当に大切にされていますのね」


「クラウス殿が病気になったら、シエル嬢の看病がどんな薬よりも効果がありそうだ」


 温かい笑みと共に向けられる言葉を聞いたら、気恥ずかしくて壁になりたい気分になってしまった。

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