11. side 非常識な聖女

 冒険者ギルドで登録試験が行われている頃、アルベール王国の王城では二つの騒ぎが起きていた。


「殿下、何故終わっていないのですか!」


「仕方ないだろ! こんな量普通は終わらない!」


「今までと変わらない量ですよ!」


 一つ目の問題は、アノールド王太子の執務速度があり得ない勢いで遅くなったということ。

 今までシエルの成果を全て我が物にしていた彼は、婚約解消した後に自らこなす必要があることを失念していた。


 しかしパーティーの後からでは到底片付かない。

 ――否、シエルのお陰でで優秀に見えていただけで、実は無能な王太子には難しい量なだけである。


 無事に心を折られた彼は聖女アイリスとお楽しみの時間で現実逃避。


 その結果が昨日の分と今日の分を合わせて、山と化し机を埋め尽くす書類だ。

 これでは緊急の要件が入っても判子すら押せないと、執事は大焦り。


 しかし王太子は危機感を抱かず駄々をこねる始末。

 厳しい現実に、ただでさえ少なくなっている執事の毛根がまた一つ命を落としてしまった。


「シエル様に手伝わせていたのでしょうが、殿下のせいでもう居ないんですよ!

 平民上がりの聖女様は手伝えませんから、全てご自身でこなしてください!」


 説教をしながら書類を片付けにかかる執事は、手伝えと言わんばかりに王太子を椅子に押し付ける。

 不敬と取られかねない行動だが、これは王太子教育の一環であると言えば回避できる。


 どこかの王太子が王太子妃教育称していた前例があるのだから問題にはならない。

 そう考えての行動だった。


「分かった、やるから怒らないでくれ」


「最初からそうしてください。本当に禿げそうなんですから!」


 冗談でもない、全くの本心を告げる執事。

 彼の毛根は危機的状況なのだ。


 試しに聖女の治癒魔法をかけたこともあるが、改善の兆しは無かった。

 シエルが試作した毛生え薬は効果があったものの、妃教育で忙しかったから追加が作られることは無かった。


「ちょっと待ってください。その判子の押し方は何ですか?」


「え、違うの?」


「多少は問題ありませんが、斜めすぎます! まさか、全てシエル様に丸投げされていたんですか?」


「いや……そんなことは……」


 歯切れの悪い王太子を見て、頭を抱える執事は後悔の念に苛まれた。


 もっと早く気付いていれば。

 教育を厳しくしていれば。


 しかし後悔してもやり直すことは出来ない。

 ガシガシと掻き毟ったせいで、たった今死滅した五つの毛根も戻らない。



 そんなわけで、今までを取り返すかのように、王太子に対する厳しい教育が始まろうとしていた。






 一方、王城内の別の場所では騒ぎが起きていた。


「ゴブリンが逃げたぞ!」


 魔物研究所からゴブリンが脱走し、行方不明になったから。

 最弱と言われる魔物とはいえ、その足はとても速く成人男性でも容易に追いつけるものではない。


 普通なら自ら襲ってくる魔物のため討伐は容易であるが、逃げられると厄介だ。


「ゴブリンなら大丈夫よね。気にしないで続けましょう」


 魔物来るかもしれないというのに、聖女アイリスは招待した令嬢たちと中庭でお茶会を楽しんでいた。


「ええ、そうですわね。ゴブリンならわたくし達でも対処できますもの」


 けれど、実際に醜い見た目で恐怖感を煽るゴブリンが真っすぐに向かってきた時。

 お茶会をしていた聖女は椅子から降りて《うずくま》り、ゴブリンの牙が迫ってしまう。


「アイリス様、立ってください!」


「無理そうですわ。わたくし達で止めないと!」


 ゴブリンの攻撃は鋭い攻撃で噛むことだけ。

 だから立っていれば、平均的な身長の令嬢の腰ほどの高さまでしか体高が無いゴブリンから致命傷は受けない。


 けれど、貴族として教育を受けていなかった聖女は、対処法を知らないから怯えることしか出来ない。


「大丈夫ですか!?」


「ええ、わたくし達で倒せましたから」


 被害こそ出なかったものの、ゴブリン相手ですら自分を守れない人が聖女で良いのか、疑問に思う人が出る切っ掛けとなることは想像に難くない出来事だった。

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