【完結】九屯市怪忌譚:ずぶぬれさんのうわさ
嘉津山千尋
第1話 はじまり
四月も半ばに差し掛かったころ、親の都合で急遽引っ越すことになった。
中学に進学して、やっと教科担当の先生の顔を覚えてきたときのことだ。
最近決まったばかりのクラス委員長に渡されたみんなからの寄せ書きの色紙には、示し合わせたかのような無難な一文が並んでいた。
『今までありがとう、向こうでも元気でね』
小学校から一緒だった子も、同じ文章。やっぱりこんなものだな、という妙な納得感に安心する。
『また会おうね』なんて、変に気を遣われたくもない。
母からは必要ないものを引っ越し先に持っていかないように言われていたから、もちろん色紙もごみ袋に突っ込んだ。
引っ越し先はここから飛行機の距離だったせいもあって、家具は向こうで買いそろえるとのこと。
結局私の荷物は、本当に必要最低限。余計なものと言えば一つだけ。生まれたころに家族で撮った写真をそっと、定期入れに忍ばせた。
飛行機から降りた後、電車を何本も乗り継いで数時間。
街に住んでいた曾祖母たちは私と母を歓迎してくれた。
「色々あって大変だったねぇ、しばらくは自分の家だと思ってゆっくりしておくれ」
「ありがとう。パパが早く決着つけてくれるといいのだけれど」
母は曾祖母の言葉に対して、父のことを思い出したのか吐き捨てるように口にする。
「あゆみちゃんも、中途半端な時期の転校でしょう? ここはいい街だからねぇ、きっといい学校生活を送れるよ」
「ありがとうございます、楽しみです」
「あー、いいのこの子は。どうせどこ行っても何事もなくうまくやるから」
これからお世話になる身。礼義は大切だと思って言葉にしても、母がいつものようにさえぎってくる。
「へえ、そうなのかい。あゆみちゃんは頑張り屋さんなんだねぇ」
「別に。このくらい普通じゃない?」
環境が変わっても、家族が変わっても、私が私である以上母の態度は変わらない。
それこそ、別に普通だからもう慣れたけど。
「
ぱちぱちという拍手の音、クラスメイトの興味ぶかそうな視線。
「みなさん、仲良くしてくださいね」
担任の先生がそう締めくくる。これで、朝のホームルームが終わる、と思っていたところだ。
視線が合った。
別に、普通にしていたら転校生である私のことを見ているのは何もおかしなことではないのだけれど。やけにその子が気になった。
前から三番目、ちょうど教室の真ん中の席。髪の長い、日本人形にも似た綺麗な顔の女の子。
なんといえば良いのか、クラスになじんでいなかった。
そう、ひまわり畑の中にひとつだけ赤いバラが混じっているような。うまく言えないけれど、そんな感覚だ。
合ったと思った視線は、彼女が俯いたことで途切れてしまった。
「篠崎さんは、一番後ろの空いている席に座ってね」
先生の言葉で考え事をやめ、大人しく席につく。隣の席の男の子の名札には、和泉と書かれていた。
「よろしくね、篠崎さん」
和泉くんは人好きのする笑顔で挨拶してくれる。
「うん、こちらこそよろしく」
今まで通り、普通に、無難に。こうすれば何事も起きないから。
休憩時間、早速私の席はクラスの女子に囲まれていた。
「前の学校ではなにか部活やってた?」
「ううん、特に何も。家の門限が厳しくて」
「そうなんだ! じゃあ、こっちでも無理そうだねー」
「色々とやってみたい気持ちはあるんだけどね」
クラスメイトの質問に答えていく。転校生のお約束というものだろうか。
「そうだ、何かわからないことや気になることがあったらいつでも言ってよ!」
「そうそう、うちら色々知ってるからさ。結構答えられるよ? 安くて美味いクレープ屋とか!」
「今度みんなで行くのもいいよね~」
何も発言していないのに会話が続いていく。クラスの女子は少なくとも、皆仲が良いみたいだ。
そこまで考えたところで、ふと思う。クラスの女子のほとんどが私の席にやってきているのに、朝のあの子だけ席に座ったままだ。
「そういえば、あそこで座ってる子は」
「なんて?」
疑問を口に出したら、途中で遮られた。まずい話題だったかな、なんて思っていると皆は次々に口を開く。
「別に、何もないよね?」
「うん。気にすることないよ」
「ていうか、いつ遊びに行く?」
目が、笑っていない。嗤っている? いや、それも違う。この目はなんだ?
時計を見て、ひとまずのところ話を終わらせに行く。
「それは後で決めよっか。ほら、もうすぐ授業始まっちゃうんじゃないかな?」
「あ! もうこんな時間。ありがとうね、篠崎さん」
「また話そうね!」
散り散りになっていく女子たちを見ていると、急に隣の席の和泉くんが話しかけてきた。
「富永さんのこと、気になった?」
「富永さん……って言うんだ」
「うん。あまり話題に出さないほうがいいよ。理由は……放課後時間があったら、その時にでも」
いきなりのことに驚きつつも、理由を知ることはこの街で普通に過ごすために必要なことと思い返事をする。
「じゃあ、放課後お願い」
ちょうど、2時間目の予鈴が鳴った。
放課後、女子たちが来る前に隣の席の和泉くんは『校内案内』の提案をしてきた。
女子たちは残念がっていたが、和泉くんが上手いこと言って納得させてくれたのはありがたい。
「ここが売店。朝一で来ても何故かカレーパンだけ売り切れているんだよね。一年生でカレーパンの実物見たことある人いないんじゃないかな?」
「こっちは理科準備室。たまに教科担当の先生が謎の儀式しているんじゃないかって噂になっているよ」
「うちの体育館は三階と四階の端をぶち抜いて作られているんだ。外を通らなくていいから楽だね」
一応建前は校内案内ということだから、移動教室の紹介をしてくれたり、校内で話題になっていることも教えてくれたりする。
一階から歩き始めて三階の廊下に差し掛かった時、おもむろに和泉くんの足が止まる。
「下、見える?」
和泉くんの言葉に従い、廊下の窓から下を覗き込む。そこでは富永さんが外で、クラスの女子に囲まれていた。
「なにごと?」
穏やかではない光景に、思わず和泉くんに聞き返してしまう。
「いつものことではあるんだけど。まあ、見ていてよ」
和泉くんは廊下の窓を少し開け下の声が聞こえるようにしてくれたので、そっと耳を澄ましてみる。
「ねぇ、あんたまたやったでしょ。あれだけこの子の彼氏に近づかないでって言ったのにさ」
「全治三カ月だよ? ひどいよ、なんでこんなことばっかり」
「彼氏さんがあなたに何をやったっていうのさ!」
女子は口々に富永さんに大声を浴びせる。
それに対し、富永さんはぽつりと返すだけ。
「あの人が襲ってきたのよ」
「この期に及んで、はいそうですかーってなると思う? そもそもこの子の彼氏は一途なんだから、あんたなんかになびくわけないじゃん」
「そう。聞く耳を持たないなら最初から聞かないでほしい」
「あんた……ふざけんなよ……!」
激昂した女子が、富永さんの胸ぐらをつかむ。
殴られる、と思わずハッとしたが、横にいる和泉くんは全く焦っていない。
「来るよ」
突如として聞こえてきたのは、ガラスの割れる音。
同時に、窓越しに女子の頭に降り注ぐ、机の大群。
「……え」
女子は明らかに、こう、生きているのかわからない状態になっていて。
ガラス片は周りにいた女子たちにも刺さっていたから、悲鳴がやまない。
上の階からも、焦った声や怒号が聞こえてくる。
そんな中で、富永さんは無傷で、無表情に、その惨劇を見つめていた。
「これが、富永さんが浮いている理由」
「ちょっと待って、今……え? 四階の窓が割れたの? それで机が……?」
「『事故』だよ。これは『事故』」
「いや、机があんな数落ちるなんて事故じゃ……」
「『事故』って呼んでいるんだ。富永さんに危害を加えた人が受ける報復」
報復。
さっき、女子は『また』やった、と言っていた。
富永さんは、ずっとこういった『事故』を繰り返し起こしているのだろうか。
「なにもしなければなにも起こらないのに。触らぬ神に祟りなし、って言うよね? どうして排除したがるんだろう」
和泉くんの言葉は、あまり頭に入ってこなかった。
彼女は何もしていない。ただ、普通に生活している。
けれど、そんな彼女に危害を加える人がいる。その人が報復を受けて、その報復に憤った人がまた報復を受ける。その連鎖だ。
でもきっと、こういった生活が富永さんにとっての『普通』なんだろう。
私の送ってきた『普通』とは、全然違う。
私はただ、なぞっているだけ。富永さんはただ、そこにいるだけ。
今までの私が崩れていくのを感じた。
「きれいだから、じゃないかな」
「きれい?」
「うん、生き方が。だって、いるだけなのに他の人に影響を、波紋を、与え続けるってできないことだよ」
普通に、無難に生きていこうと思っていた。
私は親にすら望まれていないから、私も相手に望まないまま生きていこうと思っていた。
でも、変わった。変わってしまった。
ぽつりと、でも決意をもって和泉くんの方を向いて言い放つ。
作ったものではない、とりつくろったものでもない。淀んでいるかもしれないけれど、心からの言葉。
「私、あの子と友達になりたい」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます