第153話 婚約
水の1の月、1の週の月の日。
一カ月振りの学院。
中等部に進んだミカたちは、今日から王国軍の準軍属から軍属にランクアップする。
まあ、だからと言って何が変わるという訳ではないが。
精々月の手当てが銀貨五枚から大銀貨一枚に増えるだけだ。
(五千ラーツから一万ラーツに増えるけど、だから何?って感じだよな。)
他に収入源を持つミカにとっては大した違いではないが、他の子供たちにとってはお小遣いの倍増である。
今から支給日が楽しみなのだろう。
目の前のツェシーリアのように……。
ミカの前に座るツェシーリアは、見るからにウキウキしていた。
正直、浮かれ過ぎである。
「今度の支給日、どこに行くぅ?」
隣に座るチャールに、にこにこと話しかける。
「……ペンと、インク買いたい……。」
「もう! また文具? それはいつも行ってるじゃない。」
折角お小遣いが増えたのに、いつもと変わらないチャールのリクエストにツェシーリアは不満なようだ。
ミカは隣に座るリムリーシェを見る。
リムリーシェは嬉しそうに、そんな二人のやりとりを眺めていた。
リムリーシェも二人に付き合って出掛けるが、自分で何かしたいとか、買いたいということはあまり言わないらしい。
基本、リムリーシェは貯金派だ。
ほとんど余計な買い物はしないのだとか。
寮内と言えども、現金で持っているのは少々危ない。
なので、支給日に全額を下ろさない場合、寮生は寮の方で管理してくれている。
ギルドカードのようなものはないが、魔力で本人確認して残高を確認できる魔法具を寮母が持っているのだ。
それを使って入出金を管理している。
この魔法具も高価らしく、レーヴタイン領の学院にはなかったが、王都ではこれで管理してくれる。
ちなみに、学院を修了して正式に軍人になっても、似たような形で管理されるらしい。
そんな噂をメサーライトがどこかから拾ってきた。
ミカはクレイリアの方を見る。
クレイリアは微笑ましくツェシーリアたちを見ていた。
クレイリアには月の手当てなど、大したものではない。
自分の手当てが増えることより、手当てが増えて皆が喜んでいることが嬉しいのだろう。
「あ、そうだ。 クレイリア。」
「はい。 何ですか、ミカ?」
声をかけられ、微笑んだままクレイリアがミカの方を向く。
ミカは声を落とし、周りに聞こえないようにする。
「悪いんだけど、近いうちに時間をもらえない? 相談……というかお願いがあるんだ。」
ミカのその言葉を聞き、クレイリアが驚いたような顔になる。
「またお昼に…………ではない方がいいみたいですね。 今日の放課後でどうでしょう? ご一緒にお茶でもいかが?」
ミカの表情を見て、自宅に招いてくれる。
「ありがとう。 助かる。」
ミカの返事を聞き、増々クレイリアは驚いた顔になった。
■■■■■■
「婚約っ!?」
ミカの話を聞き、クレイリアが素っ頓狂な声を上げた。
クレイリアの後ろに控えたムスタージフも、目を丸くして驚いている。
ばあやさんは、眉一つ動かさなかったけど。
さすがは、年の功。
この程度では驚きませんか。
学院が終わるとクレイリアの馬車に同乗して、ミカもレーヴタイン家の別邸について来た。
クレイリアの私室に招かれてお茶を用意してもらい、一段落したところで用件を切り出す。
ミカは、自分に何かあった時のため、キスティルとネリスフィーネのことをクレイリアに頼むことにした。
なし崩しのような状態ではあるが、ミカ自身が二人を受け入れることを決めたのだ。
いつまでも「保護しているだけ」と逃げる訳にいかない。
そのことを、リッシュ村での生活で考えさせられたのだった。
「正式なものではないけど、実質そう思ってくれて構わない。」
真剣な顔でそう言うミカに、クレイリアは口をあんぐりとしたまま茫然としていた。
そのことを察してか、ばあやさんが「こほん。」と軽く咳払いをする。
咳払いの音を聞き、クレイリアが再起動した。
「お、驚きました…………いつの間にそのような方と。」
クレイリアが呟くように言う。
そこで、クレイリアの表情がハッとなる。
「だから……それで、寮を出たのですね。」
合点がいったという面持ちで、クレイリアが頷く。
「それで、どちらがミカの婚約者なのですか? その、キスティルさんという方ですか? それともネリスフィーネさん?」
クレイリアが何とか取り繕い、笑顔でミカに尋ねる。
その質問に、ミカは思わず視線を逸らす。
「……たり……す。」
「あの、ごめんなさい。 よく聞こえませんでした。 もう一度よろしいですか?」
あまりにも言いにくく、声が掠れてしまった。
ミカはごくんと唾を飲み、意を決する。
「二人ともです。」
「二人ともっ!?」
そのミカの言葉を聞き、クレイリアが再び素っ頓狂な声を上げる。
そりゃ驚くよね。
だって、ばあやさんも目を丸くしてるもん。
それからしばらく、少々気まずい空気が流れる。
あまりの居た堪れなさに、ミカも姿勢は正すが俯いてしまう。
そうして、再びばあやさんの咳払いで仕切り直された。
「あの…………差し支えなければ、経緯なども教えていただけますか? その上で、ミカ様の望みを、詳しく……。」
そうクレイリアが、気まずい表情で言う。
(どこまで話していいのか……。 結局、ラインが自分でも決められてないんだよな。)
レーヴタイン侯爵家という力を持つクレイリアにお願いをすると決めた時、ある程度は話す必要があるとミカも考えた。
だが、キスティルはともかく、ネリスフィーネの方は教会が絡む。
司教の不正という少々ヤバいネタだ。
巻き込んでしまう心苦しさもあり、どう話すべきか考えあぐねていた。
そうして言い淀むミカを見て、クレイリアが後ろを振り返る。
「二人は下がっていなさい。」
「なっ!? そ、そういう訳には――――。」
「お戯れを。 お嬢様。」
クレイリアの命令にムスタージフは慌てるが、ばあやさんは冷静に切り返す。
いちいち狼狽えるムスタージフは、ばあやさんを見習うべきだろう。
ばあやさんには、受け入れられない命令は、頑として跳ね返す強さがあった。
そんなばあやさんの態度に、クレイリアが少々膨れる。
「では、ドアまで下がっていなさい。 それとも、ばあやもミカの秘密に興味がおあり?」
クレイリアがそう言うと、ばあやさんが軽く息をつく。
二人きりにはさせられなくても、話を聞く必要はないでしょう、とクレイリアが言う。
その言葉を聞き、ばあやさんは渋々一礼をしてドアまで下がる。
ムスタージフはそんなクレイリアとばあやを見ていたが、やがてばあやさんについて行ってドアの横に立った。
クレイリアがミカの隣に座り、声を潜める。
「さあ、これで誰にも聞かれませんわ。 ……できれば、すべての事情を話してもらえませんか、ミカ?」
その表情は真剣そのものだ。
きっと、どんなことでも受け止める心積もりなのだろう。
(……知らない方が、反って迷惑をかけることになりかねないか。)
知っていればこそ、危険を避けられる。
教会とレーヴタイン侯爵家に、正面きって争ってもらうつもりはミカにもない。
ただ、冒険者をしているミカに万が一があった時、二人を保護してリッシュ村に送ってもらいたいのだ。
女の子二人で、十日以上もかかる旅路は危険すぎる。
今回の帰省で村の皆に受け入れられた二人なら、リッシュ村にさえ着けば後は何とかなると思う。
勿論、ある程度のお金を二人に持たせておくなど、考えなければいけないことはまだまだある。
だが、手始めにまずはクレイリアの協力という、大きな力を借りることにした。
「……その、先に謝っておく。 かなりやばい事情が含まれてる。」
「そんなにですか? ミカのためですもの、いざとなればレーヴタイン家の名前も使いますよ?」
クレイリアはそう言ってくれるが、それでもミカの表情は晴れない。
「…………そんなに、なのですか?」
「教会関係だから。」
ミカがそう言うと、クレイリアも表情を曇らせる。
教会には、貴族の権力が効きにくい。
いざとなれば力づくで何とかすることも可能ではあるが、後々が非常に面倒なことになる。
なにせ、エックトレーム王国の国民のほぼ百%が光神教徒。
領民だけでなく、家臣たちでさえ教会を向こうに回すとなれば、浮足立ってしまうかもしれない。
そして、教会に弓引くことになれば、他領の領主も口を出してくる可能性がある。
「避けるためにも、知っておいた方がいいと思う。 だから、話すよ。 だけど、他言はしないで、全力で避ける方法を選んでほしい。」
「分かりました。」
真剣な顔で、ミカとクレイリアは頷き合う。
そうして、ミカはネリスフィーネを保護した経緯を話した。
その前提で、自分が”
ネリスフィーネが聖女であること。
ルーンサームの司教の不正を知ったことで、謀殺されかけたこと。
その際に強い呪いを受けたこと。
ミカがその呪いを解き、家で匿ったこと。
そして、キスティルを保護した経緯も説明する。
父親に売られそうになったこと。
ミカがお金を渡し、そのまま去ってしまったこと、などを。
一通りの話を聞き、クレイリアが難しい顔をする。
そして、大きく溜息をつく。
「……無茶が過ぎます、ミカ。」
ミカの話を聞いた、クレイリアの第一声がこれだった。
ミカは「すいません……。」と小さくなるしかない。
クレイリアは、そんなミカを無視して頬に手を添えて考え込む。
「……いけませんね……まずは立場を固めるのが最優先ですわね。 でも……これは反って都合が良いのではないかしら。 そうなると……。」
ぶつぶつと呟きながら、考えをまとめている。
そうして
「ミカ。 婚約は正式なものではないと言ってましたね?」
「う、うん。」
「それではいけません。 本当にお二人を守りたいのなら、正式に契約を結ぶべきです。」
「契約……?」
婚約に、契約?
まあ、確かに契約みたいなものだろうけど、イメージ的には約束という方が近い気がするが。
「貴族でも正式な契約を結ばないこともありますけど、平民でも大店などの家では契約を結ぶことがあります。 これは法的な拘束力を持つ、正式な契約になります。」
この契約を結ぶことで、ミカが婚約者として、家族に近い形で二人を庇護することが可能になるらしい。
「それだけの覚悟がありますか、ミカ?」
クレイリアが紫がかった瞳で、ミカを真っ直ぐに見る。
ミカのために、ミカの願いのために、最善と思う方法を考えてくれたクレイリア。
(……これが、年貢の納め時ってやつなのか?)
結婚の経験がないため分からなかったが、こうして誰もが結婚を覚悟し、大きな責任を背負って行くのだろうか。
ミカは大きく息を吸い込む。
そして、姿勢を正して真っ直ぐにクレイリアを見た。
「ある。」
クレイリアの目を見て、力強く言い切る。
その真剣な眼差しは、クレイリアが気圧されそうなほどだった。
「でもごめん。 ちょっと待って。」
ミカの「待った」に、クレイリアがずっこけた。
「ちょっとミカ! もっと真剣に――――。」
「真剣! めっちゃ真剣なんです! 真剣なんだけどさぁ……。」
「何なんですか、もう!」
クレイリアが呆れたような声を上げる。
「こういうのって、片っ方の意志だけじゃだめでしょ。 やっぱり。」
「片っ方?」
よく分からないという顔をするクレイリア。
だが、すぐにハッとする。
「まさか、お二人に確認なさってないのですか!?」
「村でそんな感じに扱われはしたけど、はっきりと言葉では…………はい。」
もはや、呆れて言葉も出ないという表情のクレイリア。
ミカはそんなクレイリアの視線に耐えきれず、どんどん小さくなるのだった。
■■■■■■
「こちら、レーヴタイン侯爵家のクレイリアです。」
床に跪き、顔を伏せるキスティルとネリスフィーネにミカが簡単に紹介する。
どうやら
いいぞ、そのまま出てくるなよ。
「二人とも、ミカから話は聞いています。 席に着いてください。」
クレイリアがそう声をかけるが、二人とも動けないでいる。
というか、震えてる?
ミカから「二人の意志を確認していない」と聞かされたクレイリアは、そのままミカの手を引いて部屋を飛び出した。
ミカとムスタージフが「二人を連れてくるから」と説得しても聞かず、ミカの家に押しかけたのだ。
そして、突然の貴族の来訪にキスティルとネリスフィーネの寿命が縮まった、という訳である。
学院ではさすがに跪く人はいないが、貴族家の者を前にした、一般的な平民の反応はキスティルやネリスフィーネと同じものだろう。
そんな二人に、クレイリアが優しく声をかける。
「そんなに畏まらないで。 私たちは皆、同じ経験をした仲間ですよ。」
そう言って、キスティルとネリスフィーネの前にしゃがみ込む。
「私たちは皆、ミカに救われたことのある者たちです。 詳しくは話してあげられないのですけど、ね。」
クレイリアの言葉に、恐るおそる顔を上げる二人。
そんな二人に、クレイリアは優しい笑顔を向ける。
「今日はお二人とミカに、とても大切な確認があり押しかけてしまいました。」
クレイリアは立ち上がると、二人にも立ち上がるように促す。
そうして、ミカ、クレイリア、キスティル、ネリスフィーネの四人で席につく。
誰も口を開かない。
少々気まずい空気が流れる。
というか、ちらちらとキスティルとネリスフィーネの視線を感じる。
そして、隣に座ったクレイリアからの視線が痛かった。
(……はい、分かってます。 俺から言うべきですよね。)
だが、緊張しいのミカにこの状況は少々つらかった。
胃の辺りが、きゅー……とする。
喉がカラカラになった。
「……こほん……え、えーと。」
何かを言おうとするが、気の利いた言葉など一つも浮かばなかった。
というか、愛だの恋だの好きだの何だの、そんなものは断ち切った人生を歩んできたのだ。
(この状況でスラスラと何か言えるくらいなら、元の世界でとっくに結婚してるわっ!)
キスティルとネリスフィーネのことは可愛い子だと思うし、好ましく思っている。
だけど、それが愛なんて呼ばれる物かどうかなんて、正直ミカには分からない。
(
気持ちが追いついて来ない。
だけど――――。
「僕は、二人と結婚しようと思う。」
ミカの言葉を聞き、キスティルとネリスフィーネがゆっくりと顔を上げる。
その表情は、驚きだろうか。
喜びだろうか。
一番近いのは、きっと戸惑いだろう。
我ながら最低なこと言ってるな、と頭の片隅で思う。
いきなり二人に、結婚しようと伝えているのだから。
それも、二人同時に、本人たちの前で。
「いつも、笑顔でいてくれてありがとう。 二人の笑顔を見ていると、僕も嬉しくなるんだ。」
ネリスフィーネが、唇を震わせながら笑顔を作ろうとしている。
「いつも、美味しい料理をありがとう。 二人が料理してる姿を眺めているのが、僕は好きなんだ。」
キスティルの目から、一筋の涙が流れた。
「いつも、僕のことを気にかけてくれてありがとう。」
ミカは微笑みながら二人を見る。
「これからも僕は、二人と一緒にいたい。 だから、結婚してほしい。」
そう言って、ミカは頭を下げる。
………………。
頭を下げるが、いつまで経っても二人からの返事がなかった。
これはもしや、失敗だろうか。
ミカは恐るおそる顔を上げる。
そこには、綺麗な顔をくしゃくしゃにして、大粒の涙をぼろぼろ零すキスティルとネリスフィーネがいた。
「ミカ、くん……。」
「ミカ……様ぁ。」
「キスティル。 ネリスフィーネ。」
ミカが二人を呼ぶと、ふぇーんと子供のように泣き出した。
そんな様子に、クレイリアまで貰い泣きしていた。
(……えーと、これはオーケーだったと解釈してもよろしいでしょうか?)
さすがにこの場で確認する勇気がなく、ミカは心の中で少しだけ焦る。
そうして、
■■■■■■
二人の女の子が大泣きし、クレイリアが貰い泣きし、ミカがおろおろするダイニングで、ムスタージフはそんな光景を冷めた気持ちで見ていた。
クレイリアの付き添いでミカの自宅にまでやって来たムスタージフだったが、心中は複雑なものがあった。
(ミカ君の婚約を、閣下はどう考えるか。)
天才的な才能に恵まれたミカのことを、レーヴタイン侯爵は特に目をかけているようだった。
侯爵がどのような手段で取り込むつもりだったのかは分からないが、この事態は何らかの影響が出るだろう。
しかも、それをお膳立てしたのがクレイリアなのだ。
相当にややこしい事態になる可能性がある。
(閣下に、急ぎ報告しなければ……。)
ムスタージフは、別邸に戻ってからの行動と指示を、頭の中で考え始めた。
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