【書籍版第1巻発売中!】 神様なんか信じてないけど、【神の奇跡】はぶん回す ~自分勝手に魔法を増やして、異世界で無双する(予定)~

リウト銃士

序章

第1話 久橋 律(47)




「くぅぅっ……、終わったあ~。」


 俺はずっと見つめていたノートパソコンのディスプレイから目を逸らし、大きく伸びをした。

 寄りかかった椅子の背もたれが微かに軋むのと同時に、首と背中もミシミシと軋む。

 一頻ひとしきり凝り固まった体を伸ばし気怠さが落ち着くと、ぅあぁ~…と気の抜けた声が思わず漏れた。


 俺は久橋ひさはしりつ、47歳。都内のワンルームのマンションに住む、独身生活を満喫するおっさんだ。

 彼女いない歴=年齢というわけではないが、さりとて充実した人生を送ってきたわけでもない。

 結婚をしたくなかったわけじゃないが、かといってガツガツと相手を探す熱意もない。

 なんとなく生きていたら、47年もの歳月をかけて出来上がった冴えないおっさん。それが俺だ。


 ノートパソコンに繋いだキーボードに手を伸ばし、先程まで作業していたテキストエディタとコンパイラを閉じていく。

 俺の職業はプログラマー。

 勤めている会社はいわゆる商社に分類されるが、業界の中では中小規模。

 そんな吹けば飛ぶような会社で社内用の様々な業務支援アプリケーションの作成と、パソコンやネットワークの保守管理を主に担当している。

 大規模な管理システムなどは大手ソフトウェア会社の物を利用し、俺が担当するのはわざわざ外注で頼むのは高くつくが、あれば業務効率が大きく高まる。

 そんな痒いところに手が届くアプリだ。

 とはいえ直接利益を生み出す部署ではないので、システム開発部などとご立派な看板を掲げているが、所属社員は3名だけの場末の部署。

 俺を除けば50代半ばのハゲ部長と30代後半のアニヲタ君、しかも全員独身という女性比率50%の企業とは到底信じられないむさ苦しい部署だ。


 ちなみにこのアニヲタ君。

 初出勤の朝一に取り掛かったのは、持参したお気に入りのフィギュア7体 (プライズ)を自分の机に配置することだった。

 フィギュア達の位置や向きを一生懸命いじっているアニヲタ君に、何をしているのかと部長が尋ねると、「これが終わらないと仕事にならないんです!」と言い放ってみせた猛者である。

 後日、友人に話してみたら、「ああ、いるよね。そういう人も。」とのことだった。


 普通のことなのか、これ?







■■■■■■







 数年前、世界規模で感染症が大流行した。

 そして、その流行は現在も終わってはいない。

 国は感染拡大を防ぐために在宅勤務を推奨するようになった。

 感染症である以上、接触頻度を減らせば感染は防げる、と。


 そんな事情があり、俺は現在自宅にて仕事をしている。

 会社には週に1~3日、シフトで出勤するだけでいい。

 今週はもう、月曜に出勤した。

 そこで今週いっぱいかけて行う作業内容を部長と確認し、その作業がたった今終わったところだ。


 木曜の11時20分に。


 腕を組み、顎に手を添えて少し考える。

 さすがに仕事を早く片付けすぎたがどうしよう?

 簡単な仕事内容を大袈裟に言って、スケジュールを多く取ったわけではない。

 スケジュールそのものは適正だ。

 むしろ、時間が足りなくても土日もあるし間に合うだろう、くらいの気持ちでいたのだ。

 では、なぜこんなにも早く仕事が片付いてしまったのかというと――――。


(在宅勤務のせい。 ……と他人ひとのせいにしても仕方ないか。)


 もう一度身体を伸ばし首をひねると、コキッと鳴った。







 職場で働く場合、”定時”というものが存在する。

 企業によってはフレックス制度などもあるので一概には言えないが、だいたいは何時から何時まで、実働8時間と定めているだろう。

 そして、以前のように朝に出勤し就業時間が終わったら帰るという働き方なら何の問題もなかった。

 ごく普通の社会人として、俺自身そういう生活を20年以上もやってきている。


 だが、これまでとは全く違う要素が加わった。

 そう、在宅勤務だ。


 俺は切り替えが上手い方じゃない。

 仕事に関してもスロースターターだと自覚している。

 それでもこれまでは通勤という”儀式”があり、通勤時間を利用してスイッチを切り替えていた。

 朝アパートを出て駅まで歩き、満員電車に揺られながらゆっくりスイッチを入れていく。

 こうして、会社に着く頃にはしっかり仕事モードがオンになってる。


 だが在宅勤務にはそれがない。スイッチを切り替える大事な儀式がないのだ。

 このことで俺はしばらく悩むことになる。

 思うように仕事が進まず、土日を使って終わらない分を補うことが度々あった。


 もっとも、プログラマーという仕事はそういうことがよくある。

 ソフトウェア開発などでは、マスターアップやアルファ、ベータといった区切りの前では会社に泊まり込み、起きている時間≒働いている時間というような状況も珍しくはない。

 そう、いわゆる”死の行進デスマーチ”というやつだ。

 だから土日を使って作業の穴を埋めるというのも、俺にとっては特別なことではない。

 そして、その経験や考えが今回の原因、少なくとも大きな要因の一つと言えた。

 これまではオンへの切り替えが上手くいかなかったが、今回はオフへの切り替えが上手くいかなかったのだ。

 定時などないから延々とキーボードを叩き続け、手が止まるのは力尽きて眠る時だけ。


 話は少し変わるが、プログラムを組む時、”プログラムを考える事”と”プログラムを打ち込む事”、仕事の割合としては何対何になるだろうか。

 考える:打ち込み 5:5だろうか。それとも3:7?

 以前、友人に聞かれた時に俺は9:1と答えた。考えるのが9。打ち込むのが1。

 友人も同じ答えだったらしい。

 つまり、圧倒的に考えることが重要なのだ。

 頭の中でプログラムを組み、それが終ってからキーボードを打ち始める。


 話は月曜に戻る。

 出勤した俺は部長との打ち合わせで作業内容が決定すると、その後の仕事中や帰宅中もずっとプログラムを組んでいた。頭の中で。

 これは別に特別なことではない。プログラマーなら誰でもやっていることだ。

 今回はそのまま帰宅してしまったが、それもこれまでなら特に問題ない。

 仕事モードで帰宅しようと、そもそも仕事をする環境がないのだから。

 だが、残念ながら現在は仕事をする環境が整ってしまっていた。

 帰宅後とりあえずシャワーを浴び、途中のコンビニで買ってきた弁当を食べる。頭の中でプログラムを考えながら。

 そして一息つく頃にはプログラムが組み終わり、必要な準備などが明確になっていたのだ。


(明日の準備に、ちょっと環境だけ整えておくか。)


 などと思ったが最後、東の空が美しい赤紫色に変わる頃まで、どっぷりキーボードを叩いているのであった。

 頭の中で組み上がったプログラムを、パソコンへ移すために。







 プログラマーというのは、なかなかに不憫な仕事と言えるかもしれない。

 手を動かさず、ボー…としている姿を見れば、仕事をサボっていると思われても仕方がないだろう。

 だが、多くの場合きっと彼らは一生懸命に考えているのだ。

 どうすればスッキリとした無駄のない、整ったプログラムを書けるかを。

 それは言い換えれば、動作が軽く、拡張性があり、バグの少ないプログラムである。

 プログラマーが忙しそうにキーボードを叩いている時、実はあまり頭は働いていない。考えるべきことはすでに終わっているからだ。

 キーボードを叩く作業は、頭の中に組み上がったプログラムという”情報データ”を、パソコンに移す作業でしかない。

 いかに早く、正確に、”情報データ”を移行するか。そのためには余計な思考など邪魔にしかならない。

 何も考えず黙々と頭の中の”情報データ”を、指先を通じてキーボードに伝達していく。


 かつて、友人が言っていたことがある。


「直接USBを頭に挿せたらいいのに。」と。


 自分の手とキーボードという入出力装置デバイスを介すのが面倒ということなのだろう。

 俺もまったくの同意見だった。







■■■■■■







 はからずも、自ら進んで”死の行進デスマーチ”をやってしまったが、おかげで時間だけはたっぷり確保できた。

 1日半。土日も合わせれば3日半も自由になる時間があるわけだが、さすがに今日と明日は自宅にいる必要がある。

 本来仕事をしているべき時間なので、会社から急な連絡があるかもしれない。

 遠くへ旅行でもして、緊急の呼び出しや要請に「行けません。」「出来ません。」はさすがにまずい。

 もっとも、”死の行進デスマーチ”のせいで旅行に行こうなどという元気はないし、感染症流行による昨今の風潮で遠出に対しての忌避感もあった。


(ネットかゲーム。 気が向けば映画を観るくらいか。)


 つまりはいつも通り。

 そう方針を定めると、俺は先程まで作業していたノートパソコンとキーボードを、L字形の机の空いているスペースに移す。

 このノートパソコンは在宅勤務用に会社から貸与された物で、私用に使うわけにはいかなかった。

 というか、自分のデスクトップパソコンの方がスペックは高いので、わざわざスペックの低い社用パソコンで遊ぶ必要がない。

 ただし、電源を落とすわけにはいかない。今はまだ”仕事中”なのだから。

 メールが届いたらすぐに分かるよう横に退けつつ、ディスプレイは自分に向ける。これで視線を少し移すだけで確認が可能だ。

 自分のパソコンを立ち上げようとして、はたと手が止まる。


(……ちょっと臭うか?)


 そのまま数瞬の思案の後、先にシャワーを浴びることにした。

 ここ数日、シャワーを浴びた記憶がなかったからだ。

 ……最後に浴びたのは、もしかしたら月曜の帰宅後かもしれない。


 シャワーを浴び、さっぱりすると急に空腹を覚えた。

 物置兼食料庫(主にお菓子)と化したクローゼットを開けると、適当にスナック菓子を引っ張り出す。

 自分のパソコンを立ち上げると、ランチャーから即座にお気に入りのインターネットサイトを開く。

 いわゆる動画サイトと言われるもので、俺がよく見るのはその動画サイトの中でも世界最大のサイトだった。


(”ががーにん”は続きが上がってて、”まーく・怒鳴るぞ”も上がってるな。 ”ぴの助”は新作ゲーム始めたのか。 ……つーか、沙陀サダ5はどうした。 逃げたのか? 沼ってたし。)


 自分の気に入っているゲーム配信者のアーカイブを確認し、観たい動画リストにどんどん追加していく。

 リストに入れた動画から1つを選んで再生すると、スナック菓子をラッパ食いする。

 俺はスナック菓子を素手で摘まんで食べることはしない。手を汚したくないからだ。

 キーボードやゲームのコントローラーを汚すのが嫌だからだが、友人は箸を使ってポテトチップスを食べていた。

 本人曰く、「お上品だから。」とのこと。

 品位について考えさせられる一件だった。







 しばらく動画を観ていたら何か飲みたくなった。

 冷蔵庫を開ければ、常に缶コーヒーと炭酸飲料、缶入りの酎ハイが入っている。

 もっともよく飲んでいる炭酸飲料に手を伸ばし、そこで手を止める。

 時計を見れば15時頃。昼というには遅く、夕方というには早い時間。

 普段なら缶コーヒーか炭酸飲料を選ぶ。特に迷うようなことはない。

 だが、今日は?


(……問題は、ないよな?)


 そう考え、缶入り酎ハイを手に取る。

 仕事中なら絶対に選ばない選択肢。

 しかし今日はすでに仕事が終わっている。さらに言えば、本来ならまだ仕事中という背徳感が背中を後押しする。


(たまには、こういうのもいいな。)


 俺はそこまで酒好きではないので、休日でも昼間にアルコールを摂ることはない。

 飲みたくなる日もあるということで常備はしているが、毎日飲んでいるわけでもない。

 だが、今日はなんとなくテンションが上がり、「いいじゃん、いいじゃん」という気になっていた。


 その日はそのまま動画数本を観て、缶入りチューハイを数本空けた。

 本格的に空腹になったらピザを注文し、ピザを食べながら動画の続きを観てだらだらと一日が過ぎていく。

 そんな、47歳のおっさんらしからぬ時間の無駄遣いを満喫するのだった。







■■■■■■







 その日、夢を見た。

 空を飛ぶ夢だ。


 俺は普段あまり夢を見ない。

 まあ、実際は憶えていないだけで誰でも見ているらしいが。


 最初はふわふわと浮く感じ。

 住み慣れた自分の部屋を俯瞰ふかんで見る。

 ここで自分でも気がついた。


(あ、これ夢だ。)


 子供の頃によく見た夢だった。


 窓から外へ出ると、さらに高度が上がっていく。

 少しずつ遠くまで見えるようになっていく。


(あれがいつも行くコンビニ。 あっちに橋があって、駅はあれか。)


 自由に飛び回りながら普段よく行く場所や、よく見かける建物を目印にいろいろと探してみる。


 だが、しばらくすると少しずつ高度が下がり始めた。

 下がって下がって、ついには普段の視点と同じ高さ。

 さらに高度は下がっていき、最後にはうつ伏せになるくらいに視点が下がる。

 当然、俺の姿勢はうつ伏せだ。

 こんな状態ではあるが、それでも身体は浮いている。


(……これも同じか。)


 子供の頃に見た夢も、決まって最後は地面すれすれの低空飛行になっていた。

 地面が目の前にあり、もう一度飛ぼうとするが一向に上昇していかない。


(やっぱりだめか。)


 そんなことを思いながら、俺の意識はゆっくりと暗く落ちていった。




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